平岡円四郎暗殺とは—一橋慶喜の右腕はなぜ水戸藩士に斬られたのか。渋沢栄一を見いだした男の最期

京都・千本通の夜、平岡円四郎を襲う水戸藩士

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元治元年(1864)6月16日の夜、京都で一橋慶喜の側近・平岡円四郎が斬られました。斬ったのは、慶喜の出身藩である水戸藩の攘夷派の藩士たちでした。

平岡は、のちに「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一を一橋家に招き入れた人物としても知られます。主君・慶喜の右腕が、なぜ「身内」ともいえる水戸の者に狙われたのか。事件の流れと背景をたどります。

目次

平岡円四郎暗殺とは—先に答え

いつ 元治元年(1864)6月16日の夜
どこで 京都・千本の一橋家の組屋敷の近く
誰が 水戸藩士の江幡貞七郎(広光)・林忠五郎ら
誰を 一橋家の用人(側用人)・平岡円四郎(数え43歳)。慶喜のいちばんの側近
なぜ 攘夷を掲げる水戸藩出身の慶喜が攘夷に動かないのは、そばにいる平岡が悪い考えを吹き込んでいるからだ、と見られたため
その後 わずか1か月後に禁門の変。慶喜は京都を守る側の指揮をとった

平岡円四郎とはどんな人物か

平岡円四郎は文政5年(1822)、江戸の旗本・岡本家(漢詩人として知られる岡本花亭の家)に生まれ、旗本の平岡家に養子に入りました。才気を幕臣の川路聖謨や水戸藩の藤田東湖に見込まれ、一橋家の当主になった慶喜の小姓として推されます。

慶喜が将軍のあとつぎ候補になった将軍継嗣問題のころ、平岡は慶喜を支えて動きましたが、大老・井伊直弼が権力を握ると、一橋派への処分の中で左遷されました(桜田門外の変)。井伊が倒れ、慶喜が将軍後見職として表に返り咲くと、平岡も一橋家の用人として呼び戻され、京都で慶喜の政治を支えます。

渋沢栄一を一橋家に招いた

平岡の名を今に伝えているのが、渋沢栄一との出会いです。武蔵国の豪農の子だった渋沢は、文久3年(1863)、いとこの渋沢成一郎(喜作)らと高崎城乗っ取りを企てるほどの攘夷派の志士でした。計画が行き詰まり、身の置き場に困っていた渋沢たちを、平岡は一橋家の家臣として召し抱えます。

これが渋沢の運命を変えました。一橋家に仕えた渋沢は財政の手腕を見せ、のちに慶喜の弟・徳川昭武のパリ万博使節団に加わって、近代の経済のしくみを学ぶことになります(小栗忠順は渋沢栄一に何を教えたのか)。渋沢はのちに、平岡の最期について悔やむ思いを書き残しています。

何が起きたのか—京都・千本での襲撃

京都・千本通の夜、平岡円四郎を襲う水戸藩士
イメージイラスト

元治元年6月16日の夜、平岡は京都の千本にあった一橋家の組屋敷の近くで、水戸藩士の江幡貞七郎・林忠五郎らに襲われ、斬られました。護衛についていた一橋家の家臣たちが応戦し、襲った側も命を落としたと伝えられます。

なぜ平岡は斬られたのか

このころ水戸藩では、攘夷を急ぐ激派が筑波山で挙兵し(天狗党の乱)、藩の中は二つに割れていました(天狗党の乱とは何だったのか)。尊王攘夷の本家ともいえる水戸の出身でありながら、慶喜は横浜の鎖港などで現実的な道を探り、すぐに攘夷の戦いを始めようとはしませんでした。

激派から見れば、それは「手ぬるい」態度でした。そしてその責任は、慶喜のそばで進言している平岡にある、と考えられたのです。主君を直接責めることができない代わりに、側近が「君側の奸」として狙われる。これは幕末の暗殺によく見られる形でした。

事件のその後

平岡の死から1か月もたたない7月19日、長州藩が京都に攻め入り、禁門の変が起こります。慶喜は御所を守る側の総指揮をとり、長州勢を退けました。一方、水戸の天狗党はその後、慶喜を頼って京都を目指して西へ進みますが、慶喜は彼らを討つ側に回り、天狗党は越前で降伏して多くが処刑されました。

慶喜の側近としては、このあと同じ水戸出身の原市之進が平岡の役割を引き継ぎます。その原もまた、慶応3年に暗殺されることになります(原市之進暗殺とは)。

暗殺場所と平岡円四郎ゆかりの地

遭難の地(京都市上京区・千本通付近)

一橋家の組屋敷があった千本通の一帯とされます。二条城の北西にあたる地域で、正確な場所を示す碑は確認できていません。

一橋邸跡(東京都千代田区)

平岡が仕えた一橋家の江戸屋敷の跡です。大手町の一角に説明板があります(一橋邸跡)。

二条城(京都市中京区)

慶喜が将軍として大政奉還を表明した城です。平岡が支えた慶喜の京都での政治の舞台でした(二条城)。

▶ この事件を起こした側の人物

✎ 筆者のひとこと

平岡がいなければ、渋沢栄一が一橋家に仕えることはなく、日本の近代の経済も違った道をたどったかもしれません。1人の暗殺が、のちの歴史に思わぬ影響を与えた例だと感じます。

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参考資料

  • コトバンク「平岡円四郎」
  • 和樂web「平岡円四郎」関連記事
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