2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
文・写真:佐藤秀信(すべて現地で撮影)
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急な山道を登りきって、最初に思ったのは「こんなに高いところに家を建てて、誰も訪ねてこないのではないか」ということでした。
群馬県高崎市倉渕町権田。東善寺の裏手にある観音山の頂上は、小栗上野介忠順が新しい屋敷を建て、暮らそうとしていた場所です。屋敷は完成を目前にして、小栗の捕縛とともに幻となりました。この記事では、観音山小栗邸跡に残る礎石や江戸から運んだお茶の木、用水路の跡、そして登り道の実際を紹介します。
小栗上野介の屋敷跡(邸宅予定地)はどこ?
小栗上野介が晩年に暮らそうとした屋敷の跡は、群馬県高崎市倉渕町権田の観音山の頂上にあります。小栗が仮住まいしていた東善寺の裏手の山で、高崎市の指定史跡「観音山小栗邸跡」として案内板が立っています。
| 場所 | 群馬県高崎市倉渕町権田(東善寺の裏手の観音山の頂上) |
|---|---|
| 指定 | 高崎市指定史跡 |
| 残っているもの | 礎石、江戸から運んだと伝わるお茶の木、馬小屋跡の標札、用水路の跡 |
| 行き方 | 東善寺から急な山道を徒歩で登る(頂上に駐車スペースはあるが、車道はとても狭い) |
| 関連する場所 | 東善寺(仮住まい・本墓)、水沼河原(終焉の地) |

観音山小栗邸跡とは|完成目前で幻となった屋敷
頂上には高崎市教育委員会の案内板が立っています(高崎市指定史跡)。それによると、小栗は家族・家臣とともに知行地の権田村に隠棲し、当初は東善寺を仮の宿所として、この丘の上で邸宅の建設を始めました。住居だけでなく、用水路や畑などの造成も行い、約2か月後には主屋の上棟まで進んでいたそうです。(東善寺の現地取材記事)
ところが、小栗の力を恐れた新政府軍は「邸宅に城郭を厳重に構え、砲台を築いた」と言いがかりをつけ、「小栗に反逆の志あり」として、高崎・安中・吉井の三藩に追討を命じます。捕らえられた小栗は、一切の取り調べもないまま、烏川の水沼河原で家臣とともに斬首されました。(小栗上野介は権田村に砲台や陣屋を築いていたのか/水沼河原の現地取材記事)
完成目前だった主屋は解体・売却され、部材の多くは今も別の地の住宅に使われているそうです。そしてこの地には、礎石が今も残されています。
現地で見つけたもの
人工的に埋められた石|家の基礎の礎石
頂上の平地を歩くと、人工的に埋められたような石がいくつも見つかります。家の基礎にしようとしていたのかな、と思いました。案内板にあるとおり、これが屋敷の礎石です。ここに小栗の家が建つはずだったのだと思うと、静かな平地がまるで違って見えてきました。
小栗公が江戸から運んだお茶の木
あちこちに小さな標札のようなものが立っていました。近づいてみると「お茶の木 保存 小栗公が江戸から運んだ木」と書かれています。江戸・駿河台の屋敷から、わざわざこの山の上まで運んできたのでしょう。新しい暮らしへの小栗の思いが、今も根を張っているように感じました。

「馬小屋跡」の標札
さらに歩くと、「馬小屋跡」と書かれた小さな標札も見つかりました。主屋だけでなく、馬を飼う小屋まで計画されていたのです。ここで家族や家臣と、馬とともに暮らす。小栗が思い描いていた生活の様子が、少しだけ見えた気がしました。
人工的な小水路|小高用水の名残か
周辺を歩いていると、人工的に造られた小さな水路のようなものを見つけました。感無量でした。案内板にあるとおり、小栗は屋敷だけでなく用水路の造成も進めていました。小栗が測量して引いたと伝わる小高用水は、その後も地域の暮らしを支えてきたといいます。


















