戊辰戦争の海軍を比べる—旧幕府と新政府、開陽丸と甲鉄。榎本が渡した4隻がなければ【幕末のもしも】

月夜の品川沖から北へ向かう旧幕府艦隊(イメージ)

この記事は、2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

「幕末のもしも」について
史実をふまえたうえで、「もしあのとき別の道を選んでいたら」を管理人なりに考えるシリーズです。前半は史料にもとづく史実、後半の「もしも」の部分は管理人の考え(推測)です。

戊辰戦争というと、鳥羽伏見、会津、五稜郭と、陸の戦いが思い浮かびます。けれども、この戦争の行方を最後まで左右したのは海でした。

戦争が始まった1868年の正月、日本でいちばん強い海軍を持っていたのは、じつは旧幕府でした。それがわずか1年半で逆転し、最後の箱館では新政府の艦隊が旧幕府軍を追いつめます。何が起きたのか。この記事では、両軍の海軍を三つの時期に分けて比べ、勝負を分けた装甲艦「甲鉄」と、榎本武揚が新政府に渡した4隻の軍艦を追います。後半では、管理人なりの「もしも」も考えてみます。

目次

旧幕府と新政府、海軍はどちらが強かった?—先に答え

戦争が始まったときは、旧幕府海軍が圧倒的に強かった。日本最大の軍艦・開陽丸をはじめ、大きな蒸気軍艦をそろえていたのは幕府だけで、新政府側は薩摩・長州・佐賀などの藩の小さな軍艦の寄せ集めでした。

それが逆転したのは、次の三つが重なったからです。

  1. 江戸開城のあと、榎本武揚が軍艦4隻(富士山・朝陽・観光・翔鶴)を新政府に引き渡した
  2. 旗艦の開陽丸が、北海道の江差沖で嵐にあって沈んだ
  3. 幕府がアメリカから買った装甲艦「甲鉄」が、新政府に渡った

戦いで負けて失ったのではなく、交渉・天候・外交で戦力が入れ替わったのが、幕末の海の戦いの特徴です。

装甲艦・甲鉄(のちの東艦)
装甲艦「甲鉄」(のちの東艦)。南北戦争の時代にフランスで造られ、幕府が買い付けたが、新政府の手に渡った(出典:Wikimedia Commons、パブリックドメイン)

1868年正月—戦争が始まったとき、海は幕府のものだった

幕府は、ペリー来航のあとから長崎の海軍伝習所で人を育て、オランダやアメリカ、イギリスから軍艦を買い集めてきました。慶応3年(1867年)にはオランダで造らせた開陽丸が届き、日本最大の軍艦になります。

一方、新政府側の海軍は、薩摩・長州・佐賀などの藩がそれぞれ持っていた軍艦です。数はあっても小型の船が多く、一つの艦隊として動いた経験もありませんでした。

当サイトの各艦のページから、主な軍艦の大砲の数と機関の馬力を並べると、差ははっきりしています。

軍艦種類備砲馬力
旧幕府開陽丸フリゲート(旗艦)24門1200馬力
旧幕府回天丸外輪の蒸気軍艦13門400馬力
旧幕府富士山丸コルベット12門350馬力
旧幕府朝陽丸コルベット12門100馬力
旧幕府観光丸コルベット15門150馬力
旧幕府蟠龍丸砲艦6門100馬力
旧幕府翔鶴丸仮装軍艦4門350馬力
旧幕府千代田形砲艦(国産)3門60馬力
薩摩藩春日丸外輪の仮装軍艦14門300馬力
佐賀藩延年丸バーク船9門140馬力
長州藩第一丁卯スクーナー4門60馬力

※備砲・馬力は当サイトの各艦ページの値です。資料によって数字は少しずつ違います。

薩摩藩の軍艦・春日丸
薩摩藩の春日丸。新政府側の軍艦の中では大きな船で、阿波沖海戦では開陽丸と撃ち合った(出典:Wikimedia Commons、パブリックドメイン)

開陽丸1隻の大砲だけで、長州藩の軍艦数隻分になります。じっさい、鳥羽伏見の戦いと同じ慶応4年(1868年)正月、開陽丸は大坂湾を出る薩摩藩の軍艦を追いかけて砲撃しました(阿波沖海戦)。日本で初めての、蒸気軍艦どうしの海戦といわれます。

