2027年1月10日、NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』が始まります。主人公は幕臣・小栗忠順(小栗上野介)、演じるのは松坂桃李。脚本は安達奈緒子です。
横須賀に日本初の近代造船所を作り、慶応四年の閏四月に取り調べもないまま斬られた人物です。放送される年は、ちょうど小栗の生誕200年にあたります。
このページでは、放送日・キャスト32人・あらすじといったドラマの情報から、主人公・小栗忠順の生涯の史実、ゆかりの地の現地写真まで、大河ドラマ『逆賊の幕臣』を徹底的に解説します。ドラマが始まる前に、史実のほうを押さえておきませんか。
『逆賊の幕臣』はいつから?放送日・キャスト・あらすじの基本情報
| 読み方 | ぎゃくぞくのばくしん |
|---|---|
| 放送開始 | 2027年1月10日(日)から、NHK総合ほかで放送。NHK ONEでの同時・見逃し配信も予定されています |
| 主人公 | 幕臣・小栗忠順(おぐり ただまさ/小栗上野介)(小栗忠順とは何をした人?) |
| 主演 | 松坂桃李さん |
| 脚本 | 安達奈緒子さん(『おかえりモネ』など。大河は初めて) |
| 原作 | なし。オリジナル脚本です |
| 制作統括 | 勝田夏子さん、深川貴志さん |
| 時代考証 | 岩下哲典さん、門松秀樹さん |
| キャスト | 2026年10月9日までに8回、32名が発表されています(キャスト一覧) |
| 舞台 | 江戸、横須賀、上州権田村(いまの群馬県高崎市倉渕町)、アメリカなど(ゆかりの地) |
『逆賊の幕臣』のあらすじ(発表されている内容)
物語は1860年(万延元年)から始まります。大老・井伊直弼に取り立てられた旗本・小栗忠順は、日米修好通商条約の批准書を交換する遣米使節の中心の一人としてアメリカへ渡ります。同じ年、勝海舟は咸臨丸で太平洋を渡りました。帰国後の小栗は、勘定奉行として幕府の財政を預かりながら、横須賀製鉄所の建設など、列強に負けない国づくりを進めます。ときに同志として、ときに対立しながら歩んだ小栗と勝の道は、幕府の終わりとともに大きく分かれ、小栗は新政府から「逆賊」とされて斬られることになります(小栗上野介はなぜ殺されたのか)。
登場人物の相関—立場ごとに見る32人
発表されている32人を、小栗忠順から見た立場ごとに並べました。役名を押すと、その人物が史実で何をしたのかを読めます。
| 立場 | 役 | 俳優 | 小栗との関係 |
|---|---|---|---|
| 小栗家と権田村 | 小栗忠順 | 松坂桃李さん | 主人公 |
| みち(道子) | 上白石萌音さん | 妻 | |
| くに | 鈴木京香さん | 母 | |
| 小栗忠高 | 北村有起哉さん | 父 | |
| 小栗忠道 | 齋藤潤さん | 養子 | |
| 建部政醇 | 飯尾和樹さん | 義父(みちの父) | |
| 武笠祐左衛門 | ANIさん | 家老格の家臣 | |
| 荒川祐蔵 | 草川拓弥さん | 従者 | |
| 佐藤藤七 | 甲本雅裕さん | 権田村の名主 | |
| 師と友人たち | 安積艮斎 | 中村雅俊さん | 学問の師 |
| 栗本鋤雲 | 青木崇高さん | 生涯の盟友 | |
| 駒井朝温 | 高橋光臣さん | 幼なじみ | |
| 滝川具挙 | 宮野真守さん | 隣人 | |
| 朝比奈昌広 | 芝大輔さん | 同い年の旗本 | |
| 三野村利左衛門 | 荒川良々さん | 奉公人から三井の大番頭へ | |
| 勝家 | 勝海舟 | 大沢たかおさん | ライバルであり同志 |
| たみ | 瀧内公美さん | 勝の妻 | |
| 将軍と幕府の中枢 | 徳川家慶 | 宅麻伸さん | 十二代将軍 |
| 徳川家定 | ふかわりょうさん | 十三代将軍 | |
| 徳川家茂 | 神尾楓珠さん | 十四代将軍 | |
| 阿部正弘 | 岩田剛典さん | 老中首座 | |
| 井伊直弼 | 岡部たかしさん | 大老。小栗を抜擢 | |
| 鳥居耀蔵 | 北村一輝さん | 南町奉行 | |
| 徳川斉昭 | 柄本明さん | 水戸藩主 | |
| 朝廷 | 孝明天皇 | 眞栄田郷敦さん | 攘夷を求めた帝 |
| 明治天皇 | 奥野壮さん | 孝明天皇の皇子 | |
| 岩倉具視 | 山中崇さん | 公家。王政復古の立役者 | |
| 鷹司政通 | 長塚京三さん | 33年関白 | |
| 薩摩・長州 | 吉田松陰 | 中村倫也さん | 長州の兵学者。安積艮斎の塾で小栗と議論 |
| 高杉晋作 | 寛一郎さん | 松陰の門人。江戸で小栗と出会う | |
| 島津斉彬 | 西岡德馬さん | 薩摩藩主。勝の才を見抜く | |
| 島津久光 | 斎藤工さん | 斉彬の弟。「国父」として幕政改革を迫る |
『逆賊の幕臣』これまでの発表とニュース
| 2025年3月3日 | 制作発表。主人公は小栗忠順、主演は松坂桃李さん、脚本は安達奈緒子さん |
|---|---|
| 2025年10月23日 | 勝海舟役に大沢たかおさん |
| 2026年2月24日 | 小栗家とその周辺の5人(北村有起哉さん、鈴木京香さん、上白石萌音さん、岡部たかしさん、中村雅俊さん) |
| 2026年4月1日 | 群馬県高崎市の東善寺の近くに、小栗の資料を公開する記念館を建てる計画が報じられる(小栗上野介顕彰会、2026年12月完成目標) |
