幕末・明治の暗殺事件 特集:桜田門外の変から伊藤博文暗殺まで、19の事件を年表とともにまとめています。▶ 暗殺事件の特集を見る
神代直人(こうじろ なおと)は、明治2年(1869年)9月4日、京都の三条木屋町の旅宿で、新政府の兵部大輔・大村益次郎を襲った刺客たちの中心人物です。大村と同じ長州の出身でした。
西洋式の軍制改革を急ぐ大村を、攘夷の立場から許せなかった若者です。資料は多くありませんが、分かっていることを、藩と身分、幕末の歩み、立場、逸話、事件、最期、ゆかりの地の順にまとめます。確かな肖像は伝わっていません。
神代直人とは—先に答え
| 藩・身分 | 長州(萩)藩士。父・神代一平は萩藩の「無給通中船頭」で32石余りの下級武士。その嫡男 |
|---|---|
| 生没 | 生年は天保13年(1842年)説、弘化4年(1847年)説などがある。明治2年(1869年)没。享年28または22 |
| 学び | 大楽源太郎の西山塾(周防・台道、現在の山口県防府市)で学び、熱心な攘夷論者に |
| 幕末に何をした | 高杉晋作の暗殺を企てたが果たせず。慶応元年、長州の諸隊の一つ御楯隊に名があり、のちに脱走 |
| 事件 | 明治2年9月4日、京都・三条木屋町の旅宿で大村益次郎を襲撃(刺客は8人) |
| 最期 | 豊後の姫島に潜んだのち周防に戻り、小郡で捕らえられて処刑。「割腹しかけていたため斬首」が通説だが、自決していなかったとする研究も |
長州の下級武士の家に生まれる
神代直人は、長州藩(萩藩)の「無給通中船頭」で32石余りの禄だった神代一平の嫡男として生まれました。下級の武士の家です。生まれた年は、天保13年(1842年)とする辞典と、弘化4年(1847年)とする資料があり、はっきりしません。
直人は、周防の台道(現在の山口県防府市)で大楽源太郎が開いていた西山塾(敬神堂)に学びました。大楽は攘夷を強く唱えた人物で、その門から直人のような過激な攘夷論者が育っていきます。
幕末に何をしたのか—高杉晋作を狙う
直人は初め、同じ長州の高杉晋作の暗殺を企てたと伝わります。しかし高杉に避けられて果たせませんでした。伊藤博文の暗殺も企てたという話もあります。
慶応元年(1865年)1月、奇兵隊などと並ぶ長州の諸隊の一つ・御楯隊の名簿に、直人の名が「相図方」として載っています。のちに直人はこの隊を脱走しました。
立場—役職につかなかった攘夷派
藩の役職に就いたり、取り立てられたりした記録は見つかっていません。資料で確かめられる役目は、御楯隊の「相図方」だけです。直人は出世の道を歩んだ人ではなく、師の大楽源太郎のもとに集まった攘夷派の若者の一人として、明治の新しい政府に背を向けていきました。
逸話
海江田信義との縁
薩摩の海江田信義と親しかったといわれます。事件のあと、刺客たちの処刑が一時止められたのは、京都の弾正台(役人を取り締まる役所)にいた海江田が「国のために大村を討ったのだから」と執行を止めたためでした。木戸孝允は海江田が裏で糸を引いていたのではないかと疑っています。
高杉晋作を追いかけた男
高杉晋作を執拗に追い回したという話も伝わりますが、くわしいことは分かっていません。
関わった事件—大村益次郎の襲撃(明治2年9月4日)

大村益次郎は、戊辰戦争で新政府軍を勝利に導き、国民皆兵の軍制づくりを進めていた兵部大輔です。武士の特権をなくしていくその改革は、攘夷の考えを捨てない士族たちの強い反発を招きました。
9月4日の夕方、大村は京都・三条木屋町の旅宿で来客と話していました。そこへ8人の刺客が押し入ります。長州の神代直人・団伸二郎・大田光太郎、白河藩の伊藤源助、越後の五十嵐伊織、秋田(久保田藩)の陪臣・金輪五郎、信州の関島金一郎、三河の宮和田進でした。同席していた静間彦太郎と安達幸之助は殺され、大村も額や腕、脚に深い傷を負います。刺客が持っていた斬奸状からは、急ぎすぎる兵制改革への強い反発が読み取れます。
