幕末・維新– category –
幕末から明治維新にかけての人物・組織・軍艦・城・史跡などの記事をまとめたカテゴリーです。新選組隊士、海援隊士、坂本龍馬の手紙、幕末の軍艦などのシリーズのほか、2027年の大河ドラマの主人公・小栗忠順に関する記事もここに入っています。
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幕末・維新
渡辺太三郎・沓掛藤五郎・多田金之助とは—江戸から権田村へ従い、小栗父子とともに斬られた若い家臣たち
渡辺太三郎・沓掛藤五郎・多田金之助は、小栗上野介に従って江戸から権田村へ移った家臣。渡辺は閏4月6日に小栗とともに水沼河原で、沓掛と多田は翌7日に養子・又一とともに高崎で斬られました。小栗日記の記述、最期、東善寺と下斎田の墓、法名を紹介します。 -
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佐藤銀十郎とは何をした人物か—小栗上野介の妻を会津へ守り抜いた権田村の歩兵、熊倉の戦いで散った21歳
佐藤銀十郎は小栗上野介の領地・権田村出身の小栗家歩兵。小栗の死後、身重の妻・道子らを会津へ護衛し、会津軍に加わって慶応4年9月11日、喜多方市熊倉の戦いで21歳で戦死しました。出自、暴徒撃退の働き、三国峠・小出島の戦い、熊倉の墓と中根米七の自刃までを紹介します。 -
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塚越冨五郎とは何をした人物か—小栗上野介の妻を会津へ送り届け、阿賀野川の一竿で撃たれた権田村の23歳
塚越冨五郎(富五郎)は小栗上野介の領地・権田村の農家の若者。小栗の死後、妻・道子らを会津へ護衛し、会津軍に加わって喜多方市高郷町の阿賀野川の渡し「一竿」で撃たれ、23歳で戦死しました。出自、逃避行、一竿の戦い、慰霊碑と東善寺の供養墓を紹介します。 -
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大井磯十郎とは何をした人物か—権田村出身の小栗家歩兵、博徒との談判に立ち、主君とともに水沼河原で斬られた家臣
大井磯十郎は小栗上野介の領地・権田村出身の小栗家歩兵。小栗日記には博徒との談判や近村への使いで何度も登場し、慶応4年閏4月6日、小栗・荒川祐蔵・渡辺太三郎とともに水沼河原で斬首されました。出自、日記の記述、最期の伝承、東善寺の墓と法名を紹介します。 -
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矢田賢之助【新選組隊士 勘定方・靖兵隊士官取締 幕末】
矢田賢之助 職名 勘定方(靖兵隊では士官取締) 出身 紀伊国 終焉場所 下野 今市 終焉方法 戦死 元治元年(1864)に入隊した、紀州出身の隊士です。 慶応4年、永倉新八・原田左之助らと新選組を離れて靖兵隊に加わり、士官取締を務めました。 下野の今市の... -
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前野五郎【新選組隊士 平隊士・靖兵隊歩兵取締 幕末】
前野五郎 職名 平隊士(靖兵隊では歩兵取締) 出身 阿波国(徳島藩士の家) 終焉場所 択捉島 終焉方法 事故死 慶応2年冬ごろ、京都で入隊しました。 慶応4年、永倉新八らと新選組を離れて靖兵隊に加わり、永倉が去ったあとの隊を率いました。 維新後は北海... -
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林信太郎【新選組隊士 伍長・監察 幕末】
林信太郎 職名 伍長・諸士取調役兼監察 出身 武蔵国 終焉場所 水戸街道(下総・常陸方面) 終焉方法 戦死 文久3年5月ごろまでに、新選組の前身・壬生浪士組に入隊しました。 池田屋事件では土方歳三の隊に入り、褒賞金を受けています。 慶応4年、永倉新八... -
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小栗忠順の作戦とは—箱根で迎え撃ち、幕府艦隊で駿河湾から東海道を断つ。慶応四年正月の建策と、大村益次郎が恐れたという言葉の出典
小栗忠順(小栗上野介)が慶応四年正月、江戸城で徳川慶喜に建策したと伝わる作戦とは。新政府軍を箱根で迎え撃ち、幕府艦隊で駿河湾から東海道を叩く挟撃策の中身、当時の陸海の戦力、採用されなかった理由、大村益次郎の言葉の出典まで。 -
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【現地取材】洗足池の勝海舟夫妻墓所と西郷隆盛の留魂詩碑|案内板を全文で読む。記念館・洗足軒跡・留魂祠まで
東京・大田区の洗足池にある勝海舟夫妻の墓と、勝が建てた西郷隆盛の留魂詩碑。現地の案内板を全文で書き起こし、勝海舟記念館、洗足軒跡、留魂祠、袈裟掛けの松まで写真で歩きます。墓石の「海舟」の字をめぐる二枚の案内板の食い違いも。 -
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溝渕広之丞とは何をした人物か—龍馬と後藤象二郎を清風亭で引き合わせ、海援隊を生んだ土佐藩士
坂本龍馬を後藤象二郎に引き合わせた土佐藩士、溝渕広之丞。慶応三年一月十三日の清風亭会談が亀山社中を海援隊に変えました。千葉道場の同門、砲術の師、そして龍馬が「先生」と呼んだ相手です。 -
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天璋院(篤姫)とは何をした人物か—島津斉彬の養女から十三代将軍家定の御台所へ。江戸城を去るまで徳川家を守った女性
