幕末・明治の暗殺事件 特集:桜田門外の変から伊藤博文暗殺まで、19の事件を年表とともにまとめています。▶ 暗殺事件の特集を見る
河上彦斎(かわかみ げんさい)は、幕末の「四大人斬り」の一人に数えられる肥後熊本藩の志士です。元治元年(1864年)7月、京都の三条木屋町で、開国論の第一人者だった佐久間象山を斬りました。
ただし、記録で確かめられる斬殺はこの一件だけです。藩の茶坊主から取り立てられ、尊王攘夷を最後まで曲げずに明治政府に処刑された人でした。藩と身分、幕末の歩み、取り立ての経緯、逸話、事件、最期、ゆかりの地の順にたどります。なお、本人の写真は一枚も確認されていません(「彦斎の写真」として出回るものは別人です)。
河上彦斎とは—先に答え
| 藩・身分 | 肥後熊本藩。下級藩士・小森貞助の子で、河上源兵衛の養子に。はじめは藩の茶坊主 |
|---|---|
| 生没 | 天保5年(1834年)11月25日〜明治4年(1871年)12月4日(西暦では1872年1月13日)。享年38 |
| 名前 | 幼名は彦次郎、諱は玄明。維新後は高田源兵衛(こうだ げんべえ) |
| 幕末に何をした | 尊王攘夷運動に加わり、御親兵として七卿落ちを護衛。長州側で禁門の変に参加 |
| 取り立ての経緯 | 茶坊主から坊主職を上がり、文久2年に普通の藩士に。藩の親兵に選ばれ、宮部鼎蔵と並ぶ幹部に |
| 事件 | 元治元年7月11日、京都・三条木屋町で佐久間象山を暗殺 |
| 最期 | 明治3年に捕らえられ、明治4年12月、東京・小伝馬町で斬首 |
| 墓所 | 池上本門寺(東京都大田区)。熊本の桜山神社などにも墓碑 |
熊本藩の茶坊主から
河上彦斎は天保5年(1834年)、熊本藩の城下・新馬借町(現在の熊本市中央区新町)で、下級藩士・小森貞助の子として生まれました。11歳で河上源兵衛の養子になり、16歳で元服して「彦斎」と名乗ります。
嘉永2年(1849年)ごろ、藩の茶坊主に召し抱えられ、藩主の庭の掃除坊主として仕えました。武士の中でも低い立場です。学問は轟武兵衛に儒学、林桜園に国学を学び、兵法は宮部鼎蔵に学びました。宮部はのちに池田屋事件で死ぬ肥後の尊攘派の中心人物で、彦斎の考え方を決めた人といえます。
幕末に何をしたのか—御親兵から長州へ
京都で尊王攘夷運動へ
文久2年(1862年)、京都に上り、尊王攘夷運動に加わりました。翌文久3年、熊本藩から選ばれて朝廷を守る御親兵となります。
七卿落ちを護衛
文久3年8月18日の政変で長州藩と尊攘派の公家が京都を追われると、彦斎は三条実美ら7人の公家(七卿落ち)を護衛して長州へ下りました。
池田屋事件と象山暗殺、禁門の変
元治元年(1864年)6月、師の宮部鼎蔵らが池田屋で新選組に討たれます。その翌月の7月11日に彦斎は佐久間象山を斬り、19日の禁門の変には長州側として加わりました。その後は長州で高杉晋作らと行動し、鴻城軍の幹部になっています。
取り立てられた経緯—坊主から藩士、そして志士の幹部へ
茶坊主から坊主の役職を順に上がり、文久2年11月に坊主職を解かれて普通の藩士になりました。文久3年には藩の親兵に選ばれ、宮部鼎蔵と同格の幹部に推されています。三条実美の信頼を得たことも、彦斎の立場を引き上げました。身分の低い者が、剣の腕と攘夷の志で藩の外の世界に居場所を得た例です。
しかし長州から熊本に戻ると、藩は佐幕に傾いており、彦斎は投獄されます。明治元年(1868年)に出獄して新政府の役職に就きましたが、まもなく辞めました。
逸話
勝海舟が「コワクテならなかった」
勝海舟は『海舟座談』で彦斎のことを語っています。勝が「多く殺してはかわいそうではないか」と言うと、彦斎は「唐辛子でも茄子でも取ってお上がんなさるだろう。あいつらはそんなものです」と答えたといい、勝は彦斎が「コワクテコワクテならなかった」と振り返っています(勝海舟)。
片手で斬り上げる剣
我流の片手抜刀の達人だったとされます。右足を前に出し、左膝が地面につくほど低く構え、下から斬り上げたと伝わります。剣の師は伝わっておらず、独学だったとみられています。
女性のような小男
背は約150センチと小柄で色が白く、一見女性のようだったといわれます。一方で目つきは「眼光人ヲ射ル」ほど鋭かったと伝わります。漫画『るろうに剣心』の主人公のモデルの一人とされることでも知られます(こちらは創作です)。
関わった事件—佐久間象山暗殺