| 2026年4月24日 | 小栗の仲間たち5人(青木崇高さん、高橋光臣さん、宮野真守さん、芝大輔さん、荒川良々さん) |
| 2026年6月4日 | 小栗忠順の玄孫で漫画家の小栗かずまた氏が、ご先祖を描く連載を始めると報じられる(小栗忠順の子孫) |
| 2026年6月23日 | 江戸城で出会う人々6人(宅麻伸さん、ふかわりょうさん、神尾楓珠さん、岩田剛典さん、北村一輝さん、柄本明さん) |
| 2026年8月28日 | 小栗家・勝家ゆかりの6人(瀧内公美さん、齋藤潤さん、飯尾和樹さん、草川拓弥さん、ANIさん、甲本雅裕さん)と番組ロゴ |
| 2026年9月15日 | 朝廷の4人(眞栄田郷敦さん、奥野壮さん、山中崇さん、長塚京三さん)(朝廷側のキャスト) |
| 2026年10月9日 | 薩摩・長州の4人(中村倫也さん、寛一郎さん、斎藤工さん、西岡德馬さん) |
| 2027年1月10日 | 放送開始 |
新しい発表があれば、このページに追記します(最終更新:2026年10月24日)。
『逆賊の幕臣』の予告・PR映像
2026年10月7日の時点で、NHKの公式な予告映像はまだ公開されていません。公開されたら、このページで紹介します。最新の情報は、番組の公式X(@nhk_taiga2027)と公式Instagramで発信されています。
このページの目次:基本情報 / 予告 / 登場人物の相関 / 発表とニュース / キャスト一覧 / 制作スタッフ / 小栗忠順の生涯 / 見どころ5つ / ゆかりの地を写真で / よくある質問 / 特集の記事一覧(110本)
『逆賊の幕臣』キャスト一覧(全32人)—出演者と役どころ
2025年三月の主演発表から、これまでに8回にわたって32名が発表されています。
主演(2025年3月発表)
| 俳優 | 役 | どういう人物か |
|---|---|---|
| 松坂桃李 | 小栗忠順 | 幕府の天才官僚。遣米使節で西洋を見て、軍制改革と造船所建設を進めた。新政府から「逆賊」と見なされ歴史から葬られる |
第2弾(2025年10月)
| 俳優 | 役 | どういう人物か |
|---|---|---|
| 大沢たかお | 勝海舟 | 無役の貧乏旗本から蘭学で身を立て、咸臨丸で太平洋を渡る。小栗のライバルであり同志。制作統括は「時に同志となり、時に対立しながらも、誰よりも理解し合っている」と説明 |
第3弾(2026年2月)—小栗家と、その周辺
| 俳優 | 役 | どういう人物か |
|---|---|---|
| 北村有起哉 | 小栗忠高 | 忠順の父。中川忠英の四男で小栗家の婿養子。温厚な「昼行燈」だが心に秘密を抱える |
| 鈴木京香 | くに | 忠順の母・邦子。家付き娘で、歯に衣着せぬ物言いの「小栗家の太陽」 |
| 上白石萌音 | みち | 忠順の妻・道子。播磨林田藩主の娘。珍しい物や道具を好み、記録と帳簿の管理が得意という設定 |
| 岡部たかし | 井伊直弼 | 彦根藩主・大老。開国を主張し、小栗を遣米使節に抜擢する |
| 中村雅俊 | 安積艮斎 | 儒学者。私塾「見山楼」で忠順の師となる。ペリー来航の五年前に列強の危険を説いた |
第4弾(2026年4月)—青春をともにした友人たち
| 俳優 | 役 | どういう人物か |
|---|---|---|
| 青木崇高 | 栗本鋤雲 | 生涯の盟友。蝦夷地開拓に尽力し、フランス公使の通訳として対仏外交の最前線へ |
| 高橋光臣 | 駒井朝温 | 3歳上の幼なじみ。次男を小栗家の後継ぎとし、桜田門外の変では吟味役を務める |
| 宮野真守 | 滝川具挙 | 小栗家の隣人。ムードメーカーから大目付へ。徳川幕府絶対派 |
| 芝大輔 | 朝比奈昌広 | 将軍の小姓を務めた旗本。「万事につけて如才がない」。長崎奉行など要職を歴任 |
| 荒川良々 | 三野村利左衛門 | 小栗家の奉公人から三井の大番頭へ。小栗から「リザ」と呼ばれる |
第5弾(2026年6月)—江戸城で出会う人々
| 俳優 | 役 | どういう人物か |
|---|---|---|
| 宅麻伸 | 徳川家慶 | 十二代将軍。「そうせい様」と呼ばれた温厚な将軍。天保の改革を実施 |
| ふかわりょう | 徳川家定 | 十三代将軍。病弱で内向的、「お飾り」扱いされる孤独な将軍 |
| 神尾楓珠 | 徳川家茂 | 十四代将軍。13歳で就任し、和宮と政略結婚。229年ぶりの将軍上洛を敢行 |
| 岩田剛典 | 阿部正弘 | 備後福山藩主。数え27歳で老中首座となった若き宰相 |
| 北村一輝 | 鳥居耀蔵 | 南町奉行。天保の改革で市中を厳しく取り締まり「妖怪」と呼ばれた |
| 柄本明 | 徳川斉昭 | 水戸藩主。「烈公」。息子・慶喜を将軍後継とするため立ち回り、井伊直弼と対立 |
第6弾(2026年8月)—小栗家・勝家ゆかりの人々
| 俳優 | 役 | どういう人物か |
|---|---|---|
| 瀧内公美 | たみ | 勝海舟の妻・民子。深川の芸者時代に勝と出会い、貧困時代を支える |
| 齋藤潤 | 小栗忠道 | 駒井朝温の次男で、小栗家の養子。横浜仏語伝習所でフランス式兵学を修める |
| 飯尾和樹 | 建部政醇 | 播磨林田藩主。みちの父で、小栗の義父 |
| 草川拓弥 | 荒川祐蔵 | 常陸出身の従者。小栗に才を見抜かれ、遣米使節団に随行する |
| ANI | 武笠祐左衛門 | 小栗家の家老格。小栗の渡米中も留守宅を守る |
