2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
慶応四年(1868年)閏四月六日、小栗上野介忠順は上州権田村に近い烏川の水沼河原で、取り調べもないまま斬られました。翌日には養子の又一(忠道)も高崎で斬られています。
小栗を斬ったのは「薩長」だったと、よく言われます。けれども、現場で処刑を指揮した二人の軍監は、長州の人でも薩摩の人でもありませんでした。では、斬首は誰が決めたのでしょうか。上からの命令だったのか。それとも、新しい時代に乗り遅れまいとした人々が、功をあせって動いたのか。残された記録と、そこから読める範囲を分けて考えます。
大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、松坂桃李さんが主人公の小栗忠順を演じます(主演、2025年3月3日発表)。
小栗の斬首は誰が決めたのか?—先に答え
| 結論 | 誰が最終的に決めたのかを示す命令書は見つかっていません。処刑を指揮した軍監の原保太郎は、後年「総督の岩倉に討てと言われた」という趣旨を語ったと伝わります |
|---|---|
| 斬った側の出身 | 軍監の原保太郎は丹波園部藩(京都府)、豊永貫一郎は土佐の出身です。どちらも薩摩・長州ではありません |
| 捕縛を命じられた藩 | 高崎・安中・吉井の上州三藩。いずれも徳川に近い小藩でした |
| 功をあせった説 | 原の回想には「ぐずぐずしていれば自分たちが賊軍扱いされかねなかった」という趣旨が見えます。ただし「功名のため勝手に斬った」と論じた研究は見当たらず、この記事では一つの見方として紹介します |
| 黒幕説 | 西郷隆盛ら薩摩の意向を疑う論者もいますが、裏づける史料は示されていません |
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処刑の場にいたのは誰か
小栗を捕らえたのは、新政府の東山道軍です。総督は岩倉具視の次男・岩倉具定、副総督は三男の具経でした。父の具視は新政府の中心にいましたが、軍を率いていたのは、まだ十代の息子たちです。
この東山道軍から上州へ差し向けられたのが、軍監の原保太郎と豊永貫一郎でした。
- 原保太郎:丹波園部藩(小出家)の出身。江戸の練兵館で剣を学び、慶応三年から岩倉具視の食客になっていました。このとき数えで二十二歳です。
- 豊永貫一郎:土佐の出身で、中岡慎太郎の陸援隊にいた若者です。年齢は資料によって十六歳から十九歳まで開きがあります。
捕縛そのものは、高崎・安中・吉井の三藩に命じられました。三藩の兵が権田村に向かい、小栗は大砲などを差し出して恭順の意を示しています。ところが軍監が到着すると、事態は一気に斬首へ進みました。
「薩長に斬られた」という言い方は、新政府軍に斬られたという意味では間違いではありません。けれども、現場で刀を振らせたのは、薩摩や長州の藩士ではなく、小藩出身の若者と土佐の若者でした。この点は、もっと知られてよいと思います。
原保太郎は「岩倉に討てと言われた」と語った
処刑を指揮した原保太郎は、明治以降も長く生き、のちに当時のことを語っています。阿部道山『海軍の先駆者小栗上野介正伝』には、原への聞き取りの記録が収められています。
それによると、原は「総督の岩倉がたいへん心配して、すぐに上州権田へ行って討てと言った」という趣旨を語っています。また、早く片づけなければ、自分たちのほうが賊軍と見られかねない空気だった、という趣旨のことも述べています。
ここには注意が二つあります。
- この記録は原本人の文章ではなく、聞き取った側がまとめたものです。言い回しまで原の言葉とは限りません。
- 「総督岩倉」が、総督だった息子の具定を指すのか、父の具視を指すのかは、文面からははっきりしません。
それでも、処刑を指揮した本人が「上から討てと言われた」と語っていることは、大きな手がかりです。少なくとも原の認識では、自分の判断で勝手に斬ったのではありませんでした。
なぜ「討て」となったのか—慶応四年閏四月の空気
当時の関東は、まだ戦の最中でした。江戸城は四月十一日に明け渡されましたが、それを不服とする旧幕府の兵が江戸を脱け出し、北関東で新政府軍とぶつかっていました。四月の宇都宮城の戦いでは、大鳥圭介や土方歳三らが一時は城を奪っています。
そんななか、上州の山あいに、江戸城で最後まで抗戦を説いた小栗が住んでいる。新政府軍から見れば、小栗は旧幕府の兵が集まる旗印になりかねない人物でした。権田村で農兵を訓練している、大砲を持っている、という噂も流れていました。
三藩に下りた命令の文面は、「砲台を築き、陣屋を厳重に構えて、容易ならざる企てがある」というものでした。実際にはそうした備えの記録はなく、詳しくは小栗上野介は権田村に砲台や陣屋を築いていたのかで検証しています。ただ、命令を出す側が本気でそう恐れていた可能性はあります。
