この記事で紹介する佐藤藤七は、2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)に登場します。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、甲本雅裕さんが権田村の名主・佐藤藤七を演じます(2026年8月28日発表)。
佐藤藤七は、上州権田村(いまの群馬県高崎市倉渕町権田)の名主です。小栗忠順に才能を見込まれて江戸で仕え、万延元年(1860年)、数え五十四歳で遣米使節の小栗に従ってアメリカへ渡りました。そのまま喜望峰を回って帰国したため、「世界一周をした最初の日本の農民」と呼ばれます。旅のようすを書き留めた日記も残っています。2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、甲本雅裕さんが演じます。
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佐藤藤七とはどんな人か
- 生まれ:文化四年(1807年)、上野国の本動堂村(いまの藤岡市)に生まれる
- 権田村の名主:権田村の名主・佐藤勘兵衛家に婿養子として入り、家を継ぐ。家業は酒造り
- 学問:漢学にすぐれ、村で寺子屋を開いて子どもたちを教えた
- 小栗とのつながり:権田村は小栗家の知行地(領地)の一つ。小栗に見込まれ、江戸で仕える
- 遣米使節:万延元年(1860年)、小栗の従者としてアメリカへ。大西洋・インド洋を回って帰国
- 最期:明治五年(1872年)六月二十七日、権田村で死去。数え六十六歳
小栗家の知行地・権田村
旗本の小栗家は、上野・下野・上総・下総などに合わせて二千七百石の知行地を持っていました。そのうち上野国の権田村は三百七十五石ほどの村で、小栗が晩年に移り住み、最期を迎える土地です。小栗家と知行地については小栗家とは—三河以来の旗本は何石で、城はあったのかをご覧ください。
藤七はこの村の名主でした。名主は村のまとめ役で、年貢を集めて領主に納め、村のもめごとを収める立場です。藤七は酒造りの家業のかたわら、漢学を学び、寺子屋で村の子どもたちに読み書きを教えていました。こうした学問の素養が、小栗の目に留まったのでしょう。
五十四歳でアメリカへ
安政六年(1859年)、日米修好通商条約の批准書を交換するため、幕府はアメリカへ使節を送ることを決めます。目付として使節に加わった小栗は、自分の従者の一人に藤七を選びました。武士ではない農民が使節の一行に加わるのは、異例のことでした。
万延元年(1860年)一月、一行はアメリカの軍艦ポーハタン号で横浜を出ます。ハワイ、サンフランシスコをへてパナマ地峡を鉄道で越え、ワシントンで大統領に会い、フィラデルフィアの造幣局やニューヨークを訪れました。帰りはアメリカの軍艦ナイアガラ号で大西洋を渡り、アフリカの喜望峰、インド洋を回って、九月に江戸へ戻ります。地球をひと回りする旅でした。使節の旅程は万延元年遣米使節とはにまとめています。
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藤七の『渡海日記』
藤七は旅のあいだ、見たものを細かく書き留めていました。出発から帰国までの道のり、各地で見たもの、スケッチまでが残された日記です。
この日記は長く知られてはいたものの、「農民の藤七がこれを書いたとは信じにくい」という声もあって、表に出されませんでした。ところが昭和四十三年(1968年)、伊勢崎の旧家から、当時のアメリカの新聞や藤七の写真、権田村の古文書などがまとまって見つかり、日記が確かに藤七のものだと裏づけられます。これらは、小栗家の家臣だった中島三左衛門の子孫とつながりのある家に伝わっていたものでした。中島三左衛門は、小栗が斬られたあと、小栗の妻を会津へ逃がした人物です(小栗忠順の妻はどう会津へ落ちのびたのか)。
帰国後と、小栗の最期
帰国した藤七は、権田村の名主として暮らしました。文久元年(1861年)八月に養父の勘兵衛が七十四歳で亡くなると、藤七は家の名である勘兵衛を名乗るようになります。
では、アメリカを見てきた藤七は、村で何をしたのでしょうか。
- 英語を学んで帰ってきた:藤七が残した記録には、旅のあいだの英語の勉強のあとや英単語の帳面まで含まれています。五十代の名主が、船の上で英語を書き取っていたのです。パナマで乗った汽車の絵も、いきいきと描かれています。
- 村の若者の教育:高崎市倉渕支所の案内には、権田村には小栗、塚本真彦、荒川祐蔵、佐藤藤七と「アメリカ帰り」が四人いて、若者の教育をめざした、とあります。藤七が村で寺子屋を開き、子どもたちに読み書きを教えたという話も伝わっています。
- 家業の酒造り:佐藤家は酒造りを営み、「瑞龍」という酒を造っていました。
ただ、藤七が見てきた西洋の技術を村の仕事に取り入れたとか、新しい作物や道具を広めたといった具体的な記録は、いまのところ確かめられていません。権田村の用水の整備も、小栗が進めたものとされています。藤七の帰国後の歩みを詳しく知るには、東善寺の村上泰賢氏が編んだ『幕末遣米使節小栗忠順従者の記録—名主佐藤藤七の世界一周』(2001年)が手がかりになります。日記『渡海日記』と旅の覚え書き『諸用留』が、ここで初めて公にされました。
