大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公は、幕末の幕臣・小栗忠順(おぐり ただまさ、小栗上野介)です。横須賀製鉄所をつくり、幕府の財政と外交を支えながら、明治維新の直後に「逆賊」として斬られた人物です。
幕末歴史ガイドでは、小栗忠順とその周りの人々、ゆかりの地について記事を書いてきました。このページでは、それらを生涯の流れに沿って並べています。ドラマを見る前の予習にも、見たあとの答え合わせにも使ってください。
目次
まず読みたい一本
小栗忠順が何をした人物なのかを、生涯の流れに沿ってまとめた入口の記事です。
- 小栗忠順(小栗上野介)とは何をした人物か——横須賀を作り、罪なくして斬られた幕臣
旗本の家に生まれ、勘定奉行へ
三河以来の旗本・小栗家の成り立ちと、忠順がどのように出世していったのかをたどります。
- 小栗家とは——三河以来の旗本は何石で、城はあったのか。先祖の「又一」から権田村375石まで
- 小栗忠順はどう出世したのか——屋敷の中の漢学塾、直心影流の免許皆伝、勘定奉行四度の役職年表
アメリカを見た幕臣——万延元年遣米使節
目付として遣米使節に加わり、造幣局やネジを見た経験が、のちの仕事の原点になりました。
- 万延元年遣米使節とは——幕末の七十七人、小判を溶かした造幣局と、持ち帰ったネジ
横須賀製鉄所とフランス
忠順の最大の仕事ともいえる横須賀製鉄所と、その資金や人脈をめぐる記事です。
- 横須賀製鉄所とは——小栗忠順とヴェルニーが作り、いまも動いている幕末の造船所
- 幕府とフランスの借款交渉とは——ロッシュと小栗忠順、横須賀製鉄所の資金と六百万ドルの行方
- 栗本鋤雲とは——箱館の医者からフランス通の幕臣へ、小栗忠順を書き残した人
- 兵庫商社とは——小栗忠順が大坂の豪商二十人に作らせ、半年で消えた組織
小栗忠順と勝海舟
同じ幕府に仕えながら、正反対の道を選んだ二人を比べます。ドラマでも対立の軸になりそうな関係です。
- 小栗忠順と勝海舟——同じ幕府に仕えた二人は、なぜ正反対の道を選んだのか
- 小栗忠順と勝海舟を比べる——石高・家格・役職の表でみる、二人の幕臣の階段と結末
罷免、そして「逆賊」として斬られるまで
鳥羽伏見の敗報のあと江戸城で罷免され、上野国の権田村へ移った忠順が、取り調べもなく斬られるまでを追います。
- 小栗忠順の罷免とは——慶応四年正月、鳥羽伏見の敗報が届いた江戸城で起きたこと
- 小栗忠順はなぜ斬られたのか——幕末最後の勘定奉行、取り調べなき処刑と村人が取り返した首
残された家族と、恩を返した人々
身重の妻・道子の会津への逃避行、遺児のその後、そして小栗家を支えた三野村利左衛門の話です。
- 小栗忠順の妻はどう会津へ落ちのびたのか——慶応四年閏四月、身重の道子を守った権田村の二十二日
- 小栗忠順の遺児はどう生きたか——会津へ逃げた身重の妻と、三野村・大隈が支えた家
- 三野村利左衛門とは何をした人物か——小栗忠順に恩を返し、三井を救った大番頭
「逆賊」から再評価へ
死後に広まった埋蔵金伝説と、胸像や碑によって名誉が回復されていく百年の歩みをまとめました。
- 小栗忠順はいつ再評価されたのか——大正十一年の胸像、昭和七年の碑、百年かけた名誉回復
- 小栗上野介の埋蔵金伝説とは——赤城山の噂は誰が言い出したのか、明治十九年からの百四十年
ゆかりの地を歩く(現地取材)
首を取り返した村・権田の東善寺をはじめ、小栗上野介をしのぶ場所を実際に歩いた記録です。
- 【現地取材】東善寺と小栗上野介の墓——首を取り返した村、雨の権田を歩く
- 【現地取材】小栗上野介をしのぶ四つの場所——権田の本墓、大宮の首塚、雑司ヶ谷の累代墓、横須賀の胸像
- 【現地取材】飯田城を歩く——安政六年の石碑に、小栗忠順の師が文を寄せていた
- 【現地取材】記念艦三笠と東郷平八郎——幕末の海戦を戦った少年が、四十年後に立った艦橋
あわせて読みたい
小栗忠順と同じ時代に海を渡った長州藩の若者たちについては「長州ファイブとは」で紹介しています。
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