旧幕府海軍の旗艦・開陽丸
旧幕府海軍の旗艦・開陽丸。オランダで造られ、慶応3年に日本へ回航された当時日本最大の軍艦(出典:Wikimedia Commons、パブリックドメイン)

このとき幕府は大坂湾も江戸湾も押さえていました。それでも徳川慶喜は大坂城から江戸へ引き上げ、戦わずに恭順する道を選びます。海の優位は、使われないまま終わりました。

▶ 【幕末のもしも】慶喜が大坂城から逃げ帰らなかったら—海を押さえ、四方から京都を囲む

江戸開城—榎本武揚が渡した4隻

慶応4年(1868年)4月11日、江戸城は新政府軍に明け渡されました。降伏の条件には、幕府の軍艦をすべて引き渡すことが含まれていました。

ところが、海軍副総裁の榎本武揚はこれに従わず、艦隊を率いて品川沖を離れ、房総の館山へ移ります。勝海舟が間に入って話し合った結果、榎本は4月下旬、軍艦の一部だけを新政府に引き渡しました。それが富士山丸・朝陽丸・観光丸・翔鶴丸の4隻です。

榎本武揚の肖像写真
海軍副総裁・榎本武揚。艦隊の引き渡しを拒み、一部だけを新政府に渡した(出典:Wikimedia Commons、パブリックドメイン)
館山城の模擬天守と館山湾
館山湾と館山城。江戸開城のあと、榎本は艦隊をいったん房総の館山へ移した(撮影:幕末歴史ガイド)
手もとに残した船(旧幕府)引き渡した船(→新政府)
軍艦開陽丸・回天丸・蟠龍丸・千代田形富士山丸・朝陽丸・観光丸・翔鶴丸
備砲の合計46門43門
性格いちばん強い開陽と回天を残した砲の数では半分近いが、古い船や仮装軍艦が多い

榎本は、主力の開陽丸と回天丸を手もとに残し、比べて古い船を渡したわけです。それでも大砲の数でいえば、旧幕府海軍のほぼ半分が新政府に移りました。藩の寄せ集めだった新政府の海軍は、ここで初めて「まとまった艦隊」の材料を手に入れます。

のちに箱館の海で、この4隻のうちの朝陽丸が、旧幕府艦隊と戦うことになります。

品川沖からの脱出と、開陽丸の沈没

月夜の品川沖から北へ向かう旧幕府艦隊(イメージ)
慶応4年8月19日の夜、品川沖を出て北へ向かう旧幕府艦隊(イメージ)

慶応4年8月19日(1868年10月4日)の夜、榎本は開陽丸・回天丸・蟠龍丸・千代田形の軍艦4隻と、長鯨丸・神速丸・美賀保丸・咸臨丸の輸送船4隻、あわせて8隻で品川沖を脱出し、北へ向かいました。

しかし途中で嵐にあい、美賀保丸は銚子沖で座礁、咸臨丸は流されて駿河の清水港に入り、新政府軍に襲われます。艦隊は、はじめから傷ついての船出でした。

蝦夷地に渡った旧幕府軍は箱館の五稜郭を占領しますが、11月15日(12月28日)、松前藩の江差を攻めに出た開陽丸が、江差沖で嵐にあって座礁し、そのまま沈んでしまいます。助けに向かった神速丸も失われました。

吹雪の江差沖で座礁する開陽丸(イメージ)
明治元年11月15日、江差沖で嵐にあって座礁した開陽丸(イメージ)

この時点で、旧幕府海軍は最大の切り札を失いました。戦って沈められたのではなく、嵐に負けたのです。

▶ 箱館の新選組—蝦夷地で入隊した隊士たちと、弁天台場の降伏

甲鉄—幕府が買い、新政府が手に入れた装甲艦

甲鉄は、アメリカの南北戦争中に南軍がフランスに造らせた装甲艦「ストーンウォール」です。船体の水線部分を鉄の板で覆い、船首には300ポンドの巨大なアームストロング砲と、敵艦に突っこむための衝角(ラム)を備えていました。木造の軍艦の大砲では、なかなか傷をつけられない船です。

