蟠龍丸【江戸幕府 スクーナー級砲艦 幕末軍艦】

蟠龍丸
藩名 江戸幕府
藩主 徳川慶喜
船種 スクーナー級砲艦
機関 蒸気内車
備砲 6門
材質 木製
馬力 100馬力
写真

■ 詳細
1856年に英国ブラックウォールのグリーン造船所で建造されました。原名「エンペラー」。英王室所有の遊覧船。1858年7月にビクトリア女王から将軍に寄贈されました。函館戦争にも榎本艦隊の基幹として活躍しました。函館沖海戦で回天と共に明治政府艦隊を引き受けて奮戦したが、甲鉄艦と交戦し座礁し自ら火を放ちました。

目次

イギリス女王から贈られた「蟠龍丸」

蟠龍丸は、もともとイギリスからの贈り物として幕府にもたらされた蒸気軍艦です。日英の交誼を示す献上艦として日本へ渡り、のちに幕府海軍の一隻として運用されました。

箱館湾海戦での殊勲

蟠龍丸は榎本艦隊に加わって蝦夷地へ転戦し、1869年(明治2年)の箱館湾海戦を戦いました。この海戦で蟠龍丸は、新政府軍の軍艦・朝陽丸に砲弾を命中させます。この一弾が朝陽丸の弾薬庫を直撃して大爆発を起こし、朝陽丸はたちまち沈没しました。劣勢の旧幕府海軍にとって、数少ない痛快な勝利の場面でした。

旧幕府海軍最後の戦い

しかし全体の戦局を覆すには至らず、弾薬を撃ち尽くした蟠龍丸は自ら座礁・処分され、その生涯を閉じました。箱館戦争を象徴する軍艦の一隻です。

蟠龍丸をもっと深く——ヴィクトリア女王が将軍に贈った船

条約といっしょに贈られた軍艦

蟠龍丸は買った船ではありません。贈られた船です。

1856年、イギリスのブラックウォールにあるグリーン造船所で建造され、当初の名を「エンペラー」といきました。王室のヨットとして扱われていたと伝わります。安政五年(1858年)、日英修好通商条約の調印のため来日したエルギン伯爵が、ヴィクトリア女王の名において将軍・徳川家定に献上しました。

条約と軍艦がセットで届いたことになります。友好の証であると同時に、自国の造船技術の見本でもありました。同じ時期、オランダ国王は観光丸を将軍に献上しています。列強は日本へ船を贈ることで、影響力を競い合っていました。

要目——旗艦の七分の一

建造 イギリス・ブラックウォール(1856年)
旧名 エンペラー
排水量 約370トン
推進 スクリュー(3本マストのスクーナー型)
出力 60馬力
速力 7.7ノット
備砲 6門

開陽丸の七分の一ほどしかない小さな船です。ところが幕末の海戦史に残る一発を撃ったのは、この小艦でした。

幕府艦で唯一、新政府の軍艦を沈めた

明治元年八月、蟠龍丸は榎本艦隊に加わって品川沖を脱走します。翌年の宮古湾海戦には、暴風で僚艦とはぐれたため参加できませんでした。回天丸の斬り込みが失敗したあの作戦に、この船は間に合わなかったのです。

明治二年五月十一日、箱館総攻撃の朝。蟠龍丸の放った砲弾が、新政府軍の朝陽丸の火薬庫に命中しました。朝陽丸はおよそ二分で沈みます。旧幕府海軍が新政府の軍艦を撃沈した、ただ一つの例です。

ただし、この戦果が戦局を動かすことはありませんでした。同じ日、五稜郭はすでに包囲されており、旧幕府軍の降伏は目前でした。三百七十トンの船が挙げた大戦果は、負け戦のいちばん最後に置かれています。

名前を変えながら、明治を生きた

敗戦にあたって蟠龍丸は自焼・擱座しました。ところがこの船はそこで終わらません。イギリス人が引き揚げ、上海で修理して、新政府の海軍に収まりました。明治六年に「雷電丸」、明治十年に「雷電」と改名され、明治二十一年に廃艦となります。

その後も捕鯨船や商船として使われ、解体されたのは明治三十年、大阪の造船所においてでした。イギリスの女王が将軍に贈った船が、四十年ののちに大阪の岸で解かれています。幕末の艦のなかでも、飛び抜けて長く働いた一隻です。

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