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「功をあせった」説をどう考えるか
では、斬った側が自分や自藩の立場のために、功をあせって斬首に走ったという見方は成り立つのでしょうか。
はっきり申し上げると、この見方を正面から論じた研究や史料は、調べた範囲では見つかりませんでした。ですからここから先は、記録をもとにした筆者の見立てとしてお読みください。
それでも、この見方には考える材料があります。
小藩出身の若者と、土佐の若者
原保太郎の園部藩は、二万数千石の外様の小藩です。藩としての発言力は、薩摩・長州とは比べものになりません。原自身は藩の代表というより、岩倉家に身を寄せた一人の若者でした。新しい政府のなかで足場を築くには、目に見える働きが必要だった、と考えることはできます。
土佐もまた、薩長に一歩遅れて新政府に加わった藩でした。土佐の人々が薩長と肩を並べようとしていたことは、戊辰戦争での板垣退助らの奮戦にも表れています。
三藩には「同罪」の圧力がかかっていた
もっとはっきり自藩の立場が見えるのは、捕縛を命じられた三藩のほうです。高崎・安中・吉井は、いずれも徳川に近い家の小藩でした。新政府の側に立つと決めたばかりの藩にとって、最初の仕事が旗本を捕らえることだったのです。
東善寺の伝えによれば、軍監は「斬らなければ三藩も同罪だ」と迫ったとされます。三藩は、徳川寄りと見られることを何より恐れていたはずです。三藩が置かれた立場は小栗を斬らずに済ませたかった三藩で詳しく書いています。
原自身の言葉が示すもの
原の回想にある「早くしなければ自分たちが賊軍と見られかねない」という感覚は、功名心というより、恐れに近いものです。新政府の側に立ったばかりの人々が、忠誠を形で示そうとして動いた。そう読むことはできそうです。
つまり、「上の命令」と「現場のあせり」は、どちらか一方というより、重なっていた可能性があります。上は小栗を危険視して「討て」と言い、現場はそれを最も早く、最も重い形で実行した。取り調べを省いたのは、その速さの表れだったのかもしれません。
近藤勇の処刑と比べると
同じ慶応四年の四月二十五日、新選組の近藤勇が板橋で斬られています。近藤の扱いをめぐっては、土佐の谷干城らが斬首を強く主張したとされます。坂本龍馬を殺したのは新選組だという疑いが、土佐の人々のあいだに根強かったためです。
ここからわかるのは、この時期の処刑が、新政府全体の一致した方針というより、現場にいた藩の人々の感情や立場に左右されることがあった、ということです。小栗の場合も、取り調べがなかった以上、誰がどこまで判断したのかを後から確かめる手段はほとんどありません。
西郷隆盛の黒幕説について
作家の原田伊織氏は、小栗の処刑の背後に西郷隆盛ら薩摩の意向があったのではないかと疑っています。また、東山道軍の大音龍太郎の名を挙げる見方もあります。
ただし、原田氏自身も確証はないとしており、これを裏づける命令書などは示されていません。この記事では、こうした見方があるという紹介にとどめます。
結局、小栗は誰の思惑に巻き込まれたのか
記録からはっきり言えるのは、次のことです。
- 処刑を指揮したのは、園部出身の原保太郎と土佐出身の豊永貫一郎で、薩摩・長州の藩士ではなかった。
- 原は後年、総督の岩倉に討てと言われたという趣旨を語っている。
- 捕縛を命じられた三藩には、新政府への忠誠を示さなければならない圧力がかかっていた。
- 斬首を決めた命令書そのものは、見つかっていない。
小栗は、新政府の上層部が抱いた恐れと、新しい側に立ったばかりの人々のあせりが重なった場所で斬られた。筆者はそう考えています。「薩長に斬られた」という一言では、こぼれ落ちてしまうものがあるのです。
処刑のあと、新政府のなかでこれに異を唱えた人はいたのでしょうか。それは次の記事で取り上げます。
訪ねるなら
斬首の地である烏川の水沼河原には、いまも「偉人小栗上野介罪なくして此処に斬らる」と刻まれた碑が立っています。墓は権田村の東善寺にあります。場所や行き方は小栗上野介はなぜ殺されたのかと東善寺と小栗上野介の墓にまとめています。
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2027年NHK大河ドラマ
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参考資料
阿部道山『海軍の先駆者小栗上野介正伝』(マツノ書店復刻、2013年)所収の原保太郎への聞き取り(二次的な記録)、高崎市立中央図書館『市史のひろば』第七号(令和八年三月)、東善寺(小栗上野介顕彰会)の記述、原田伊織氏の著作。「功をあせった」という見方は研究者の説ではなく、記録をもとにした筆者の見立てです。豊永貫一郎の年齢は資料により異なります。


