2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公、小栗上野介忠順(おぐり こうずけのすけ ただまさ)。終焉の地である群馬県高崎市倉渕町の東善寺はこれまでも紹介してきましたが、今回は小栗が「遺したもの」と「生まれた場所」を一日で訪ねました。
午前から昼過ぎにかけては、神奈川県横須賀市のヴェルニー公園。小栗が建設を進めた横須賀製鉄所を、海越しに見渡せる公園です。夕方は東京・神田駿河台の生誕地へ向かいました。
この日の横須賀は小雨でした。傘を差しながら、海沿いに細長く延びる広い公園を端から端まで歩きました。ヴェルニー記念館もティボディエ邸も館内の撮影ができたので、遠慮なく写真を撮らせてもらっています。

▶ あわせて読みたい — 大河『逆賊の幕臣』関連
ヴェルニー公園―製鉄所を見渡す海辺の公園
JR横須賀駅を出ると、目の前がもうヴェルニー公園です。海沿いにボードウォークが続き、対岸には米海軍横須賀基地と海上自衛隊の艦船が並んでいます。

公園は1946年に「臨海公園」として開かれ、2001年にフランス式庭園の様式を取り入れてリニューアルされたときに今の名前になりました。名前の由来は、横須賀製鉄所の建設を指揮したフランス人技師、フランソワ・レオンス・ヴェルニーです。園内には約130品種・約1,300株のバラが植えられ、春と秋には花の名所にもなります。
なぜ横須賀だったのか
元治元年(1864)、幕府の軍艦の修理をフランス艦が引き受けたことをきっかけに、小栗は栗本鋤雲とともにフランス公使ロッシュに協力を求めました。ロッシュが紹介したのが、当時上海にいた若い技師ヴェルニーです。
建設地は、水深が深く、地形がフランスの軍港トゥーロンに似ているとして横須賀に決まりました。慶応元年(1865)、製鉄所の建設が始まります。
財政が苦しい幕府の中で、巨額の費用がかかるこの事業には反対も多くありました(資金をどう工面したかは幕府とフランスの借款交渉で紹介しています)。それでも小栗は、たとえ幕府が倒れても造船所は「土蔵付き売り家」として次の持ち主の役に立つ、という趣旨のことを語ったと伝えられています。くわしくは横須賀製鉄所の記事で紹介しています。

対岸に見える、今も使われているドック
海沿いの柵には、対岸のドライドック(船を修理するための乾ドック)の解説板があります。対岸に見える3基の石造りのドックは、製鉄所の建設が始まった1865年から造られたもの。いちばん右の第1号ドックは明治四年(1871)に完成した国内最古のドックで、今も使われています。
基地の中なので近くでは見られません。それでも、小栗の構想が160年たった今も「現役」で動いていることを、この柵ごしに実感できます。

小栗広場の二つの胸像
公園の一角にある「小栗広場」には、小栗とヴェルニーの胸像が並んでいます。


最初の胸像は大正十一年(1922)に横須賀市内の諏訪公園で除幕されましたが、戦時中の金属供出で撤去されてしまいました。今の胸像は戦後に作り直されたもので、昭和二十七年(1952)の第1回開港祭にあわせて、この公園(当時の臨海公園)で除幕されました。
明治政府のもとで「賊軍」とされた小栗の名誉が語られるようになったのは、この横須賀からでした(くわしくは小栗忠順はいつ再評価されたのか)。製鉄所は明治以降、横須賀造船所、横須賀海軍工廠と名前を変えて日本の造船を支え続けます。二人の胸像が並んでいるのは、横須賀の人々がこの二人を「横須賀の礎を築いた恩人」として見てきたからでしょう。
権田村から運ばれた石
胸像のそばに、丸い石がいくつか置かれています。何気なく通り過ぎてしまいそうですが、説明板を読んで足が止まりました。


