2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公・小栗忠順(小栗上野介)は、勘定奉行、外国奉行、町奉行、軍艦奉行、陸軍奉行並と、たくさんの役職を渡り歩きました。けれども、「勘定奉行って何をする仕事?」「陸軍奉行並と陸軍総裁はどう違うの?」と聞かれると、意外に答えにくいものです。
この記事は、小栗が就いた役職を一つずつ取り上げて、何をする仕事か、今でいえば何にあたるか、だれの部下だったか、小栗はその職で何をしたかを解説する「役職の辞典」です。いつ就いて、いつ辞めたかを年表で追いたい方は、小栗忠順の役職一覧(年表編)をあわせてどうぞ。
小栗の役職は、今でいうと?—先に答え

いちばん長く務めた勘定奉行は、今でいえば財務大臣にあたる役職です。幕府の財政と、天領(幕府の直轄地)の年貢や訴訟を受け持ちました。
ほかに、外交の外国奉行(外務省の幹部)、江戸の行政・警察・裁判の町奉行(都知事と警視総監と裁判所長を兼ねた職)、海軍・陸軍の奉行並(防衛省の幹部)を務めています。最後は勘定奉行に海軍奉行並・陸軍奉行並を兼ね、財政と陸海軍をまとめて預かる立場にいました。
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小栗の役職—早見表

小栗が就いた主な役職を、就いた順に並べました。「役高」は、その役職に就く人に見合うとされた石高です。
| 役職 | 何をする仕事? | 今でいうと | 上役 | 役高 |
|---|---|---|---|---|
| 書院番 | 将軍を守る親衛隊 | 皇宮警察・近衛兵 | 若年寄 | — |
| 使番 | 戦場の伝令、平時は諸国の視察 | 監察官・特使 | 若年寄 | 1000石 |
| 目付 | 旗本・御家人の監察、政治への意見 | 監察官・会計検査院 | 若年寄 | 1000石 |
| 外国奉行 | 条約交渉など外交の実務 | 外務省の幹部 | 老中 | 2000石 |
| 勘定奉行 | 幕府の財政、天領の年貢と訴訟 | 財務大臣(+一部の裁判) | 老中 | 3000石 |
| 江戸町奉行 | 江戸の行政・警察・裁判 | 都知事+警視総監+裁判所長 | 老中 | 3000石 |
| 歩兵奉行 | 洋式の歩兵部隊を率いる | 陸上部隊の司令官 | 陸軍奉行など | — |
| 陸軍奉行並 | 幕府陸軍の実務を仕切る | 防衛省の幹部(陸) | 陸軍奉行・陸軍総裁 | — |
| 軍艦奉行 | 軍艦の買い入れ・建造・乗組員の訓練 | 海上部隊・造船の責任者 | — | — |
| 海軍奉行並 | 幕府海軍の実務を仕切る | 防衛省の幹部(海) | 海軍奉行・海軍総裁 | — |
※「今でいうと」はイメージをつかむためのたとえです。役高は代表的な値で、時期により変わります。新しくできた軍事の役職は、上役や役高が時期によって大きく変わったため「—」としています。
書院番—将軍を守る、旗本の出発点

江戸幕府の役職は、大きく「番方(ばんかた)」と「役方(やくかた)」に分かれます。番方は軍事や警備、役方は行政の仕事です。
書院番は番方の代表で、江戸城の警備や、将軍が外出するときの護衛を受け持つ親衛隊でした。小姓組番とあわせて「両番」と呼ばれ、家柄のよい旗本が最初に就く役でした。小栗も天保14年(1843年)、17歳ごろにここから勤めはじめています。
使番・目付—「出世の関門」

使番は、戦のときは大将の命令を伝えて回る伝令役です。平和な江戸時代には、諸国の大名の様子を見て回ったり、江戸の火事の現場を監督したりしました。
目付は、旗本や御家人に不正がないかを見張る監察役です。それだけでなく、幕府の政策に意見を述べたり、外交の場に立ち会ったりもしました。目付を無事に務めた人が奉行へ進むことが多く、いわば「出世の関門」でした。
小栗は安政6年(1859年)、大老・井伊直弼に見こまれて目付となり、翌年、日米修好通商条約の批准のためアメリカへ渡る使節団に「目付」として加わりました。使節団の正使・副使がきちんと務めを果たすかを見届ける、お目付け役です。
外国奉行—開国で生まれた「外務省」

外国奉行は、安政5年(1858年)に日米修好通商条約などが結ばれたのを受けて新しく作られた、外交専門の役職です。老中の下で、外国の公使との交渉、条約の実務、開港場の管理などを受け持ちました。役高は2000石で、長崎奉行など江戸の外に置かれた奉行より格上とされました。
小栗はアメリカから帰国した直後の万延元年(1860年)に外国奉行となります。翌年、ロシア軍艦が対馬に居座る事件が起きると、現地へ出向いて交渉しましたが、幕府の方針が定まらないことに抗議して辞めました。
勘定奉行—小栗がいちばん長く務めた「財務大臣」

