この記事は、2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
史実をふまえたうえで、「もしあのとき別の道を選んでいたら」を管理人なりに考えるシリーズです。前半は史料にもとづく史実、後半の「もしも」の部分は管理人の考え(推測)です。

安政5年(1858年)、幕府はアメリカと日米修好通商条約を結びました。本格的な貿易の始まりです。ところが、この条約は天皇の許し(勅許)を得ないまま結ばれたため、国中に激しい反発を呼びます。大老・井伊直弼は、反対する大名や公家、志士たちを次々に処罰しました。これが安政の大獄です。
条約と大獄は、幕末の動乱の出発点であり、主人公・小栗忠順が世に出るきっかけでもありました。2つの出来事を1本の流れとしてたどります。
日米修好通商条約と安政の大獄—先に答え
| 日米修好通商条約 | 安政の大獄 | |
|---|---|---|
| いつ | 安政5年(1858年)6月19日に調印 | 安政5年(1858年)秋〜安政6年(1859年) |
| 誰が | 幕府(交渉は井上清直・岩瀬忠震)とアメリカ総領事ハリス | 大老・井伊直弼 |
| 中身 | 5つの港を開いて貿易を始める。ただし領事裁判権を認め、関税を自分で決められない「不平等条約」 | 条約や将軍の跡継ぎ問題で幕府に反対した人々を処罰 |
| 問題 | 天皇の許しを得ずに結んだ | 吉田松陰・橋本左内ら8人が死罪、100人以上が処分 |
| その後 | オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも結ぶ(安政の五か国条約) | 安政7年(1860年)、桜田門外の変で井伊が討たれる |
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ハリスの来日と、条約の交渉
嘉永7年(1854年)の日米和親条約で、日本は下田と箱館を開きましたが、まだ自由な貿易は認めていませんでした。安政3年(1856年)、アメリカの総領事タウンゼント・ハリスが下田に着任し、通商(貿易)の条約を結ぶよう幕府に強く迫ります。
ハリスは、イギリスやフランスが清(中国)とアヘン戦争・アロー戦争で戦ったことを引き合いに出し、「先にアメリカと穏やかな条約を結んでおくほうが日本のためだ」と説きました。幕府の交渉役となったのは、下田奉行の井上清直と目付の岩瀬忠震です。


勅許なしの調印—安政5年6月19日
条約の案がまとまると、老中首座の堀田正睦は京都へ上り、孝明天皇の許しを求めました。しかし外国嫌いの孝明天皇は許しませんでした。
安政5年4月、彦根藩主の井伊直弼が大老に就きます。井伊も本当は勅許を得てから結びたいと考えていましたが、交渉役の井上・岩瀬が「やむを得なければ調印してよいか」と迫り、それを認めます。6月19日、神奈川沖に停泊するアメリカの軍艦ポーハタン号の上で、日米修好通商条約が調印されました。

条約の中身—なぜ「不平等条約」なのか
| 決まったこと | 中身 | 問題点 |
|---|---|---|
| 開港 | 神奈川(横浜)・長崎・箱館・新潟・兵庫を開き、江戸と大坂でも商売を認める | — |
| 領事裁判権 | 日本で罪を犯したアメリカ人は、アメリカの領事がアメリカの法で裁く | 日本の法で外国人を裁けない |
| 関税 | 輸出入の関税は両国で話し合って決める(協定関税) | 日本が自分で関税を決められない(関税自主権がない) |
| 通貨 | 外国のお金と日本のお金を、同じ種類・同じ重さで交換する | 金の大量流出を招いた |
このあと幕府は、オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同じような条約を結びました(安政の五か国条約)。領事裁判権の撤廃は明治27年(1894年)、関税自主権の回復は明治44年(1911年)まで持ち越されます。

