袖解橋の変とは—井上聞多(井上馨)はなぜ長州藩士に斬られたのか。武備恭順と俗論派、母の力と所郁太郎の手術

井上馨の肖像

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元治元年(1864)9月25日の夜、長州藩の山口で、藩の会議から歩いて帰る途中の若い藩士が、暗がりで襲われました。井上聞多(いのうえ もんた)。のちの明治の外務大臣・井上馨です。

背中や頭を何か所も斬られた聞多は、あまりの苦しさに兄へ「介錯してくれ」と頼んだと伝えられます。それを止めたのは、息子を助けたいと強く願った母だった、という話が残っています。この「袖解橋(そでときばし)の変」は、長州藩の中で「正義派」と「俗論派」が激しく争った時代の、暗殺未遂事件です。

なぜ聞多は同じ長州藩の藩士に襲われたのか。誰が襲い、聞多はどうやって助かったのか。袖解橋の変の真相を、誰が・いつ・どこで・なぜ・その後どうなったか、の順に見ていきます。

目次

先に答え—袖解橋の変とは

いつ 元治元年(1864)9月25日の夜(西暦では1864年10月25日)。26日の夜とする文献もあります
どこで 周防国山口(いまの山口県山口市中園町)。袖解橋という小さな橋の手前で、山口の藩庁から湯田の自宅へ帰る途中でした
誰が 藩の「俗論派」の藩士たち。周布藤吾・中井栄次郎らの名が伝わりますが、顔ぶれや人数は史料によって違いがあります
誰を 長州藩士・井上聞多(のちの井上馨、数え30歳)
なぜ 幕府の長州征討を前にした藩の会議で、「武備恭順(表向きは従い、軍備は保つ)」を強く主張し、全面的に従うべきだとする俗論派と激しく対立したため
その後 医師・所郁太郎の手術で一命を取りとめました。翌26日に正義派の周布政之助が自刃し、藩の実権は俗論派に移ります。12月の高杉晋作の挙兵と、翌年1月の大田・絵堂の戦いを経て、聞多らは再び藩を動かす側に戻りました

井上聞多はどんな人だったのか

井上聞多は、天保6年11月28日(西暦では1836年1月16日)、周防国吉敷郡湯田村(いまの山口市湯田温泉)に、長州藩士・井上家の次男として生まれました。藩校の明倫館に学び、いったん志道家の養子となったのち、井上家に戻っています。「聞多」という名は、藩主の毛利敬親から授かったものだといわれます。

井上馨の肖像
井上馨(聞多)の肖像(Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

若いころは尊王攘夷の運動に加わり、文久2年(1862)には高杉晋作らとともに、品川に建てられていたイギリス公使館の焼き討ちにも加わりました。

ところが文久3年(1863)、聞多は伊藤俊輔(のちの伊藤博文)・山尾庸三・井上勝・遠藤謹助とともに、ひそかにイギリスへ渡ります。いわゆる「長州ファイブ」です。途中の上海で外国の軍艦がずらりと並ぶ光景を目にし、イギリスでは進んだ産業や軍事の力にふれた聞多は、攘夷がいかに無謀かを知り、開国と近代化を重んじる立場に変わっていきます。

時代背景—禁門の変、下関戦争、そして長州征討

ロンドンで学んでいた聞多は、翌元治元年(1864)の春、長州藩が外国船を砲撃したことへの報復として、外国の艦隊が下関を攻める計画があると知り、伊藤とともに急いで帰国します。藩の考えを開国へ変えて戦争を避けなければ、長州は外国に滅ぼされると考えたのです。

しかし、藩の中で聞多らは「外国のスパイ」「売国奴」とののしられました。そのうえ7月には、京都で長州藩兵が敗れる禁門の変が起こり、長州藩は「朝敵」とされます。8月には、イギリス・フランス・アメリカ・オランダの四国連合艦隊が下関を砲撃する下関戦争で、長州藩は大敗しました。

さらに幕府は、朝敵となった長州を討つため、諸藩の兵を集めて第一次長州征討に乗り出します。長州藩は、幕府と外国の両方を敵に回す、絶体絶命の立場に追いこまれたのです。

藩の中では、二つの考えが激しくぶつかりました。高杉晋作・周布政之助・井上聞多らの「正義派」は、幕府に頭を下げるとしても形だけにして、軍備は固めておくべきだと主張しました。これに対し、椋梨藤太(むくなし とうた)らの「俗論派」は、幕府に全面的に従って藩を守るべきだと考えていました。

なぜ聞多は狙われたのか

元治元年9月25日、山口の藩庁で、藩主・毛利敬親と世子・定広(のちの元徳)の前で、藩の進む道を決める会議が開かれました。俗論派が勢いを増すなかで、聞多は「表向きは恭順しても、藩を守るための武力は保つべきだ」と強く主張し、全面的に従おうとする俗論派の考えを批判したといいます。武備恭順とは、すぐに幕府と戦うという意味ではなく、藩を守る備えを残しておくという考え方でした。