勘定奉行は、幕府の財政を預かる役職です。寺社奉行・町奉行とならぶ「三奉行」の一つで、幕府の重要な裁判を合議する評定所のメンバーでもありました。役高は3000石、老中の下に置かれ、定員はおおむね4人です。
勘定奉行は、仕事によって二つに分かれていました。
| 勝手方(かってがた) | 公事方(くじかた) | |
|---|---|---|
| 受け持ち | 幕府の財政—収入と支出、年貢、貨幣、金銀の管理 | 天領(幕府の直轄地)や関八州の訴訟・裁判 |
| 今でいうと | 財務大臣 | 裁判所 |
| 小栗 | こちらを担当 | — |
小栗が担当したのは、財政を受け持つ勝手方です。開国後の物価の高騰、長州との戦争、軍艦や武器の買い入れで、幕府の財政は苦しくなる一方でした。その中で横須賀製鉄所やフランス式陸軍の資金を工面したのが、勘定奉行の小栗でした。
小栗は辞めては呼び戻され、数え方によっては四度も勘定奉行に就いています。それだけ「お金のことは小栗でないと回らない」と思われていたのでしょう。
家禄2700石の小栗が、3000石の役に就けたわけ
小栗家の家禄は2700石で、勘定奉行の役高3000石に300石足りません。こういうときは、在職中だけ不足分を足して支給する「足高(たしだか)の制」がありました。8代将軍・徳川吉宗が始めた仕組みで、家柄が少し足りない人でも、能力があれば高い役職に就けるようにしたものです。
江戸町奉行—都知事と警視総監と裁判官を一人で
江戸町奉行は、江戸の町人地をおさめる役職です。行政、警察、裁判、消防まで受け持ち、今でいえば都知事と警視総監と裁判所長を一人で兼ねるような職でした。南町奉行と北町奉行の二人が置かれ、ひと月ごとに交代で訴えを受けつけました。役高は勘定奉行と同じ3000石です。
小栗は文久2年(1862年)閏8月に南町奉行となりましたが、在任は3か月あまりで、その年の12月には歩兵奉行に移っています。時代劇でおなじみの「お奉行様」も、幕末にはこれほど短い期間で人が入れ替わっていました。
歩兵奉行・陸軍奉行並—幕府に生まれた西洋式の陸軍

