幕末・明治の暗殺事件 特集—桜田門外の変から龍馬暗殺、伊藤博文暗殺まで19の事件を年表で読む

幕末の京都・高瀬川の夜、暗殺の時代(イメージイラスト)

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幕末から明治にかけては、政治の中心にいた人びとが次々に刃や銃弾に倒れた「暗殺の時代」でした。幕末の京都だけで暗殺はおよそ40件、全国では120件以上にのぼったといわれます。

その嵐の始まりとなったのが、安政7年(1860)の桜田門外の変です。幕府の最高職である大老が、わずか十数人の浪士に討たれ、政治の流れが大きく変わった。この事件は、「暗殺によって、幕府の大老のような大きな権威でさえ取り除くことができる」ということを、多くの人に気づかせてしまいました。そこから、立場も考えも違う人びとが、次々に暗殺の標的になっていきます。

このページは、幕末歴史ガイドで取り上げている暗殺事件をまとめた特集です。年表で流れをつかみ、気になる事件の記事へ進んでください。

幕末の京都・高瀬川の夜、暗殺の時代
目次

年表—幕末・明治の主な暗殺事件

年月日 事件 狙われた人 襲った側 場所
安政7年(1860)3月3日 桜田門外の変 大老・井伊直弼 水戸浪士17人と薩摩藩士1人 江戸城桜田門外
文久2年(1862)1月15日 坂下門外の変 老中・安藤信正(負傷) 水戸浪士ら6人 江戸城坂下門外
文久2年(1862)4月8日 吉田東洋暗殺 土佐藩参政・吉田東洋 土佐勤王党の那須信吾ら3人 高知城下
文久2年(1862)閏8月20日 本間精一郎暗殺 越後の浪士・本間精一郎 岡田以蔵・田中新兵衛らとされる 京都・木屋町
文久2年(1862)閏8月29日 目明し文吉の殺害 目明し・文吉 岡田以蔵ら土佐勤王党 京都・三条河原
文久3年(1863)4月13日 清河八郎暗殺 浪士組の発案者・清河八郎 幕臣・佐々木只三郎ら 江戸・麻布一ノ橋
文久3年(1863)5月20日 朔平門外の変(猿ヶ辻の変) 公家・姉小路公知 不明(田中新兵衛が疑われる) 京都御所・猿ヶ辻
文久3年(1863)9月 芹沢鴨暗殺 壬生浪士組(のちの新選組)の局長・芹沢鴨 土方歳三・沖田総司ら近藤勇派 京都・壬生の八木邸
元治元年(1864)6月16日 平岡円四郎暗殺 一橋家用人・平岡円四郎 水戸藩士・江幡貞七郎、林忠五郎ら 京都・千本
元治元年(1864)7月11日 佐久間象山暗殺 松代藩士・佐久間象山 河上彦斎ら 京都・三条木屋町
慶応3年(1867)8月14日 原市之進暗殺 将軍慶喜の側近・原市之進 幕臣・鈴木豊次郎、依田雄太郎ら 京都の原の屋敷
慶応3年(1867)9月3日 赤松小三郎暗殺 上田藩の兵学者・赤松小三郎 薩摩藩士・中村半次郎、田代五郎左衛門 京都・東洞院通
慶応3年(1867)11月15日 近江屋事件(龍馬暗殺) 坂本龍馬・中岡慎太郎 京都見廻組とする説が有力 京都・近江屋
慶応3年(1867)11月18日 油小路事件 御陵衛士・伊東甲子太郎 新選組 京都・油小路
明治2年(1869)1月5日 横井小楠暗殺 新政府参与・横井小楠 十津川郷士・上田立夫ら6人 京都・寺町丸太町
明治2年(1869)9月4日 大村益次郎暗殺 兵部大輔・大村益次郎 神代直人ら 京都・三条木屋町
明治11年(1878)5月14日 紀尾井坂の変 内務卿・大久保利通 石川県士族・島田一郎ら6人 東京・紀尾井町清水谷
明治22年(1889)2月11日 森有礼暗殺 文部大臣・森有礼 旧長州藩士の子・西野文太郎 東京・永田町の文部大臣官邸
明治42年(1909)10月26日 伊藤博文暗殺 枢密院議長・伊藤博文 安重根 ハルビン駅