頂上に立って感じたこと|木々に囲まれた草むらの広場
険しい山道を登りきった先は、あたり一面が広い草むらでした。まわりには木々がたくさん生い茂っているのに、その広場にだけは大きな木がありません。むしろ広場が木々に囲まれている、という印象です。誰かが「ここに建てよう」と決めて平らにした場所なのだということが、はっきり伝わってきました。
一方で、頂上から町や村が見えるわけではありませんでした。権田の集落も、東善寺の屋根も、烏川も、木々にさえぎられて見えません。見晴らしのよい山の上というより、森の中にぽっかりと開けた、外から隠れた場所。それが観音山の頂上に立った私の実感です。
「城郭を構え、砲台を築いた」という言いがかりを現地で考える
新政府軍は、小栗がこの屋敷に「城郭を厳重に構え、砲台を築いた」として追討を命じました。正直に書くと、実際に頂上に立ってみて、昔でいう山城のような雰囲気は感じました。山頂から下の街道に向けて大砲を撃ち込めば、進んでくる軍勢はひとたまりもないだろう。そういう立地に見えたのは確かです。
ただ、小栗が思い描いていたのは、あくまで洋式の邸宅を建て、村の子どもたちに学問を教えるような暮らしだったとも伝えられています(私も以前に本で読んだ覚えがあります)。家臣とともに用水路を引き、畑を開き、江戸からお茶の木まで運んできたことからも、ここで腰を据えて暮らすつもりだったことがうかがえます。
そう考えると、小栗はたまたま平地ではない小高い場所を選んだだけで、その地形が「城を構えた」という口実に利用されたのではないか。現地に立って、私はそう感じました。外から中が見えない場所だったことも、かえって「何をしているかわからない」という疑いを生んだのかもしれません。
疑いを強めたもの|権田村を襲った暴徒と、徳川の金の噂
小栗が権田村に入ってまもなく、周辺の村々で打ちこわしの騒ぎが起き、暴徒が権田村に押し寄せました。小栗は家臣や村人とともにこれを退けましたが、洋式の銃を持つ一団が暴徒を撃退したという話は、かえって「小栗は武装している」という見方を広める材料になったとも考えられます。この騒ぎの犠牲者は、のちに建てられた不忘碑にまつられています(姉妹観音と不忘碑の現地取材記事)。
また、勘定奉行を務めた小栗が江戸城の御用金を持ち出して隠したのではないか、という噂も流れました。これがのちの「徳川埋蔵金」伝説のもとになったといわれますが、小栗が金を運んだという確かな証拠は見つかっていません。実際に何があったのかは、小栗上野介は権田村に砲台や陣屋を築いていたのかで詳しく検証しています。
小栗が描いた権田村での暮らし
小栗家にとって権田村は、代々の知行地でした(小栗家の領地・権田村とは)。役職を解かれた小栗は、母のくに、妻の道子、養子の又一、家臣たちを連れて江戸を離れ、この村で新しい暮らしを始めようとしていました。
観音山に残る礎石、お茶の木、馬小屋跡、用水路の跡を一つずつたどると、その暮らしの形が少しずつ見えてきます。屋敷で家族と暮らし、馬を飼い、水を引いて畑を耕し、村の人々とともに生きる。屋敷の完成を目前にして小栗は捕らえられ、水沼河原で斬られました。翌日には養子の又一も高崎で斬られています(小栗又一の墓の現地取材記事)。残された母や妻たちは、身重の道子を守りながら会津へと逃れていきました。
観音山への登り方|歩きか、車か
東善寺から邸宅予定地までは歩いて向かいました。その途中、猿が道路を横切っていきました。墓へ向かう石段では蛇に出会ったばかりだったので、これも何かの縁を感じました。
邸宅予定地への道は、本当に急な山道です。歩いて登るのはたいへんで、私は汗をかき、息も上がりました。雨の日や天気の悪い日は、かなり登りづらいと思います。妻は一緒に登り始めましたが、あまりの急勾配に途中で引き返し、結局私一人で頂上まで登りました。
ところが登りきると「P」の看板があり、実は車でも上がれることがわかりました。ただし道はとても狭く、車に傷がつきそうな細さです。訪れるなら、東善寺に車を置いて歩いて登るほうが安心です。





まとめ|幻の屋敷に残る小栗の暮らしの夢
礎石、江戸から運んだお茶の木、そして用水路の跡。観音山に残っているのは、戦いの痕跡ではなく、小栗がこの地で静かに暮らそうとしていた証しでした。それを「砲台を築いた」と言いがかりをつけられたのだと思うと、なおさらやりきれない気持ちになります。
小栗上野介ゆかりの地全体の旅の記録は、小栗上野介ゆかりの地を歩く(現地取材まとめ)にまとめています。
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小栗忠順をもっと知る本
記事の内容をもっと知りたい方に、小栗忠順を扱った本を紹介します。
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この記事の情報源
観音山小栗邸跡の案内板(高崎市教育委員会)と、現地の標札の記載をもとにまとめました。小高用水については高崎市の広報資料(小栗上野介特集)を参照しました。
これから観音山を訪ねる方へ
入り口の場所、山道のきつさと車で上がる道、山頂の駐車スペース(4台ほど)、トイレの有無など、訪問の実用情報は姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」の【現地レポート】観音山 小栗上野介屋敷跡(高崎市倉渕)|行き方・車の道・山道のきつさにまとめています。


