2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
文・写真:佐藤秀信(すべて現地で撮影)
2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集 に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
幕府の財政と軍備を担い、横須賀製鉄所の建設を進めた小栗上野介忠順。新政府軍に捕らえられ、取り調べらしい取り調べもないまま斬られた人物です。その足跡をたどり、東京の墓所から菩提寺、終焉の地となった群馬県高崎市倉渕町、そして高崎まで、ゆかりの地を実際に歩いてきました。
この記事では、実際に歩いた小栗上野介ゆかりの地を、スポットごとに現地の案内板や石碑に記された内容を交えて紹介します。小栗がどんな人物だったかは、小栗忠順(小栗上野介)は何をした人?で詳しくまとめています。
ゆかりの地の回り方|東京から倉渕まで1日でめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・埼玉・群馬・神奈川に散らばっています。横須賀を別の日にすれば、東京の築地から群馬の倉渕まで、1日で主なところを回ることができます。管理人が実際に歩いた順番をもとに、回り方をまとめました(移動時間は目安です)。
| 順番 | 場所 | 見どころ | 次への移動(目安) |
|---|---|---|---|
| 1 | 築地(東京都中央区) | 軍艦操練所跡・築地ホテル館跡の説明板 | 電車で雑司が谷へ 約30〜40分 |
| 2 | 雑司ヶ谷霊園(東京都豊島区) | 小栗家累代之墓、岩瀬忠震・ジョン万次郎の墓 | 電車で大宮へ 約40分 |
| 3 | 普門院(さいたま市大宮区) | 小栗家の墓、首塚と伝わる塚 | 新幹線で高崎へ 約25分(在来線なら約1時間10分) |
| 4 | 高崎(群馬県高崎市) | 高崎城跡、下斎田の阿弥陀堂(小栗又一の墓) | レンタカーで倉渕へ 約40分〜1時間 |
| 5 | 倉渕(群馬県高崎市倉渕町) | 東善寺、観音山の屋敷跡、水沼河原、姉妹観音と不忘碑 | — |
倉渕のゆかりの地は駅から離れていて、バスの本数も多くありません。高崎駅前でレンタカーを借りると、東善寺・観音山・水沼河原を半日で回れます。横須賀のヴェルニー公園(小栗とヴェルニーの胸像、ヴェルニー記念館)は、都内から日帰りで別の日に訪ねるのがおすすめです。
| エリア | 主なゆかりの地 | くわしい記事 |
|---|---|---|
| 東京 | 築地、雑司ヶ谷霊園、神田駿河台の生誕地 | 軍艦操練所跡、築地ホテル館跡、雑司ヶ谷霊園、生誕地 |
| 埼玉 | 大宮・普門院 | 普門院 |
| 群馬 | 東善寺、観音山、水沼河原、姉妹観音、下斎田の阿弥陀堂 | 東善寺の参拝ガイド、観音山、水沼河原、姉妹観音、小栗又一の墓 |
| 神奈川 | 横須賀・ヴェルニー公園 | ヴェルニー公園の石碑と案内板 |
小栗上野介ゆかりの地一覧
今回歩いたゆかりの地と、小栗とのかかわりを一覧にしました。それぞれの場所は、個別の現地取材記事でくわしく紹介しています。
| ゆかりの地 | 小栗とのかかわり | 記事 |
|---|---|---|
| 神田駿河台(東京) | 生まれた場所 | 生誕地 |
| 築地(東京) | 軍艦操練所の跡地に、小栗が考えた築地ホテル館が建った | 軍艦操練所・築地ホテル館 |
| 雑司ヶ谷霊園(東京) | 小栗家累代之墓 | 雑司ヶ谷霊園 |
| 普門院(さいたま市大宮区) | 小栗家の菩提寺・首塚の伝承 | 普門院 |
| 東善寺(高崎市倉渕町) | 最期を過ごした寺・本墓 | 東善寺 |
| 観音山(高崎市倉渕町) | 建てようとした屋敷の跡 | 屋敷跡 |
| 水沼河原(高崎市倉渕町) | 斬首された終焉の地 | 終焉の地 |
| 姉妹観音・不忘碑(高崎市倉渕町) | 隠棲の陰で犠牲になった人々 | 姉妹観音 |
| 阿弥陀堂(高崎市下斎田町) | 養子・又一の墓 | 又一の墓 |
| 墓のまとめ | 墓が各地に分かれた理由 | 小栗上野介の墓はどこ? |
旅の順路や移動時間、宿や食事などの旅の記録は、姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」の【実録】小栗上野介ゆかりの地をめぐる1泊2日にまとめています。この記事では、それぞれの史跡の歴史を中心に紹介します。
築地|軍艦操練所跡と築地ホテル館
築地六丁目の交差点の角に、中央区教育委員会の「軍艦操練所跡」の説明板が立っています。幕府海軍の学校があった場所で、その跡地には、小栗が「土地は幕府、建物と経営は民間」という方式を考えた日本最初の洋式ホテル・築地ホテル館が建てられました。幕府の近代化の二つの顔が、一つの土地に重なっています。

