大石鍬次郎【新選組隊士 諸士取調役兼監察 幕末】

提灯を手に夜の京都を巡回する新選組隊士たち
大石鍬次郎
職名 諸士取調役兼監察
出身 江戸(一橋家家臣の子)
終焉場所 東京 小伝馬町牢屋敷
終焉方法 斬首
一橋家家臣の子で、日野の佐藤彦五郎の道場で天然理心流を学びました。 池田屋事件のあとに入隊し、諸士取調役兼監察となります。 油小路事件で伊東甲子太郎の殺害に加わり、明治三年にその罪で斬首されました。
目次

大石鍬次郎をもっと深く—「人斬り」と呼ばれ、龍馬暗殺を背負わされかけた男

新選組の中で、明治になってから「罪人」として裁かれ、斬首された数少ない隊士の一人です。そして坂本龍馬暗殺の犯人として疑われ、一度は自白までしています。

一橋家家臣の子、日野で剣を学ぶ

天保九年、御三卿・一橋家の家臣、大石捨次郎の長男として生まれました。武州日野で大工の家に住み込みながら、日野宿名主・佐藤彦五郎の道場に通って天然理心流を学んでいます。土方歳三と同じ土地、同じ道場の系譜です。

元治元年の池田屋事件のあと、近藤勇が江戸で隊士を募ったときに入隊しました。慶応三年六月には諸士取調役兼監察に任じられています。

「人斬り鍬次郎」は、どこまで本当か

大石は「人斬り鍬次郎」の異名で知られます。ですがこの呼び名は、西村兼文の『新選組始末記』(子母澤寛の同名の本とは別の書物)にもとづく話で、どこまで確かかには疑問が残ります。

確かなのは、慶応三年十一月の油小路事件で、御陵衛士の盟主・伊東甲子太郎の殺害に加わったことです。明治になって裁かれたのも、この伊東殺害の罪でした。

元御陵衛士の家で、捕らえられた

鳥羽伏見のあとは甲陽鎮撫隊に加わりますが、流山へ移るころに隊を離れ、名を変えて妻子と東京に隠れ住みました。

明治三年二月、かつての隊士だった三井丑之助に誘い出され、潜伏先で捕らえられます。捕縛の場を元御陵衛士の加納鷲雄の家とする話も伝わりますが、はっきりしません。いずれにせよ、伊東を殺された側の元隊士が、仇を引き渡す役を果たした形でした。

龍馬暗殺を自白し、そして取り消した

取り調べでは、坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺についても厳しく追及され、大石は一度、関わったと認めました。ところが後になって、「拷問を逃れるための嘘で、斬ったのは京都見廻組だ」と取り消しています。

現在、近江屋事件の実行犯は見廻組とする見方が有力で、大石の取り消しはそれと合っています。

明治三年、小伝馬町で斬首

明治三年十月十日、伊東甲子太郎殺害の罪により、小伝馬町の牢屋敷で斬首されました。三十二歳(数え三十三歳とも)。首は鈴ヶ森でさらされたと伝わります。妻と幼い息子が残されました。

大石鍬次郎を読み解く

土方と同じ日野で育った剣

大石は、日野の佐藤彦五郎の道場で天然理心流を学びました。佐藤彦五郎は土方歳三の義兄で、近藤勇や土方を支えた人です。多摩の天然理心流から出た隊士の中でも、大石は土方にとって同じ土地の後輩にあたります。京都で監察という汚れ役を任されたのも、同郷の信頼があったからかもしれません。

「人斬り」の呼び名と史料

「人斬り鍬次郎」の呼び名は、西村兼文の『新選組始末記』にもとづく話です。西村は西本願寺の侍臣で、新選組が屯所を置いたことを快く思っていなかった立場の人でした。そのため、書かれた内容には新選組に厳しい見方が含まれている可能性があります。大石が伊東甲子太郎の殺害に加わったのは確かですが、ほかにどれだけ人を斬ったのかは、はっきりしません。

自白と取り消しの重み

大石は取り調べで、いったん坂本龍馬の暗殺に関わったと認め、のちに取り消しました。拷問を逃れるための嘘だったというのが大石の言い分です。取り調べの前年の明治二年には、見廻組の今井信郎が龍馬暗殺への関わりを供述しています。大石の取り消しは、その後の研究で有力になった見廻組説と合っています。もし大石が自白を取り消さなかったら、龍馬暗殺は新選組の仕業として歴史に残ったかもしれません。経緯は坂本龍馬暗殺と新選組にまとめています。

仇を討たれた形の最期

大石を捕らえたのは、元御陵衛士の加納鷲雄の家でした。伊東を殺した側の大石が、伊東の門人の家で捕らえられ、伊東殺害の罪で斬首されたのです。油小路事件の決着は、明治三年まで持ち越されたことになります。同じ日に流罪となった相馬主計、牢で亡くなった横倉甚五郎のページもあわせてご覧ください。

大石鍬次郎の最期をさらに掘り下げる

なぜ「伊東殺害」が裁かれたのか

新選組は京都で多くの志士を斬りましたが、明治になってその一つひとつが罪として裁かれたわけではありません。池田屋事件で志士を討ったことも、幕府の命による取り締まりとして扱われ、出動した隊士が一人ひとり罪に問われることはありませんでした(近藤勇の処刑は、局長としての責めを問われたものです)。それなのに、大石は伊東甲子太郎の殺害の罪で斬首されています。

