2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)は、幕末の幕臣・小栗忠順が主人公です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
幕末・明治の暗殺事件 特集:桜田門外の変から伊藤博文暗殺まで、19の事件を年表とともにまとめています。▶ 暗殺事件の特集を見る
文久3年(1863)5月20日の夜、京都御所の北東、朔平門の外の「猿ヶ辻」と呼ばれる場所で、公家の姉小路公知が刺客に襲われ、命を落としました。「朔平門外の変」、または「猿ヶ辻の変」と呼ばれる事件です。
姉小路は三条実美と並ぶ攘夷派の若手公家の中心でした。御所のすぐそばで公家が殺されたこの事件は、犯人をめぐって薩摩藩の立場を大きく変え、その年の八月十八日の政変へとつながっていきます。
先に答え—姉小路公知暗殺とは
| いつ | 文久3年(1863)5月20日の夜 |
|---|---|
| どこで | 京都御所の朔平門の外、猿ヶ辻(いまの京都御苑内) |
| 誰を | 国事参政の公家・姉小路公知(数え25歳) |
| 誰が | はっきりしません。現場に残された刀から、薩摩藩士・田中新兵衛が疑われました |
| その後 | 田中新兵衛は取り調べの最中に自刃。薩摩藩は御所の乾門の警備を解かれました |
| 影響 | 京都で立場を失った薩摩藩は会津藩と結び、3か月後の八月十八日の政変で攘夷派を京都から追い出します |
姉小路公知はどんな人だったのか
姉小路公知は天保10年(1839)生まれ。若くして攘夷派の公家として頭角をあらわし、三条実美とともに朝廷の中で強い発言力を持つようになりました。文久2年(1862)には、攘夷の実行を幕府に迫る勅使の副使として江戸へ下っています。
文久3年4月には、勝海舟の案内で大坂湾の防備を見て回り、幕府の軍艦にも乗りました。このころから、姉小路は海の守りの大切さを知り、むやみな攘夷には慎重になったともいわれます。その変化が、攘夷派の一部から「裏切り」と見られたという説もあります(勝海舟とは何をした人物か)。
猿ヶ辻で何が起きたのか

5月20日の夜、朝廷の会議を終えた姉小路は、御所を出て帰宅する途中でした。朔平門の外を通り、御所の塀が北東の角で内側に欠けこんだ「猿ヶ辻」にさしかかったところで、覆面の男たちに襲われます。姉小路は扇で応戦したといわれますが、顔や胸などに深い傷を負い、屋敷へ運ばれたのちに亡くなりました。
猿ヶ辻という名は、この角の屋根裏に、鬼門を守る木彫りの猿がまつられていることに由来します。
残された刀と、田中新兵衛の自刃
現場には、犯人が落としたとされる刀が残されていました。調べたところ、その刀は薩摩藩士・田中新兵衛のものだとされ、田中は捕らえられます。田中は「人斬り新兵衛」と呼ばれた人物でした。
ところが田中は、取り調べの最中に、すきを見て自らの命を絶ってしまいます。何も語らないまま死んだため、本当に田中が斬ったのか、誰かに命じられたのか、あるいは刀を盗まれて罪を着せられたのかは、いまもわかっていません。
薩摩藩の転落と、八月十八日の政変
犯人とされたのが薩摩藩士だったことで、薩摩藩は御所の乾門の警備を解かれ、藩士の御所への出入りも差し止められました。京都の政局で、薩摩は一気に立場を失います。
巻き返しをはかる薩摩藩は、京都守護職の会津藩と手を組みました。そして3か月後の8月18日、両藩は朝廷の公武合体派と結び、長州藩と三条実美ら攘夷派の公家を京都から追い出します。これが八月十八日の政変です。姉小路が生きていれば、三条らとともに都を追われる「七卿落ち」の一人になっていたかもしれません。
姉小路公知ゆかりの地
- 猿ヶ辻(京都市上京区、京都御苑内):御所の北東の角。屋根裏の木彫りの猿は、金網ごしに見ることができます。
- 姉小路公知の墓(京都市上京区、清浄華院)
▶ この事件を起こした側の人物
- 田中新兵衛とは何をした人物か—町人から薩摩藩士になった「人斬り新兵衛」
幕末・明治の暗殺事件を読む
- 桜田門外の変(1860)—大老・井伊直弼
- 坂下門外の変(1862)—老中・安藤信正
- 吉田東洋暗殺(1862)—土佐藩の参政
- 本間精一郎暗殺(1862)—木屋町の天誅
- 目明し文吉の殺害(1862)—三条河原
- 清河八郎暗殺(1863)—麻布一ノ橋
- 姉小路公知暗殺・朔平門外の変(1863)(この記事)
- 芹沢鴨暗殺(1863)—壬生・八木邸
- 平岡円四郎暗殺(1864)—一橋慶喜の側近
- 佐久間象山暗殺(1864)—三条木屋町
- 原市之進暗殺(1867)—将軍慶喜の側近
- 赤松小三郎暗殺(1867)—東洞院通
- 坂本龍馬暗殺・近江屋事件(1867)
- 油小路事件(1867)—伊東甲子太郎
- 横井小楠暗殺(1869)—寺町丸太町
- 大村益次郎暗殺(1869)—兵部大輔の死
- 大久保利通暗殺・紀尾井坂の変(1878)
- 森有礼暗殺(1889)—憲法発布の朝
- 伊藤博文暗殺(1909)—ハルビン駅
✎ 筆者のひとこと
御所のすぐそばで公家が斬られた、前代未聞の事件です。疑われた田中新兵衛が何も語らないまま自刃したため、本当の犯人は今も分かっていません。
私は長州寄りの勢力が怪しいのではと見ています。このころ京都の天誅は、薩摩の田中新兵衛や土佐の武市半平太の周りが中心になっていました。勝海舟の案内で軍艦に乗ってから開国に傾いたともいわれる姉小路卿が、薩摩を追い落とすために犠牲になったのかもしれません(確かな証拠はなく、筆者の推測です)。


