関東地方– category –
石高順にまとめた 関東の藩一覧(幕末) もあります。
関東地方の藩をまとめています。佐倉藩・古河藩・水戸藩などのほか、房総や常陸の1万石前後の小藩が多いのが特徴です。徳川家康の関東入りで生まれ、江戸時代の初めに消えた藩も数多く取り上げています。
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関東の藩一覧(幕末)—百四十七藩を石高順に。藩主家・最後の藩主・幕末のうごき
江戸時代に関東に置かれた藩を、支藩や途中で廃藩になったものも含めて百四十七、石高の大きい順にまとめました。藩主家、最後の藩主、幕末にどう動いたかを一覧にしています。 -
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【現地取材】小栗上野介の生まれた場所はどこ?生誕地・神田駿河台の小栗家屋敷跡と横須賀のゆかりの地
小雨の横須賀ヴェルニー公園で、小栗の胸像と、最期の地・烏川水沼河原から運ばれた石に出会いました。日本最古のスチームハンマー、今も使われるドライドック、そして神田駿河台の生誕地まで、一日でたどります。 -
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常陸宍戸藩(水戸藩支藩)松平家1万石:松平頼徳 天狗党の乱鎮圧に失敗して切腹 改易された宍戸藩
常陸宍戸藩(水戸藩支藩)(松平家1万石、松平頼徳)。天狗党の乱鎮圧に失敗して切腹 改易された宍戸藩。元々は「秋田実季」が五万石で入封したが陸奥三春藩へ転封のため、水戸藩の支藩として宍戸藩が立藩されました。 -
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笠間藩/牧野家8万石:牧野貞寧 長岡藩とは別行動を取り新政府側で磐城に出兵した笠間藩
笠間藩(牧野家8万石、牧野貞寧)。長岡藩とは別行動を取り新政府側で磐城に出兵した笠間藩。慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いの翌年「松平康重」が武蔵騎西藩から三万石で入封して笠間藩を立藩しました。 -
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勝浦藩/大岡家2万石:大岡忠光 武蔵国岩槻藩へ加増転封のため飛地となり廃藩
勝浦藩(大岡家2万石、大岡忠光)。武蔵国岩槻藩へ加増転封のため飛地となり廃藩。天和二年(1682年)四月、上総・安房・近江・丹波などに所領を持っていた「植村忠朝」は新たに二千石を加増されて一万一千石を領する大名となり、「勝浦藩」を立藩… -
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百首藩(造海城)/松平家1万500石:松平重則 下野皆川へ移封のため廃藩
百首藩(造海城)(松平家1万500石、松平重則)。下野皆川へ移封のため廃藩。寛永十年(1633年)四月、「松平重則」が四千石を加増され一万五百石を領する大名とし列すると「百首藩」を立藩しました。 -
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村上藩/内藤家5万石:内藤信美 庄内藩と共に新政府軍に抗戦するも降伏
村上藩(内藤家5万石、内藤信美)。庄内藩と共に新政府軍に抗戦するも降伏。内藤氏は「徳川家康」の異母弟「内藤信成」の家系です。村上藩7代藩主「信思」の養嗣子で第8代藩主となった「内藤信民」は、幕末の混乱期に藩内における佐幕派・尊皇派の対… -
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甲府新田藩/柳沢家2万石:柳沢時睦 本藩の大和郡山藩移封に伴い越後三日市藩を立藩し廃藩
甲府新田藩(柳沢家2万石、柳沢時睦)。本藩の大和郡山藩移封に伴い越後三日市藩を立藩し廃藩。「柳沢吉里」は家督相続の際に弟の「柳沢経隆」と「柳沢時睦」に山梨・八代両郡の内の新田高からそれぞれ一万石を分与し、ここに「甲府新田藩」が立藩しました。 -
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徳美藩/伊丹家1万2千石:伊丹勝守 藩主自刃のため領地没収の上改易・廃藩
徳美藩(伊丹家1万2千石、伊丹勝守)。藩主自刃のため領地没収の上改易・廃藩。寛永十年(1633年)二月、武田遺臣でもある幕臣「伊丹康勝」は下総国相馬郡の内にあった九千石の所領から甲斐山梨郡三千石を加増されて一万二千石を領する大名となり… -
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谷村藩/秋元家1万8千石:秋元喬知 川越藩へ移封のため廃藩
谷村藩(秋元家1万8千石、秋元喬知)。川越藩へ移封のため廃藩。秋元氏が城主の時代には藩政機構が整備されていたが、宝永元年(1704年)12月に「秋元喬知」が武蔵国「川越藩」に移封され、川越藩主であった「柳沢吉保」が甲府城主となり「谷村… -