慶応四年(1868年)、勘定奉行を罷免された小栗が権田村に移り住んでくると、村は小栗を迎え入れます。しかし同じ年の閏四月、小栗は新政府軍に捕らえられ、村の近くの水沼河原で斬られました。かつて一緒に地球をひと回りした主人の死を、藤七はこの村で見届けたことになります。
藤七は明治五年(1872年)六月二十七日、数え六十六歳で亡くなりました。墓は権田の十王堂墓地にあります。跡を継いだ長男の代、明治十八年(1885年)に家は破産し、佐藤家は権田村を離れました。
大河『逆賊の幕臣』で甲本雅裕さんが演じる佐藤藤七—役どころと史実の見せ場
役どころ(NHKの発表):上州権田村の名主。農民から武士に取り立てられ、五十四歳で遣米使節団に随行した異色の人
甲本雅裕さん:大河ドラマへの出演は今作で五作目です。
史実から見た見せ場:藤七は上州権田村の名主で、五十四歳で遣米使節の従者となり、世界を一周しました。小栗が斬られたとき、主人を迎え入れた村の名主の家にいた人でもあります。
番組の発表では、藤七は「上州権田村の名主。農民から武士に取り立てられ、五十四歳で遣米使節団に随行した異色の人」と紹介されています。演じるのは甲本雅裕さん。同じく使節団に加わった従者の荒川祐蔵(草川拓弥さん)とともに、第六弾で発表されました。権田村の人々と小栗の結びつきを象徴する人物として、物語の最初から最後まで登場するのかもしれません。
権田村を訪ねる
藤七が名主を務めた権田村は、いまの高崎市倉渕町権田です。小栗の墓がある東善寺、小栗が斬られた水沼河原の碑などがあり、当サイトでも現地を歩いています。
佐藤藤七の家族・先祖・子孫と最期—人物データ
| 家族 | 上州緑野郡本動堂村(いまの群馬県藤岡市)の名主・小島家の生まれで、権田村の名主・佐藤勘兵衛の養子になりました。養父の死後は自らも「勘兵衛」を名乗っています。長男の勘十郎が家を継ぎました |
|---|---|
| 先祖・家 | 権田村で代々名主を務め、酒造業も営んだ家 |
| 子孫 | 長男・勘十郎は明治十八年に家業に失敗し、村を離れたと伝わります |
| 最期 | 明治五年(1872年)六月二十七日に死去。享年は資料によって違います |
| 墓所 | 十王堂墓地(群馬県高崎市倉渕町権田) |
佐藤藤七の逸話
- 遣米使節に小栗の家臣として加わり、航海の記録『渡海日記』を残しました
- 「日本で初めて世界一周した農民」とも呼ばれます
- 小栗が斬られた後、首を取り返して葬った村人たちの中心にいました(【現地取材】東善寺と小栗上野介の墓)
佐藤藤七のゆかりの地めぐり
- 東善寺(高崎市倉渕町権田169)
- 十王堂墓地(高崎市倉渕町権田)
- 本動堂(群馬県藤岡市、生まれた土地)
甲本雅裕さんの歴史ドラマ・映画への出演
甲本雅裕さんの大河ドラマ出演は、今作で五作目です。
- 大河ドラマ『どうする家康』(2023年)夏目広次
- 映画『源氏物語 千年の謎』(2011年)藤原行成
- ドラマ『雲霧仁左衛門』(2013年)
- ドラマ『三屋清左衛門残日録』(2023年)
- 映画『花のあと』(2009年)
※出演歴は公開されている出演作の一覧などをもとに、主なものを挙げています。
小栗忠順のゆかりの地をめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。
- 【現地取材】小栗上野介ゆかりの地を1日でめぐる|築地・雑司ヶ谷・大宮・倉渕の回り方とモデルコース、ゆかりの地一覧(回る順番と移動時間、エリア別の一覧)
- 【現地取材】小栗上野介の生まれた場所はどこ?生誕地・神田駿河台の小栗家屋敷跡と横須賀のゆかりの地(ヴェルニー公園の胸像と、烏川の河原から運ばれた記念石。神田駿河台の生誕地)
- 小栗上野介ゆかりの地 ― 東京・横須賀・埼玉・群馬をたどる(まとめ)
- 倉渕・東善寺をめぐるモデルコース(都内発・車で1泊2日。墓所の東善寺、最期の地、普門院の首塚)
- 横須賀の日帰りコース(都内発。軍港めぐりで、小栗が始めた造船所を海から見られます)
倉渕(高崎市)の東善寺や最期の地は駅から離れているので、高崎駅前でレンタカーを借りると回りやすくなります。各社の料金はじゃらんレンタカーで比べられます(PR)。
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小栗忠順をもっと知る本
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2027年NHK大河ドラマ
『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集
放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。
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参考資料:Wikipedia日本語版「佐藤藤七」、村上泰賢『幕末遣米使節小栗忠順従者の記録—名主佐藤藤七の世界一周』(東善寺)、高崎市の公開資料、NHKの番組発表ほか。年齢は数え年です。