| 甲本雅裕 | 佐藤藤七 | 上州権田村の名主。農民から武士に取り立てられ、54歳で遣米使節団に随行した異色の人 |
第7弾(2026年9月)—朝廷の人々
| 俳優 | 役 | どういう人物か |
|---|---|---|
| 眞栄田郷敦 | 孝明天皇 | ペリー来航を経て幕政に介入し、攘夷を強く求める「モノ言う帝」 |
| 奥野壮 | 明治天皇 | ペリー来航の前年に生まれ、数え16歳で即位。新時代の象徴となる |
| 山中崇 | 岩倉具視 | 下級公家の出で、朝廷のフィクサーとして頭角を現す |
| 長塚京三 | 鷹司政通 | 30年以上にわたり関白などを務めた、古い朝廷の権化 |
第8弾(2026年10月)—薩摩・長州の人々
| 俳優 | 役 | どういう人物か |
|---|---|---|
| 中村倫也 | 吉田松陰 | 長州藩の兵学者。江戸で安積艮斎の塾に入り小栗と開国を論じる。黒船密航に失敗し、松下村塾で門人を育てる |
| 寛一郎 | 高杉晋作 | 松陰を生涯の師と仰ぐ長州藩士。江戸で小栗と出会い、のちに奇兵隊を創設する |
| 西岡德馬 | 島津斉彬 | 西洋の技術と世界情勢に通じた薩摩藩十一代藩主。勝の才能を早くから見抜く |
| 斎藤工 | 島津久光 | 斉彬の異母弟。「国父」として兵を率いて上洛し、勅使とともに江戸で幕府に改革を迫る |
まだ発表されていない役
本日の時点で、徳川慶喜のキャストは発表されていません。そのほか、小栗を処刑した軍監の原保太郎と豊永貫一郎、フランス公使ロッシュ、横須賀製鉄所のヴェルニー、遣米使節の正使・新見正興と副使・村垣範正、道子を会津へ逃がした権田村の中島三左衛門—いずれも未発表です。
薩長側は、第8弾で吉田松陰・高杉晋作・島津斉彬・島津久光が発表されましたが、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允らはまだ発表されていません。「勝者による歴史ではなく、敗者側の視点から描く」という制作側の説明を踏まえると、比重が従来と違う可能性はありますが、単に発表の順番という可能性も同じくらいあります。
制作スタッフ—脚本・制作統括・演出・時代考証
- 脚本—安達奈緒子(大河は初執筆)
- 制作統括—勝田夏子、深川貴志
- 演出—西村武五郎、末永創、川上剛、田中諭ほか
- 時代考証—岩下哲典、門松秀樹
音楽、語り、題字は本日の時点で発表されていません。
物語はいつの時代から始まるのか
NHKのあらすじは「時は1860年」—万延元年の遣米使節から始まる構成を示しています。井伊直弼に取り立てられて渡米し、桜田門外の変で井伊を失ったあと、財政・外交・軍事の要職を歴任し、大政奉還のあとに勝海舟と道が分かれる。そこまでの八年ほどが軸になりそうです。
ただし鳥居耀蔵の役柄説明に「初登城の若き小栗を魅了」とあるので、天保の改革のころ—小栗が17歳で初登城した天保十四年あたりも、序盤か回想で描かれるのかもしれません。
脚本家が語っていること
脚本の安達奈緒子は、小栗をこう評しています。「高潔さと頑固さは清々しいほどで、混乱の世にあって希望たりえる人」。そして作品の核となる問いとして、「なぜ彼は処刑されなければならなかったのか」を挙げています。
その答えは、いまも出ていません。罪状の根拠となる文書が、一つも見つかっていないからです。
主人公・小栗忠順の生涯—史実でたどる42年
ドラマの主人公・小栗忠順(おぐり ただまさ)は、どんな人生を送ったのでしょうか。ここでは史実を八つの場面に分けて、現地で撮った写真とともにたどります。各場面の詳しい話は、リンク先の記事にまとめています。

1 神田駿河台の旗本の家に生まれる(1827年)
小栗忠順は文政十年(1827年)六月二十三日、江戸・神田駿河台の屋敷に生まれました。小栗家は三河以来の旗本で、家禄は二千五百石。屋敷の中では儒学者・安積艮斎が塾を開いており、少年時代の小栗はここで漢学を学びました。剣は直心影流の免許皆伝。のちに勝海舟と同じ師の門をくぐっています(小栗家の石高/小栗忠順の役職一覧と修業時代)。

2 井伊直弼の抜擢と、遣米使節(1859〜1860年)
使番から目付へ進んだ小栗を見いだしたのは、大老・井伊直弼でした。万延元年(1860年)、小栗は日米修好通商条約の批准書を交換する遣米使節の目付として、アメリカの軍艦ポーハタン号で太平洋を渡ります。フィラデルフィアの造幣局では、日本の小判とアメリカの金貨を分析させて、不当な交換比率を正そうとしました。持ち帰った一本のネジは、日本の工業の遅れを示すものとして語り継がれています(井伊直弼とは/万延元年遣米使節とは)。
3 勘定奉行として幕府の財政を預かる
帰国後の小栗は、外国奉行、勘定奉行、町奉行、歩兵奉行、軍艦奉行と、幕府の要職を次々に務めます。勘定奉行には数え方によって四度就任しました。上役にも遠慮なく意見し、通らなければ辞め、それでもまた呼び戻される。財政と軍事を任せられる人が、ほかにいなかったのです(小栗忠順の役職一覧)。
4 横須賀製鉄所—「土蔵付き売り家」
慶応元年(1865年)、小栗はフランスの協力を得て、横須賀に製鉄所(造船所)の建設を始めました。巨額の費用に反対の声も多いなか、たとえ幕府が倒れても造船所は「土蔵付き売り家」として次の持ち主の役に立つ、という趣旨のことを語ったと伝えられます。明治四年に完成した第一号ドックは、いまも横須賀で使われています(横須賀製鉄所とは)。

