2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)は、幕末の幕臣・小栗忠順が主人公です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
幕末・明治の暗殺事件 特集:桜田門外の変から伊藤博文暗殺まで、19の事件を年表とともにまとめています。▶ 暗殺事件の特集を見る
明治11年(1878)5月14日の朝、明治政府の中心にいた内務卿・大久保利通が、馬車で出勤する途中に襲われ、命を落としました。場所は東京・麹町の紀尾井町、清水谷のあたりです。この事件は「紀尾井坂の変」と呼ばれます。
前の年には西南戦争で、幼なじみの西郷隆盛が亡くなっていました。維新の三傑のうち、木戸孝允も前年に病死しており、大久保の死で三人ともが世を去ることになります。
先に答え—紀尾井坂の変とは
| いつ | 明治11年(1878)5月14日の朝 |
|---|---|
| どこで | 東京・麹町区紀尾井町の清水谷(いまの千代田区。清水谷公園に哀悼碑があります) |
| 誰が | 石川県士族の島田一郎ら6人(うち1人は島根県士族) |
| 誰を | 内務卿・大久保利通(数え49歳) |
| なぜ | 有司専制(一部の役人による政治)への怒り。斬奸状で大久保の罪を5つ挙げました |
| 結果 | 大久保と馭者の中村太郎が死亡。犯人6人は自首し、同じ年の7月に処刑されました |
なぜ大久保利通は狙われたのか
大久保は、明治6年(1873)の政変で西郷隆盛らが政府を去ったあと、内務卿として政府の実権を握りました。地租改正、殖産興業、士族の禄の廃止など、近代国家づくりの改革を強い姿勢で進めていきます。
その一方で、特権を失った士族たちの不満は高まっていました。佐賀の乱、神風連の乱、萩の乱、そして西南戦争。各地の士族の反乱は、すべて政府によって鎮められます。武力で政府を倒す道を断たれた不平士族たちは、政府の中心人物を直接狙うようになりました。
島田一郎ら石川県(加賀)の士族は、西南戦争で西郷に呼応しようとしてかなわず、大久保を討つことを決めたとされます。
事件の朝、清水谷で何が起きたのか

5月14日の朝、大久保は麹町三年町の自宅を2頭立ての馬車で出て、赤坂の仮皇居へ向かいました。紀尾井町の清水谷にさしかかったところで、待ち伏せていた島田一郎らが襲いかかります。まず馬の脚を斬って馬車を止め、馭者の中村太郎を斬り、馬車から引き出した大久保を斬りました。
大久保には護衛がついていなかったといわれます。犯人たちは犯行のあと、斬奸状を持って自首しました。
大久保の懐には、西郷隆盛からの手紙が入っていたという話も伝えられています。かつての盟友と対立し、その死を見届けた大久保の最期を象徴する話として、よく語られます。
斬奸状は何を訴えたのか
島田らの斬奸状は、大久保の罪として次のような点を挙げていました。
- 国民の意見を聞かず、政治を一部の役人だけで動かしている(有司専制)
- 法令をみだりに出し、私情で政治を行っている
- 急がなくてもよい工事や飾りに国の金を浪費している
- 国を思う志士を退け、内乱を招いた
- 外国との交渉で国の威信を損なった
ここに挙げられた「有司専制」への批判は、のちの自由民権運動が掲げた主張とも重なっています。
その朝、大久保が語った「三十年の計画」
事件の朝、大久保は出かける前に、福島県令の山吉盛典の訪問を受けていました。山吉の記録によれば、大久保はこのとき、維新からの30年を三つに分ける考えを語ったといいます。
- はじめの10年(明治元〜10年):戦乱が多く、国の基礎を創る時期
- 次の10年(明治11〜20年):内政を整え、産業を興す時期。自分はこの10年に力を尽くしたい
- 最後の10年(明治21〜30年):後を継ぐ者が国を守り育てる時期
まさに「これからの10年」を担うと語ったその朝に、大久保は命を落としました。
紀尾井坂の変ゆかりの地
- 贈右大臣大久保公哀悼碑(千代田区紀尾井町、清水谷公園):明治21年(1888)に建てられました。
- 大久保利通の墓(港区、青山霊園)
- 大久保利通生い立ちの地(鹿児島市加治屋町):西郷隆盛と同じ下加治屋町で育ちました。
▶ この事件を起こした側の人物
- 島田一郎とは何をした人物か—加賀藩の足軽の子。紀尾井坂の変の首謀者
- 長連豪とは何をした人物か—西郷を慕って鹿児島に学んだ加賀の士族
幕末・明治の暗殺事件を読む
- 桜田門外の変(1860)—大老・井伊直弼
- 坂下門外の変(1862)—老中・安藤信正
- 吉田東洋暗殺(1862)—土佐藩の参政
- 本間精一郎暗殺(1862)—木屋町の天誅
- 目明し文吉の殺害(1862)—三条河原
- 清河八郎暗殺(1863)—麻布一ノ橋
- 姉小路公知暗殺・朔平門外の変(1863)
- 芹沢鴨暗殺(1863)—壬生・八木邸
- 平岡円四郎暗殺(1864)—一橋慶喜の側近
- 佐久間象山暗殺(1864)—三条木屋町
- 原市之進暗殺(1867)—将軍慶喜の側近
- 赤松小三郎暗殺(1867)—東洞院通
- 坂本龍馬暗殺・近江屋事件(1867)
- 油小路事件(1867)—伊東甲子太郎
- 横井小楠暗殺(1869)—寺町丸太町
- 大村益次郎暗殺(1869)—兵部大輔の死
- 大久保利通暗殺・紀尾井坂の変(1878)(この記事)
- 森有礼暗殺(1889)—憲法発布の朝
- 伊藤博文暗殺(1909)—ハルビン駅
✎ 筆者のひとこと
西郷隆盛を西南戦争で失った翌年、大久保も斬られました。維新の中心にいた2人が1年のうちに相次いで世を去り、明治の政治は次の世代へ移っていきます。
ここからは伊藤博文や大隈重信、西郷隆盛の弟・西郷従道らが政治の中心に立つ時代になっていきます。


