この記事は、2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
史実をふまえたうえで、「もしあのとき別の道を選んでいたら」を管理人なりに考えるシリーズです。前半は史料にもとづく史実、後半の「もしも」の部分は管理人の考え(推測)です。

慶応4年(1868年)4月11日、江戸城は一発の砲声もなく新政府軍に明け渡されました。これが「江戸城無血開城」です。人口100万を超える江戸の町が戦場になる寸前で、総攻撃は止められました。
よく知られているのは、勝海舟と西郷隆盛の会談です。けれども、開城にいたるまでには、山岡鉄舟の命がけの使者、イギリス公使パークスの横やり、天璋院や和宮の嘆願など、いくつもの力が働いていました。そして、その裏側では、抗戦を説いた小栗忠順が罷免され、のちに斬られています。
江戸城無血開城とは?—先に答え
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| いつ | 慶応4年(1868年)4月11日 |
| 何が起きた | 旧幕府が、戦わずに江戸城を新政府軍に明け渡した |
| 決まった場 | 3月13日・14日、江戸の薩摩藩邸での勝海舟と西郷隆盛の会談。15日に予定されていた江戸総攻撃が中止された |
| 道をつけた人 | 山岡鉄舟(駿府で西郷と会い、条件を引き出した) |
| 背景 | 慶喜の恭順、イギリス公使パークスの反対、天璋院・和宮の嘆願 |
| その後 | 慶喜は水戸へ。彰義隊の上野戦争、榎本艦隊の脱出、東北・箱館での戦いが続いた |
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なぜ江戸が攻められることになったのか
慶応4年1月の鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が敗れ、徳川慶喜は大坂城から江戸へ引き上げました。新政府は慶喜を「朝敵」とし、2月、有栖川宮熾仁親王を大総督とする東征軍を江戸へ向けて送り出します。実質的な指揮をとったのは、参謀の西郷隆盛でした。
江戸城では、小栗忠順らが徹底抗戦を説きましたが、慶喜は恭順を選び、1月15日に小栗を罷免します。慶喜は2月、上野の寛永寺に入って謹慎し、新政府との交渉を陸軍総裁の勝海舟にゆだねました。東征軍は、3月15日を江戸総攻撃の日と決めます。
山岡鉄舟—駿府への使者

交渉の道を開いたのは、旗本の山岡鉄舟でした。3月、山岡は勝の手紙を持ち、東征軍の陣地のただ中を「朝敵・徳川慶喜の家来、山岡鉄太郎まかり通る」と名乗って進み、駿府(静岡)の西郷のもとにたどり着いたと伝わります。
西郷が示した降伏の条件は、慶喜を備前藩に預けること、江戸城を明け渡すこと、軍艦と武器をすべて引き渡すことなどでした。山岡は、ほかの条件はのんでも、主君の慶喜を他藩に預けることだけは受け入れられないと強く迫り、西郷はこの一点を預かることにしました。
勝海舟と西郷隆盛の会談—3月13日・14日
3月13日と14日、勝海舟と西郷隆盛は、江戸の薩摩藩邸(13日は高輪の下屋敷、14日は田町の蔵屋敷)で会談しました。総攻撃の前日です。
| 勝海舟(旧幕府) | 西郷隆盛(新政府) | |
|---|---|---|
| 立場 | 陸軍総裁。旧幕府の交渉役 | 東征大総督府の参謀。軍の実質的な指揮者 |
| 持っていた札 | 慶喜の恭順。交渉が破れれば江戸を焼いて新政府軍を迎え撃つ構え | 大軍と、朝廷の権威 |
| 求めたこと | 慶喜の命と、徳川家の存続 | 江戸城の明け渡し、軍艦・武器の引き渡し |
勝は、慶喜の恭順を誓い、江戸城の明け渡しと武器の引き渡しを約束しました。そのかわり、慶喜の身の安全と徳川家の存続を求めます。西郷はこれを受け入れ、翌15日の総攻撃を中止しました。
勝は交渉が破れた場合に備え、江戸の町に火を放って新政府軍の進軍を阻み、町人を船で逃がす手はずまで整えていたといわれます。二人の会談は、刀を抜く寸前の駆け引きでもあったのです。