元治元年7月11日、京都の三条木屋町で、馬に乗って帰る途中の佐久間象山を襲いました。まず足を斬り、落馬したところを斬って、象山は13か所の傷を負って死にました。三条大橋には象山を「西洋かぶれ」と非難する斬奸状が掲げられます。一緒に襲った者の名は、資料によって違います。
象山の家はこの事件で断絶し、息子の恪二郎は仇討ちを志して新選組に入りました(三浦啓之助)。事件のくわしい経緯は佐久間象山暗殺とは、現場のいまは【現地取材】佐久間象山・大村益次郎 遭難の地をどうぞ。
最期—明治政府に斬られた攘夷派
明治2年(1869年)、彦斎は熊本藩の飛び地だった豊後・鶴崎で「有終館」を開き、兵を教えました。しかし明治3年、長州藩の脱隊騒動の首謀者・大楽源太郎をかくまった疑いなどで捕らえられます。明治4年12月(12月3日とする資料もあります)、東京・日本橋小伝馬町で斬首されました。38歳でした。
大村益次郎や広沢真臣の暗殺との関わりは薄かったとされ、新政府に従わない危険な攘夷論者とみなされたための処刑だった、という見方があります。辞世は「君が為め死ぬる骸に草むさば赤き心の花や咲くらん」です。
河上彦斎ゆかりの地
池上本門寺(東京都大田区)
大田区池上1-1-1。彦斎の墓と、改葬のときに建てられた「河上彦斎先生碑」があります。東急池上線池上駅から歩いて15分ほどです。
佐久間象山・大村益次郎遭難之碑(京都市中京区)
象山が斬られた三条木屋町の近く、高瀬川沿いに碑が立っています。地下鉄京都市役所前駅から歩いて3分ほどです(現地取材)。
桜山神社(熊本市中央区黒髪)
肥後勤王党と神風連の志士123人の墓がある神社で、彦斎の墓碑も「高田源兵衛」の名で立っています。境内の神風連資料館は2024年8月末で閉館しました。
幕末・明治の暗殺事件を読む
- 桜田門外の変(1860)—大老・井伊直弼
- 坂下門外の変(1862)—老中・安藤信正
- 吉田東洋暗殺(1862)—土佐藩の参政
- 本間精一郎暗殺(1862)—木屋町の天誅
- 目明し文吉の殺害(1862)—三条河原
- 清河八郎暗殺(1863)—麻布一ノ橋
- 姉小路公知暗殺・朔平門外の変(1863)
- 芹沢鴨暗殺(1863)—壬生・八木邸
- 平岡円四郎暗殺(1864)—一橋慶喜の側近
- 佐久間象山暗殺(1864)—三条木屋町
- 原市之進暗殺(1867)—将軍慶喜の側近
- 赤松小三郎暗殺(1867)—東洞院通
- 坂本龍馬暗殺・近江屋事件(1867)
- 油小路事件(1867)—伊東甲子太郎
- 横井小楠暗殺(1869)—寺町丸太町
- 大村益次郎暗殺(1869)—兵部大輔の死
- 大久保利通暗殺・紀尾井坂の変(1878)
- 森有礼暗殺(1889)—憲法発布の朝
- 伊藤博文暗殺(1909)—ハルビン駅
▶ 暗殺した側の人物をもっと読む
- 有村次左衛門—桜田門外の変でただ一人の薩摩藩士
- 関鉄之介—桜田門外の変の現場の指揮役
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- 金子孫二郎—水戸藩の郡奉行。桜田門外の変を江戸で総指揮した
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- 河本杜太郎・河野顕三—越後と下野の医師の子。坂下門外の変で闘死
- 大橋訥庵—江戸の儒者。坂下門外の変を計画し、事件直前に捕らえられた
- 那須信吾—土佐勤王党。吉田東洋を斬った
- 大石団蔵(高見弥市)—吉田東洋を斬り、のち薩摩藩士として英国へ留学
- 安岡嘉助—吉田東洋を斬り、天誅組に加わって処刑された郷士
- 岡田以蔵—土佐の郷士。「天誅の名人」と恐れられた
- 田中新兵衛—町人から薩摩藩士になった「人斬り新兵衛」
- 佐々木只三郎—見廻組の与頭。清河八郎暗殺を指揮した
- 江幡広光・林忠五郎—一橋家付きの水戸藩士。平岡円四郎を斬った
- 依田雄太郎・鈴木豊次郎—将軍慶喜の側近・原市之進を斬った幕臣
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- 幕末・明治の暗殺事件 特集(年表と全事件の一覧)
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参考資料
- Wikipedia「河上彦斎」
- コトバンク「河上彦斎」(世界大百科事典・日本大百科全書・日本人名大辞典ほか)
- 山村竜也「勝海舟は『冷たい男』と呼んだ…」(WEB歴史街道)
- Wikipedia「佐久間象山」
- 荒木精之『定本河上彦斎』(新人物往来社、1974年)
- 勝海舟『海舟座談』(岩波文庫)

