2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
文・写真:佐藤秀信(すべて現地で撮影)
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まだ未来も将来もある若者を、何の罪も咎もなく斬首するとは—。小栗又一の墓の前で、そう思わずにはいられませんでした。
群馬県高崎市下斎田町の阿弥陀堂には、小栗上野介忠順の養子・小栗又一忠道の墓があります。この記事では、父が斬られた翌日に21歳で命を落とした又一の墓と、彼を葬った下斎田の村、そして小栗父子の捕縛にかかわった高崎藩の城・高崎城跡を、現地の案内板の内容を交えて紹介します。

小栗又一の墓はどこ?
小栗上野介の養子・小栗又一(忠道)の墓は、群馬県高崎市下斎田町の阿弥陀堂の境内にあります。父・上野介の本墓がある倉渕の東善寺とは別の場所なので、訪れるときは注意してください。
| 場所 | 群馬県高崎市下斎田町の阿弥陀堂の境内 |
|---|---|
| 眠る人 | 小栗又一忠道(上野介の養子)。ともに斬られた家臣も下斎田に葬られた |
| 目印 | 又一の墓の前に説明の看板がある。境内には田口家の墓が多く並ぶ |
| 父・上野介の墓 | 東善寺(高崎市倉渕町権田)の本墓 |
| 斬られた場所 | 高崎(父は前日に水沼河原で斬られた) |
小栗又一忠道とは|父の翌日に斬られた21歳の養子
阿弥陀堂の案内板によると、又一は小栗上野介の養嗣子です。父の命を受け、申し開きのために新政府軍のもとへ出向きましたが、父が水沼河原で斬られた翌日、主従4人とともに高崎で斬首されました。21歳でした。(小栗忠道(又一)とは何をした人物か/水沼河原の現地取材記事)
又一は、小栗の三歳上の幼なじみで旗本の駒井朝温の次男として生まれ、子のなかった小栗家に養子として迎えられました。小栗家の跡継ぎとして、江戸を離れる父に従って権田村へ移り、そこで最期を迎えることになりました。
東善寺の家臣の墓の案内板には、又一とともに斬られた家臣として、次の3人の名が記されています。いずれも下斎田に葬られました。(東善寺の現地取材記事)
- 塚本真彦(源勉):江戸からの家臣。上野介の随員として渡米し、高崎城内で又一とともに斬首(塚本真彦とは)
- 沓掛藤五郎:江戸からの家臣。又一とともに斬首
- 多田金之助:江戸からの家臣。又一とともに斬首
又一の首は、父の首とともに館林へ送られ、東山道鎮撫総督・岩倉具定の首実検を受けたと、東善寺の小栗公の墓の案内板は伝えています。
墓の前で思ったこと
阿弥陀堂は、ひっそりとした小さなお堂でした。敷地もせまく、境内に並ぶお墓はほとんどが田口家のものです。その中で、一目でそれとわかる説明看板が立っているのが、又一の墓でした。大河ドラマの幟がなければ、通り過ぎてしまいそうな場所です。
東善寺の遺品館で、事前に又一の写真を見ていました。それだけに、墓の前に立つと余計に思いが募りました。まだ未来も将来もある若者を、何の罪も咎もなく斬首するとは。しかも家臣一同まで。墓前では、静かに手を合わせてきました。
いったい東山道軍はどうなっているのだ、と思いました。小栗だけが脅威だったというなら、ほかの者は遠島なり謹慎なり、もっといろいろなやり方があったでしょうに。
そして、小栗自身も、まさか自分がこれほどまでに脅威と思われているとは、思っていなかったのかもしれません。あるいは、欧米を見てきた小栗は、法治国家であれば取り調べもなくいきなり斬首などあり得ない、国際法から見ても当たり前のことだと考えていたのではないか。まさかいきなり斬首はないだろう、と。だからこそ、又一を申し開きに送り出したのかもしれません。(小栗上野介の処刑は誰が決めたのか)






