この記事は、2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
史実をふまえたうえで、「もしあのとき別の道を選んでいたら」を管理人なりに考えるシリーズです。前半は史料にもとづく史実、後半の「もしも」の部分は管理人の考え(推測)です。

大政奉還(たいせいほうかん)とは、慶応3年(1867年)10月、15代将軍・徳川慶喜が、政権を朝廷に返すと申し出たできごとです。徳川家康が江戸に幕府を開いてから260年あまり続いた、武士による政治の終わりを告げる出来事でした。
ところが、慶喜にとって大政奉還は「負け」ではありませんでした。むしろ、薩摩と長州の武力討幕をかわし、徳川家が新しい政治の中心に残るための一手だったのです。それがなぜ、わずか2か月半後の鳥羽伏見の戦いにつながってしまったのかをたどります。
大政奉還とは?—先に答え
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| いつ | 慶応3年(1867年)10月14日に申し出、翌15日に朝廷が受け入れた |
| 誰が | 15代将軍・徳川慶喜 |
| どこで | 京都・二条城(13日に諸藩の重臣を集めて意見を聞いた) |
| 何を | 幕府が持っていた政権を、朝廷に返した |
| 誰の案 | 土佐藩の後藤象二郎・坂本龍馬らの考えを、前藩主・山内容堂が建白書にまとめて慶喜に出した |
| ねらい | 薩長の武力討幕の名目をなくし、大名の会議で徳川家が主導権をにぎること |
| その後 | 12月9日の王政復古の大号令で慶喜は締め出され、翌年1月の鳥羽伏見の戦いへ |
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なぜ政権を返すことになったのか
慶応3年の秋、幕府は追いつめられていました。前の年の第二次長州征討では長州一藩に敗れ、将軍の権威は大きく傷ついていました。薩摩と長州はひそかに手を結び(薩長同盟)、武力で幕府を倒す準備を進めます。
そこで動いたのが土佐藩です。土佐の後藤象二郎は、坂本龍馬らの考えをもとに、「幕府が自分から政権を朝廷に返し、大名たちの会議で国を動かせばよい」という案をまとめ、前藩主の山内容堂がこれを建白書として慶喜に差し出しました(10月3日)。戦をせずに新しい政治に移る道です。


10月13日・14日—二条城で
慶喜はこの案を受け入れます。10月13日、京都の二条城・二の丸御殿の大広間に、京都にいた諸藩の重臣たちを集め、政権を返す考えを示して意見を聞きました。そして翌14日、朝廷に大政奉還を申し出て、15日に受け入れられます。
じつは同じ14日、薩摩と長州には、幕府を討てという天皇の命令(討幕の密勅)が下されていました。慶喜の大政奉還は、その矢先に討幕の名目を奪うものになりました。この密勅には、正式な手続きをふんでいない疑いがあることも知られています。
慶喜のねらい—返しても、徳川が中心
政権を返したといっても、朝廷には全国を治める役所も、軍も、お金もありませんでした。慶喜は、大名たちの会議で新しい政治を決めることになれば、日本一の大名である徳川家が議長役になれると考えていたといわれます。
| 慶喜の考え | 薩摩・長州の考え | |
|---|---|---|
| 新しい政治 | 大名の会議。徳川家がその中心 | 天皇のもとの新政府。徳川家は外す |
| 徳川家の領地 | そのまま持つ | 返させる(辞官納地) |
| 手段 | 話し合い | 必要なら武力 |
王政復古の大号令—12月9日の巻き返し
薩摩の大久保利通・西郷隆盛と、公家の岩倉具視は、このまま慶喜に主導権を握られることを恐れました。12月9日、彼らは御所の門を固め、「王政復古の大号令」を出させます。幕府も摂政・関白も廃止し、天皇のもとに総裁・議定・参与の三職を置く新しい政府を作るというものでした。
その夜に開かれた小御所会議では、慶喜に官位を辞めさせ、領地を返させる(辞官納地)ことが決められます。慶喜はこの会議に呼ばれてもいませんでした。土佐の山内容堂が「慶喜を呼ばずに決めるのは不公平だ」と強く反対しましたが、押し切られます。
そして鳥羽伏見へ
慶喜は衝突をさけて京都の二条城から大坂城に移りました。しかし江戸では、薩摩の浪士たちが騒ぎを起こして幕府を挑発し、12月25日、怒った幕府側が江戸の薩摩藩邸を焼き打ちにします。この知らせが大坂に届くと、旧幕府側の「薩摩を討て」という声は抑えきれなくなりました。
年が明けた慶応4年(1868年)1月3日、京都へ向かった旧幕府軍と薩摩・長州の軍が、鳥羽と伏見でぶつかります。大政奉還から、わずか2か月半後のことでした。

▶ 続きは 戊辰戦争の海軍を比べる、鳥羽伏見の戦いと新選組、【幕末のもしも】慶喜が大坂城から逃げ帰らなかったら
坂本龍馬と大政奉還
大政奉還というと坂本龍馬の名前がよく挙がります。龍馬が後藤象二郎に示したとされる新しい国の形の案(いわゆる「船中八策」)は、大政奉還の考えのもとになったといわれます。ただし「船中八策」そのものの原本は残っておらず、後の時代に整えられた文書だという見方もあります。
龍馬は大政奉還から1か月後の11月15日、京都の近江屋で暗殺されました。

小栗忠順と大政奉還
大政奉還のとき、勘定奉行の小栗忠順は江戸にいました。小栗が進めていたのは、横須賀製鉄所やフランス式陸軍で幕府の力を強め、将軍を中心にした強い国を作る改革です。政権を朝廷に返すという慶喜の決断は、その方向とは正反対のものでした。
大政奉還から鳥羽伏見、そして江戸での評定へ。小栗が罷免されるまでの3か月は、大河ドラマ『逆賊の幕臣』の大きな山場になるはずです。
▶ 小栗忠順の罷免とは/【幕末のもしも】小栗忠順の作戦が採用されていたら
大政奉還の年表
| 日付(慶応3年〜4年) | できごと |
|---|---|
| 慶応3年10月3日 | 山内容堂が大政奉還の建白書を出す |
| 10月13日 | 二条城で諸藩の重臣に意見を聞く |
| 10月14日 | 慶喜が大政奉還を申し出る。同じ日、薩長に討幕の密勅 |
| 10月15日 | 朝廷が受け入れる |
| 11月15日 | 坂本龍馬が暗殺される |
| 12月9日 | 王政復古の大号令。小御所会議で辞官納地 |
| 12月25日 | 江戸の薩摩藩邸焼き打ち |
| 慶応4年1月3日 | 鳥羽伏見の戦いが始まる |
ゆかりの地
- 二条城(京都市)—二の丸御殿の大広間で、大政奉還の決意が伝えられた
- 近江屋跡(京都市)—坂本龍馬が暗殺された場所

参考資料
- 家近良樹『徳川慶喜』ほか
- 写真:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)、当サイト撮影
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