幕末・明治の暗殺事件 特集:桜田門外の変から伊藤博文暗殺まで、19の事件を年表とともにまとめています。▶ 暗殺事件の特集を見る
関鉄之介(せき てつのすけ)は、安政7年(1860年)3月3日の桜田門外の変で、襲撃の現場を指揮した水戸藩士です。自らは斬り込まず、全体を見渡す役として、大老・井伊直弼を討つ計画を最後まで動かしました。
事件のあと、鉄之介は1年半にわたって各地を逃げ続け、越後の温泉地で捕らえられて斬首されます。吉村昭の小説『桜田門外ノ変』の主人公としても知られる人です。藩と身分、幕末の歩み、抜擢の経緯、逸話、事件、最期、ゆかりの地の順にたどります。なお、確かな肖像は伝わっていません。
関鉄之介とは—先に答え
| 藩・身分 | 水戸藩士。父は関新兵衛昌克。水戸の城下(現在の水戸市栄町のあたり)の生まれ |
|---|---|
| 生没 | 文政7年(1824年)10月17日〜文久2年(1862年)5月11日。享年39 |
| 名前 | 諱は遠、号は士任など。変名は三好貫太郎 |
| 幕末に何をした | 藩校弘道館で学び、北郡奉行所の与力から郡奉行・高橋多一郎に抜擢される。諸藩に井伊打倒を説いて回る |
| 抜擢の経緯 | 北郡務方として大子の郷校建設や農兵づくりを進め、改革派の中心の一人に |
| 事件 | 桜田門外の変で現場指揮。全体の統率は金子孫二郎 |
| 最期 | 約1年半の逃避行ののち越後の湯沢温泉で捕らえられ、文久2年5月11日、江戸・小伝馬町の牢で斬首 |
| 墓所 | 常磐共有墓地(水戸市)、小塚原回向院(東京都荒川区) |
水戸藩士の家に生まれ、弘道館で学ぶ
関鉄之介は文政7年(1824年)、水戸藩士・関新兵衛昌克の子として、水戸城下の馬喰町片町(現在の水戸市栄町2丁目のあたり)に生まれました。藩校の弘道館で学び、徳川斉昭のもとで育った水戸学の尊王攘夷の考えに強く影響を受けます。
幕末に何をしたのか—農兵づくりと諸藩への遊説
北郡奉行所の与力から
安政2年(1855年)、北郡奉行所の与力となりました。翌安政3年、郡奉行の高橋多一郎に認められ、北郡務方に抜擢されます。鉄之介は奥久慈の大子で郷校(農村の学校)の建設と農兵の組織づくりを進め、藩内の改革派の輪を広げました。
井伊打倒を説いて回る
安政5年(1858年)、大老・井伊直弼が勅許を得ないまま条約を結び、斉昭らを処罰すると、水戸藩の改革派は激しく反発します。同年10月、鉄之介は高橋の指示で、越前藩・鳥取藩・長州藩などを回り、井伊打倒の決起を促しました。しかし安政の大獄の締めつけのなかで、諸藩は動きませんでした。
抜擢された経緯—高橋多一郎の右腕へ
鉄之介を引き立てたのは、郡奉行の高橋多一郎でした。奉行所の与力という下役から北郡務方に抜擢され、農村の改革と農兵づくりという実務を任されたことで、鉄之介は改革派の中でも行動力のある中心人物と見られるようになります。諸藩への遊説を任されたのも、その信頼があったからです。
井伊の暗殺計画では、金子孫二郎・高橋多一郎らとともに中心に立ち、当日は金子が全体を統率し、鉄之介が現場を指揮するという分担が決まりました。
逸話
最後の宴
襲撃の前日、3月2日の夕方、品川宿の相模屋で別れの宴が開かれました。襲撃に加わる18人がそろったのは、このときが最初で最後だったといわれます。
滝本いの
鉄之介には、吉原の芸者だった滝本いのという愛妾がいました。いのの京橋の家は江戸での鉄之介の隠れ家となり、志士たちの密会にも使われました。いのは事件のあと捕らえられて拷問を受けましたが、何も語らないまま牢で亡くなったと伝わります。
小説『桜田門外ノ変』
吉村昭の小説『桜田門外ノ変』は、鉄之介を主人公にして事件と逃避行を描き、平成22年(2010年)には映画にもなりました(いずれも創作を含みます)。
関わった事件—桜田門外の変(安政7年3月3日)

当日の朝、志士たちは愛宕神社に集まり、季節外れの雪の中を桜田門外へ向かいました。井伊の行列が近づくと、森五六郎が訴え出るふりをして行列の先頭に近づき、合図のピストルが撃たれて襲撃が始まります。鉄之介は斬り込みには加わらず、現場の指揮にあたりました。井伊は駕籠から引き出されて討たれ、首は薩摩藩士の有村次左衛門が挙げました。事件の経緯は桜田門外の変とはをどうぞ。
1年半の逃避行
3月5日に江戸を出た鉄之介は、中山道を通って大坂に入りましたが、そこで同志の高橋多一郎らの死と、薩摩藩の挙兵が実現しないことを知ります。その後は西国を転々とし、文久元年(1861年)7月には奥久慈の袋田(現在の茨城県大子町)に入って、桜岡家にかくまわれました(入った年を万延元年とする資料もあります)。かつて郷校づくりを進めた土地の人びとが、鉄之介を支えたのです。
最期—越後で捕らえられ、小伝馬町で斬首