▶ 詳しくは 軍艦操練所の現地取材/築地ホテル館の現地取材
靖国神社|「勝てば官軍」を考える
九段の靖国神社には、新政府軍の側で戦った人々がまつられています。参道にそびえるのは、近代陸軍の創設者とされる大村益次郎の銅像です。
一方、幕臣として最後まで徳川に仕えた小栗上野介は、ここにはまつられていません。同じ時代に国の近代化を考えた人物でも、勝った側と負けた側で、のちの扱いはこれほど違います。小栗ゆかりの地をめぐる旅の前に、あえてこの場所に立ってみました。
その大村益次郎は、のちに小栗について「小栗の提案した作戦が実際に採用されていたら、われわれはここにいなかっただろう」と語ったと伝えられています。小栗は江戸に攻め上る新政府軍を箱根で迎え撃ち、幕府海軍で背後を突く策を唱えていました。ちょうど大村の銅像を撮影したばかりだったので、この言葉がいっそう重く感じられました。
境内には、剣術の流派・神道無念流の練兵館跡を示す碑もあります。




雑司ヶ谷霊園|小栗家累代之墓
東京・豊島区の雑司ヶ谷霊園には、「小栗家累代之墓」があります。墓石には上野介、妻の道子、そして会津で生まれた娘の國子と、婿として家を再興した貞雄の名が並びます。「逆賊」とされながらも絶えずに続いた小栗家の墓です。同じ霊園には、ジョン万次郎も眠っています。

▶ 詳しくは 雑司ヶ谷霊園の現地取材
大宮・普門院|小栗家の菩提寺と首塚
さいたま市大宮区の普門院は、江戸時代のはじめから小栗家の領地だった大成村にある菩提寺です。初代・忠政が一番槍の働きから「又一(また一番)」と呼ばれたことが、小栗家の当主が代々「又一」を名のる由来でした。境内には、首を運んだと伝わる文字のない首塚、小栗上野介招魂碑と大砲・機械水雷・錨、ジョン万次郎を取り調べた長崎奉行・牧志摩守の墓があります。

▶ 詳しくは 普門院の現地取材
水沼河原|小栗上野介終焉の地
群馬県高崎市倉渕町水沼の烏川の河原が、小栗が取り調べもないまま家臣3人とともに斬られた終焉の地です。土手の下に「偉人小栗上野介 罪なくして此所に斬らる」と刻まれた大きな慰霊碑が建ち、小栗家のものと思われる家紋の旗が揺れていました。なぜ小栗は斬られたのか、碑の前で考えたことは個別記事に書いています。

▶ 詳しくは 水沼河原の現地取材
姉妹観音と不忘碑|隠棲の陰の犠牲者
小栗が権田村に移ったことをきっかけに、村は打ちこわしに襲われ、村人5人が命を落としました。小栗が斬られた翌日には、用人・塚本真彦の幼い娘二人が川の渕に沈められています。川音の聞こえるお堂に、姉妹観音と「不忘」の碑が建っています。

▶ 詳しくは 姉妹観音と不忘碑の現地取材
東善寺|小栗が最期を過ごした寺と本墓
高崎市倉渕町権田の東善寺は、小栗が屋敷の完成を待つあいだ仮住まいした寺です。最期に乗った「捨て駕籠」が残る遺品館、首と胴を一緒に葬った裏山の本墓、ともに斬られた家臣の墓、そして咸臨丸ではなくポーハタン号に光を当ててほしいと語るご住職のお話は、個別記事にまとめました。

▶ 詳しくは 東善寺の現地取材/小栗上野介の墓はどこ?
観音山|小栗が建てようとした屋敷の跡
東善寺の裏の観音山の頂上は、小栗が新しい屋敷を建てようとしていた場所です。礎石、江戸から運んだお茶の木、馬小屋跡、用水路の跡が残っています。新政府軍はこの屋敷を「城郭を構え砲台を築いた」と言いがかりの口実にしました。