その理由として考えられるのは、伊東らの御陵衛士が、孝明天皇の陵を守る朝廷側の集団として扱われていたことです。そして何より、伊東を殺された側の生き残りである加納鷲雄や篠原泰之進らが、明治政府の側に身を置いていました。大石を捕らえたのも、元御陵衛士の加納の家でのことです。伊東殺害の罪は、新しい政府のもとで、かつての仲間が仇を問う形で裁かれたのです。取り調べのいきさつは坂本龍馬暗殺と新選組でも扱っています。

吉田松陰と同じ刑場で

大石が斬首された小伝馬町の牢屋敷は、江戸時代を通じて多くの罪人が収められた場所です。安政六年には、安政の大獄で捕らえられた長州の吉田松陰がここで処刑されました。いまの十思公園には、松陰の終焉の地を示す碑が立っています。

尊王攘夷の志士の師として知られる松陰と、その志士たちを京都で取り締まった新選組の隊士が、十一年の時を隔てて同じ場所で命を終えたことになります。幕府が志士を裁いた場所で、今度は新政府が新選組の隊士を裁いた。時代がひっくり返ったことを、これほどはっきり示す場所はないかもしれません。

日野で剣を学んだ者の、二つの最期

大石は、日野の佐藤彦五郎の道場で天然理心流を学んだ人です。佐藤は土方歳三の義兄で、土方もこの道場で剣を磨きました。同じ日野の道場から出た二人は、まったく違う最期を迎えています。

人物最期
土方歳三明治二年五月、箱館で新政府軍と戦って戦死
大石鍬次郎明治三年十月、伊東殺害の罪で小伝馬町の牢屋敷で斬首

土方は戦場で武士として死に、大石は罪人として刑場で死にました。大石が流山へ移るころに隊を離れて妻子と隠れ住んだことを思えば、最後まで戦うことをやめた者のほうが、かえって厳しい裁きを受けたともいえます。どちらが幸せだったかを比べることはできませんが、二人の対照は、戊辰戦争の後に新選組の隊士たちが置かれた立場の危うさをよく示しています。

大石鍬次郎と関わりの深い人たち

  • 伊東甲子太郎—油小路で殺害に加わった相手。大石はこの罪で処刑されました。
  • 土方歳三—同じ日野の佐藤彦五郎の道場で天然理心流を学んだ副長。
  • 近藤勇—江戸での隊士募集で大石を迎え入れた局長。
  • 加納鷲雄—元御陵衛士。明治三年、その家で大石は捕らえられました。
  • 坂本龍馬・中岡慎太郎—暗殺の嫌疑をかけられた相手。

大石鍬次郎のゆかりの地

  • 日野宿本陣(東京都日野市)—剣を学んだ佐藤彦五郎の屋敷。
  • 油小路七条のあたり(京都市下京区)—油小路事件の現場。
  • 近江屋跡(京都市)—龍馬と中岡が斃れた場所。大石はこの事件の犯人と疑われました。
  • 小伝馬町牢屋敷跡(東京都中央区・十思公園)—処刑された場所。

参考にした資料:西村兼文『新選組始末記』、『史談会速記録』、明治三年の刑部省関係の記録にもとづく諸研究。

この隊士が関わった油小路事件については、油小路事件とは—伊東甲子太郎と御陵衛士が斬られた夜で詳しくまとめています。

甲陽鎮撫隊とその後の近藤勇については、近藤勇、最後の百日—甲陽鎮撫隊・勝沼の敗戦から流山の出頭、板橋の刑場までに日付の順でまとめています。

慶応二年の三条制札事件については、三条制札事件とは—三条大橋の高札をめぐる新選組と土佐藩士の斬り合いにまとめています。

坂本龍馬暗殺で新選組が疑われたいきさつは、坂本龍馬暗殺と新選組—なぜ疑われ、隊士たちは何を背負ったのかにまとめています。

大工だった男

大石は江戸で大工の仕事をしていた時期があります。その普請の一つが日野宿本陣、つまり佐藤彦五郎の家の天井を貼る仕事でした。この縁が近藤勇や土方歳三とのつながりになったと伝わります。剣で身を立てた人ではなく、職人から隊士になった人だったわけです。

入隊してからは沖田総司が組長を務める一番隊に配されました。弟の大石造酒蔵も隊士で、慶応二年二月に京都で亡くなり、墓は光縁寺にあります。兄弟で入隊し、弟は隊内で死に、兄は明治三年に斬首されたことになります。大石の息子は、のちにべっこう職人になったと伝えられます。「人斬り」と呼ばれた男の家が、職人の家として続いたわけです。

新選組をもっと知る本

「人斬り鍬次郎」という評判が広く知られるようになったのは、関係者の話を集めた子母澤寛『新選組始末記』の影響が大きいといわれます。永倉新八『新撰組顛末記』は、同じ時期を隊の内側にいた者の目から語った回顧録です。

楽天ブックス
¥859 (2026/10/02 15:30時点 | 楽天市場調べ)
楽天ブックス
¥1,012 (2026/10/02 15:30時点 | 楽天市場調べ)

※この欄の商品リンクはアフィリエイトリンク(PR)です。価格は掲載時点のものです。

新選組の隊士を続けて読む(名簿番号順)

◀ 前の隊士:上田安達之助(函館新選組第一分隊)
次の隊士 ▶:大野右仲(函館新撰組頭取)

新選組隊士全456名の一覧 / 新選組の年表 / 新選組とは何者だったのか / 隊士名簿はなぜ食い違うのか / 切腹・粛清一覧 / 壬生・八木邸(現地取材) / 池田屋騒動の跡(現地取材)

  • URLをコピーしました!
目次