小栗父子の墓は一つではない
今回の旅で不思議に思ったことがあります。小栗上野介の「墓」とされる場所が、東善寺、大宮の普門院、東京の雑司ヶ谷霊園と、少なくとも三か所あるのです。そして養子の又一は、さらに別の下斎田に眠っています。それぞれの場所は、どういう思いで「小栗の墓」と伝えてきたのだろうか、と。
よく考えてみると、新選組の近藤勇の墓も、処刑された板橋のほか、会津や三鷹などにあります。罪人として処刑された人は、ふつうのお墓に葬ることがはばかられました。そのため、首を持ち帰った人、遺体を引き取った人、供養したいと願った人が、それぞれの場所で墓を建てたのでしょう。小栗父子の墓が各地に分かれているのも、それと同じことなのだと思います。
上野介の場合、東善寺には遺族が首と胴を葬った本墓があり、普門院には家臣が首を運んだという伝承と小栗家代々の墓があります。そして下斎田の村人は、殿様の家の若君である又一の遺骸をもらい受けて葬りました。どの墓にも、小栗家を慕った人たちの思いがこめられています。各地の墓の場所と由来は、小栗上野介の墓はどこ?にまとめています。
下斎田と小栗家|88年の知行地と村人の供養
案内板によると、下斎田は江戸時代の中ごろから幕末まで、88年間にわたって小栗家の知行地でした。小栗家が善政を敷いていたため領民に慕われており、村人たちは殿様の非業の死を悲しんで又一の遺骸をもらい受け、阿弥陀堂の地に埋葬して墓を建てたそうです。以来、「小栗様」として供養が続けられてきました。
阿弥陀堂の前には「大河ドラマ『逆賊の幕臣』ゆかりの地・高崎市」の幟が立っていました。
田口家と立派な長屋門
阿弥陀堂の境内には田口家の墓が多く並び、近くには立派な長屋門を構えた屋敷も残っています。下斎田は中世の土豪・田口氏が城を構えた地で、田口家は江戸時代には名主を務めたといいます。小栗家の知行地を支えた村の旧家だったのでしょう。




高崎城跡|小栗父子の捕縛にかかわった藩の城
下斎田を訪ねる前に、高崎城跡にも立ち寄りました。小栗を捕らえたのは、東山道軍の命を受けた高崎・安中・吉井の三藩の兵です。又一が斬られたのも、この高崎でした。(小栗を斬らずに済ませたかった三藩)
城跡に残る乾櫓は、群馬県指定重要文化財です。案内板によると、高崎城は井伊直政によって築かれ、乾櫓は本丸の北西の角にあった二階建ての櫓でした。明治以後は払い下げられて農家の納屋として使われていましたが、県の重要文化財に指定されたのを機に、東門とともに今の場所へ移築・復元されたそうです。城跡の一角には、明治以降に城内に置かれた陸軍歩兵第十五連隊などの事績を伝える顕彰碑も建っています。
ただ、実際に歩いてみると、高崎城の遺構はほんの一部しか残っていません。石垣も一部だけです。こうした遺構こそ、公園として整備するなどして、しっかり残してほしいと感じました。城下町でありながら、歴史を大切にしようという思いが薄いように感じてしまったのは、少し残念でした。
高崎城の御城印は、城址の近くにある書店「文開堂」で扱っています。私たちがいただいたときは500円でした。















まとめ|小栗又一の墓を守り続けた下斎田の人々
21歳で斬られた又一と、ともに斬られた家臣たち。新政府の側から見れば「賊」の一族でしたが、下斎田の村人たちは遺骸を引き取り、「小栗様」として供養を続けてきました。勝った側の記録には残らない、領民と領主の絆が、この小さな阿弥陀堂に残っています。
小栗上野介ゆかりの地全体の旅の記録は、小栗上野介ゆかりの地を歩く(現地取材まとめ)にまとめています。
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小栗忠順のゆかりの地をめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。
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倉渕(高崎市)の東善寺や最期の地は駅から離れているので、高崎駅前でレンタカーを借りると回りやすくなります。各社の料金はじゃらんレンタカーで比べられます(PR)。
泊まりがけで回るなら、宿は高崎駅の周辺か、倉渕から車で40〜50分ほどの伊香保温泉が便利です。横須賀は横須賀中央駅のまわりに宿が集まっています。空き室はじゃらんnet(高崎駅周辺・伊香保温泉・横須賀中央)で探せます(PR)。
小栗忠順をもっと知る本
記事の内容をもっと知りたい方に、小栗忠順を扱った本を紹介します。
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2027年NHK大河ドラマ
『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集
放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。
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この記事の情報源
阿弥陀堂の案内板、東善寺の家臣の墓・小栗公の墓の案内板、高崎城乾櫓の案内板(群馬県教育委員会・高崎市教育委員会)の記載をもとにまとめました。田口氏については城郭図鑑「下斎田城」を参照しました。
これから下斎田の阿弥陀堂を訪ねる方へ
住宅街の中のお堂の見つけ方、駐車場(3台くらい)、トイレ・御朱印の有無、説明板と石碑の内容など、訪問の実用情報は姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」の【現地レポート】小栗又一の墓(高崎市下斎田町・阿弥陀堂)|行き方・駐車場・御朱印にまとめています。


