幕末・明治の暗殺事件 特集:桜田門外の変から伊藤博文暗殺まで、19の事件を年表とともにまとめています。▶ 暗殺事件の特集を見る

安重根(あん じゅうこん/アン・ジュングン)は、明治42年(1909年)10月26日、中国東北部のハルビン駅で、初代韓国統監を務めた伊藤博文を拳銃で撃った朝鮮の独立運動家です。伊藤はまもなく亡くなりました。
安重根は韓国では独立のために戦った「義士」とされ、日本では元老を殺害した人物として裁かれました。評価が大きく分かれる人物だからこそ、事実を順にたどります。家と身分、事件までの歩み、立場の変化、逸話、事件、最期、ゆかりの地の順にまとめます。
安重根とは—先に答え
| 家・身分 | 朝鮮・黄海道海州の両班(支配層)の家。祖父は県監、父は科挙の進士 |
|---|---|
| 生没 | 1879年9月2日〜1910年3月26日。満30歳 |
| 名前 | 字は応七。カトリックの洗礼名はトマス(多黙) |
| 事件までの歩み | 学校を開く愛国啓蒙運動から、日本の支配に抵抗する義兵闘争へ。1909年に同志と断指同盟を結ぶ |
| 事件 | 1909年10月26日、ハルビン駅で伊藤博文を撃ち、その場で捕らえられる |
| 最期 | 旅順の関東都督府地方法院で死刑判決。1910年3月26日、旅順監獄で処刑 |
| 遺骨 | 旅順の監獄墓地に埋葬されたが、場所は分からなくなっている |
黄海道の両班の家に生まれる
安重根は1879年、朝鮮の黄海道海州で、両班(朝鮮王朝の支配層)の家に生まれました。祖父の安仁寿は地方官の県監を務め、父の安泰勲は科挙の進士に合格した人です。重根は学問より武芸、とくに射撃を得意としたといわれます。16歳で結婚し、同じ年、甲午農民戦争の際に父が組織した自警の兵に加わりました。のちにカトリックの洗礼を受け、トマスという洗礼名を持っています。
事件までの歩み—学校づくりから義兵へ
愛国啓蒙運動
日露戦争のあと、日本は大韓帝国の外交権を奪って保護国とし、1905年に統監府を置きました。初代統監が伊藤博文です。安重根は1906年、私財を投じて三興学校・敦義学校を開き、教育によって国の力をつけようとしました。1907年には、日本からの借款を国民の募金で返そうとする国債報償運動にも加わっています。
義兵闘争
1907年、韓国軍が解散させられると各地で義兵が立ち上がり、安重根も国外のロシア領沿海州に渡って義兵運動に参加しました。1908年6月には咸鏡北道で日本軍と戦いましたが、敗れています。
断指同盟
1909年の初め、安重根は同志とともに「断指同盟」を結びました。左手の薬指の先を切って誓いを立てたとされ、のちに獄中で書いた書には、薬指の短い左手の手形が押されています。
立場の変化—啓蒙運動家から武装闘争へ
安重根は、はじめは学校を開いて人を育てる道を選びました。それが義兵による武装闘争に変わり、義兵の戦いに敗れたあと、要人を直接討つという行動に至ります。義兵の中では「大韓義軍参謀中将」と名乗りました。
逸話
獄中で書いた書
旅順の監獄で、安重根は看守や役人に頼まれて多くの書を残しました。看守だった八木氏が持ち帰った書は、2004年に孫から韓国に寄贈されています。
看守・千葉十七との交流
宮城県出身の憲兵で、監獄で看守を務めた千葉十七は、はじめ安重根を憎んでいましたが、接するうちに敬意を抱くようになったといわれます。安重根は処刑の前に「為国献身軍人本分」(国のために身を捧げるのは軍人の本分)と書いて千葉に贈りました。この書は千葉家で大切にされ、1979年に遺族が韓国に返しています。
関わった事件—伊藤博文暗殺(1909年10月26日)