5 勝海舟との入れ替わりと対立
同じ年に太平洋を渡った勝海舟とは、役職を入れ替わりながら幕府を支えました。元治元年(1864年)に勝が軍艦奉行を罷免されると、その後任は小栗。慶応四年(1868年)に小栗が罷免されると、入れ替わるように勝が陸軍総裁に就きます。最後に二人は、徹底抗戦と恭順という正反対の道を選びました(勝海舟とは/小栗忠順と勝海舟)。
6 罷免、そして権田村へ(1868年)
鳥羽・伏見の戦いに敗れて江戸に戻った徳川慶喜に、小栗は箱根で新政府軍を食い止め、艦隊で背後を突く作戦を説きました。慶喜はこれを退け、小栗は慶応四年正月十五日に罷免されます。小栗は帰農を願い出て、知行地の上州権田村(いまの群馬県高崎市倉渕町)へ移り、観音山に家を建てて暮らすつもりでした(小栗忠順の罷免とは)。
7 閏四月六日、水沼河原
慶応四年閏四月六日、小栗は東山道総督府の軍監によって、取り調べもないまま烏川の水沼河原で斬られました。42歳でした。翌日(同日説もあり)には養子の又一も高崎で斬られます。首は館林へ送られたのち、村人たちの手で取り返されたと伝わります。身重の妻・みち(道子)は会津へ逃れ、娘の国子を産みました(小栗上野介はなぜ殺されたのか/斬ったのは誰か/妻の会津への逃避行)。

8 「逆賊」から再評価へ
明治政府のもとで、小栗の名は長く語られませんでした。名誉回復の声が上がったのは、造船所のある横須賀からです。大正十一年に横須賀で胸像が建てられ、昭和七年には最期の地に「偉人小栗上野介 罪なくして此所に斬らる」と刻んだ碑が建ちました。大隈重信は「明治政府の近代化政策は小栗の模倣にすぎない」と語ったと伝えられています(小栗忠順はいつ再評価されたのか/小栗上野介が生きていたら)。

この人は、何をした人なのか
幕末の幕臣で、勘定奉行を四度務めました。やったことを並べると、明治政府がのちに手をつけたことのほとんどが入っています。
- 横須賀製鉄所—日本初の本格的な近代造船所。総額二百四十万ドル。第一号ドライドックは、いまも横須賀基地で現役です
- 兵庫商社—資本百万両。英語の company を「商社」と訳したのは小栗だとされます
- 郡県制の建議—廃藩置県と同じ構想を、幕府側で先に唱えました
- フランス式の軍制改革、横浜フランス語伝習所、滝野川反射炉、築地ホテル館
- 兌換紙幣、理工系と外国語の学校、ガス灯、鉄道、郵便、電信の構想
大隈重信は「明治政府の近代化政策は小栗忠順の模倣にすぎない」と言い、司馬遼太郎は「明治国家の父の一人」と書きました。
「逆賊」とは何か
タイトルの由来は、その最期にあります。
慶応四年閏四月六日の朝、小栗は上野国の烏川の河原で斬られました。取り調べは一切ありませんでした。しかもその五日前、持っていた大砲と小銃をすべて包囲側の三藩に自分から引き渡しています。罪状の根拠となる文書は、いまも出てきていません。
それから64年後の昭和七年、地元の人が終焉の地に碑を建てました。刻まれているのはこの一行です。
偉人小栗上野介 罪なくして此所に斬らる
年表でたどる生涯
罷免から処刑まで、わずか三か月ほどです。この短さが、小栗忠順という人物の最期を分かりにくくしています。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 文政十年(1827) | 江戸・駿河台の旗本小栗家に生まれる |
| 万延元年(1860) | 遣米使節の目付として渡米。フィラデルフィア造幣局で日米の貨幣を分析させ、金銀比価の不利を数字で示したと伝えられる |
| 文久〜慶応 | 外国奉行、勘定奉行、軍艦奉行などを歴任 |
| 慶応元年(1865) | 横須賀製鉄所の建設に着手。フランス人技師ヴェルニーを招く |
| 慶応三年(1867) | 兵庫商社の構想、洋式陸軍の整備など、財政と軍制の改革を進める |
| 慶応四年(1868)正月 | 鳥羽・伏見の戦いののち主戦論を唱えるが受け入れられず、罷免される |
| 同年三月 | 上野国群馬郡権田村(現・群馬県高崎市倉渕町権田)に移り住む |
| 同年閏四月 | 東山道軍に捕らえられ、烏川の水沼河原で斬首される |
史実から読む『逆賊の幕臣』の見どころ5つ
ドラマのあらすじはまだ一部しか発表されていません。ここでは、小栗の生涯のなかで、ドラマの大きな山場になりそうな場面を史実から五つ挙げます。
見どころ1 フィラデルフィアの造幣局で、小判を分析させる

遣米使節の小栗は、アメリカ側が決めた日本の小判とドルの交換比率がおかしいと考え、造幣局で実際に金の含有量を分析させました。交渉は実りませんでしたが、数字で相手と渡り合う小栗の姿は、物語の序盤の見せ場になりそうです(万延元年遣米使節とは)。
見どころ2 小栗と勝、ライバルであり同志

制作統括は二人の関係を「時に同志となり、時に対立しながらも、誰よりも理解し合っている」と説明しています。役職の入れ替わり、江戸城での評定、そして最後の別れ道。松坂桃李さんと大沢たかおさんの掛け合いが、ドラマの軸になるはずです(小栗忠順と勝海舟を比べる)。
見どころ3 横須賀製鉄所とフランス

資金も人手も足りないなか、フランス公使ロッシュや技師ヴェルニーと手を組み、反対を押し切って造船所をつくる。盟友・栗本鋤雲(青木崇高さん)とともに進めたこの事業は、小栗の仕事のなかでいちばん形として残ったものです(幕府とフランスの借款交渉とは/栗本鋤雲とは)。