小栗公が斬首された上野国権田村(現在の群馬県高崎市倉渕町、旧倉渕村)の烏川水沼河原の石。昭和二十七年に第1回開港祭及び小栗上野介、ヴェルニー胸像の除幕式が当公園で開催され、それを機会に、昭和二十八年、倉渕村(当時)から寄贈された。
小栗が最期を迎えた、あの烏川の河原の石です。
東善寺の取材で水沼河原のことは調べていましたが、まさか横須賀でその石に出会うとは思っていませんでした。小栗が命をかけて築いた横須賀と、小栗が命を落とした権田村。その二つが、この石でつながっています。
石を前にして、改めて思いました。小栗を斬る必要はなかったのです。
慶応四年(1868)、江戸城で徹底抗戦を唱えて退けられた小栗は、勘定奉行を罷免されると、あっさりと身を引きました。知行地の権田村に移り、妻や家族とともに静かに暮らすつもりでした。新しく屋敷を建てる準備も始めていたといいます。政治の表舞台に戻るつもりはなかったのです。
それでも新政府軍は小栗を捕らえ、取り調べらしい取り調べもしないまま、閏四月六日に水沼河原で首をはねました(小栗はなぜ斬られたのか)。もし小栗が明治まで生きていたら、横須賀の造船所をつくった男として、どんな仕事をしただろうか。雨にぬれた小さな石を見ながら、そう考えずにはいられませんでした。
ヴェルニー記念館―日本最古のスチームハンマー
小栗広場のすぐ近くに、急な三角屋根と石の壁が目を引く建物があります。平成十四年(2002)五月一日に開館したヴェルニー記念館です。ヴェルニーが来日前に勤めていたフランス・ブルターニュ地方の港町ブレスト(横須賀市の姉妹都市)の住宅の特徴を取り入れたつくりになっています。

館内のいちばんの見どころは、製鉄所で使われていたスチームハンマー2基(3トン門形と0.5トン片持ち形)です。スチームハンマーとは、蒸気の力でハンマーを持ち上げて落とし、熱した鉄をたたいて形をつくる機械のことです。
どちらも1865年にオランダで造られ、翌1866年に輸入されました。本体には「ROTTERDAM 1865」の文字が今も残っています。これが入ったことで大きな鉄の部品を加工できるようになり、艦船も造れるようになりました。驚くのは、3トンのほうが平成八年(1996)まで、米海軍横須賀基地の艦船修理廠で実際に動いていたことです。130年以上も現役だったことになります。2基とも国の重要文化財に指定されています。



館内には、東善寺が所蔵する小栗の肖像写真と、小栗が愛用した望遠鏡の写真も展示されていました。

閲覧用の書棚には、蜷川新(にながわ あらた)の『開国の先覚者 小栗上野介』も置かれていました。蜷川は小栗の義理の甥にあたり、小栗の名誉回復と再評価に力を尽くした人物です。

入館は無料。開館は午前9時〜午後4時、休館は年始(一月一日〜二日)です(現地の案内板より。変わることがあるので、訪問前に確認してください)。
戦艦「陸奥」の主砲
記念館の前には、戦艦「陸奥」の主砲も置かれています(2016年に移設)。製鉄所から海軍工廠へ、横須賀がたどった歴史を一か所で感じられます。

ティボディエ邸―製鉄所で働いたフランス人の家
公園の反対側の端には「よこすか近代遺産ミュージアム ティボディエ邸」があります。製鉄所の副首長だったフランス人ティボディエの官舎として、明治二年(1869)ごろに建てられた本州最古級の西洋館です。この建物は平成十五年(2003)に解体されるまで残っていましたが、いまの館は当時の外観を再現して建て直したもので、館内では、もとの建物から移した部材を使って、木の骨組みにレンガを積んだ壁と屋根の構造を復元しています。



館内には横須賀製鉄所のあゆみを年表でたどる展示もあり、胸像や記念館とあわせて見ると、製鉄所がどんな場所だったのかが立体的に見えてきます。入館は無料です。
軍港めぐりで海の上から
せっかくなので、公園の隣の汐入ターミナルから出ている「YOKOSUKA軍港めぐり」(1周約45分)にも乗りました。ガイドの案内を聞きながら、米海軍と海上自衛隊の艦船のすぐそばを通ります。小栗が造船所の場所に選んだ横須賀の港が、今も日本有数の軍港であることを、海の上から実感できました。


▶ 「ゆかりの地を歩く(現地取材)」の記事
- 【現地取材】東善寺と小栗上野介の墓 ― 首を取り返した村、雨の権田を歩く
- 【現地取材】小栗上野介をしのぶ四つの場所—権田の本墓、大宮の首塚、雑司ヶ谷の累代墓、横須賀の胸像
- ヴェルニー公園で無料で入れる二つの施設—ヴェルニー記念館とティボディエ邸
- 【現地取材】増上寺を歩く—十四代将軍家茂と和宮が並んで眠る、徳川将軍家の菩提寺
- 【現地取材】勝海舟記念館と洗足池—「富士を見ながら土に入りたい」と願った海舟の別邸跡
- 【現地取材】飯田城を歩く—安政六年の石碑に、小栗忠順の師が文を寄せていた
- 【現地取材】幕府の最高学府・昌平坂学問所を歩く—湯島聖堂と孔子像
- 【現地取材】彦根城を歩く—井伊直弼の十五年と、赤備えが官軍になった日
- 【現地取材】水戸・常磐共有墓地を歩く—桜田門外の実行隊長と、討たれた井伊直弼の霊塚
- 【現地取材】佐倉城と堀田正睦を歩く—「老中の城」に立つ、開国に敗れた宰相と義民の里
横須賀から駿河台へ
JR横須賀駅から横須賀線で東京駅へ、そこで中央線に乗り換えて御茶ノ水駅へ。乗り換えを含めて1時間半ほどの移動です。
製鉄所をつくった男の「仕事の跡」から、その男が生まれた場所へ。電車の中で、小栗の41年の人生をたどり直していました。
神田駿河台の生誕地―「小栗上野介ここに生まれる」
JR御茶ノ水駅の御茶ノ水橋口から歩いて3〜4分。大学や病院のビルが並ぶ坂の町、千代田区神田駿河台一丁目8番地の東京YWCA会館のあたりが、小栗家の屋敷があった場所です。

