現地取材– category –
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【現地取材】岡豊城跡を歩く——長宗我部の敗北が生んだ「郷士」と、幕末土佐の身分の壁
幕末の土佐を動かしたのは、郷士と呼ばれた下級武士たちでした。坂本龍馬も、武市半平太も、この身分です。上士に頭を下げねばならず、道で行き会えば道を譲る側。その鬱屈が土佐勤王党を生みました。 ではその「郷士」という身分は、どこから来たのか。関... -
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【現地取材】芦野氏陣屋跡(御殿山)と交代寄合 ― 三千石で参勤交代した旗本の戊辰戦争
幕末の那須には、一万石に満たないのに大名と同じように参勤交代をしていた家がありました。栃木県那須町の芦野氏です。石高は三千二十六石。身分は旗本ですが、江戸に常住せず領地に住み、隔年で江戸へ参勤しました。こういう家を交代寄合といいます。 お... -
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【現地取材】黒羽城跡と黒羽藩 ― 勝海舟と並び称された藩主、四十七名を祀る招魂社
幕末の黒羽藩には、小藩には不釣り合いな人物がいました。十五代藩主大関増裕。一万八千石の外様大名でありながら、幕府の陸軍奉行と海軍奉行を務め、最後は若年寄まで昇った人です。 栃木県大田原市の黒羽城跡に立つ解説板は、その増裕をこう評しています... -
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【現地取材】喜連川城跡と喜連川藩 ― 五千石で「十万石格」、幕末を生きた足利家の城下町
幕末の日本に、石高が一万石に満たないのに大名として遇され、しかも十万石の格式を認められていた家がありました。下野国の喜連川藩です。栃木県さくら市の喜連川、その町並みを見下ろす丘が、藩の名の由来になった喜連川城の跡、いまのお丸山公園です。 ... -
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【現地取材】馬籠宿を歩く——『夜明け前』が生まれた坂と、平田国学が届いた宿場
岐阜県中津川市の馬籠。中山道の四十三番目、木曽十一宿でいちばん南の宿場です。 「中山道馬籠宿 京に五十二里半 江戸に八十里半」と刻まれた石碑 石碑にこう刻まれています。京に五十二里半、江戸に八十里半。ちょうど真ん中より、少し京都寄りです。こ... -
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【現地取材】桂小五郎の隠れ家跡を訪ねる——中津川の路地裏で、長州の藩論が変わった
岐阜県中津川市。中山道の宿場町です。その本通りから少し入った細い路地の奥に、幕末の日本が動いた場所があります。桂小五郎——のちの木戸孝允が隠れていた家の跡です。 宿場の案内板。ここから路地に入っていく とにかく暑い日でした。日差しを避けるも... -
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【現地取材】岩村城の藩主邸跡を歩く——幕末の学問を支えた佐藤一斎と、三学戒の碑
岐阜県恵那市の岩村町。日本三大山城のひとつ、岩村城があった町です。標高は七百十七メートル(岐阜県の公式資料は七百二十一メートル)、江戸時代の諸藩の城のなかで最も高い場所に築かれた城とされます。 城下町の外れにある登城口。ここから山頂の本丸... -
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【現地取材】苗木城を歩く——一万石の天空の城と、寺を一つ残らず壊した幕末の藩
岐阜県中津川市。木曽川の右岸に、標高四百三十二メートルの山があります。川からの高さは百七十メートル。その頂に、幕末まで城がありました。 天守跡の展望台。城は巨岩の上にそのまま建てられていた 苗木城です。 石垣を積むのではなく、山にもともとあ... -
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【現地取材】飯田城を歩く——安政六年の石碑に、小栗忠順の師が文を寄せていた
長野県飯田市の追手町。飯田城の本丸跡は、いま長姫神社の境内になっています。 本丸跡に建つ長姫神社。石碑と大杉が残る 正直に言えば、城の遺構はほとんど残っていません。石垣も天守もなく、あるのは神社と、木立と、いくつかの石碑だけです。ですがそ... -
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【現地取材】近藤勇の墓と板橋刑場跡——永倉新八が、二度果たした義理
JR板橋駅の東口を出ると、すぐ目の前に石碑が立っています。医院の看板とマンションに挟まれた、ごく小さな一角です。ここが近藤勇の墓所でした。 慶応四年四月二十五日、近藤勇はこの近くで斬首されています。享年三十五。そして八年後、生き残った隊士の... -
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【現地取材】泉岳寺と赤穂義士の墓——新選組はなぜ、忠臣蔵の羽織を真似たのか
