中国地方– category –
石高順にまとめた 中国地方の藩一覧(幕末) もあります。
山陽・山陰の藩をまとめています。長州藩(萩藩)とその支藩の岩国藩・長府藩、備前岡山藩、備後福山藩、浜田藩、津和野藩など、幕末に長州征討の舞台となった地方の藩を中心に、江戸時代に消えた小藩まで取り上げています。
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中国地方の藩一覧(幕末)—四十二藩を石高順に。藩主家・最後の藩主・幕末のうごき
江戸時代に中国地方に置かれた藩を、支藩や途中で廃藩になったものも含めて四十二、石高の大きい順にまとめました。藩主家、最後の藩主、幕末にどう動いたかを一覧にしています。 -
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岡山藩/池田家31万5千石:池田章政 新政府軍に与し関東・東北・函館戦争まで藩兵を派遣した岡山藩
岡山藩(池田家31万5千石、池田章政)。新政府軍に与し関東・東北・函館戦争まで藩兵を派遣した岡山藩。寛永九年(1632年)、「池田忠雄」の没後、嫡子「光仲」は幼少のため山陽筋の重要な拠点である岡山を任せるには荷が重いとして鳥取に国替え… -
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備中松山藩/板倉家5万石:板倉勝静 老中主座を務めた藩主自ら函館五稜郭まで転戦した備中松山藩
備中松山藩(板倉家5万石、板倉勝静)。老中主座を務めた藩主自ら函館五稜郭まで転戦した備中松山藩。元禄八年(1695年)、上野国高崎藩より「安藤重博」が六万五千石で入封します。 -
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庭瀬藩/板倉家2万石:板倉勝弘 戊辰戦争では伊予松山藩攻めにも参戦した庭瀬藩
庭瀬藩(板倉家2万石、板倉勝弘)。戊辰戦争では伊予松山藩攻めにも参戦した庭瀬藩。慶長五年(1600年)、「関ヶ原の戦い」で西軍主力となった宇喜多秀家の家臣「戸川達安」は、宇喜多家の内紛により徳川家康率いる東軍方に味方しました。 -
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足守藩/木下家2万5千石:木下利恭 備中松山藩討伐軍に加わり大坂で適塾を開いた緒方洪庵を輩出した足守藩
足守藩(木下家2万5千石、木下利恭)。備中松山藩討伐軍に加わり大坂で適塾を開いた緒方洪庵を輩出した足守藩。豊臣秀吉の妻・北政所(ねね)の兄で、播磨姫路二万五千石の城主だった木下家定が、慶長六年(1601年)に同じ二万五千石でこの地へ移… -
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長州藩(萩藩、毛利藩)/毛利家36万石:毛利元徳 鳥羽・伏見の戦いを制し戊辰戦争を戦い抜いた長州藩
長州藩(萩藩、毛利藩)(毛利家36万石、毛利元徳)。鳥羽・伏見の戦いを制し戊辰戦争を戦い抜いた長州藩。長州藩は「関ヶ原の戦い」前までは安芸を中心とした百十二万石を領する大大名でした。 -
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岩国藩(長州藩支藩)/吉川家3万石:吉川経幹 四境戦争では芸州口で幕府軍を撃退した岩国藩
岩国藩(長州藩支藩)(吉川家3万石、吉川経幹)。四境戦争では芸州口で幕府軍を撃退した岩国藩。慶長五年(1600年)、「関ヶ原の戦い」で「吉川広家」は徳川家康率いる東軍に内通し、毛利勢の動きを封じ、関ヶ原の本戦に参加させませんでした。 -
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広島藩(芸州藩)/浅野家42万6千石:浅野長訓 軍を京都に送るも鳥羽・伏見の戦いには参戦しなかった広島藩
広島藩(芸州藩)(浅野家42万6千石、浅野長訓)。軍を京都に送るも鳥羽・伏見の戦いには参戦しなかった広島藩。広島は元々は毛利輝元の主城であったが、「関ヶ原の戦い」で萩へ押し込められ、変わって同戦で戦功のあった「福島正則」が入封しました。 -
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備後福山藩/阿部家10万石:阿部正桓 函館戦争に参加し榎本脱走軍と戦った福山藩
備後福山藩(阿部家10万石、阿部正桓)。函館戦争に参加し榎本脱走軍と戦った福山藩。元治元年(1864年)、福山藩は幕府から第一次長州征討への出陣を命じられます。 -
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鳥取藩/池田家32万5千石:池田慶徳 戊辰戦争では新政府に与し河田左久馬・北垣晋太郎らを輩出した鳥取藩
鳥取藩(池田家32万5千石、池田慶徳)。戊辰戦争では新政府に与し河田左久馬・北垣晋太郎らを輩出した鳥取藩。慶長五年(1600年)、「関ヶ原の戦い」の後、「池田恒興」の三男(嫡男輝政の弟)の「池田長吉」が六万石で入封し鳥取藩が立藩しました。 -