文久2年(1862年)、幕府は軍制を大きく改め、西洋式の歩兵・騎兵・砲兵からなる陸軍を作りはじめました(文久の軍制改革)。このとき新しく置かれたのが陸軍奉行と歩兵奉行です。歩兵奉行は、農民などから集めた兵を洋式の歩兵として訓練し、率いる役でした。
陸軍奉行並の「並(なみ)」は、「〜に準ずる」という意味です。陸軍奉行に次ぐ地位で、実際の運営を取り仕切りました。小栗は文久3年(1863年)に一度就いたもののすぐに辞め、幕府最後の年の慶応3年(1867年)12月、勘定奉行のまま陸軍奉行並を兼ねました。フランスから軍事顧問団を招き、フランス式の陸軍を整えていった時期です。
▶ 大鳥圭介とは何をした人物か—村医者の子が幕府の歩兵奉行に
軍艦奉行・海軍奉行並—海軍の役職
軍艦奉行は、安政6年(1859年)ごろに置かれた、幕府海軍の役職です。軍艦の買い入れや建造、乗組員の訓練を受け持ちました。勝海舟もこの職に就いたことで知られています。元治元年(1864年)11月に勝が軍艦奉行を罷免されると、翌12月にその職に就いたのが小栗でした。
その後、海軍の組織が大きくなると、軍艦奉行の上に海軍奉行が置かれ、さらにその補佐として海軍奉行並ができます。小栗は慶応2年(1866年)8月、勘定奉行のまま海軍奉行並を兼ね、横須賀製鉄所の建設を進めました。
陸軍奉行並と陸軍総裁は、どう違う?
大河ドラマでも混乱しやすいのが、「奉行並」と「総裁」の違いです。
| 陸軍奉行並・海軍奉行並 | 陸軍総裁・海軍総裁 | |
|---|---|---|
| 地位 | 奉行に次ぐ実務のトップ層 | 陸海軍全体の最高責任者 |
| 就いた人の格 | 旗本 | 若年寄・老中格の大名など |
| 置かれた時期 | 幕末の軍制改革のなかで | 慶応2年12月(1867年初め)から本格的に |
| 小栗との関係 | 小栗はこちら(陸・海とも) | 小栗は就いていない |
慶応4年(1868年)正月、鳥羽伏見の戦いのあと、徹底抗戦を主張した小栗は罷免されます。入れかわるように勝海舟が海軍奉行並、さらに陸軍総裁となり、新政府との交渉にあたりました。海軍総裁は矢田堀鴻、海軍副総裁は榎本武揚です。「小栗は奉行並、勝は総裁」という差は、そのまま幕府の最後の方針—戦うか、恭順するか—の分かれ目でもありました。
▶ 小栗忠順の罷免とは/小栗忠順と勝海舟—同じ幕府に仕えた二人は、なぜ正反対の道を選んだのか/榎本武揚とは何をした人物か
役職の名前によく出てくる言葉
- 並(なみ)—「〜に準ずる」。陸軍奉行並は陸軍奉行に次ぐ地位。
- 格(かく)—「〜と同じ扱い」。勝海舟の「若年寄格」は、若年寄そのものではないが、同じ待遇を受けるという意味。
- 勝手方・公事方—勘定奉行の担当分け。勝手方が財政、公事方が裁判。
- 寄合(よりあい)—役職に就いていない上級旗本の集まり。小栗も役を辞めているあいだは寄合に入りました。
- 役高(やくだか)—その役職にふさわしいとされた石高。家禄が足りなければ在職中だけ足された(足高の制)。
「上野介」は役職ではありません
「小栗上野介」の「上野介(こうずけのすけ)」は、幕府の役職ではなく、朝廷からもらう名目上の官名です。もとは上野国(今の群馬県)の次官を意味しましたが、江戸時代には実際の仕事はともなわず、武士の格を示す呼び名でした。
小栗は安政6年(1859年)に従五位下・豊後守となり、文久3年(1863年)に上野介へ改めました。上野国は親王が長官(守)を務める国とされたため、「上野守」ではなく「上野介」が使われます。忠臣蔵の吉良上野介と同じ官名ですが、もちろん別人です。小栗家の領地・権田村がちょうど上野国にあったのは、偶然の重なりでした。
小栗の役職について、よくある質問
小栗のいちばん高い役職は何ですか?
勘定奉行です。三奉行の一つで役高3000石。最後は勘定奉行に海軍奉行並・陸軍奉行並を兼ね、財政と陸海軍の両方を受け持ちました。老中や若年寄には就いていません。
小栗は陸軍総裁でしたか?
いいえ。小栗が就いたのは陸軍奉行並です。陸軍総裁は、小栗の罷免後に勝海舟が就いた職です。
勘定奉行に何回なりましたか?
資料によって数え方が違いますが、四度とされることが多いです。日付は役職一覧の年表にまとめています。
小栗は大名ですか?
いいえ。2700石の旗本です。大名は1万石以上の領主を指します。▶ 旗本と大名はどちらが偉いのか
小栗忠順のゆかりの地をめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。
- 【現地取材】小栗上野介はどこで生まれたか—生誕地・神田駿河台と、横須賀のゆかりの地を歩く(ヴェルニー公園の胸像と、烏川の河原から運ばれた記念石。神田駿河台の生誕地)
- 小栗上野介ゆかりの地 ― 東京・横須賀・埼玉・群馬をたどる(まとめ)
- 倉渕・東善寺をめぐるモデルコース(都内発・車で1泊2日。墓所の東善寺、最期の地、普門院の首塚)
- 横須賀の日帰りコース(都内発。軍港めぐりで、小栗が始めた造船所を海から見られます)
倉渕(高崎市)の東善寺や最期の地は駅から離れているので、高崎駅前でレンタカーを借りると回りやすくなります。各社の料金はじゃらんレンタカーで比べられます(PR)。
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小栗忠順をもっと知る本
記事の内容をもっと知りたい方に、小栗忠順を扱った本を紹介します。
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2027年NHK大河ドラマ
『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集
放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。
▶ 大河『逆賊の幕臣』の登場人物を知る
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- ふかわりょうさんが演じる徳川家定とは何をした人物か—黒船の直後に将軍となった「お飾り」の十三代、ほんとうに暗愚だったのか
- 神尾楓珠さんが演じる徳川家茂とは何をした人物か—十三歳で将軍、和宮と結ばれ、二十一歳で大坂城に没した十四代
- 岩田剛典さんが演じる阿部正弘とは何をした人物か—二十七歳で老中首座、黒船に「みんなの意見」を聞いた宰相
- 北村一輝さんが演じる鳥居耀蔵とは何をした人物か—天保の改革の「妖怪」、蘭学者を陥れ、二十三年の幽閉を生き延びた南町奉行
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この記事の情報源
日本大百科全書・国史大辞典(ジャパンナレッジ)の小栗忠順・勝海舟の項、幕末幕臣動向「小栗忠順」の役職記録、ウィキペディア日本語版の小栗忠順・勝海舟の各項目、BUSHOO!JAPAN「小栗忠順」などをもとにまとめました。役職の日付や勘定奉行の回数の数え方は、資料によって違いがあります。剣術の免許皆伝については、一次史料での裏付けがありません。


