2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
勝海舟は、貧しい旗本の家に生まれながら、剣術と蘭学で身を立て、大久保一翁(忠寛)に見出されて世に出ました。立身出世の物語としてよく知られています。
では、小栗上野介忠順はどうだったのでしょうか。どんな師について何を学び、どんな道筋で勘定奉行にまでのぼったのか。この記事では、小栗の修業時代と、役職の移り変わりを年表で追います。
小栗の役職は?—先に答え
| 最初の役 | 書院番(両番)。天保十四年(1843年)、十七歳で初登城 |
|---|---|
| 出世の階段 | 使番 → 目付(安政六年、井伊直弼の抜擢)→ 遣米使節の目付(万延元年) |
| 主な役職 | 外国奉行/勘定奉行(勝手方、数え方により四度)/江戸南町奉行/歩兵奉行/陸軍奉行並/軍艦奉行/海軍奉行並 |
| 最後の役職 | 勘定奉行に海軍奉行並・陸軍奉行並を兼ね、財政と陸海軍をまとめて担当。慶応四年正月十五日に罷免 |
| 官位 | 従五位下・豊後守(安政六年)→ 上野介(文久三年)。「小栗上野介」の名はここから |
下の「帰国後の役職年表」で、就任と辞任の日付を一つずつ確かめられます。
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八歳で漢学、先生は屋敷の中にいました
小栗は文政十年(1827年)、江戸・神田駿河台の小栗家の屋敷で生まれました。幼名は剛太郎。子どものころは意地っ張りで、まわりから「頑童」と呼ばれたと伝わります。
八歳から学んだのが、儒学者・安積艮斎の私塾「見山楼」です。この塾は、ほかならぬ小栗家の屋敷の中にありました。小栗は自分の家の敷地で、当代一流の儒学者に学ぶことができたわけです。ここで知りあったのが、のちにフランス通の幕臣として小栗を支える栗本鋤雲でした。
剣術は直心影流の免許皆伝—勝と同じ師の門をくぐっています
武術は、剣術を島田虎之助に学び、のちに藤川整斎について直心影流の免許皆伝を許されたとされます。
島田虎之助は、勝海舟の剣の師でもあります。勝は島田のもとで修業し、天保十四年(1843年)ごろ、二十一歳前後で直心影流の免許皆伝を得ました。のちに正反対の道を歩む二人が、若いころ同じ剣客の門をくぐっていたことになります。
このほか、砲術を田付主計に、柔術と山鹿流の兵学を十九歳から四年間、窪田助太郎清音に学びました。漢学、剣術、柔術、砲術、兵学と、上級旗本の跡取りとして、ひととおりの文武を身につけています。
十七歳で初登城し、番方から出世の道に入ります
小栗が初めて江戸城に登ったのは、天保十四年(1843年)、十七歳のときです。文武の才を認められ、若くして両番(書院番・小姓組番)の一つに入りました。弘化四年(1847年)には西の丸の書院番に登用されています。
両番は、将軍の警護にあたる番方の中でも格の高い役で、家柄のよい旗本の子が最初に入るところでした。ここから使番、目付、そして奉行へと進むのが、上級旗本の出世の道筋です。小栗は、この道をほぼそのとおりに進んでいきます。
嘉永六年(1853年)、ペリーが来航した年には進物番に移り、十三代将軍・徳川家定の近くに仕えました。安政二年(1855年)、父の小栗忠高が新潟奉行在任中に亡くなり、二十九歳で家督を継いで「又一」を名乗ります。
使番から目付へ—井伊直弼の抜擢

安政四年(1857年)、小栗は使番となりました。そして安政六年(1859年)九月十二日、目付に進みます。翌日には、日米修好通商条約の批准書を交換する遣米使節に加わるよう命じられました。
このとき小栗を抜擢したのは、大老・井伊直弼だと言われています。使節の目付は、表向きは一行の監察役ですが、小栗には金銀の交換比率をアメリカと話しあうという役目もありました。井伊は、小栗の経済の知識に目をつけたとされます。同じ年の十一月、小栗は従五位下・豊後守となりました。
勝が、ペリー来航の年に出した海防の意見書を大久保一翁に認められ、そこから蘭書翻訳の役、長崎の海軍伝習所へと、能力で道を切り開いていったのとは対照的です。小栗は、家柄に合った番方の道を順に上がり、目付という「出世の関門」を通ったところで、大老に見込まれました。
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帰国後の役職年表—辞めては呼び戻される
万延元年(1860年)九月、アメリカから世界を一周して帰国した小栗は、ここから慶応四年(1868年)の罷免まで、めまぐるしく役職を移ります。
| 年月日 | できごと |
|---|---|
| 万延元年(1860年)十一月八日 | 外国奉行に昇進。十二月、渡米の功で二百石加増され二千七百石 |
| 文久元年(1861年)七月二十六日 | ロシア軍艦の対馬占領事件の処理で意見が通らず、外国奉行を辞める |
| 文久二年(1862年)六月五日 | 勘定奉行(勝手方)に就く |