統監を退いた伊藤博文は、ロシアの蔵相ココフツォフと会談するため、満州のハルビンを訪れました。10月26日の朝、ハルビン駅に着いた伊藤が列車を降りて閲兵していたとき、出迎えの人びとにまぎれていた安重根が拳銃を撃ちます。伊藤は数発の弾を受け、約30分後に亡くなりました。安重根はその場でロシアの兵に捕らえられ、日本側に引き渡されました。
取り調べで安重根は、伊藤が韓国の主権を奪い東洋の平和を乱したとして、伊藤の罪を15か条にわたって挙げています。なお、随員の室田義文が後年、別の狙撃者がいたのではないかと語るなど異説もありますが、裁判で認められた事実とは別の話です。事件の経緯は伊藤博文暗殺とはをどうぞ。
最期—旅順で処刑
事件は日本の関東都督府地方法院(旅順)で裁かれ、1910年2月14日、安重根に死刑の判決が下りました。安重根は控訴せず、刑が確定します。獄中では自伝『安応七歴史』を書き上げ、続けて『東洋平和論』に取りかかりました。旅順を日本・清・韓国が共同で管理する中立の地とし、3国で平和会議や共同の銀行・通貨をつくるという構想でしたが、完成させるための処刑の延期は認められず、序論と前半の一部で未完に終わりました。
1910年3月26日、安重根は旅順監獄で処刑されました。遺体は監獄の墓地に埋められましたが、その場所は分からなくなっており、韓国政府が行った発掘でも見つかっていません。
分かれる評価
韓国では、安重根は独立運動の「義士」として敬われ、ソウルには記念館が建てられています。日本では、元老を殺害して死刑判決を受けた人物とされ、評価は大きく分かれています。
安重根ゆかりの地
大林寺(宮城県栗原市)
栗原市若柳大林町裏219。看守・千葉十七夫妻の墓がある曹洞宗の寺で、安重根の書を刻んだ碑が建てられています。毎年、追悼の行事も行われているとされます。JR石越駅からバスがありますが本数が少ないので、事前に確かめてください。
安重根義士記念館(韓国・ソウル)
ソウルの南山にある記念館です。千葉家から返された書もここに収められているとされます。
ハルビン駅(中国)
事件の現場で、駅には記念館が設けられています。
幕末・明治の暗殺事件を読む
- 桜田門外の変(1860)—大老・井伊直弼
- 坂下門外の変(1862)—老中・安藤信正
- 吉田東洋暗殺(1862)—土佐藩の参政
- 本間精一郎暗殺(1862)—木屋町の天誅
- 目明し文吉の殺害(1862)—三条河原
- 清河八郎暗殺(1863)—麻布一ノ橋
- 姉小路公知暗殺・朔平門外の変(1863)
- 芹沢鴨暗殺(1863)—壬生・八木邸
- 平岡円四郎暗殺(1864)—一橋慶喜の側近
- 佐久間象山暗殺(1864)—三条木屋町
- 原市之進暗殺(1867)—将軍慶喜の側近
- 赤松小三郎暗殺(1867)—東洞院通
- 坂本龍馬暗殺・近江屋事件(1867)
- 油小路事件(1867)—伊東甲子太郎
- 横井小楠暗殺(1869)—寺町丸太町
- 大村益次郎暗殺(1869)—兵部大輔の死
- 大久保利通暗殺・紀尾井坂の変(1878)
- 森有礼暗殺(1889)—憲法発布の朝
- 伊藤博文暗殺(1909)—ハルビン駅
▶ 暗殺した側の人物をもっと読む
- 有村次左衛門—桜田門外の変でただ一人の薩摩藩士
- 関鉄之介—桜田門外の変の現場の指揮役
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参考資料
- Wikipedia「安重根」
- 立命館大学アジア・日本研究所「安重根の思想的転回」
- Wikipedia「伊藤博文」
- 参議院 質問主意書 第189回国会 第163号(2015年)
- 斎藤泰彦『わが心の安重根 千葉十七・合掌の生涯』(五月書房)
- 中野泰雄『安重根 日韓関係の原像』(亜紀書房)