文久元年10月、鉄之介は越後の湯沢温泉(現在の新潟県岩船郡関川村)で捕らえられました(捕らえられた場所を雲母温泉とする辞典もあります)。水戸で牢に入れられたのち江戸へ送られ、文久2年(1862年)5月11日、日本橋小伝馬町の牢で斬首されました。39歳でした。明治24年(1891年)、従四位を贈られています。
関鉄之介ゆかりの地
常磐共有墓地(茨城県水戸市)
水戸市松本町13-34。徳川光圀が藩士のためにつくった墓地で、関鉄之介ら桜田門外の変の志士の墓があります(【現地取材】水戸・常磐共有墓地を歩く)。水戸駅北口からバスで「末広町3丁目」下車です。
小塚原回向院(東京都荒川区)
荒川区南千住5-33-13、JR南千住駅から歩いて数分。鉄之介の墓があり、滝本いのの墓と碑もあります。
湯沢温泉の碑(新潟県関川村)
鉄之介が捕らえられた湯沢温泉の温泉街に、関鉄之介にちなむ碑が立っています。
袋田と大子(茨城県大子町)
鉄之介が郷校づくりと農兵の組織に力を注ぎ、逃避行の途中でかくまわれた奥久慈の地です。
桜田門と愛宕神社(東京都)
襲撃の現場と、当日の朝の集合場所です。
幕末・明治の暗殺事件を読む
- 桜田門外の変(1860)—大老・井伊直弼
- 坂下門外の変(1862)—老中・安藤信正
- 吉田東洋暗殺(1862)—土佐藩の参政
- 本間精一郎暗殺(1862)—木屋町の天誅
- 目明し文吉の殺害(1862)—三条河原
- 清河八郎暗殺(1863)—麻布一ノ橋
- 姉小路公知暗殺・朔平門外の変(1863)
- 芹沢鴨暗殺(1863)—壬生・八木邸
- 平岡円四郎暗殺(1864)—一橋慶喜の側近
- 佐久間象山暗殺(1864)—三条木屋町
- 原市之進暗殺(1867)—将軍慶喜の側近
- 赤松小三郎暗殺(1867)—東洞院通
- 坂本龍馬暗殺・近江屋事件(1867)
- 油小路事件(1867)—伊東甲子太郎
- 横井小楠暗殺(1869)—寺町丸太町
- 大村益次郎暗殺(1869)—兵部大輔の死
- 大久保利通暗殺・紀尾井坂の変(1878)
- 森有礼暗殺(1889)—憲法発布の朝
- 伊藤博文暗殺(1909)—ハルビン駅
▶ 暗殺した側の人物をもっと読む
- 有村次左衛門—桜田門外の変でただ一人の薩摩藩士
- 高橋多一郎—水戸藩の奥右筆頭取。桜田門外の変を計画し、大坂で自刃
- 金子孫二郎—水戸藩の郡奉行。桜田門外の変を江戸で総指揮した
- 平山兵介—坂下門外の変で老中・安藤信正を襲った水戸の浪士
- 河本杜太郎・河野顕三—越後と下野の医師の子。坂下門外の変で闘死
- 大橋訥庵—江戸の儒者。坂下門外の変を計画し、事件直前に捕らえられた
- 那須信吾—土佐勤王党。吉田東洋を斬った
- 大石団蔵(高見弥市)—吉田東洋を斬り、のち薩摩藩士として英国へ留学
- 安岡嘉助—吉田東洋を斬り、天誅組に加わって処刑された郷士
- 岡田以蔵—土佐の郷士。「天誅の名人」と恐れられた
- 田中新兵衛—町人から薩摩藩士になった「人斬り新兵衛」
- 佐々木只三郎—見廻組の与頭。清河八郎暗殺を指揮した
- 江幡広光・林忠五郎—一橋家付きの水戸藩士。平岡円四郎を斬った
- 河上彦斎—肥後の「人斬り彦斎」
- 依田雄太郎・鈴木豊次郎—将軍慶喜の側近・原市之進を斬った幕臣
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- 今井信郎—見廻組。近江屋事件への関与を明治に語った
- 渡辺篤—見廻組。晩年に「龍馬を斬った」と書き残した剣客
- 桂早之助—見廻組。龍馬を斬った一人とされる小太刀の名手
- 大石鍬次郎—新選組の監察。油小路で伊東甲子太郎の殺害に加わった
- 津下四郎左衛門—備前の若者。横井小楠を斬り、森鷗外が描いた
- 神代直人—長州の攘夷派。大村益次郎襲撃の首謀者
- 金輪五郎・団伸二郎—大村益次郎を襲った8人の刺客。秋田の草莽と長州の脱藩士
- 島田一郎—加賀藩の足軽の子。紀尾井坂の変の首謀者
- 長連豪—西郷を慕った加賀の士族。紀尾井坂の変の実行者
- 西野文太郎—憲法発布の朝に森有礼を刺した長州出身の青年
- 安重根—ハルビン駅で伊藤博文を撃った朝鮮の独立運動家
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- 幕末・明治の暗殺事件 特集(年表と全事件の一覧)
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- 桜田門外の変とは—大老・井伊直弼はなぜ雪の朝に討たれたのか。襲撃の一部始終と、幕府が受けた衝撃
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参考資料
- Wikipedia「関鉄之介」
- コトバンク「関鉄之介」(日本人名大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
- Wikipedia「桜田門外の変」
- Wikipedia「常磐共有墓地」
- 吉村昭『桜田門外ノ変』(新潮文庫)