ビルの足元に、千代田区の「まちの記憶保存プレート」が立っています。紫色のひし形のプレートで、「1827年 文政十年 小栗上野介ここに生まれる」とあります。

ここに生まれ育った小栗上野介(1827~1868)は、幕末の外交・財政政策をリードし、横須賀に大造船所を建設してわが国の造船業が近代化する道を開いた。
さっきまで横須賀で見てきた製鉄所が、ここでは一行に収まっていました。
近くには「甲賀通り」という通りもあります。昭和八年(1933)まであった「甲賀町」という町名が由来です。「甲賀」という名前については、幕府の甲賀組の者が多く住んでいたからという説と、かつてあった光感寺(こうかんじ)がなまったという説があります(千代田区文化財サイト)。

この屋敷で育った少年
小栗は文政十年(1827)、二千七百石の旗本・小栗忠高の子として生まれました。幼名は剛太郎。屋敷の中には儒学者・安積艮斎の塾が開かれ、少年時代の小栗はここで漢学を学んだと言われます(小栗忠順はどう出世したのか)。のちに遣米使節としてアメリカへ渡り、外国奉行・勘定奉行として欧米の外交官と渡り合う力の土台は、この駿河台の屋敷で育まれました。小栗家そのものの歴史は小栗家とはで紹介しています。
本当にここで生まれたのか?
実は「ここで生まれた」という点には、疑問を投げかける人もいます。旗本の屋敷は幕府から与えられるもので、住む家が替わることも珍しくありませんでした。古い江戸の地図を見ると、文久三年(1863)や弘化三年(1846)の地図ではこの場所に小栗家の名前がある一方、小栗が生まれた翌年の文政十一年(1828)や天保九年(1838)の地図では別の家(山本家)の屋敷になっている、という指摘があります。
多くの伝記は駿河台生まれとしていますが、生まれてすぐからここに住んでいたかどうかには、はっきりしない部分が残っています。少なくとも、小栗が青年期から江戸を離れるまで暮らした場所がここであることは確かです。
屋敷を出た日
慶応四年(1868)二月末、小栗は家族とともにこの屋敷を出て、権田村へ向かいました。そして2か月あまりのちの閏四月六日、烏川の水沼河原で斬首されます。小栗が駿河台に戻ることは二度とありませんでした。
横須賀で見た烏川の石と、駿河台のプレート。一日のうちに、小栗の人生の始まりと終わりの両方に触れたことになります。
二つの場所を歩いて
横須賀では、小栗が遺したものが今も動いていました。160年前のドックは今も船を修理し、スチームハンマーは130年以上も鉄をたたき続けました。駿河台では、その小栗がどこから来たのかを、一枚のプレートが静かに伝えていました。
そして横須賀の小栗広場には、小栗が最期を迎えた河原の石が置かれています。小栗がつくったものは生き続けたのに、小栗自身は明治を見ることなく、41歳で命を絶たれました。隠遁を決めていた人を、斬る必要はなかったはずです。
大河ドラマが始まる前に、ぜひ一日で両方を歩いてみてください。小栗の生涯を記事の順にたどりたい方は、『逆賊の幕臣』をもっと楽しむからどうぞ。ヴェルニー公園を訪れたら、胸像だけでなく、その足元の石にも目を向けてほしいと思います。