大村は大阪の病院に移って脚を切断しましたが、11月5日に亡くなりました。くわしい経緯は大村益次郎暗殺とは、大村の人物像は大鳥圭介と大村益次郎をどうぞ。
最期—二つの説
襲撃のあと、直人は豊後の姫島に潜みました。しかし師の大楽源太郎に疑いがかかったと知って周防に戻り、郷里に近い小郡で捕らえられます。
その最期には二つの説があります。山口藩が明治政府に出した報告では、捕らえたときにはすでに割腹しかけていて助かる見込みがなかったため、その場で斬首した、とされています。これが通説です。一方、山口県文書館の伊藤一晴氏の研究によると、直人は10月上旬に捕らえられて山口の牢に入れられ、20日に斬首が決まったとされ、「割腹」は斬首したことにするための筋書きで、本人は自決していなかったと考えられています。京都に引き渡さず山口で処分したのは、藩内の攘夷派に配慮したためとみられます。
ほかの刺客たちは、海江田信義による一時の執行停止を経て、12月に京都の粟田口で処刑されました。師の大楽源太郎も黒幕と疑われ、のちに明治4年に久留米で斬られています。直人の辞世や墓所は伝わっていません。
神代直人ゆかりの地
佐久間象山・大村益次郎遭難之碑(京都市中京区)
京都市中京区一之船入町、高瀬川沿い。大村が襲われた場所の近くに碑が立っています。地下鉄京都市役所前駅から歩いて3分ほどです(【現地取材】佐久間象山・大村益次郎 遭難の地)。
大村益次郎殉難碑(大阪市中央区法円坂)
大村が亡くなった大阪の病院の跡に碑が立っています(国立病院機構大阪医療センターの南東の角)。
西山塾の跡(山口県防府市台道)
直人が学んだ大楽源太郎の塾があった土地です。史跡として整っているかは確認できていません。
直人が捕らえられた小郡や、墓所については、確かな場所が分かっていません。
幕末・明治の暗殺事件を読む
- 桜田門外の変(1860)—大老・井伊直弼
- 坂下門外の変(1862)—老中・安藤信正
- 吉田東洋暗殺(1862)—土佐藩の参政
- 本間精一郎暗殺(1862)—木屋町の天誅
- 目明し文吉の殺害(1862)—三条河原
- 清河八郎暗殺(1863)—麻布一ノ橋
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- 芹沢鴨暗殺(1863)—壬生・八木邸
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- 佐久間象山暗殺(1864)—三条木屋町
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- 赤松小三郎暗殺(1867)—東洞院通
- 坂本龍馬暗殺・近江屋事件(1867)
- 油小路事件(1867)—伊東甲子太郎
- 横井小楠暗殺(1869)—寺町丸太町
- 大村益次郎暗殺(1869)—兵部大輔の死
- 大久保利通暗殺・紀尾井坂の変(1878)
- 森有礼暗殺(1889)—憲法発布の朝
- 伊藤博文暗殺(1909)—ハルビン駅
▶ 暗殺した側の人物をもっと読む
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参考資料
- Wikipedia「神代直人」(出典:伊藤一晴「神代直人の捕縛:大村益次郎襲撃犯に対する山口藩の対応」『山口県文書館研究紀要』43号)
- コトバンク「神代直人」(日本人名大辞典)
- Wikipedia「大村益次郎」
- Wikipedia「大楽源太郎」
- 大阪市「大村益次郎殉難碑」