見どころ4 江戸城の評定—戦うか、恭順か

鳥羽・伏見の敗報が届いた江戸城で、小栗は徹底抗戦を説き、慶喜はそれを退けました。のちに新政府軍の大村益次郎が、小栗の策が用いられていたら自分たちの首はなかったと語ったという話も伝わります(小栗忠順の罷免とは/【幕末のもしも】小栗忠順の作戦が採用されていたら)。
見どころ5 権田村の最期と、家族の逃避行

戦わないと決めて村に移った小栗が、なぜ斬られたのか。脚本の安達奈緒子さんは、作品の核となる問いとして「なぜ彼は処刑されなければならなかったのか」を挙げています。夫が斬られたその日に身重の体で山を越えた妻・みち(上白石萌音さん)と母・くに(鈴木京香さん)の逃避行も、大きな場面になりそうです(小栗上野介はなぜ殺されたのか/妻はどう会津へ落ちのびたのか)。
『逆賊の幕臣』ゆかりの地を写真で歩く(現地取材)
ドラマの舞台になる場所の多くは、いまも訪ねることができます。当サイトで実際に歩いた場所を、写真で紹介します。
横須賀・ヴェルニー公園(神奈川県横須賀市)
JR横須賀駅を出てすぐの海辺の公園です。小栗が建設を進めた横須賀製鉄所を、海越しに見渡せます。園内の「小栗広場」には小栗とヴェルニーの胸像が並び、そばには小栗が斬られた水沼河原の石が置かれています。
公園の中のヴェルニー記念館(入館無料)には、製鉄所で使われたスチームハンマーが展示されています。反対側の端のティボディエ邸は、製鉄所で働いたフランス人の官舎を再現した建物です。



神田駿河台の生誕地(東京都千代田区)
JR御茶ノ水駅から歩いて三〜四分。東京YWCA会館のあたりが小栗家の屋敷跡で、「小栗上野介ここに生まれる」のプレートが立っています。横須賀から電車で一時間半ほどなので、一日で両方を回れます。詳しくは【現地取材】小栗上野介はどこで生まれたか—生誕地・神田駿河台と、横須賀のゆかりの地を歩くで紹介しています。


東善寺と水沼河原(群馬県高崎市倉渕町)
小栗が最後の日々を過ごした権田村の東善寺には、小栗父子の墓と胸像があります。近くの烏川のほとりが最期の地、水沼河原です。村の観音山には、小栗が建てようとしていた屋敷の跡が残っています(【現地取材】東善寺と小栗上野介の墓)。



普門院の首塚と、雑司ヶ谷の累代墓
埼玉県さいたま市の普門院には、小栗の首を家臣が運んで葬ったと伝わる首塚があります。東京の雑司ヶ谷霊園には「小栗家累代之墓」があります(【現地取材】小栗上野介をしのぶ四つの場所)。


再取材|小栗上野介ゆかりの地を歩く(雑司ヶ谷・普門院・倉渕・高崎)
権田村と雑司ヶ谷を、あらためて取材しました。現地の案内板や碑文の内容を交えた新しい記事です。
- 【現地取材】小栗上野介ゆかりの地を1日でめぐる|築地・雑司ヶ谷・大宮・倉渕の回り方とモデルコース、ゆかりの地一覧
- 【現地取材】安中城跡と安中藩を歩く|小栗上野介の捕縛を命じられた三藩の一つ、新島襄旧宅とめがね橋
- 【現地取材】新島襄旧宅|本家・備中松山藩の快風丸で箱館へ、一文無しで国の禁を破った安中藩士の子
- 【現地取材】東善寺の参拝ガイド|小栗上野介の本墓と遺品館の捨て駕籠、ご住職の話、拝観料と駐車場
- 水沼河原とは—「罪なくして此所に斬らる」の碑の前で考えた、なぜ小栗は斬られたのか
- 姉妹観音と不忘碑とは—相間川に沈められた幼い姉妹と、打ちこわしの犠牲者
- 小栗又一の墓とは—父の翌日に21歳で斬られた養子。下斎田の阿弥陀堂と高崎城跡
- 観音山小栗邸跡とは—礎石、江戸から運んだお茶の木、小高用水の跡
ゆかりの地の一覧
現地で撮影した記事です。
- 【現地取材】小栗上野介はどこで生まれたか—生誕地・神田駿河台と、横須賀のゆかりの地を歩く 小栗の胸像のそばに、最期の地・烏川の河原の石が置かれていました
- 【現地取材】飯田城を歩く—安政六年の石碑に、小栗忠順の師が文を寄せていた
- 【現地取材】記念艦三笠と東郷平八郎—幕末の海戦を戦った少年が、四十年後に立った艦橋
よくある疑問
『逆賊の幕臣』についてよくある質問
『逆賊の幕臣』はいつから放送されますか?
2027年1月10日(日)から、NHK総合ほかで放送されます。大河ドラマはふだん、日曜の夜8時にNHK総合で放送されています。
『逆賊の幕臣』の読み方は?
「ぎゃくぞくのばくしん」と読みます。「逆賊」は主君や国にそむく者、「幕臣」は将軍に仕える武士のことです。「逆族の幕臣」と書かれることもありますが、正しくは「逆賊」です。
『逆賊の幕臣』に原作はありますか?
原作はありません。脚本家・安達奈緒子さんのオリジナル作品です。主人公・小栗忠順の史実は、当サイトの特集記事で詳しく紹介しています。
『逆賊の幕臣』の主人公は誰ですか?
幕末の幕臣・小栗忠順(小栗上野介)です。遣米使節として世界を一周し、勘定奉行として横須賀製鉄所をつくり、明治維新の直後に新政府軍に取り調べもなく斬られました。演じるのは松坂桃李さんです。
キャストは誰が発表されていますか?
主演の松坂桃李さん(小栗忠順)、大沢たかおさん(勝海舟)、上白石萌音さん(妻・みち)、鈴木京香さん(母・くに)など、2026年10月7日までに二十八名が発表されています。
なぜ「逆賊」と呼ばれるのですか?
小栗は明治新政府から朝廷にそむく「逆賊」とされ、慶応四年(1868年)閏四月に上州権田村で斬られたからです。罪状の根拠となる文書は見つかっておらず、のちに「罪なくして斬らる」と刻んだ碑が建てられました。
ゆかりの地はどこですか?