暗殺の時代は、どう移り変わったのか

1 幕府の中枢が狙われた(1860〜1862)

はじまりは、勅許を待たずに条約を結び、安政の大獄で反対派を処分した大老・井伊直弼への報復でした。桜田門外の変で幕府の権威は大きく傷つき、2年後には、和宮降嫁を進めた老中・安藤信正も坂下門外の変で襲われます。

2 「天誅」が吹き荒れた京都(1862〜1864)

尊王攘夷の運動が高まると、暗殺は藩の中や京都の町へ広がります。土佐では勤王党が参政・吉田東洋を斬りました。京都では、土佐の岡田以蔵や薩摩の田中新兵衛らが「天誅」と称して殺害を重ね、越後の浪士・本間精一郎や、安政の大獄で志士の捕縛に手を貸した目明し文吉が犠牲になります。御所のすぐそばでは公家の姉小路公知が斬られ、同じ年の9月には、壬生浪士組(のちの新選組)の局長・芹沢鴨が、近藤勇の一派に寝込みを襲われて殺されています。開国を説いた洋学者・佐久間象山も「西洋かぶれ」として討たれました。

暗殺は尊王攘夷派だけのものではありません。幕府もまた、浪士組を尊王攘夷の兵に変えようとした清河八郎を、ひそかに刺客を放って討っています。

攘夷派の刃は、幕府の中で現実的な道を探る人々にも向かいました。元治元年(1864)6月には、一橋慶喜の側近で渋沢栄一を一橋家に招いた平岡円四郎が、慶喜が攘夷に動かないのは側近のせいだと考えた水戸藩士に斬られています。

3 新しい国の形をめぐって(1867〜1869)

大政奉還を前にした慶応3年(1867)の夏から秋には、将軍慶喜の側近・原市之進が兵庫開港を恨む幕臣に、議会政治を説いた上田藩の兵学者・赤松小三郎が薩摩藩の中村半次郎に斬られました。そして大政奉還の直後、坂本龍馬と中岡慎太郎が近江屋で斬られ、その3日後には、新選組から分かれた伊東甲子太郎が油小路で新選組に討たれました。明治になっても、開国を説いた新政府の参与・横井小楠が京都の寺町で斬られ、武士の特権をなくす改革を進めた大村益次郎も、攘夷を捨てない士族に襲われます。

4 明治の大きな暗殺(1878〜1909)

士族の反乱が西南戦争で終わると、政府に不満を持つ士族は、政府の中心人物そのものを狙いました。内務卿・大久保利通が出勤途中に斬られた紀尾井坂の変です。憲法が発布された明治22年(1889)2月11日の朝には、初代文部大臣・森有礼が、旧長州藩の下級武士の子・西野文太郎に刺されました。そして明治の終わり、若いころに自らも暗殺に加わった伊藤博文が、ハルビン駅で韓国の独立運動家に撃たれました。

明治政府は「私に人を殺すこと」をどう禁じたのか

新しい政府にとって、暗殺や仇討ちのような「自分たちの判断で人を殺すこと」を終わらせるのは大きな課題でした。明治2年(1869)1月には、新政府の参与・横井小楠が京都で斬られ、同じ年に大村益次郎も襲われています。犯人に同情する声が政府の中にもあり、処罰が遅れることさえありました。

政府は明治6年(1873)2月、太政官布告で敵討ち(仇討ち)を禁じました(いわゆる敵討禁止令)。家族を殺された者も、自分で仇を討つのではなく、役所に訴え出て、国が法にもとづいて罰する、という考え方です。さらに明治13年(1880)の刑法で、人を殺すことへの罰が全国一律に定められました。「大義のためなら斬ってよい」という幕末の考え方を、法で裁く国の考え方へ置きかえていく歩みでした。

それでも、紀尾井坂の変や伊藤博文暗殺のように、暗殺そのものがなくなることはありませんでした。桜田門外の変が気づかせてしまった「暗殺で大きな権威を取り除くことができる」という考えは、その後も長く日本の政治に影を落とし続けます。

各事件の記事

暗殺した側の人物—刺客たちは何者だったのか

暗殺事件には、斬られた側だけでなく、斬った側の人生もあります。「人斬り」と恐れられた志士たちの多くは、身分の低い家に生まれ、時代の熱に押されて刀を抜き、やがて自分も刑場や戦場で命を落としました。事件の記事とあわせて、実行した側の人物の記事も読んでみてください。名の知られた4人を比べた幕末四大人斬りとはもあります。