会談だけでは決まらなかった—パークスと大奥
総攻撃が止まったのは、勝と西郷の話し合いだけが理由ではありません。
- イギリス公使パークスの反対—新政府側が横浜の病院の手配を頼みに行ったところ、パークスは、恭順している相手を攻めるのは国際的に認められない、横浜の居留地にも混乱が及ぶとして、強く反対したと伝わります。新政府を支えてきたイギリスの反対は、西郷にとって重いものでした
- 天璋院と和宮—13代将軍家定の妻・天璋院(薩摩の島津家の出身)と、14代将軍家茂の妻・和宮(孝明天皇の妹)が、それぞれ新政府側に徳川家の存続を願い出ていました
- 新政府の事情—東北にはまだ会津藩などが残っており、江戸で大きな戦をして兵を損ないたくなかった

▶ ロッシュとは何をした人物か—パークスとの対立/徳川家茂とは何をした人物か
4月11日、江戸城明け渡し
4月4日、勅使が江戸城に入り、正式な条件が伝えられます。主な中身は次のとおりでした。
| 条件 | その後どうなったか |
|---|---|
| 慶喜は水戸で謹慎する | 4月11日、慶喜は寛永寺を出て水戸へ向かった |
| 江戸城を明け渡す | 4月11日に尾張藩へ引き渡され、21日に大総督が入城 |
| 軍艦・武器を引き渡す | 榎本武揚は拒み、軍艦4隻だけを渡した |
| 城内の家臣は城外で謹慎する | 不満を持つ者たちは彰義隊などに加わった |
こうして江戸城は、一滴の血も流さずに明け渡されました。江戸の町は戦火をまぬがれ、のちに東京として新しい首都になります。

無血開城のあと—戦いは終わらなかった
「無血開城」といっても、戊辰戦争が終わったわけではありません。
- 上野戦争(5月15日)—開城に納得しない旧幕臣らの彰義隊が上野の寛永寺に立てこもり、新政府軍の総攻撃を受けて1日で壊滅した
- 榎本艦隊の脱出(8月)—引き渡しを拒んだ軍艦を率いて、榎本武揚が箱館へ向かった
- 小栗忠順の斬首(閏4月6日)—領地の権田村に移っていた小栗は、開城から1か月も経たないうちに、取り調べもなく斬られた
- 東北・箱館の戦い—会津戦争をへて、明治2年5月の箱館・五稜郭の降伏まで続いた

▶ 彰義隊とは/戊辰戦争の海軍を比べる/小栗上野介はなぜ殺されたのか
小栗忠順から見た無血開城
大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公・小栗忠順は、この開城の場にはいませんでした。小栗は、箱根で新政府軍を止め、艦隊で海から背後を突く作戦を説き、退けられています。
勝の交渉が江戸の町を救ったのは確かです。一方で、戦わずに恭順した旧幕府の家臣たちが、そのあと新政府にどう扱われたのか。小栗の最期は、その一つの答えでもありました。勝と小栗、二人の幕臣の選んだ道の違いは、ドラマの大きなテーマになりそうです。
▶ 小栗忠順と勝海舟—同じ幕府に仕えた二人は、なぜ正反対の道を選んだのか/【幕末のもしも】小栗忠順の作戦が採用されていたら
ゆかりの地
- 江戸開城 西郷南洲・勝海舟会見之地の碑(東京都港区芝)—田町の薩摩藩蔵屋敷の跡
- 江戸城跡(皇居東御苑)(東京都千代田区)
- 寛永寺(東京都台東区)—慶喜が謹慎した寺
- 勝海舟記念館(東京都大田区)—勝の晩年の別邸があった洗足池のほとり

参考資料
- 勝海舟『氷川清話』、山岡鉄舟の談話記録ほか
- 写真:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)、当サイト撮影
小栗忠順のゆかりの地をめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。
- 【現地取材】小栗上野介ゆかりの地を1日でめぐる|築地・雑司ヶ谷・大宮・倉渕の回り方とモデルコース、ゆかりの地一覧(回る順番と移動時間、エリア別の一覧)
- 【現地取材】小栗上野介の生まれた場所はどこ?生誕地・神田駿河台の小栗家屋敷跡と横須賀のゆかりの地(ヴェルニー公園の胸像と、烏川の河原から運ばれた記念石。神田駿河台の生誕地)
- 小栗上野介ゆかりの地 ― 東京・横須賀・埼玉・群馬をたどる(まとめ)
- 倉渕・東善寺をめぐるモデルコース(都内発・車で1泊2日。墓所の東善寺、最期の地、普門院の首塚)
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小栗忠順をもっと知る本
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2027年NHK大河ドラマ
『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集
放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。
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