横井小楠暗殺とは—明治新政府の参与はなぜ京都・寺町で斬られたのか。「開国の思想家」と十津川郷士

京都・寺町通、横井小楠の駕籠を襲う刺客たち

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明治2年(1869)1月5日の午後、京都の寺町通・丸太町付近で、明治新政府の参与・横井小楠が斬られました。数え61歳。御所での勤めを終え、駕籠で帰る途中のことでした。

横井は、坂本龍馬や勝海舟、福井藩の松平春嶽に大きな影響を与えた開国の思想家です。幕府が倒れて明治の世になったあとも、なぜ攘夷派の刃に倒れたのか。事件の流れと背景をたどります。

目次

横井小楠暗殺とは—先に答え

いつ 明治2年(1869)1月5日の午後
どこで 京都・寺町通丸太町下ル付近(現在の京都市中京区)。殉節地の碑が立つ
誰が 大和の十津川郷士・上田立夫、備前の津下四郎左衛門ら6人
誰を 新政府の参与・横井小楠(数え61歳)。熊本藩出身の思想家
なぜ 開国を説き、キリスト教を広めて日本を外国に売ろうとしている、と誤って思い込まれたため
その後 実行犯は捕らえられたが、政府内に同情する声もあって裁きは長引いた
墓所 京都・南禅寺の天授庵

横井小楠とはどんな人物か

横井小楠は文化6年(1809)、肥後熊本藩士の家に生まれました。藩校・時習館で学んだのち、学問は実際の政治に役立ってこそだと説く「実学党」をつくり、その中心となります(熊本藩)。

安政5年(1858)、その見識を見込んだ福井藩主・松平春嶽に招かれ、福井藩の政治の相談役となりました。開国して貿易で国を豊かにし、強い国をつくるべきだと説いた『国是三論』は、この福井時代にまとめられたものです(福井藩)。

龍馬・勝海舟と小楠

小楠の考えは、幕末の多くの人物に影響を与えました。勝海舟は、この世で恐ろしい人物を2人見たとして、横井小楠と西郷隆盛の名を挙げたといわれます。坂本龍馬も勝の使いとして福井を訪れ、小楠と会っています。

身分にかかわらず広く意見を聞いて政治を行うべきだという小楠の考えは、龍馬の「船中八策」や、明治新政府の「五箇条の御誓文」にもつながっていると考えられています(福井城址を歩く—松平春嶽と橋本左内)。

士道忘却事件と、明治新政府への登用

文久2年(1862)、小楠は江戸で酒宴の席にいたところを刺客に襲われ、刀を取りに戻るうちに同席者が傷を負いました。これが「武士にあるまじきふるまい」とされ、熊本藩から知行を取り上げられて士籍を失います。これを士道忘却事件といいます。

熊本に引きこもっていた小楠は、明治元年(1868)、新政府に呼ばれて京都に上り、参与に任じられました。60歳の老学者が、新しい国づくりの中心に迎えられたのです。

何が起きたのか—寺町通での襲撃

京都・寺町通、横井小楠の駕籠を襲う刺客たち
イメージイラスト

明治2年1月5日の午後、小楠は御所での勤めを終えて駕籠で帰る途中、寺町通の丸太町を下ったあたりで、6人の男たちに襲われました。供の者たちが防ぎ、小楠自身も短刀で応じたといわれますが、ついに討たれてしまいます。

襲ったのは、大和の十津川郷士・上田立夫、備前の津下四郎左衛門らでした。十津川郷士は、古くから朝廷に仕えてきたことを誇りにする、尊王の気風の強い人たちです。

なぜ小楠は斬られたのか

犯人たちが掲げた理由は、小楠が「キリスト教を日本に広め、国を外国に売ろうとしている」というものでした。小楠は開国と西洋の学問の採り入れを説いていましたが、キリスト教を広めようとした事実はなく、まったくの誤解でした。

明治になっても、攘夷の思いを捨てきれない人々は少なくありませんでした。新政府は「開国和親」を表に掲げ、外国との交わりを進めていきます。その象徴に見えた小楠が狙われたのです。同じ年の9月には、洋式の軍制を進めた大村益次郎も京都で襲われています(大村益次郎暗殺とは)。

事件のその後

実行犯たちは捕らえられましたが、政府の中にも攘夷派に同情する役人がいて、処罰をめぐる議論は長引きました。中には、小楠の書いたものを探して「キリスト教を広めようとした証拠」を見つけ出そうとする動きさえあったといわれます。結局、主な実行犯が処刑されたのは事件から1年以上たってからでした。

新しい政府ができても、刀で政治を変えようとする風潮はすぐには消えませんでした。暗殺がなくなるには、政府が私的な仇討ちや報復を法で禁じていくまで、なお時間がかかります(幕末・明治の暗殺事件 特集)。

暗殺場所と横井小楠ゆかりの地

横井小楠殉節地(京都市中京区・寺町通丸太町下ル)

斬られた場所に碑が立っています。京都御苑の東側、寺町通沿いです。京阪神宮丸太町駅・地下鉄丸太町駅から歩いて10分ほどです。

天授庵(京都市左京区・南禅寺内)

小楠の墓がある、南禅寺の塔頭です。地下鉄蹴上駅から歩いて10分ほどです。

四時軒・横井小楠記念館(熊本市東区沼山津)

熊本で小楠が暮らした家が復元され、記念館が併設されています。坂本龍馬もここを訪ねたと伝えられます。

小楠寄留宅跡(福井市)

福井藩に招かれた小楠が住んだ場所の跡です。足羽川をはさんで、弟子の由利公正の住宅跡と向かい合っています(福井藩)。

▶ この事件を起こした側の人物

✎ 筆者のひとこと

明治の新政府ができてもなお、「キリスト教を広める」という誤解だけで重臣が斬られました。新しい時代になっても人々の心はすぐには変わらない—そのことをいちばんよく示している事件だと思います。

遷都の話なども理由にからんでいたのでは、と思って調べてみましたが、確かな記録は見当たりませんでした。犯人たちが掲げたのは、あくまでキリスト教をめぐる誤解でした。

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参考資料

  • コトバンク「横井小楠」(日本大百科全書・ブリタニカ国際大百科事典ほか)
  • ふくいろ(福井市)「横井小楠寄留宅跡」
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