この記事は、2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

築地ホテル館は、慶応4年(1868年)、東京・築地に完成した日本で初めての本格的な西洋式ホテルです。102の客室を持ち、塔のある和洋折衷の建物は錦絵に何枚も描かれて、東京の新しい名所になりました。ところが、わずか4年後の大火で焼けてしまい、今は説明板が残るだけです。
このホテルの建て方を考えたのが、勘定奉行の小栗忠順でした。「幕府は土地を出し、建てるのも経営するのも民間」。株式会社にも通じる小栗の発想と、それを引き受けた大工の棟梁・清水喜助の物語をたどります。
築地ホテル館とは?—先に答え
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| どんな建物 | 日本初の本格的な西洋式ホテル。木造2階建て、中央に塔、客室102 |
| いつ | 慶応3年(1867年)着工、慶応4年(1868年)完成。明治5年(1872年)の大火で焼失 |
| どこ | 築地の外国人居留地のそば(今の中央区築地・明石町あたり) |
| きっかけ | 江戸の開市にそなえ、イギリス公使パークスらが外国人向けのホテルを求めた |
| 小栗の役割 | 「幕府は土地を貸し、民間が建てて経営し、もうけも民間のもの」という方式を考えた |
| 建てた人 | 二代清水喜助(のちの清水建設)。設計にはアメリカ人ブリジェンスが関わった |
| 今 | 説明板が残る(現地取材の写真は下に) |
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なぜ江戸にホテルが必要だったのか
安政の五か国条約では、横浜などの開港に続いて、江戸と大坂でも外国人が商売をすること(開市)が決められていました。江戸の開市にあわせて、築地には外国人が住む居留地が設けられることになります。
外国人が増えれば、泊まる場所が要ります。イギリス公使パークスらは、幕府に西洋式のホテルを建てるよう求めました。けれども幕府には、そのための資金も、西洋の建物を建てる経験もありませんでした。
小栗の方式—「土地は幕府、建物と商売は民間」
ここで小栗が示したのが、民間の力を使う方法でした。
| 中身 | |
|---|---|
| 土地 | 幕府が無償で提供する |
| 資金 | 商人たちから出資を集める |
| 建設と経営 | 引き受けた民間の業者が行う |
| 利益 | 経営者のもの。出資した人には、出した額に応じて分ける |
多くの人からお金を集め、利益を出資の割合で分ける。同じころ小栗が大坂の商人たちに作らせた兵庫商社と同じ考え方です。財政の苦しい幕府にとって、お金を出さずに外国との約束を果たせる、うまい方法でもありました。
▶ 兵庫商社とは
清水喜助—引き受けた大工の棟梁
この条件に名乗りを上げたのが、江戸の大工の棟梁・二代清水喜助でした。喜助は横浜で外国人の建物を手がけた経験を持ち、建設だけでなく、完成後の経営まで引き受けます。
設計には、横浜で活躍していたアメリカ人の建築家ブリジェンスが関わったとされます。西洋の建物の形に、日本の大工の技術—木造の骨組み、白と黒の格子模様のなまこ壁、漆喰の壁—を組み合わせた、和洋折衷の建物になりました。喜助の清水組は、今の清水建設へと続いています。

築地ホテル館そのものの建物は何も残っていません。ただ、築地六丁目に立つ中央区教育委員会の「軍艦操練所跡」の説明板には、幕府の海軍所が類焼して浜離宮の地へ移ったあと、その跡地に日本最初の洋式ホテルである築地ホテル館が建てられた、と記されています。幕府海軍の学校の跡地に、小栗の考えた民間のホテルが建った。ひとつの土地に、幕府の近代化の二つの顔が重なっているのです。(軍艦操練所の現地取材記事)
完成したホテル—102の客室と、塔の上の風見
慶応3年(1867年)8月に着工し、慶応4年(1868年)8月に完成しました。敷地はおよそ7000坪、建物は2階建てで、中央に高い塔がそびえ、客室は102室あったといわれます。
完成したのは、幕府が倒れ、江戸が東京と名を変える年でした。小栗はその年の閏4月に斬られており、自分が道筋をつけたホテルの完成を見ることはありませんでした。
めずらしい西洋館は、東京の人々の評判になります。錦絵の画家たちは競ってこのホテルを描き、地方から東京見物に来た人のおみやげになりました。

わずか4年で焼失
しかし、ホテルの経営は思うようにいきませんでした。築地の居留地には期待したほど外国人が集まらず、泊まり客は多くなかったといわれます。そして明治5年(1872年)2月26日、和田倉門のあたりから出た火が銀座・築地一帯を焼きつくした大火(銀座大火)で、ホテルも焼け落ちました。
この大火のあと、明治政府は銀座を燃えにくいれんが造りの町に作り変えます(銀座れんが街)。築地ホテル館は、江戸から東京へ移り変わるわずかな時間にだけ現れた、幻の名所でした。
小栗の発想は、明治にどうつながったか
- 民間の力で大きな事業をする—兵庫商社とならび、株式会社や官民の役割分担のさきがけ
- 和洋折衷の建築—清水喜助の技術は、その後の第一国立銀行(三井組ハウス)などの擬洋風建築に受け継がれた
- 外国人を迎える町づくり—築地の居留地には、のちに学校や教会が集まり、明治の新しい文化の窓口になった
【現地取材】築地ホテル館跡を歩く


築地ホテル館の跡を訪ねるなら、目印は「軍艦操練所跡」の説明板です。説明板の所在地は中央区築地六丁目二〇番地域で、交差点の角の植え込みに立っています。まわりは飲食店やビルが並ぶ、ごくふつうの街角です。錦絵に描かれた塔のある建物がここに建っていたとは、説明板を読まなければ想像もできません。
説明板の場所から少し歩くと、すぐ横はもう隅田川で、勝鬨橋が見えます。築地ホテル館は、この川沿いに建っていたのです。海からやってくる外国人を迎えるホテルとして、水辺のこの場所が選ばれたことにも納得がいきました。
川岸には「かちどきのわたし」の石碑と説明板もあります。勝鬨橋ができる前、この川には築地と月島を結ぶ渡し船が通っていました。昔は矢口の渡しのような渡し船が、ここでも人々の足になっていたのです。説明板の内容は軍艦操練所の現地取材記事でくわしく紹介しています。
この旅の翌日に訪ねた群馬県高崎市の東善寺の資料室には、築地ホテル館の模型も展示されていました。小栗が晩年を過ごした寺で、小栗がかかわった建物の姿を見ることができます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 場所 | 東京都中央区築地六丁目(「軍艦操練所跡」の説明板が目印) |
| 最寄り駅 | 都営大江戸線 築地市場駅、東京メトロ日比谷線 築地駅 |
| あわせて歩きたい | 軍艦操練所跡、海軍発祥の地の碑、明石町の蘭学事始の地・慶應義塾発祥の地 |
▶ 築地の幕末スポットをまとめて歩くなら、(築地歩きの記事を公開後にリンク)
参考資料
- 『日本大百科全書』『ブリタニカ国際大百科事典』「築地ホテル館」の項ほか
- 錦絵:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
小栗忠順のゆかりの地をめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。
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- 小栗上野介ゆかりの地 ― 東京・横須賀・埼玉・群馬をたどる(まとめ)
- 倉渕・東善寺をめぐるモデルコース(都内発・車で1泊2日。墓所の東善寺、最期の地、普門院の首塚)
- 横須賀の日帰りコース(都内発。軍港めぐりで、小栗が始めた造船所を海から見られます)
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小栗忠順をもっと知る本
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2027年NHK大河ドラマ
『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集
放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。
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