大河『逆賊の幕臣』朝廷側のキャストが発表されました—孝明天皇・明治天皇・岩倉具視・鷹司政通とは何をした人か

京都御所の紫宸殿と、前庭の白砂に二列に控える束帯姿の公家たち(イメージイラスト)

2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

二〇二七年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』の朝廷側のキャストが、九月十五日に発表されました。四人です。主人公の小栗忠順は幕臣ですから、この四人は基本的に「向こう側」に立つ人たちになります。ただ、幕末という時代は、この朝廷が動いたせいで幕府が追い詰められていった時代でもありました。発表された役がそれぞれどういう人物だったのかを、順に見ていきます。

目次

発表された四人

  • 孝明天皇—眞栄田郷敦さん。ペリー来航を経て民衆の姿を知り、幕政に介入して攘夷を強く求める「モノ言う帝」として紹介されています
  • 明治天皇—奥野壮さん。ペリー来航の前年に生まれ、数え十六歳で即位し、戊辰戦争を経て新時代の象徴となる役どころです
  • 岩倉具視—山中崇さん。下級公家の出で、朝廷のフィクサーとして頭角を現していきます
  • 鷹司政通—長塚京三さん。三十年以上にわたって関白などの要職を務めた、古い朝廷の権化として描かれるようです

主演は松坂桃李さん、小栗忠順役です。人物そのものについては小栗忠順(小栗上野介)とは何をした人物かをご覧ください。

孝明天皇—判を押さなかった帝

孝明天皇は天保二年に生まれ、弘化三年に十六歳で践祚しました。父は仁孝天皇、母は新待賢門院藤原雅子です。諱を統仁といいます。

この人の時代に、それまで二百数十年なかったことが起こります。幕府が外交について朝廷に相談してきたのです。ペリーが来たのは嘉永六年、天皇は二十三歳でした。

そして安政五年、老中の堀田正睦が通商条約の許可を求めて京都へ上ります。孝明天皇は許しませんでした。それでも大老の井伊直弼は、勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印します。国立国会図書館の国際子ども図書館はこの経緯を、尊王攘夷運動が燃え上がる出発点として説明しています。天皇が首を横に振ったのに幕府が押し切った、という事実が、以後ずっと幕府の足を引っ張ることになりました。

戊午の密勅—幕府の頭越しに、水戸へ

同じ安政五年の八月八日、朝廷は水戸藩に勅諚を下します。戊午の密勅と呼ばれるものです。

茨城県立歴史館はこの一件について、最初に幕府を超えて水戸藩に下された点に大きな意味があったと書いています。朝廷が幕府を通さずに一つの藩へ直接ものを言った。これは当時の秩序では起こってはいけないことでした。幕府は返納を求め、応じない水戸藩士や領民との間で緊張が高まります。京都で水戸藩の鵜飼父子が捕らえられたことが、安政の大獄の始まりでした。

翌安政六年八月二十七日の処分は重いものです。徳川斉昭は水戸での永蟄居、徳川慶篤は差控、徳川慶喜は隠居と謹慎。家老の安島帯刀は切腹、鵜飼吉左衛門と茅根伊予之介は死罪となりました。

妹を、将軍に嫁がせました

幕府が立て直しに使ったのが、天皇の妹でした。和宮親子内親王です。仁孝天皇の第八皇女で、孝明天皇の妹にあたります。幼いころから有栖川宮熾仁親王と許嫁でしたが、十四代将軍の徳川家茂へ嫁ぐことになりました。

中津川市の資料によりますと、孝明天皇は妹の幼さと江戸の治安を案じていたといいます。和宮自身も当初は反対でしたが、兄の苦悩を察して受け入れたと伝わります。文久元年十月二十日に京都を発ち、二月十一日に家茂と結婚しました。

この行列がすさまじいものでした。二万人以上、長さ七十七キロ。通り過ぎるのに四日かかったと中津川市は記しています。宿場にとっては大事件だったでしょう。

ただし、この降嫁は尊王攘夷派の猛反発を招きます。朝廷を幕府に売った、という理屈です。取りまとめに動いた岩倉具視は、このあと失脚します。

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崩御と、死因のこと

孝明天皇が亡くなったのは慶応二年十二月二十五日でした。三十六歳です。陵は京都の泉涌寺のなかにある後月輪東山陵で、円丘の形をしています。

この崩御については毒殺説がよく語られます。ここは慎重に書きます。宮内庁をはじめとする公的機関は、孝明天皇の死因について何も書いていません。毒殺説に触れた公的機関のページも見つかりませんでした。国立国会図書館のレファレンス協同データベースには、毒殺説について書かれた本を探してほしいという問い合わせの事例が残っていて、図書館が研究文献をいくつか紹介していますが、当否については何も述べていません。

倒幕派にとって都合のよい時期に亡くなったことは確かです。ただ、それ以上のことを断定できる材料を、こちらでは確認できませんでした。

明治天皇—十六歳で継ぎました

孝明天皇の第二皇子が明治天皇です。母は中山慶子。嘉永五年、ペリー来航の前年に生まれました。

践祚は慶応三年一月九日。父の死の二週間後のことです。数えで十六歳でした。そこから先は、宮内庁の年表を追うだけで時代の速さがわかります。慶応三年十二月九日に王政復古の御沙汰。明治元年三月十四日に五箇条の御誓文。八月二十七日に即位の礼。九月八日に明治と改元。十月十三日に江戸城を皇居とする。二年足らずの出来事です。