生まれた東京・神田駿河台、造船所をつくった神奈川県横須賀市、最期の地と墓がある群馬県高崎市倉渕町(東善寺・水沼河原)、首塚のある埼玉県さいたま市の普門院などです。
徳川埋蔵金は本当にあるのか
小栗が幕府の御用金を赤城山中に隠したという伝説は、明治以降くり返し発掘が試みられてきました。ただし、これを裏づける同時代の確かな史料は見つかっていません。伝説そのものが、小栗という人物の印象を形づくってきた面はあります。
墓はどこにあるのか
群馬県高崎市倉渕町の東善寺に墓があります。処刑後、村人が首を取り返して葬ったと伝えられています。
横須賀の造船所はいまも残っているのか
小栗とヴェルニーが築いた施設は、その後の海軍工廠を経て、現在も横須賀で造船・修繕の拠点として使われています。幕府が倒れても、造ったものは残りました。この点が、小栗の評価をのちに大きく変えていきます。
いまも使われている第1号ドックや、130年以上現役だったスチームハンマーは、横須賀のヴェルニー公園を歩いた現地取材の記事で写真つきで紹介しています。
遺された家族はどうなったのか
身重の妻は会津へ逃れ、のちに三野村利左衛門や大隈重信が小栗家を支えました。詳しくは小栗忠順の遺児はどう生きたかにまとめています。
特集の記事一覧(107本)
当サイトの『逆賊の幕臣』関連の記事を、テーマごとに並べています。新しい記事を書いたら、ここに追加していきます。
主人公・小栗忠順の生涯
- 小栗忠順(おぐり ただまさ/小栗上野介)とは何をした人?—大河で松坂桃李さんが演じる主人公、横須賀を作り罪なくして斬られた幕臣
- 小栗忠順(小栗上野介)は何をした人?功績10個と「今どうなっているか」の早見表—横須賀のドック、株式会社、フランス式陸軍
- 大河ドラマ『逆賊の幕臣』の小栗忠順(小栗上野介)—生涯と見どころを記事でたどる
- 小栗忠順の役職一覧—勘定奉行四度、外国奉行・軍艦奉行・海軍奉行並まで。どう出世したのかを年表でみる
- 勘定奉行とは何をする仕事?小栗忠順の役職を「今でいうと」で解説—外国奉行・町奉行から、陸軍奉行並と陸軍総裁の違いまで
- 万延元年遣米使節とは—幕末の七十七人、小判を溶かした造幣局と、持ち帰ったネジ
- 新見正興・村垣範正とは何をした人物か—万延元年遣米使節の正使と副使。目付・小栗忠順とアメリカへ渡った三人の、その後
- 日米修好通商条約と安政の大獄とは—勅許なしの調印、なぜ不平等条約なのか。井伊直弼の弾圧と、小栗忠順が世に出るまで
- 幕末の金の流出とは—なぜ小判が海外へ流れたのか。金銀比価1対5と1対15、4ドルが12ドルになる仕組みと小栗忠順
- 小栗忠順と勝海舟を比べる—石高・家格・役職の表でみる、二人の幕臣の階段と結末
- 小栗忠順と勝海舟—同じ幕府に仕えた二人は、なぜ正反対の道を選んだのか
- 小栗忠順の罷免とは—慶応四年正月、鳥羽伏見の敗報が届いた江戸城で起きたこと
- 大政奉還とは—慶喜はなぜ政権を返したのか。二条城の決断と土佐の建白、王政復古の巻き返しから鳥羽伏見まで
- 鳥羽伏見の戦いとは—3倍の兵の旧幕府軍はなぜ4日で負けたのか。錦の御旗、淀藩と津藩の寝返り、慶喜の大坂城脱出
- 【幕末のもしも】小栗忠順の作戦が採用されていたら—箱根で止め、艦隊で日本海も押さえる
- 【幕末のもしも】慶喜が大坂城から逃げ帰らなかったら—海を押さえ、四方から京都を囲む
- 江戸城無血開城とは—勝海舟と西郷隆盛の会談、山岡鉄舟の使者、パークスの横やり。小栗忠順が退けられた先の結末
- 戊辰戦争の海軍を比べる—旧幕府と新政府、開陽丸と甲鉄。榎本が渡した4隻がなければ【幕末のもしも】
- 幕末の軍艦の種類とは—帆船と蒸気船、外輪とスクリュー、バーク・ブリッグ・スクーナーの違いを130隻で読み解く
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- 小栗上野介はなぜ殺されたのか—斬られた理由と最後の地・烏川の水沼河原、取り調べなき処刑の六十四日
- 彰義隊とは—上野戦争・黒門口の激戦と、小栗忠順が隊長を断った理由
- 土佐藩の有名人を身分で分けると—上士・白札・郷士・地下浪人・庄屋
- 小栗上野介は権田村に砲台や陣屋を築いていたのか—大砲二門・小銃二十挺は「謀反の証拠」か、防犯の備えか
- 小栗家の領地・権田村とは—いつから知行所だったのか、代官はいたのか、年貢はどう届いたのか。参勤交代のない旗本と家臣の数
- 旗本と大名はどちらが偉いのか—どちらも将軍の直臣、でも同格ではない。石高・官位・江戸城の席、役職で逆転する力関係と、二千七百石の小栗上野介の立ち位置
- 小栗上野介を斬ったのは誰か—処刑を指揮した軍監・原保太郎と豊永貫一郎、東山道総督府の命令系統
- 小栗上野介の処刑は誰が決めたのか—薩長の命令か、功をあせった現場か。斬った軍監は長州でも薩摩でもなかった
- 小栗を斬らずに済ませたかった三藩—高崎・安中・吉井に下りた「捕らえよ」の達
- 小栗上野介の首はどこへ運ばれたのか—館林城での首実検と、一周忌の夜に掘り出した村人たち
- 塚本真彦とは何をした人物か—小栗上野介の用人、遣米使節で世界を一周し、養子・又一とともに高崎で斬られた家臣
- 中島三左衛門とは何をした人物か—小栗上野介の妻子を会津へ逃がし、館林から主の首を取り返した権田村の村役人
- 小栗忠順はいつ再評価されたのか—大正十一年の胸像、昭和七年の碑、百年かけた名誉回復