| 文久二年閏八月二十五日 | 江戸南町奉行に移る |
| 文久二年十二月一日 | 歩兵奉行に就く(勘定奉行を兼ねたとする資料もある) |
| 文久三年(1863年)四月二十三日 | 勘定奉行などを辞め、寄合に。この年、豊後守から上野介に改める |
| 文久三年七月十日 | 陸軍奉行並に就くが、七月二十九日に辞める |
| 元治元年(1864年)八月十三日 | 勘定奉行(勝手方)に戻る |
| 元治元年十二月十八日 | 軍艦奉行に移る |
| 慶応元年(1865年)五月四日 | ふたたび勘定奉行(勝手方)に。この年、横須賀製鉄所の建設が始まる |
| 慶応二年(1866年)八月十一日 | 海軍奉行並を兼ねる |
| 慶応三年(1867年)十二月二十八日 | 陸軍奉行並も兼ねる |
| 慶応四年(1868年)正月十五日 | 陸軍奉行並・勘定奉行を罷免される |
勘定奉行には、文久二年のうちに二度、元治元年、慶応元年と、数え方によって四度就いたとされます。辞めた理由の多くは、上の者に遠慮なく意見して聞き入れられなかったことでした。それでも、財政と軍事の実務を任せられる人がほかにおらず、そのたびに呼び戻されています。
最後の数年は、勘定奉行として幕府の財政を預かりながら、海軍奉行並と陸軍奉行並まで兼ねていました。お金と陸軍と海軍を、一人でまとめて見ていたことになります。
小栗と勝、出世のしかたを比べると
| 小栗忠順 | 勝海舟 | |
|---|---|---|
| 家 | 二千五百石の上級旗本 | 四十一石余の小普請 |
| 学問 | 漢学(安積艮斎) | 蘭学(永井青崖ら)。自分で蘭学塾を開く |
| 剣術 | 直心影流の免許皆伝(島田虎之助、藤川整斎) | 直心影流の免許皆伝(島田虎之助) |
| 最初の役 | 両番(書院番) | 蘭書翻訳の御用 |
| 引き立てた人 | 大老・井伊直弼(目付・遣米使節への抜擢) | 大久保一翁(海防意見書を評価) |
| 出世の道 | 番方→使番→目付→奉行という旗本の本道 | 蘭学と海軍の専門家として取り立てられる |
小栗は、家柄が開いてくれた道を、実力で最後まで上りつめた人でした。勝は、家柄がない分、学問と人とのつながりで、本来なら届かない役にまで引き上げられた人でした。
同じ剣の師についた二人は、まったく違う階段を上り、慶応四年の正月、ちょうど入れ替わるように役を去り、役に就くことになります。その経緯は、小栗忠順の罷免とはで書いています。
小栗忠順のゆかりの地をめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。
- 【現地取材】小栗上野介はどこで生まれたか—生誕地・神田駿河台と、横須賀のゆかりの地を歩く(ヴェルニー公園の胸像と、烏川の河原から運ばれた記念石。神田駿河台の生誕地)
- 小栗上野介ゆかりの地 ― 東京・横須賀・埼玉・群馬をたどる(まとめ)
- 倉渕・東善寺をめぐるモデルコース(都内発・車で1泊2日。墓所の東善寺、最期の地、普門院の首塚)
- 横須賀の日帰りコース(都内発。軍港めぐりで、小栗が始めた造船所を海から見られます)
倉渕(高崎市)の東善寺や最期の地は駅から離れているので、高崎駅前でレンタカーを借りると回りやすくなります。各社の料金はじゃらんレンタカーで比べられます(PR)。
泊まりがけで回るなら、宿は高崎駅の周辺か、倉渕から車で40〜50分ほどの伊香保温泉が便利です。横須賀は横須賀中央駅のまわりに宿が集まっています。空き室はじゃらんnet(高崎駅周辺・伊香保温泉・横須賀中央)で探せます(PR)。
小栗忠順をもっと知る本
記事の内容をもっと知りたい方に、小栗忠順を扱った本を紹介します。
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2027年NHK大河ドラマ
『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集
放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。
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- 中村雅俊さんが演じる安積艮斎とは何をした人物か—小栗家の屋敷で塾を開き、二千人を育てた儒学者
- 宮野真守さんが演じる滝川具挙とは何をした人物か—小栗家の隣人、鳥羽街道で「通せ」と押し問答した大目付
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この記事の情報源
日本大百科全書・国史大辞典(ジャパンナレッジ)の小栗忠順・勝海舟の項、幕末幕臣動向「小栗忠順」の役職記録、ウィキペディア日本語版の小栗忠順・勝海舟の各項目、BUSHOO!JAPAN「小栗忠順」などをもとにまとめました。役職の日付や勘定奉行の回数の数え方は、資料によって違いがあります。剣術の免許皆伝については、一次史料での裏付けがありません。