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松江藩/松平家18万6千石:松平定安 ご親藩のため藩論が割れたが結局は新政府軍に従った松江藩
松江藩(松平家18万6千石、松平定安)。ご親藩のため藩論が割れたが結局は新政府軍に従った松江藩。寛永十五年(1638年)、徳川家康の次男・結城秀康の三男にあたる松平直政が、信濃松本から十八万六千石で入りました。 -
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津和野藩/亀井家4万3千石:亀井茲監 長州藩の隣藩ということもあり早くから新政府に属した津和野藩
津和野藩(亀井家4万3千石、亀井茲監)。長州藩の隣藩ということもあり早くから新政府に属した津和野藩。元和三年(1617年)七月二十日、因幡の鹿野から亀井政矩が四万三千石で入り、以後明治まで亀井家が藩主を務めました。 -
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浜田藩/松平家6万1千石:松平武聰 長州藩大村益次郎の軍に惨敗し城を捨てて敗走した浜田藩
浜田藩(松平家6万1千石、松平武聰)。長州藩大村益次郎の軍に惨敗し城を捨てて敗走した浜田藩。第4代藩主「松平康爵」は天保七年(1836年)、三月十二日に陸奥棚倉藩へ懲罰的な転封となりました。 -
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津山藩/松平家10万石:松平慶倫 幕末時は尊皇攘夷派を排斥したが無事に戊辰戦争を乗り切った津山藩
津山藩(松平家10万石、松平慶倫)。幕末時は尊皇攘夷派を排斥したが無事に戊辰戦争を乗り切った津山藩。慶長八年(1603年)、信濃川中島藩より「森可成」の末子「森忠政」が美作一国十八万六千五百石で入封し、津山藩が立藩しました。 -
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鹿野藩/池田家1万石:池田政直 播磨国福本へ移封のため廃藩
鹿野藩(池田家1万石、池田政直)。播磨国福本へ移封のため廃藩。天正十年(1582年)、尼子氏の遺臣「亀井茲矩」が「豊臣秀吉」に一万三千五百石を与えられ鹿野城主となりこの地を治めました。 -
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清末藩(長府藩支藩)/毛利家1万石:毛利元純 石州口指揮官として大村益次郎と共に幕府軍を撃破した清末藩
清末藩(長府藩支藩)(毛利家1万石、毛利元純)。石州口指揮官として大村益次郎と共に幕府軍を撃破した清末藩。長府藩初代藩主「毛利秀元(毛利元就の孫)」の三男「毛利元知」です。長府藩と領地が入り混じっているが石高は一万石でした。 -
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長府藩(長州藩支藩)/毛利家5万石:毛利元敏 下関戦争や戊辰戦争を本藩と共に戦った長府藩
長府藩(長州藩支藩)(毛利家5万石、毛利元敏)。下関戦争や戊辰戦争を本藩と共に戦った長府藩。「関ヶ原の戦い」の後に「毛利輝元」が百十二万石から周防・長門の2か国二十九万八千石に減封された際に、輝元は東の守りとして岩国に「吉川広家」を置… -
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徳山藩(下松藩、長州藩支藩)/毛利家4万石:毛利元蕃 鳥羽・伏見の戦いから奥羽戦争 函館戦争にも参戦した徳山藩
徳山藩(下松藩、長州藩支藩)(毛利家4万石、毛利元蕃)。鳥羽・伏見の戦いから奥羽戦争 函館戦争にも参戦した徳山藩。慶安三年(1650年)六月、もともと下松に藩政庁があったが、藩主「毛利就隆」が交通の要路である徳山に藩庁を移しました。 -
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広島新田藩(広島藩支藩)/浅野家3万石:浅野長厚 戊辰戦争では広島藩宗家と行動をともにした広島新田藩
広島新田藩(広島藩支藩)(浅野家3万石、浅野長厚)。戊辰戦争では広島藩宗家と行動をともにした広島新田藩。広島新田藩は、享保十五年(1730年)より広島藩の蔵米三万石を与えられ広島藩4代藩主「綱長」の三男「長賢」により立藩されました。 -
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三次藩(広島藩支藩)/浅野家5万石:浅野長寔 幼年で没したため継嗣断絶し廃藩
三次藩(広島藩支藩)(浅野家5万石、浅野長寔)。幼年で没したため継嗣断絶し廃藩。三次藩は、江戸時代中期まで備後北部を領有した藩です。藩庁として三次に「三次城」が置かれ、知行高は五万石。 -
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西江原藩/森家2万石:森長直 赤穂藩へ移封のため廃藩
西江原藩(森家2万石、森長直)。赤穂藩へ移封のため廃藩。西江原藩は江戸中期の10年間存在した藩です。元禄十年(1697年)、森成利(蘭丸)の弟「忠政」を藩祖に持つ美作国津山藩の断絶にともない、津山藩2代藩主だった隠居中の「長継」が二万…