▶ 詳しくは 屋敷跡の現地取材
はまゆう山荘|横須賀海軍カレーと小栗の展示
昼食は、倉渕町川浦の宿泊施設「はまゆう山荘」でとりました。ここの名物は、小栗が横須賀に製鉄所を築いた縁にちなむ「横須賀海軍カレー」です。お店の方の説明では、最近になって「小栗公カレー」もメニューに加わったそうです。
昼食のラストオーダーは13時半です。私たちが着いたのはその10分前で、ぎりぎり間に合いました。東善寺や観音山をゆっくり回ったあとに寄るなら、時間に注意してください。
少し迷いましたが、はじめから海軍カレーを食べるつもりで来ていたので、今回は海軍カレーを注文しました。つい先日、横須賀のヴェルニー公園を散策し、軍港めぐりも体験したばかりだったので、なおさら海軍カレーの気分だったのです。
海軍カレーには、サラダと牛乳が付いてきます。コーヒーや紅茶ではなく牛乳というのが、なんとも味があります。カレーと牛乳の組み合わせに、子どものころの給食を思い出しました。妻は牛乳を飲まないので、私が2杯いただきました。

館内には船の模型や、小栗の生涯を絵札にした「小栗かるた」が飾られています。小栗を主人公にした大河ドラマ「逆賊の幕臣」のポスターも貼られ、地元の盛り上がりが伝わってきました。ロビーでは、海軍カレーと小栗公カレーがおみやげとして置いてありました。




高崎城跡|小栗捕縛にかかわった藩の城
倉渕から高崎市街へ移動し、高崎城跡を訪ねました。小栗を捕らえたのは、東山道軍の命を受けた高崎・安中・吉井の三藩の兵です。高崎藩もまた、小栗の最期にかかわった藩でした。そして養子の又一は、この高崎の城下で斬首されています。
城跡に残る乾櫓は、群馬県指定重要文化財です。案内板によると、高崎城は井伊直政によって築かれ、乾櫓は本丸の北西の角にあった二階建ての櫓でした。明治以後は払い下げられて農家の納屋として使われていましたが、県の重要文化財に指定されたのを機に、東門とともに今の場所へ移築・復元されたそうです。
城跡の一角には、明治以降に城内に置かれた陸軍歩兵第十五連隊などの事績を伝える顕彰碑も建っています。
ただ、実際に歩いてみると、高崎城の遺構はほんの一部しか残っていません。石垣も一部だけです。こうした遺構こそ、公園として整備するなどして、しっかり残してほしいと感じました。城下町でありながら、歴史を大切にしようという思いが薄いように感じてしまったのは、少し残念でした。





高崎城の御城印は、城址の近くにある書店「文開堂」で扱っています。私たちがいただいたときは500円でした。
阿弥陀堂|養子・小栗又一の墓
高崎市下斎田町の阿弥陀堂には、父の翌日に21歳で斬られた養子・小栗又一の墓があります。下斎田は小栗家の知行地で、殿様の非業の死を悲しんだ村人が遺骸をもらい受けて葬り、今も供養を続けています。

▶ 詳しくは 又一の墓の現地取材
まとめ|小栗上野介ゆかりの地を歩いてわかったこと
雑司ヶ谷と普門院の墓所、終焉の地の水沼河原、東善寺と観音山、そして高崎。ゆかりの地を実際に歩き、現地の案内板や碑文を一つひとつ読むと、教科書ではほとんど語られない小栗上野介の姿が見えてきます。
世界を一周して近代化の必要を誰よりも知っていた人物が、勝った側の歴史の中で長く脇に置かれてきました。それでも、その首を奪い返して葬った人々、遺骸を引き取って供養を続けた下斎田の人々、廃兵器を贈った海軍のように、小栗を忘れなかった人々がいました。大河ドラマをきっかけに、その再評価が進むことを願っています。
現地でいただいた御朱印と御城印、持ち帰ったパンフレットも紹介しておきます。






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小栗忠順をもっと知る本
記事の内容をもっと知りたい方に、小栗忠順を扱った本を紹介します。
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2027年NHK大河ドラマ
『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集
放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。
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この記事の情報源
現地で撮影した各所の案内板・碑文(中央区教育委員会、高崎市教育委員会、群馬県、さいたま市、普門院、東善寺、小栗上野介顕彰会など)の記載をもとにまとめました。あわせて高崎市の広報資料(小栗上野介特集)、城郭図鑑「下斎田城」を参照しました。ご住職やお寺の方から伺ったお話は、その旨を明記しています。