即位の礼には岩倉具視が口を出しています。国立公文書館によりますと、岩倉の指示で古典を調べ直し、唐の模倣ではない新しい儀式が組み立てられました。唐風の調度を外し、代わりに地球儀を置いたといいます。世界を見ているという姿勢を、儀式の場に持ち込んだわけです。

東京への移り方も段階を踏んでいます。慶応四年七月十七日に江戸を東京と称する詔書が出て、九月二十日に天皇が京都を発ち、十月十三日に江戸城へ入りました。多くの公卿の反対を押し切っての東幸でした。陵は京都の伏見桃山陵です。

岩倉具視—五年の蟄居から、王政復古へ

四人のなかで、いちばん動きの激しい人です。

文政八年生まれ。父は権中納言の堀河康親で、十三歳で岩倉家の養子に入りました。下級の公家の出です。安政元年に孝明天皇の侍従となります。

公武合体派として和宮降嫁を推し進めたところ、攘夷派から「幕府の犬」と弾劾されました。文久二年に勅勘をこうむって落飾し、洛北の岩倉村に隠れます。ここから慶応三年に赦されるまで、京都の政治の表舞台から消えていました。

この蟄居先が、いまも残っています。京都市左京区の岩倉具視幽棲旧宅で、昭和七年三月二十五日に国の史跡となりました。平屋の草葺の建物が二棟。玄関座敷が約十五坪、居間と台所が約十七坪五合という小さなものです。なお、いま残るこの旧宅で暮らしたのは元治元年からの三年ほどで、蟄居の始まり自体は文久二年です。敷地内には昭和三年に建てられた対岳文庫があり、こちらは武田五一の設計で登録有形文化財になっています。対岳は岩倉の雅号です。

そして慶応三年、赦されるや否や討幕へ舵を切ります。十二月、大久保利通らと王政復古のクーデターを画策しました。王政復古の大号令は、幕府を廃するだけのものではありません。摂政も関白も、従来の朝廷の制度ごと廃止するという中身でした。自分が這い上がってきた仕組みそのものを、岩倉は畳んでいます。

維新後は明治四年、特命全権大使として使節団を率いて欧米を回りました。副使は木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳。総勢百名以上、およそ一年十か月の旅です。目的は国書の捧呈、不平等条約改正の予備交渉、そして各国の制度と文物の視察でした。条約改正は難航しましたが、持ち帰った調査は『米欧回覧実記』にまとまります。出発前には、使節団が帰るまで大きな改革はしないという約定まで交わしていました。明治十六年七月二十日に亡くなっています。

鷹司政通—三十年の関白

正直に書きますが、この人については公的機関の解説がほとんどありません。

五摂家の一つ鷹司家の当主で、関白を長く務め、辞したのちも太閤として朝廷に重きをなしました。ドラマでは「古き朝廷の権化」と紹介されています。開国については、幕府の方針に理解を示す側だったとされます。攘夷一色だったと思われがちな朝廷のなかに、そうでない重鎮がいたということです。安政の大獄では処分を受け、落飾しました。

宮内庁の書陵部には自筆の『鷹司政通記』が伝わっており、近年は学習院や東京大学出版会から研究も出ています。ドラマをきっかけに、この人の像がはっきりしてくるかもしれません。

なぜ朝廷が、幕府を動かせたのか

並べてみると、筋が一本通っているのがわかります。

幕府が外交を朝廷に諮った。朝廷が首を横に振った。幕府が押し切った。ここで「勅許なき条約」という弱点が生まれます。次に朝廷が幕府の頭越しに水戸へ勅諚を下した。藩が朝廷を直接見上げる回路ができます。幕府は和宮降嫁で縫い合わせようとしたが、かえって尊攘派を刺激した。そして王政復古で、幕府も摂関も一緒に消えた。

小栗忠順が造船所を建て、兵庫商社を興し、フランスから金を借りようとしていたのは、この流れの裏側で進んでいたことです。財政と技術で幕府を作り替えようとしていた男の努力は、京都で組み上がっていった政治の構図に追い越されました。慶応四年正月、小栗は罷免されます。そのあたりの経緯は小栗忠順の罷免とはに書きました。

朝廷側の四人が発表されたということは、ドラマがこの構図をきちんと描くつもりだということでもあります。幕臣の物語として見るなら、この四人が何をしたかを知っておくと、主人公が何に負けたのかが見えやすくなるはずです。特集ページは二〇二七年 大河ドラマにまとめています。

参考にした資料

  • 宮内庁『孝明天皇 後月輪東山陵』『明治天皇 伏見桃山陵』『宮内庁関係年表』『書陵部所蔵資料』
  • 国立国会図書館『近代日本人の肖像 岩倉具視/小栗忠順』、国際子ども図書館『中高生のための幕末・明治の日本の歴史事典』、レファレンス協同データベース
  • 国立公文書館『近代国家 日本の登場 即位の礼/岩倉使節団』『日本のあゆみ 王政復古の大号令』『変貌 江戸を東京と定める』
  • 茨城県立歴史館『茨城歴史事典 戊午の密勅と安政の大獄』
  • 中津川市『中津川宿 皇女和宮 中津川宿泊と大行列』
  • 文化庁『文化遺産オンライン 岩倉具視幽棲旧宅/対岳文庫』、京都市『史跡岩倉具視幽棲旧宅・対岳文庫』
  • ステラネット、シネマトゥデイ、ザテレビジョン(キャスト発表)

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