▶ この続きを読む
入場料と駐車場
今回まわった横須賀の見どころは、軍港めぐりをのぞいてすべて無料です。
- ヴェルニー公園(小栗・ヴェルニー胸像、記念石、戦艦「陸奥」主砲):無料、いつでも入れます
- ヴェルニー記念館:入館無料(9時〜16時、休館は一月一日〜二日とその他不定休)。JR横須賀駅のすぐそば
- よこすか近代遺産ミュージアム ティボディエ邸:入館無料(9時〜17時、休館日なし。体験型ムービーのみ有料)。京急汐入駅・JR横須賀駅からそれぞれ徒歩5分
- YOKOSUKA軍港めぐり:有料(大人2,000〜2,500円。日によって変わるので公式サイトで確認を)
- 神田駿河台の生誕地プレート:道ばたにあり、いつでも見られます
ボランティアガイドの案内
現地でもらったヴェルニー記念館のパンフレットによると、土日祝日には「よこすかシティガイド協会」のガイドさんが、記念館とヴェルニー公園を案内しています。
- 館内ガイド:無料。5〜10分ほどで、スチームハンマーなどの展示を解説してもらえます
- ヴェルニー公園ガイドツアー:ガイド料は1人500円、約60分(約0.7km)。受付は9時〜15時
- ツアーの参加者には、記念艦「三笠」の観覧料の割引があります。割引の内容は時期によって変わるので、受付で確かめてください
小栗とヴェルニーの胸像や記念石の由来は、説明板だけでは分かりにくいところもあります。初めて訪ねるなら、ガイドさんと一緒に歩くのもおすすめです。天候などで休みになることもあるので、出かける前に確かめてください。
車で行く場合、私は公園の隣にある大型商業施設「コースカ ベイサイド ストアーズ」の駐車場(約1,380台)に停めました。軍港めぐりのチケット売り場(汐入ターミナル)もこの建物の2階にあります。軍港めぐりのチケットなど1,000円以上の買い物をすると、2時間まで駐車料金が無料になります(条件は変わることがあるので、事前に確認してください)。
公園のすぐ横にも「ヴェルニー公園駐車場」がありますが、第1駐車場が普通車10台、第2駐車場が4台と小さく、料金は1時間420円(以降30分210円)です。休日はすぐ埋まりそうなので、コースカに停めるほうが安心です。
駿河台の生誕地のまわりは駐車場が少ないので、御茶ノ水駅から歩くのがおすすめです。
場所・アクセス・地図
ヴェルニー公園/神奈川県横須賀市汐留町1。JR横須賀駅から徒歩1分、京急汐入駅から徒歩5分。園内に小栗・ヴェルニー胸像と記念石(小栗広場)、ヴェルニー記念館(入館無料、9時〜16時、休館は一月一日〜二日)、ティボディエ邸(入館無料)、戦艦「陸奥」主砲。
小栗上野介屋敷跡(生誕の地)/東京都千代田区神田駿河台1-8(東京YWCA会館付近)。JR御茶ノ水駅(御茶ノ水橋口)から徒歩3〜4分。
回り方の目安:横須賀(ヴェルニー公園・記念館・ティボディエ邸で1.5〜2時間。軍港めぐりに乗るならさらに約45分)→ JR横須賀線・中央線で約1時間半 → 御茶ノ水(生誕地の見学は10分ほど。近くにニコライ堂や湯島聖堂もあります)。
小栗忠順のゆかりの地をめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。
- 小栗上野介ゆかりの地 ― 東京・横須賀・埼玉・群馬をたどる(まとめ)
- 倉渕・東善寺をめぐるモデルコース(都内発・車で1泊二日。墓所の東善寺、最期の地、普門院の首塚)
- 横須賀の日帰りコース(都内発。軍港めぐりで、小栗が始めた造船所を海から見られます)
倉渕(高崎市)の東善寺や最期の地は駅から離れているので、高崎駅前でレンタカーを借りると回りやすくなります。各社の料金はじゃらんレンタカーで比べられます(PR)。
小栗忠順をもっと知る本
記事の内容をもっと知りたい方に、小栗忠順を扱った本を紹介します。
※この欄の商品リンクはアフィリエイトリンク(PR)です。価格は掲載時点のものです。
勝海舟が晩年を過ごした洗足池の別邸跡と墓、勝海舟記念館は、【現地取材】勝海舟記念館と洗足池で写真とともに紹介しています。
▶ 大河『逆賊の幕臣』の登場人物を知る
- 徳川家慶とは何をした人物か—「そうせい様」と呼ばれた十二代、天保の改革と阿部正弘の抜擢、黒船十九日後の死