人物 どんな人か 関わった事件
有村次左衛門 桜田門外の変でただ一人の薩摩藩士 桜田門外の変
関鉄之介 桜田門外の変の現場の指揮役 桜田門外の変
高橋多一郎 水戸藩の奥右筆頭取。計画の首謀者で、京坂で薩摩と動く役目 桜田門外の変
金子孫二郎 水戸藩の郡奉行。江戸での襲撃を計画し総指揮した 桜田門外の変
平山兵介 坂下門外の変で老中・安藤信正を襲った水戸の浪士 坂下門外の変
河本杜太郎・河野顕三 越後と下野の医師の子。河本の発砲が襲撃の合図に 坂下門外の変
大橋訥庵 江戸の儒者。計画の中心で、決行3日前に捕らえられた 坂下門外の変
那須信吾 土佐勤王党。吉田東洋を斬った 吉田東洋暗殺
大石団蔵(高見弥市) 吉田東洋を斬り、のち薩摩藩士として英国へ留学 吉田東洋暗殺
安岡嘉助 吉田東洋を斬り、天誅組に加わって処刑された郷士 吉田東洋暗殺
岡田以蔵 土佐の郷士。「天誅の名人」と恐れられた 本間精一郎暗殺、目明し文吉の殺害
田中新兵衛 町人から薩摩藩士になった「人斬り新兵衛」 本間精一郎暗殺、姉小路公知暗殺・朔平門外の変
土方歳三 新選組副長。芹沢鴨の襲撃を指揮したと伝わる 芹沢鴨暗殺
沖田総司 新選組。芹沢鴨の襲撃に加わったと伝わる 芹沢鴨暗殺
佐々木只三郎 見廻組の与頭。清河八郎暗殺を指揮した 清河八郎暗殺、坂本龍馬暗殺・近江屋事件
江幡広光・林忠五郎 一橋家付きの水戸藩士。平岡円四郎を斬った 平岡円四郎暗殺
河上彦斎 肥後の「人斬り彦斎」 佐久間象山暗殺
依田雄太郎・鈴木豊次郎 将軍慶喜の側近・原市之進を斬った幕臣 原市之進暗殺
中村半次郎(桐野利秋) 薩摩の「人斬り半次郎」。のちの陸軍少将 赤松小三郎暗殺
今井信郎 見廻組。近江屋事件への関与を明治に語った 坂本龍馬暗殺・近江屋事件
渡辺篤 見廻組。晩年に「龍馬を斬った」と書き残した剣客 坂本龍馬暗殺・近江屋事件
桂早之助 見廻組。龍馬を斬った一人とされる小太刀の名手 坂本龍馬暗殺・近江屋事件
大石鍬次郎 新選組の監察。油小路で伊東甲子太郎の殺害に加わった 油小路事件
津下四郎左衛門 備前の若者。横井小楠を斬り、森鷗外が描いた 横井小楠暗殺
神代直人 長州の攘夷派。大村益次郎襲撃の首謀者 大村益次郎暗殺
金輪五郎・団伸二郎 大村益次郎を襲った8人の刺客。秋田の草莽と長州の脱藩士 大村益次郎暗殺
島田一郎 加賀藩の足軽の子。紀尾井坂の変の首謀者 大久保利通暗殺・紀尾井坂の変
長連豪 西郷隆盛を慕った加賀の士族。島田一郎とともに実行 大久保利通暗殺・紀尾井坂の変
西野文太郎 憲法発布の朝に森有礼を刺した長州出身の青年 森有礼暗殺
安重根 ハルビン駅で伊藤博文を撃った朝鮮の独立運動家 伊藤博文暗殺

✎ 筆者のひとこと

19の事件を並べて見えてくるのは、狙われたのが「時代を変えようとした人」と「変化を止めようとした人」の両方だったことです。立場は違っても、みな刀で時代が動くと信じた時代の中にいました。

個人的には、清河八郎がもし斬られていなかったらどうなっていたのか、とても興味があります。ただ、藩の後ろ盾がない人物は、赤報隊の相楽総三のように、いずれ切り捨てられる運命だったのかもしれません。

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