幕府は慶応3年(1867年)、アメリカに使節を送ってこの船を40万ドルで買う契約を結びました。ところが船が日本に着いたのは、戊辰戦争が始まったあとでした。

欧米の国々は、この戦争に対して「局外中立」、つまりどちらの味方もしないという立場をとっていました。アメリカは、甲鉄を旧幕府にも新政府にも渡さず、横浜にとどめておきます。

明治元年12月28日(1869年2月9日)、各国が局外中立をやめると、甲鉄は明治2年(1869年)の初め、新政府に引き渡されました。幕府が買い付けた最強の軍艦は、幕府を倒した側の旗艦になったのです。

装甲艦・甲鉄(のちの東艦)
甲鉄(のちに東と改名)。新政府艦隊の旗艦として箱館へ向かった(出典:Wikimedia Commons、パブリックドメイン)

▶ 甲鉄艦(東艦:ストーンウォール・ジャクソン号)

明治2年の春—海の力関係はこう入れ替わった

甲鉄を手に入れた新政府は、明治2年(1869年)3月、艦隊を北へ送り出します。このときの両軍の主な軍艦を比べると、1年前とは立場がまったく逆になっています。

1868年正月1869年春(箱館戦争)
旧幕府開陽・回天・富士山・朝陽・観光・蟠龍・翔鶴・千代田形など。日本最強回天・蟠龍・千代田形など。開陽は沈み、4隻は引き渡し済み
新政府薩摩・長州・佐賀などの藩の小型艦甲鉄(装甲艦)・春日・陽春・第一丁卯、引き渡された朝陽など
旗艦開陽丸(旧幕府)甲鉄(新政府)
旧幕府艦隊の軍艦・回天丸
回天丸。開陽を失ったあとの旧幕府艦隊の主力となり、宮古湾で甲鉄に挑んだ(出典:Wikimedia Commons、パブリックドメイン)

宮古湾海戦—甲鉄を奪え

まともに撃ち合っては甲鉄に勝てない。そう考えた旧幕府軍は、思いきった作戦に出ます。新政府艦隊が寄港する陸中の宮古湾(岩手県)に奇襲をかけ、甲鉄に横づけして兵を乗り移らせ、船ごと奪い取るというものです。フランス語で「アボルダージュ」と呼ばれる戦法でした。

明治2年3月25日(1869年5月6日)の夜明け、回天丸が宮古湾に突入します。しかし、一緒に向かった蟠龍丸ははぐれ、高雄丸は機関の故障で遅れ、突入できたのは回天丸1隻だけでした。回天丸は外輪船のため甲鉄の横にぴったりつけられず、高い位置から飛び降りた斬り込み隊は、甲鉄のガトリング砲に撃ちすくめられます。回天丸の艦長・甲賀源吾は戦死し、作戦は30分ほどで失敗に終わりました。この船には、新選組の土方歳三も乗っていました。

宮古湾海戦を描いた絵
宮古湾海戦を描いた絵。回天丸が甲鉄に横づけして斬り込みをかけた(出典:Wikimedia Commons、パブリックドメイン)

▶ 宮古湾海戦の碑:旧幕府軍「回天丸」が新政府軍旗艦「甲鉄艦」奪取を狙った戦い/土方歳三

箱館湾海戦—引き渡した朝陽丸が沈む

4月、新政府軍は蝦夷地に上陸し、陸と海から箱館へ迫ります。箱館湾では、残った回天丸・蟠龍丸が新政府艦隊と何度も撃ち合いました。

5月11日の総攻撃の日、蟠龍丸の砲弾が新政府艦隊の朝陽丸の火薬庫に当たり、朝陽丸は大爆発を起こして沈みます。江戸開城のあと、榎本が新政府に引き渡したあの朝陽丸でした。しかし蟠龍丸も弾を撃ちつくして浅瀬に乗り上げ、回天丸もすでに動けなくなっていました。旧幕府艦隊はここで尽き、5月18日、榎本らは五稜郭を明け渡して降伏します。

箱館湾海戦を描いた絵
箱館湾海戦を描いた絵。旧幕府艦隊は最後まで湾内で戦った(出典:Wikimedia Commons、パブリックドメイン)
五稜郭1
箱館の五稜郭。海を押さえられた旧幕府軍は、ここで降伏した(撮影:幕末歴史ガイド)