- 徳川家定とは何をした人物か—黒船の直後に将軍となった「お飾り」の十三代、ほんとうに暗愚だったのか
- 徳川家茂とは何をした人物か—十三歳で将軍、和宮と結ばれ、二十一歳で大坂城に没した十四代
- 阿部正弘とは何をした人物か—二十七歳で老中首座、黒船に「みんなの意見」を聞いた宰相
- 鳥居耀蔵とは何をした人物か—天保の改革の「妖怪」、蘭学者を陥れ、二十三年の幽閉を生き延びた南町奉行
- 徳川斉昭とは何をした人物か—攘夷の旗頭「烈公」、慶喜を将軍にしようと井伊直弼と争った水戸藩主
- 井伊直弼とは何をした人物か—埋木舎の部屋住みから大老へ、小栗忠順を世に出し桜田門外に散った人
- 安積艮斎とは何をした人物か—小栗家の屋敷で塾を開き、二千人を育てた儒学者
- 滝川具挙とは何をした人物か—小栗家の隣人、鳥羽街道で「通せ」と押し問答した大目付
- 駒井朝温とは何をした人物か—小栗の三歳上の幼なじみ、次男を小栗家の養子に出した大目付
- 朝比奈昌広とは何をした人物か—小栗と同い年、将軍家定のそばに仕え、長崎奉行・勘定奉行を務めた旗本
- 佐藤藤七とは何をした人物か—世界一周した上州権田村の名主、五十四歳の遣米使節従者
- 荒川祐蔵とは何をした人物か—遣米使節の従者から、小栗とともに斬られた家臣へ
- 武笠祐左衛門とは何をした人物か—小栗家の用人、主の首を大宮へ運んだと伝わる小姓・銀之助の父
- 勝民子(たみ)とは何をした人物か—貧乏旗本の勝海舟を支え、「勝のそばには埋めないで」と遺した妻
- 栗本鋤雲とは—箱館の医者からフランス通の幕臣へ、小栗忠順を書き残した人
- 大河『逆賊の幕臣』朝廷側のキャストが発表されました—孝明天皇・明治天皇・岩倉具視・鷹司政通とは何をした人か
あわせて読みたい
- 佐藤藤七とは何をした人物か—世界一周した上州権田村の名主、五十四歳の遣米使節従者
- 荒川祐蔵とは何をした人物か—遣米使節の従者から、小栗とともに斬られた家臣へ
- 勝民子(たみ)とは何をした人物か—貧乏旗本の勝海舟を支え、「勝のそばには埋めないで」と遺した妻
- 井伊直弼とは何をした人物か—埋木舎の部屋住みから大老へ、小栗忠順を世に出し桜田門外に散った人
- 小栗忠高とは何をした人物か—中川家から婿に入った忠順の父、新潟奉行として任地に没す
- 安積艮斎とは何をした人物か—小栗家の屋敷で塾を開き、二千人を育てた儒学者
- 【現地取材】増上寺を歩く—家茂と和宮が並んで眠る将軍家の菩提寺
- 2027年 大河ドラマ『逆賊の幕臣』特集—主人公・小栗忠順を史実から読む
- 『逆賊の幕臣』をもっと楽しむ—小栗忠順の生涯を記事の順にたどる
- 【現地取材】東善寺と小栗上野介の墓―首を取り返した村、雨の権田を歩く
- 【現地取材】小栗上野介をしのぶ四つの場所
- 小栗忠順(小栗上野介)とは何をした人物か
- 横須賀製鉄所とは
- 小栗忠順はなぜ斬られたのか
- 小栗忠順はどう出世したのか
- 小栗家とは
- 小栗忠順はいつ再評価されたのか—大正十一年の胸像、昭和七年の碑
- 【現地取材】記念艦三笠と東郷平八郎
取材と情報源について
2026年9月26日に現地を訪問しました。記事中の年代や数字は、現地の説明板(記念石、小栗上野介忠順、ドライドック、ヴェルニー記念館、スチームハンマー、ティボディエ邸、まちの記憶保存プレート)と、次の資料で確認しています。千代田区「まちの記憶保存プレートガイド」、Visit Chiyoda「小栗上野介屋敷跡(生誕の地)」、千代田区文化財サイト「甲賀坂」、横須賀市観光情報「ヴェルニー公園」、ヴェルニー公園公式サイト、横須賀市自然・人文博物館「ヴェルニー記念館」、YOKOSUKA軍港めぐり公式サイト、「東京湾要塞」サイト(胸像の建立と撤去の経緯)、ブログ「気ままに江戸♪」(駿河台の屋敷と江戸の地図の検討)。
生誕地をめぐる江戸の地図の検討は個人ブログによる指摘で、元の史料は確認できていません。「土蔵付き売り家」などの小栗の言葉は、後年の回想や伝記で伝えられたもので、趣旨として紹介しています。
造船所を設計した技師についてはヴェルニーとは何をした人物かをご覧ください。
見学の案内はヴェルニー公園で無料で入れる二つの施設にまとめました。

