2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)は、幕末の幕臣・小栗忠順が主人公です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
幕末・明治の暗殺事件 特集:桜田門外の変から伊藤博文暗殺まで、19の事件を年表とともにまとめています。▶ 暗殺事件の特集を見る
慶応3年(1867)8月14日の朝、京都で将軍・徳川慶喜の側近・原市之進が斬られました。斬ったのは、外国の敵でも倒幕派の志士でもなく、同じ幕府に仕える幕臣たちでした。
原は、3年前に暗殺された平岡円四郎の後を継いで、慶喜のいちばん近くで政策を支えた人物です。幕府の中枢にいた者が、なぜ「身内」に斬られたのか。大政奉還の2か月前に起きた事件をたどります。
原市之進暗殺とは—先に答え
| いつ | 慶応3年(1867)8月14日の朝 |
|---|---|
| どこで | 京都の原の屋敷(宿所) |
| 誰が | 幕臣の鈴木豊次郎・依田雄太郎らとされる |
| 誰を | 将軍・徳川慶喜の側近で目付の原市之進(数え38歳) |
| なぜ | 攘夷派の幕臣から、兵庫開港を慶喜に進めた張本人と恨まれたため、とされる |
| その後 | 2か月後の10月14日、慶喜は大政奉還を申し出る |
原市之進とはどんな人物か
原市之進は文政13年(1830)、水戸藩士の家に生まれました。名は忠敬(忠成とも)。水戸の学者・会沢正志斎や藤田東湖に学び、水戸学を身につけた秀才として知られます。
元治元年(1864)に平岡円四郎が暗殺されると、原は同じ水戸の出身ということもあって慶喜に重く用いられ、側近として政策の相談にあずかるようになりました。慶応2年(1866)、慶喜が15代将軍になると、原は幕臣に取り立てられて目付となります(平岡円四郎暗殺とは)。
兵庫開港—原が背負った難題
将軍になった慶喜の前には、大きな難題が待っていました。条約で約束していた兵庫(神戸)の開港です。朝廷、とりわけ孝明天皇は外国人を京都の近くに入れることを強く嫌い、開港の勅許はなかなか出ませんでした。
慶喜は、条約を守らなければ外国と戦争になりかねないと考え、慶応3年5月、朝廷の会議で粘り強く説いて、ついに兵庫開港の勅許を得ます。この開港を慶喜に強く進めたのが原だったといわれます(兵庫商社とは)。
もとは水戸学を学んだ攘夷の家の出でありながら、開国の政策を進める。この姿は、攘夷にこだわる人々から見れば「変節」に映りました。
何が起きたのか—屋敷を襲った幕臣たち

慶応3年8月14日の朝、京都の原の屋敷に幕臣たちが訪ねてきて、原を斬りました。実行したのは幕臣の鈴木豊次郎・依田雄太郎らとされます。彼らは、兵庫開港などの政策で将軍を誤らせたのは原だとして、その罪を書き連ねた書面を残したと伝えられます。
平岡に続いて、慶喜は2人の懐刀をどちらも暗殺で失ったことになります。しかも今度は、自分の家臣である幕臣の手によるものでした。
なぜ幕臣が幕臣を斬ったのか
幕府の中にも、開国や洋式化を進める慶喜の政治をこころよく思わない人々がいました。古くからの旗本・御家人の中には、外国に譲歩していると見える政策や、慶喜が水戸・一橋の出身者を重く用いることへの不満がありました。
主君である将軍を直接討つことはできません。その代わりに、将軍に政策を吹き込んでいると見られた側近が狙われました。平岡のときと同じ「君側の奸を除く」という形の暗殺です。
事件のその後—大政奉還へ
原の死から2か月後の慶応3年10月14日、慶喜は朝廷に政権を返す大政奉還を申し出ます。11月には坂本龍馬が近江屋で殺され、12月には王政復古の大号令が出されて、幕府は終わりを迎えました(坂本龍馬はなぜ暗殺されたのか)。
この慶応3年の秋は、赤松小三郎の暗殺も含め、京都で政治の要人が次々に命を落とした季節でした(赤松小三郎暗殺とは)。
暗殺場所と原市之進ゆかりの地
遭難の地(京都市内)
原の屋敷は京都の二条城の近くにあったとされますが、正確な場所を示す碑は確認できていません。
二条城(京都市中京区)
原が支えた将軍・慶喜が、大政奉還を表明した城です(二条城)。
水戸(茨城県水戸市)
原が学んだ水戸学の地です。藩校・弘道館が今も残っています(水戸藩)。
▶ この事件を起こした側の人物
- 依田雄太郎・鈴木豊次郎とは何をした人物か—将軍慶喜の側近・原市之進を斬った幕臣
幕末・明治の暗殺事件を読む
- 桜田門外の変(1860)—大老・井伊直弼
- 坂下門外の変(1862)—老中・安藤信正
- 吉田東洋暗殺(1862)—土佐藩の参政
- 本間精一郎暗殺(1862)—木屋町の天誅
- 目明し文吉の殺害(1862)—三条河原
- 清河八郎暗殺(1863)—麻布一ノ橋
- 姉小路公知暗殺・朔平門外の変(1863)
- 芹沢鴨暗殺(1863)—壬生・八木邸
- 平岡円四郎暗殺(1864)—一橋慶喜の側近
- 佐久間象山暗殺(1864)—三条木屋町
- 原市之進暗殺(1867)—将軍慶喜の側近(この記事)
- 赤松小三郎暗殺(1867)—東洞院通
- 坂本龍馬暗殺・近江屋事件(1867)
- 油小路事件(1867)—伊東甲子太郎
- 横井小楠暗殺(1869)—寺町丸太町
- 大村益次郎暗殺(1869)—兵部大輔の死
- 大久保利通暗殺・紀尾井坂の変(1878)
- 森有礼暗殺(1889)—憲法発布の朝
- 伊藤博文暗殺(1909)—ハルビン駅
✎ 筆者のひとこと
幕府の中で、味方であるはずの幕臣が将軍の側近を斬った事件です。大政奉還の直前、幕府の内側がすでに一つにまとまれなくなっていたことを物語っています。小栗忠順が同じころ幕府の中で孤立していったこととも重なります。
そう考えると、幕臣でありながら薩摩や長州の人々とも行き来していた勝海舟が、よく斬られずにすんだものだと思います。
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参考資料
- コトバンク「原市之進」
- コトバンク「平岡円四郎」