勝負を分けたもの—船の数より「持ち続けられたか」

こうして並べると、旧幕府海軍は、戦いに負けて船を失ったのではないことがわかります。

  • 交渉で—江戸開城の条件として、4隻を渡した
  • 天候で—開陽丸を江差の嵐で失った
  • 外交で—買い付けた甲鉄を、局外中立のために受け取れなかった

もう一つ見落とせないのが、船を直す場所です。小栗忠順が建設を進めた横須賀製鉄所も、横浜の修理工場も、江戸開城とともに新政府の手に渡りました。蝦夷地の旧幕府艦隊には、傷んだ船を直す造船所も、十分な石炭の補給もありませんでした。

▶ 横須賀製鉄所とは—小栗忠順とヴェルニーが作り、いまも動いている幕末の造船所

【幕末のもしも】あのとき、別の道を選んでいたら

ここからは、管理人の考え(推測)です。

もしも① 榎本が4隻を引き渡していなかったら

わたしがいちばん悔しく思うのは、ここです。榎本がこの4隻を渡していなければ、新政府にはまとまった艦隊がなく、旧幕府海軍は8隻の軍艦で日本の海を押さえ続けられました。

海を押さえていれば、新政府軍は兵や物資を船で運べません。艦隊を日本海側に回して新潟や出雲崎の港を押さえれば、奥羽越列藩同盟への補給を守り、新政府軍の補給を断つこともできたはずです。そうなれば、会津も長岡も、あれほど早く落ちなかったかもしれません。

もちろん、4隻を渡したのは江戸の町を戦火から守るための約束でもありました。全部を拒めば、江戸開城そのものが崩れた可能性もあります。それでも「渡さない」という選択は、たしかにあったと思うのです。

▶ この作戦の考え方は 【幕末のもしも】小栗忠順の作戦が採用されていたら—箱根で止め、艦隊で日本海も押さえる にも書きました。

もしも② 甲鉄が旧幕府に引き渡されていたら

開陽丸と甲鉄が並んでいたら、当時の日本に、これと戦える艦隊はありません。江戸湾に甲鉄がいれば、新政府軍は海から江戸へ兵を送ることもできず、江戸開城の交渉も、旧幕府にずっと有利な形で進んだでしょう。

ただ、アメリカが中立を守る以上、戦争中に引き渡されることはまずなかったはずです。あるとすれば、到着がもう半年早く、鳥羽伏見より前に受け取れていた場合です。幕府の買い付けが、あと少し早ければ—と思わずにはいられません。

もしも③ 開陽丸が江差で沈まなかったら

開陽丸が残っていれば、宮古湾で甲鉄を奪うという危うい作戦に頼る必要はありませんでした。開陽丸と回天丸がそろって箱館湾を守れば、新政府艦隊も簡単には近づけません。

とはいえ、甲鉄の装甲は開陽丸の大砲でも破るのが難しく、海の上で決定的に勝つことはできなかったでしょう。それでも、降伏までの時間を延ばし、新政府と有利な条件で話し合う余地は残ったと思います。

もしも④ 宮古湾で甲鉄を奪えていたら

3隻がそろって突入できていれば、甲鉄を奪えた可能性はありました。そうなれば、新政府の旗艦は旧幕府のものになり、箱館への上陸作戦は大きく遅れたはずです。甲賀源吾も土方歳三も、まったく違う最期を迎えていたでしょう。

まとめ

戊辰戦争の海の戦いは、「強い海軍を持っていた側が、それを使わず、手放し、失っていった」物語でした。慶喜は大坂湾の優位を使わず、榎本は4隻を手放し、開陽丸は嵐に沈み、甲鉄は外交の壁に阻まれました。

大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、主人公の小栗忠順が、海軍と横須賀の造船所に力を注ぐ姿が描かれるはずです。その海軍がどんな結末を迎えたのかを知っておくと、ドラマの見え方も変わってくると思います。

参考資料

  • 各艦の備砲・馬力:当サイト「軍艦全140隻」の各ページ
  • 甲鉄の来歴:Wikipedia英語版「CSS Stonewall」ほか
  • 「もしも」の部分は管理人の考え(推測)です。

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