- 『逆賊の幕臣』の意味とは—逆賊・朝敵・賊軍の違い。小栗忠順はなぜ「逆賊」とされ、どう名誉を回復したのか
- 小栗上野介(小栗忠順)の名言—「どうにかなろう」が国を滅ぼす、土蔵付きの売り家。誰がいつ書き残した言葉か
- 小栗上野介の処刑に抗議した人はいたのか—新政府に調査の記録はなく、斬った軍監は県知事に。名誉回復までの六十四年
- 小栗上野介と親しかったのは誰か—新政府に仕えた部下・福地源一郎と田辺太一、渋沢栄一との会話、いとこの夫・大隈重信。将来を語り合った栗本鋤雲
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- 大鳥圭介と大村益次郎—適塾が生んだ二人の兵学者は、なぜ勝者と敗者に分かれたのか。大鳥が負け続けた理由と、二人の得意
- 大鳥圭介とは何をした人物か—村医者の子が幕府の歩兵奉行に。伝習隊と箱館戦争、降伏後の出世、逸話とゆかりの地
- 榎本武揚とは何をした人物か—オランダ帰りの海軍副総裁、箱館政権の総裁から明治の大臣へ。黒田清隆の助命、逸話とゆかりの地
- 沼間守一とは何をした人物か—伝習隊の歩兵頭から民権派の新聞人へ。日光・庄内での戦い、嚶鳴社と東京横浜毎日新聞、逸話とゆかりの地
- 小栗上野介(小栗忠順)が生きていたら—明治政府に入ったのか。大隈重信の言葉、東郷平八郎の礼、生き残った幕臣の道から考える
- 小栗上野介の埋蔵金伝説とは—赤城山の噂は誰が言い出したのか、明治十九年からの百四十年
小栗忠順の仕事—横須賀・フランス・商社
- 横須賀製鉄所とは—小栗忠順とヴェルニーが作り、いまも動いている幕末の造船所
- ヴェルニーとは何をした人物か—横須賀に造船所と灯台と水道を残したフランス人技師
- 幕府とフランスの借款交渉とは—ロッシュと小栗忠順、横須賀製鉄所の資金と六百万ドルの行方
- 兵庫商社とは—小栗忠順が大坂の豪商二十人に作らせ、半年で消えた組織
- 中小坂鉄山とは—小栗忠順が上州で鉄を作ろうとした山と、五稜郭を設計した武田斐三郎
- 柴田剛中とは何をした人物か—横須賀製鉄所の機械と技師を集めにフランスへ渡り、小栗の書簡を残した旗本
- 小栗忠順は渋沢栄一に何を教えたのか—慶応三年、パリへ発つ前の訓示は記録が残っていない
- 栗本鋤雲が書き残したもの—パリの見聞、郵便報知新聞の筆、そして友・小栗忠順の言葉。犬養毅・尾崎行雄を育てた幕臣記者
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小栗家と家族
- 小栗忠順の石高は二千七百石—小栗家とは何か。三河以来の旗本、城はあったのか、権田村375石まで
- 北村有起哉さんが演じる小栗忠高とは何をした人物か—中川家から婿に入った忠順の父、新潟奉行として任地に没す
- 鈴木京香さんが演じる小栗くに(忠順の母)とは何をした人物か—小栗家の家付き娘、六十三歳で山を越えた「小栗家の太陽」
- 小栗忠順の家族—妻は林田藩主の娘・道子、養子は駒井家の次男、子孫は遺児・国子から現在へ
- 齋藤潤さんが演じる小栗忠道とは何をした人物か—駒井家から小栗家の跡取りへ、仏語伝習所に学び高崎で斬られた養子
- 飯尾和樹さんが演じる建部政醇とは何をした人物か—小栗忠順の義父、国学を学んだ林田藩主
- 上白石萌音さんが演じる、小栗忠順(ただまさ)の妻・道子(みち)とは—林田藩主の娘、身重で会津へ逃れ、ただ一人の遺児・国子を産んだ
- 小栗忠順の妻はどう会津へ落ちのびたのか—慶応四年閏四月、身重の道子を守った権田村の二十二日
- 小栗忠順の子孫はいるのか—ただ一人の遺児・国子から現在まで。会津へ逃げた身重の妻と、三野村・大隈が支えた家
- 荒川良々さんが演じる三野村利左衛門とは何をした人物か—小栗忠順に恩を返し、三井を救った大番頭
大河の登場人物を知る
- 宅麻伸さんが演じる徳川家慶とは何をした人物か—「そうせい様」と呼ばれた十二代、天保の改革と阿部正弘の抜擢、黒船十九日後の死
- ふかわりょうさんが演じる徳川家定とは何をした人物か—黒船の直後に将軍となった「お飾り」の十三代、ほんとうに暗愚だったのか
- 神尾楓珠さんが演じる徳川家茂とは何をした人物か—十三歳で将軍、和宮と結ばれ、二十一歳で大坂城に没した十四代
- 岩田剛典さんが演じる阿部正弘とは何をした人物か—二十七歳で老中首座、黒船に「みんなの意見」を聞いた宰相
- 北村一輝さんが演じる鳥居耀蔵とは何をした人物か—天保の改革の「妖怪」、蘭学者を陥れ、二十三年の幽閉を生き延びた南町奉行
- 柄本明さんが演じる徳川斉昭とは何をした人物か—攘夷の旗頭「烈公」、慶喜を将軍にしようと井伊直弼と争った水戸藩主
- 岡部たかしさんが演じる井伊直弼とは何をした人物か—埋木舎の部屋住みから大老へ、小栗忠順を世に出し桜田門外に散った人
- 桜田門外の変とは—大老・井伊直弼はなぜ雪の朝に討たれたのか
- 坂下門外の変とは—老中・安藤信正はなぜ襲われたのか。和宮降嫁と、背中の傷が招いた失脚
- 幕末・明治の暗殺事件 特集—桜田門外の変から龍馬暗殺、紀尾井坂の変まで
- 中村雅俊さんが演じる安積艮斎とは何をした人物か—小栗家の屋敷で塾を開き、二千人を育てた儒学者
- 宮野真守さんが演じる滝川具挙とは何をした人物か—小栗家の隣人、鳥羽街道で「通せ」と押し問答した大目付
- 高橋光臣さんが演じる駒井朝温とは何をした人物か—小栗の三歳上の幼なじみ、次男を小栗家の養子に出した大目付