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甲府藩/柳沢家15万石:柳沢吉里 大和国郡山藩へ移封のため幕府城代が置かれた甲府城
甲府藩(柳沢家15万石、柳沢吉里)。大和国郡山藩へ移封のため幕府城代が置かれた甲府城。将軍綱吉政権下で有力となった側用人「柳沢吉保」が十五万石で甲府藩に入封します。 -
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深見藩/坂本家1万石:坂本重治 勤務怠慢により減封の上廃藩
深見藩(坂本家1万石、坂本重治)。勤務怠慢により減封の上廃藩。「坂本重治」は第5代将軍「徳川綱吉」のもとで大目付・寺社奉行などを歴任したため、天和二年(1682年)十月、一万石の大名として「深見藩」を立藩しました。 -
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荻野山中藩(小田原藩支藩)/大久保家1万3千石:大久保教義 倒幕派浪士隊により陣屋を襲撃された山中藩
荻野山中藩(小田原藩支藩)(大久保家1万3千石、大久保教義)。倒幕派浪士隊により陣屋を襲撃された山中藩。荻野山中藩は小田原藩大久保家の支藩です。天明3年(1783年)に駿河国松長藩主「大久保教翅」が陣屋を山中に移し立藩しました。 -
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小田原藩/大久保家11万3千石:大久保忠礼 人見勝太郎率いる遊撃隊の来援で一度は旧幕府軍に協力した小田原藩
小田原藩(大久保家11万3千石、大久保忠礼)。人見勝太郎率いる遊撃隊の来援で一度は旧幕府軍に協力した小田原藩。貞享三年(1686年)に、下総佐倉藩主「大久保忠朝」が十万三千石で入封しました。 -
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玉縄藩/松平家2万5千石:松平正久 上総国大多喜藩へ転封のため廃藩
玉縄藩(松平家2万5千石、松平正久)。上総国大多喜藩へ転封のため廃藩。玉縄城は小田原北条氏の支城であったが、天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の「小田原征伐」で落城します。 -
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船形藩/平岡家1万石:平岡道弘 版籍奉還に先だって自ら廃藩
船形藩(平岡家1万石、平岡道弘)。版籍奉還に先だって自ら廃藩。元治元年(1864年)10月、「平岡道弘」は加増を受けて一万石の大名に列し「船形藩」が立藩されました。翌、慶応元年(1865年)には船形村で陣屋建設を開始しています。 -
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安房三枝藩/三枝家1万石:三枝守昌 家督相続した守全が兄弟へ分与のため旗本となり廃藩
安房三枝藩(三枝家1万石、三枝守昌)。家督相続した守全が兄弟へ分与のため旗本となり廃藩。「三枝守昌」は「関ヶ原の戦い」や「大坂の陣」において武功を挙げ、「徳川忠長」に仕えて一万五千石を与えられたが、忠長改易に連座して失脚したといいます。 -
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花房藩/西尾家3万5千石:西尾忠篤 徳川宗家の駿河移封の替地として横須賀藩から転封した西尾氏
花房藩(西尾家3万5千石、西尾忠篤)。徳川宗家の駿河移封の替地として横須賀藩から転封した西尾氏。明治元年(1868年)、遠江国「横須賀藩主」であった「西尾忠篤」が、安房長狭郡花房村に三万五千石をもって入部し「花房藩」が立藩されました。 -
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東条藩(西郷氏館跡)/西郷家1万石:西郷寿員 下野上田藩へ移封のため廃藩
東条藩(西郷氏館跡)(西郷家1万石、西郷寿員)。下野上田藩へ移封のため廃藩。元和六年(1620年)九月、下総国生実で五千石を知行していた旗本「西郷正員」は、安房国への転封・加増を受けて一万石の大名となり、「東条藩」を立藩しました。 -
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北条藩/水野家1万5千石:水野忠韶 上総国鶴牧藩に移封のため廃藩
北条藩(水野家1万5千石、水野忠韶)。上総国鶴牧藩に移封のため廃藩。享保十年(1725年)十月、「水野忠定」が信濃国から安房北条に一万二千石で移封され北条藩が立藩されます。 -
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長尾藩/本多家4万石:本多正訥 徳川家の駿河転封に伴い国替えにて立藩
長尾藩(本多家4万石、本多正訥)。徳川家の駿河転封に伴い国替えにて立藩。慶応四年(1868年)五月、謹慎した「徳川慶喜」の跡を継いだ徳川宗家「徳川家達」は新政府から駿府藩主として存続を認められ、七十万石の領主として駿河・遠江に入封します。