天璋院(てんしょういん)は、薩摩藩の分家に生まれ、島津斉彬の養女として十三代将軍・徳川家定の正室となった女性です。篤姫の名で知られます。家定の死後は大奥を取りしきり、戊辰戦争では実家の薩摩に徳川家の存続を嘆願しました。 -
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和宮とは何をした人物か—婚約者と別れ、公武合体のため十四代将軍家茂に嫁いだ皇女。徳川家を救う嘆願と増上寺の墓
和宮(かずのみや)は、仁孝天皇の皇女で孝明天皇の異母妹です。有栖川宮熾仁親王との婚約を解かれ、公武合体のために十四代将軍・徳川家茂に嫁ぎました。家茂の死後は静寛院宮と称し、戊辰戦争では朝廷に徳川家の存続を嘆願しました。 -
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山岡鉄舟とは何をした人物か—駿府で西郷隆盛と談判し、江戸無血開城の道を開いた剣の人。浪士組から明治天皇の侍従まで
山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)は、剣と禅に打ち込んだ幕臣で、慶応四年三月、勝海舟の使者として駿府の西郷隆盛のもとへ乗り込み、江戸無血開城の条件を引き出しました。浪士組の取締役を務め、明治には明治天皇の侍従となりました。「幕末三舟」の一人です。 -
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板倉勝静とは何をした人物か—松平定信の孫、最後の老中首座。山田方谷を登用し、大政奉還を支え、箱館まで将軍家に従った
板倉勝静(いたくら かつきよ)は、備中松山藩主で、山田方谷を登用して藩財政を立て直し、幕府では老中首座として徳川慶喜の大政奉還を支えた人物です。戊辰戦争では日光から奥羽を経て箱館まで旧幕府方に従い、のちに自首しました。小栗忠順の上役としての顔まで。 -
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堀田正睦とは何をした人物か—「蘭癖」の老中首座。ハリスを江戸に迎え、条約の勅許を求めて京都で敗れた佐倉藩主
堀田正睦(ほった まさよし)は、下総佐倉藩主で、阿部正弘のあとを継いで老中首座となった人物です。西洋の学問を好んで「蘭癖」と呼ばれ、ハリスを江戸に迎えて通商条約の交渉を進めましたが、朝廷の勅許を得られず、井伊直弼の大老就任とともに失脚しました。 -
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松平容保とは何をした人物か—京都守護職として新選組を預かり、孝明天皇に信頼され、会津若松城で一か月戦った会津藩主
松平容保(まつだいら かたもり)は、会津藩九代藩主で、文久二年に京都守護職となり新選組を預かった人物です。孝明天皇から厚い信頼を受けましたが、戊辰戦争では「朝敵」とされ、会津若松城に一か月籠城して降伏しました。小栗忠順の妻子が会津へ逃れたこととのつながりまで。 -
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木村喜毅(芥舟)とは何をした人物か—咸臨丸の「提督」。勝海舟と福沢諭吉を連れて太平洋を渡り、小栗たちの使節を支えた
木村喜毅(きむら よしたけ、号は芥舟)は、軍艦奉行として万延元年に咸臨丸でアメリカへ渡った幕臣です。艦長格の勝海舟、従者の福沢諭吉を連れ、小栗忠順らの遣米使節に随伴しました。明治政府には一度も仕えず、『三十年史』を書き残しました。 -
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池田長発とは何をした人物か—スフィンクスの前で写真を撮った幕府の使節。「港を閉じる」交渉に出て「開国」を説いて帰った
池田長発(いけだ ながおき)は、二十七歳で外国奉行となり、横浜鎖港談判使節の正使としてフランスへ渡った幕臣です。途中エジプトでスフィンクスの前に立った写真が残ります。鎖港は不可能と悟ってパリ約定を結び、帰国して開国を説いたために処罰されました。 -
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永井尚志とは何をした人物か—長崎海軍伝習所の総監から若年寄へ。大政奉還の上表を書き、箱館まで戦った幕臣
永井尚志(ながい なおゆき)は、長崎海軍伝習所の総監理として幕府海軍の基礎を築き、外国奉行・軍艦奉行・京都町奉行・若年寄を歴任した幕臣です。大政奉還の上表文の起草に関わり、戊辰戦争では箱館奉行として榎本武揚とともに戦いました。 -
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井上清直とは何をした人物か—下田奉行としてハリスと向き合い、日米修好通商条約に署名した川路聖謨の実弟
井上清直(いのうえ きよなお)は、下田奉行としてハリスとの交渉にあたり、岩瀬忠震とともに日米修好通商条約に全権として署名した幕臣です。兄は勘定奉行の川路聖謨。左遷と再任を繰り返し、北町奉行在職中に亡くなりました。 -
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川路聖謨とは何をした人物か—御家人の子から勘定奉行へ。プチャーチンが称えた交渉家は、江戸開城の直前に自決した
川路聖謨(かわじ としあきら)は、身分の低い御家人の家から勘定奉行にまで上った幕臣です。ロシア使節プチャーチンと交渉して日露和親条約を結び、相手からも称えられました。江戸開城の直前、幕府に殉じて自決しています。小栗忠順との接点と、大河『逆賊の幕臣』との関わりまで。