泉岳寺を訪ねると、境内には義士祭ののぼりが立っていました。妻と二人で線香を買い、四十七基の墓を一つずつ回ります。ここは赤穂義士の寺です。幕末の寺ではありません。 ただ、調べていくうちに、この寺が幕末とまっすぐつながっていることが分かってき... -
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【現地取材】土浦城を歩く——西郷隆盛と月照を大坂の自宅に匿った、土浦藩士がいた
結論から書きます。土浦藩は、薩長土肥のような全国区の志士を輩出していません。 ですが、京都を追われた月照と西郷隆盛が身を寄せた家の主は、土浦藩士でした。 本丸の太鼓門(櫓門)。明暦二年の改築で、関東で唯一現存する城の櫓門とされる。 この城か... -
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【現地取材】白石城を歩く——奥羽越列藩同盟が結ばれた城と、咸臨丸に乗った四百一人
幕末の東北で、いちばん重い会議が開かれた城です。 本丸広場と三階櫓。慶応四年閏四月、この本丸に奥羽の諸藩の代表が集まった。 奥羽越列藩同盟は、この城で結ばれた 白石城は仙台藩領の南端にあり、片倉家が二百六十余年にわたって城主を務めました。仙... -
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【現地取材】相馬中村城を歩く——伊達に備えて築いた城が、二百五十年後に本当に伊達と戦った
門の両脇に、二本の石柱が立っています。右に「縣社 相馬神社」、左に「縣社 中村神社」。城の門が、そのまま神社の門になっていました。 中村城跡に残る門。両脇の石柱に「縣社 相馬神社」「縣社 中村神社」と刻まれている。 この城から、幕末はどう見... -
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【現地取材】水戸・常磐共有墓地を歩く——桜田門外の実行隊長と、討たれた井伊直弼の霊塚
水戸の墓地には、幕末が並んでいます。 桜田門外の変で井伊直弼を討った男の墓。斉昭を支えて安政の大地震で死んだ男の墓。天狗党を率いて敦賀で斬られた男の墓。そして——討たれた井伊直弼を弔う塔。 関鉄之介の墓。標柱に「桜田門外の変志士 贈従四位 ... -
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【現地取材】水戸城と弘道館を歩く——日本中に火をつけて、自分が焼け落ちた藩
水戸は、幕末を語るうえで避けて通れない町です。ここで生まれた思想が、桜田門外の変を起こし、天狗党の挙兵を起こし、そして最後の将軍を出しました。 ですがその同じ思想が、この藩自身を食い尽くしてもいます。 特別史跡「旧弘道館」の石柱と正門。正... -
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【現地取材】高田城址を歩く——藩は官軍、脱藩した家臣は賊軍。芸州口で壊滅した榊原十五万石
堀の向こうに、黒い三層の建物が建っています。天守閣ではありません。高田城に天守はありませんでした。 堀越しに見る三重櫓。高田城には天守がなく、この櫓が城のシンボルだった。 この城から、幕末はどう見えるか 高田城は幕末まで現役の城です。榊原家... -
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【現地取材】児山城跡を歩く——日光街道の脇で、帰農した武士たちが見た戊辰戦争
栃木をドライブしている途中、案内標識が目に入ったので、たまたま寄った城跡です。下野市下古山の児山城跡。予備知識はまるでありませんでした。 本丸跡。伐採されたばかりで切り株が点々と残り、地面には一面にスミレが咲いていた。右手にはもう民家が並... -
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【現地取材】真壁城跡を歩く——戊辰を秋田で戦った家と、真壁に残って焼物屋になった家
冬枯れの原に、低い土塁が長く延びています。青空の下、その向こうに山並みが見えました。城跡というより、広い野原です。 真壁城跡の土塁。冬枯れの原に、人の手で盛られた線がまっすぐ残っている。 ですがこの原は、四百二十年前に一つの家中が二つに分... -
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【現地取材】小谷城跡を歩く——徳川将軍家の血が生まれた山と、長浜へ運ばれた城下町
登り口に「くま注意」の掲示が出ていました。そして山を登りきったあたりには「スズメバチ注意!!」の黄色い札。小谷城跡は史跡として整備されてはいますが、要するにいまも山です。 幸い、途中までは林道で車を上げられます。それでどうにか主要な曲輪まで... -
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【現地取材】笠間城を歩く——赤穂浪士の家と、新選組最後の局長を出した城下町
杉木立のなかに、「史蹟 笠間城大手門跡」と刻まれた石柱が立っていました。根元にはしめ縄が巻かれています。ここが城の正面だったと言われなければ、ただの山道です。 笠間は不思議な町です。城は関東ではめずらしく石垣を持ち、その城下からは赤穂浪士...
