この記事で紹介する滝川具挙は、2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)に登場します。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
滝川具挙は、幕末の旗本で、大目付まで務めた人物です。江戸・駿河台で小栗家の隣に住み、同じ塾で学んだ、小栗忠順の古くからの友人でした。慶応四年(1868年)一月、薩摩藩を討つという幕府の文書「討薩表」を携えて京都へ向かい、鳥羽街道で薩摩藩兵と押し問答になります。その押し問答のさなかに放たれた銃声が、戊辰戦争の始まりとなる鳥羽・伏見の戦いの合図になりました。二〇二七年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、宮野真守さんが演じます。
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滝川具挙とはどんな人か
- 家:千二百石の旗本・滝川家。通称は三郎四郎、播磨守
- 小栗との縁:駿河台の屋敷が小栗家の隣。小栗家の屋敷にあった安積艮斎の塾「見山楼」で、ともに学ぶ
- 出世:目付、外国奉行、神奈川奉行、禁裏付、京都西町奉行をへて、元治元年(1864年)に大目付
- 鳥羽・伏見:慶応四年一月、討薩表を持って京都へ向かい、鳥羽街道で戦いの始まりに居合わせる
- その後:大目付を解かれ、永蟄居に。明治になって静岡へ移り、新政府には仕えなかった
小栗家の隣の屋敷
滝川家の屋敷は、神田駿河台で小栗家と隣り合っていました。小栗家の屋敷の中には儒学者・安積艮斎の塾があり、滝川もそこで学んでいます。二人は若いころからの顔なじみだったことになります。
大河の発表では、滝川は「小栗家の隣人。ムードメーカーから大目付へ。徳川幕府絶対派」と紹介されています。にぎやかな幼なじみが、やがて幕府を守るためには戦も辞さない強硬派の重臣になっていく—そんな姿が描かれるのかもしれません。
外国奉行から京都町奉行へ
滝川は安政元年(1854年)に家を継ぎ、小十人頭、目付と役を進めて、万延元年(1860年)十二月に外国奉行となります。小栗がアメリカから帰って外国奉行に就いたのとほぼ同じころで、二人は同じ外交の役所に並ぶことになりました。
その後、横浜の港を預かる神奈川奉行、朝廷の御所を見張る禁裏付、京都の西町奉行と、外交と京都の政治の最前線を渡り歩きます。尊王攘夷の志士たちが京都で暗躍していた文久年間に、京都の町奉行を務めたことになります。元治元年(1864年)九月には大目付に進みました。
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討薩表を持って鳥羽街道へ
慶応三年(1867年)十二月、王政復古の大号令で、徳川慶喜は新政府から締め出されます。江戸では、薩摩藩の浪士たちが騒ぎを起こし、怒った幕府方が江戸の薩摩藩邸を焼き討ちにしました。大坂城の旧幕府軍の間でも「薩摩を討て」という声が高まり、慶喜は、薩摩藩の罪を並べて朝廷に訴える文書「討薩表」を出します。
この討薩表を京都に届ける役を命じられたのが、大目付の滝川でした。慶応四年(1868年)一月三日、滝川は京都見廻組などを護衛に従え、鳥羽街道を北へ進みます。
鳥羽の小枝橋のあたりで、行く手を薩摩藩兵がふさぎました。滝川は「朝廷の命で上京するのだから通せ」と言い、薩摩側は「朝廷の許しが出るまで待て」と言って、押し問答が続きます。夕方、ついに薩摩藩兵が発砲しました。鳥羽・伏見の戦いの始まりです。

このとき、先頭にいた滝川の乗った馬が砲声に驚いて走り出し、後ろの部隊が混乱したと伝えられます。戦う構えのできていなかった旧幕府軍は、最初の一撃で大きく崩れました。
敗戦と、その後
鳥羽・伏見の戦いに敗れた旧幕府軍は大坂へ退き、慶喜は軍艦・開陽丸で江戸へ逃げ帰ります。江戸城に戻った慶喜は、主戦論を唱える者たちを次々に役から外しました。徹底抗戦を説いた小栗も勘定奉行を罷免され、滝川も大目付を解かれます。二人の幼なじみは、ほとんど同じ時期に幕府の中枢から去ることになりました。小栗の罷免については小栗忠順の罷免とはをご覧ください。
滝川はその後、在宅での謹慎、さらに新政府の指示による永蟄居を命じられます。明治になると、徳川家とともに駿河台の屋敷から静岡へ移りました。明治二年(1869年)に家督を次男に譲って隠居し、名を戇哉(とうさい)と改めています。新政府に仕えることはありませんでした。
一方の小栗は、罷免のあと上州の権田村に引きこもり、慶応四年閏四月に新政府軍に捕らえられ、取り調べもないまま斬られました。同じ「徳川幕府絶対派」でも、生き延びた滝川と、斬られた小栗。二人の運命は、最後に大きく分かれたことになります。
大河『逆賊の幕臣』の滝川具挙
演じるのは宮野真守さんです。栗本鋤雲(青木崇高さん)、駒井朝温(高橋光臣さん)、朝比奈昌広(芝大輔さん)、三野村利左衛門(荒川良々さん)とともに、第四弾の「青春をともにした友人たち」として発表されました。ムードメーカーの幼なじみが、物語の終盤では鳥羽街道に立つことになるはずです。
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参考資料:Wikipedia日本語版「滝川具挙」「鳥羽・伏見の戦い」、NHKの番組発表ほか。年齢は数え年です。