この議論で、聞多と俗論派の対立はいっそう深まりました。外国帰りで開国を説き、幕府にひたすら従うことに強く反対する聞多は、俗論派から「藩を危うくする男」と見られていたのです。

事件当日の模様—袖解橋の闇

会議を終えた聞多は、夜道を湯田の自宅へと歩いて帰りました。袖解橋の手前、石州街道と秋穂(あいお)街道が合わさるあたりにさしかかったとき、暗がりから飛び出した男たちに襲われます。

井上馨候遭難の碑
山口市中園町に立つ「井上馨候遭難之地」の碑(写真:Snakvalley/Wikimedia Commons, CC BY 4.0)

聞多は後ろから足をつかまれて押し倒され、背中を斬りつけられたといいます。頭や背中など何か所にも深い傷を負いました。後年の伝記によれば、京都の芸妓・中西君尾から贈られた手鏡を懐に入れていたため、急所への一撃を防ぐことができたといいます(背中への一撃を防いだのは腰の刀だった、という話もあります)。

深手を負った聞多は、近くの農家に助けを求め、家族のもとへ運ばれたと伝えられます。あまりの苦しさに、聞多は兄の井上光遠(五郎三郎)に介錯を頼みましたが、母が「どうか助けてほしい」と強く願い、兄は思いとどまったといいます。この話はのちに「母の力」として戦前の国定国語教科書にも載り、広く知られるようになりました。ただし、母の具体的な言葉やふるまいには、後世の脚色が含まれている可能性もあります。

そこへ駆けつけたのが、聞多の友人で医師の所郁太郎(ところ いくたろう)です。美濃の出身で、大坂の適塾で学んだ蘭方医でした。所は、焼酎で傷口を洗い、小さな畳針を使って縫い合わせたと伝えられます。50針以上(40針あまりとする事典もあります)に及ぶ大手術だったといい、聞多は奇跡的に一命を取りとめました。

犯人は誰か—俗論派の藩士たち

聞多を襲ったのは、俗論派の藩士たちでした。ただし、その顔ぶれは史料によって少しずつ違います。山口市の観光情報サイトでは、中井栄次郎・周布藤吾・財満新三郎らの名を挙げています。一方、昭和3年(1928)に井上の伝記編纂会がまとめた『井上馨侯元治の難』などには、児玉七十郎(愛二郎)・周布藤吾・中井栄之丞(栄二郎)・木村新の名が見えます。のちに児玉愛二郎自身は、刺客は3人だったと語っており、実際の人数や全員の名前ははっきりしていません。

この事件は、外の敵ではなく、同じ長州藩の中での争いから起きたものです。藩の行く末をめぐる対立が、刀による「口封じ」にまで行きついたのでした。

事件のその後—周布政之助の自刃と、功山寺挙兵

聞多が襲われた翌日の9月26日、正義派のまとめ役だった周布政之助が自刃しました。藩を危機に追いこんだ責任を感じてのことだったといわれます。高杉晋作も身の危険を感じて九州へ逃れ、藩の実権は椋梨藤太ら俗論派に移ります。俗論派の政府は幕府に恭順の姿勢を示し、禁門の変の責任者として3人の家老に切腹を命じました。

傷の癒えかけた聞多は、俗論派の命令で謹慎を言いわたされ、身動きがとれなくなりました。床に伏せる聞多を伊藤俊輔が見舞ったとき、聞多は「ここは危ないから早く立ち去れ」と忠告したといいます。

しかし12月、九州から戻った高杉晋作が下関の功山寺で兵を挙げると、流れは大きく変わります。翌慶応元年(1865)の大田・絵堂の戦いで高杉らの諸隊が藩政府軍を破り、俗論派は政権を失いました。聞多も再び藩の中心に戻り、長州藩は「武備恭順」を藩の方針として、第二次長州征討(四境戦争)に立ち向かっていきます。

九死に一生を得た聞多は、明治になって井上馨と名を改め、外務卿・初代外務大臣として鹿鳴館外交を進め、大蔵大臣なども務めました。元老として政界に重きをなし、大正4年(1915)9月1日、満79歳で亡くなっています。

袖解橋の変ゆかりの地

  • 井上馨遭難の碑・袖解橋の碑(山口県山口市中園町):聞多が襲われた場所に建つ石碑。
  • 井上公園(山口市湯田温泉):井上家の屋敷があった場所。井上馨の銅像が立っています。
  • 旧山口藩庁門(山口市滝町):幕末に長州藩の政治の中心となった山口政事堂のあと。いまの門は明治3年(1870)に建て直されたものです。
  • 功山寺(山口県下関市長府):高杉晋作が挙兵した寺。

幕末・明治の暗殺事件を読む

▶ 暗殺事件の特集(年表と一覧)

✎ 筆者のひとこと

のちに外務大臣として鹿鳴館で舞踏会を開いた井上馨が、若いころには同じ藩の仲間に背中を斬られ、介錯を頼むほどの目にあっていた—。その落差に驚かされます。

もしこの夜に命を落としていたら、長州の歴史も、明治の外交も、少し違ったものになっていたかもしれません。

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