- 芝大輔さんが演じる朝比奈昌広とは何をした人物か—小栗と同い年、将軍家定のそばに仕え、長崎奉行・勘定奉行を務めた旗本
- 甲本雅裕さんが演じる佐藤藤七とは何をした人物か—世界一周した上州権田村の名主、五十四歳の遣米使節従者
- 草川拓弥さんが演じる荒川祐蔵とは何をした人物か—遣米使節の従者から、小栗とともに斬られた家臣へ
- ANIさんが演じる武笠祐左衛門とは何をした人物か—小栗家の用人、主の首を大宮へ運んだと伝わる小姓・銀之助の父
- 瀧内公美さんが演じる勝民子(たみ)とは何をした人物か—貧乏旗本の勝海舟を支え、「勝のそばには埋めないで」と遺した妻
- 青木崇高さんが演じる栗本鋤雲とは—箱館の医者からフランス通の幕臣へ、小栗忠順を書き残した人
- 原保太郎とは何をした人物か—二十二歳で小栗上野介を斬り、山口県知事から北海道庁長官まで務めた男
- 大河『逆賊の幕臣』朝廷側のキャストが発表されました—孝明天皇・明治天皇・岩倉具視・鷹司政通とは何をした人か
- 大沢たかおさんが演じる勝海舟とは何をした人物か—四十一石の貧乏旗本から咸臨丸、江戸無血開城へ。小栗忠順と正反対の道を選んだ幕臣
- 徳川慶喜とは何をした人物か—最後の将軍、大政奉還と大坂城からの脱出。小栗忠順を罷免し、明治を45年生きた十五代
- ロッシュとは何をした人物か—幕府を支えたフランス公使。横須賀製鉄所と軍事顧問団、小栗忠順との二人三脚、パークスとの対立
- 眞栄田郷敦さんが演じる孝明天皇とは何をした人物か—条約に判を押さなかった帝、和宮降嫁と攘夷、数え三十六歳の急死
- 奥野壮さんが演じる明治天皇とは何をした人物か—十四歳で践祚、王政復古と五箇条の御誓文。小栗忠順が斬られた年の少年天皇
- 山中崇さんが演じる岩倉具視とは何をした人物か—下級公家から王政復古の立役者へ。二人の息子は小栗忠順を斬った東山道総督府の長だった
- 長塚京三さんが演じる鷹司政通とは何をした人物か—三十三年関白を務めた朝廷の重鎮、条約勅許で孝明天皇と対立し安政の大獄で落飾
ゆかりの地を歩く(現地取材)
- 【現地取材】小栗上野介はどこで生まれたか—生誕地・神田駿河台と、横須賀のゆかりの地を歩く
- 【現地取材】東善寺の歴史と権田村の人々|宝永元年からの小栗家の菩提寺、首を取り返し「逆賊」の墓を守った150年
- 【現地取材】小栗上野介の墓はどこ?東善寺の本墓・普門院の首塚・雑司ヶ谷の累代墓と又一の墓
- ヴェルニー公園で無料で入れる二つの施設—ヴェルニー記念館とティボディエ邸
- 【現地取材】増上寺を歩く—十四代将軍家茂と和宮が並んで眠る、徳川将軍家の菩提寺
- 【現地取材】勝海舟記念館と洗足池—「富士を見ながら土に入りたい」と願った海舟の別邸跡
- 【現地取材】飯田城を歩く—安政六年の石碑に、小栗忠順の師が文を寄せていた
- 【現地取材】幕府の最高学府・昌平坂学問所を歩く—湯島聖堂と孔子像
- 【現地取材】彦根城を歩く—井伊直弼の十五年と、赤備えが官軍になった日
- 【現地取材】水戸・常磐共有墓地を歩く—桜田門外の実行隊長と、討たれた井伊直弼の霊塚
- 【現地取材】佐倉城と堀田正睦を歩く—「老中の城」に立つ、開国に敗れた宰相と義民の里
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小栗忠順と、その周辺を読む
小栗忠順とは何をした人物か横須賀を作り、罪なくして斬られた幕臣。主人公の生涯を通しで
万延元年遣米使節造幣局で小判を溶かさせ、ネジを持ち帰った旅です
横須賀製鉄所とはヴェルニーは二十七歳。ドックは番号順に完成していません
なぜ斬られたのか取り調べなき処刑と、村人が取り返した首の話
小栗忠順と勝海舟宿敵と語られる二人。どこまでが史実かを確かめました
三野村利左衛門斬られた小栗の遺族を支えつづけた三井の大番頭
遺児はどう生きたか会津へ逃げた身重の妻と、三野村・大隈が支えた家の話
記念艦三笠と東郷平八郎小栗が残した造船所が支えた艦は、いまも横須賀にあります2026年に書き足した六本
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小栗忠順のゆかりの地をめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。
- 小栗上野介ゆかりの地 ― 東京・横須賀・埼玉・群馬をたどる(まとめ)
- 倉渕・東善寺をめぐるモデルコース(都内発・車で1泊2日。墓所の東善寺、最期の地、普門院の首塚)
- 横須賀の日帰りコース(都内発。軍港めぐりで、小栗が始めた造船所を海から見られます)
倉渕(高崎市)の東善寺や最期の地は駅から離れているので、高崎駅前でレンタカーを借りると回りやすくなります。各社の料金はじゃらんレンタカーで比べられます(PR)。
泊まりがけで回るなら、宿は高崎駅の周辺か、倉渕から車で40〜50分ほどの伊香保温泉が便利です。横須賀は横須賀中央駅のまわりに宿が集まっています。空き室はじゃらんnet(高崎駅周辺・伊香保温泉・横須賀中央)で探せます(PR)。
小栗忠順をもっと知る本
記事の内容をもっと知りたい方に、小栗忠順を扱った本を紹介します。
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造船所を設計した技師についてはヴェルニーとは何をした人物かをご覧ください。