将軍の跡継ぎ問題も重なった
同じころ、病弱な13代将軍・家定の跡継ぎをめぐって、幕府は二つに割れていました。水戸の徳川斉昭の子・一橋慶喜を推す「一橋派」と、紀州藩主の徳川慶福(のちの家茂)を推す「南紀派」です。
井伊は南紀派で、条約調印の直後の6月25日、慶福を跡継ぎと発表します。一橋派の斉昭や越前の松平慶永らは、勅許なしの調印に抗議しようと、決められた日でないのに江戸城へ押しかけました(不時登城)。井伊はこれを罰し、斉昭らに謹慎を命じます。

安政の大獄—戊午の密勅から
8月、孝明天皇は、幕府を飛び越えて水戸藩に直接、勅書を下しました(戊午の密勅)。勅許なしの調印をとがめ、大名たちで力を合わせて国を守るよう求める内容です。朝廷が幕府を通さずに一つの藩に命令を出したことは、幕府の権威を根本から揺るがすものでした。
井伊は、この密勅の裏で動いた人々を見逃しませんでした。9月、京都で梅田雲浜が捕らえられたのを皮切りに、一橋派の大名、公家、その家来、尊王攘夷の志士たちが次々に処罰されていきます。
| 処分 | 主な人物 |
|---|---|
| 死罪 | 吉田松陰(長州)、橋本左内(越前)、頼三樹三郎(儒者)ら |
| 獄死 | 梅田雲浜(元小浜藩士)ら |
| 隠居・謹慎 | 徳川斉昭(永蟄居)、一橋慶喜、松平慶永(越前)、山内容堂(土佐)ら |
| 左遷・免職 | 岩瀬忠震、川路聖謨など、条約に関わった幕府の有能な役人まで |


処分を受けた人は100人を超えるといわれます。条約を結んだ岩瀬忠震まで役を追われたことは、幕府が自分たちの外交の担い手を失ったことも意味しました。
小栗忠順が世に出る
大獄のさなかの安政6年(1859年)、井伊直弼は旗本の小栗忠順を目付に抜擢します。翌年、条約の批准書を交換するためアメリカへ渡る遣米使節に、小栗は目付として加わりました。条約を結んだ岩瀬らが大獄で失脚したことも、新しい人材が登用される流れにつながったといわれます。
井伊がいなければ、小栗の出世の道も違ったものになっていたかもしれません。大河ドラマ『逆賊の幕臣』でも、井伊と小栗の出会いは序盤の重要な場面になりそうです。

▶ 井伊直弼とは何をした人物か/遣米使節の正使と副使/小栗忠順の役職を解説
桜田門外の変へ
厳しすぎる弾圧は、激しい恨みを生みました。安政7年(1860年)3月3日、雪の朝、江戸城桜田門の外で、水戸の浪士らが井伊直弼の行列を襲い、井伊を討ち取ります(桜田門外の変)。小栗たち遣米使節がアメリカへ向かう途中のことでした。

▶ 桜田門外の変とは
年表
| 年月 | できごと |
|---|---|
| 1854年3月 | 日米和親条約 |
| 1856年 | ハリスが下田に着任 |
| 1858年4月 | 井伊直弼が大老に |
| 1858年6月19日 | 日米修好通商条約に調印(勅許なし) |
| 1858年6月25日 | 跡継ぎを徳川慶福(家茂)と発表 |
| 1858年8月 | 戊午の密勅 |
| 1858年9月〜 | 安政の大獄が始まる |
| 1859年 | 小栗忠順が目付に。10月、橋本左内・吉田松陰らが処刑される |
| 1860年3月3日 | 桜田門外の変 |
月日は日本の暦(旧暦)です。
ゆかりの地
- 玉泉寺(静岡県下田市)—ハリスが総領事館を置いた寺
- 彦根城(滋賀県彦根市)—井伊直弼の居城
- 松陰神社(山口県萩市・東京都世田谷区)—吉田松陰をまつる
- 桜田門(東京都千代田区)—桜田門外の変の舞台

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参考資料
- 外務省・国立公文書館の解説ほか
- 写真:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)、当サイト撮影
小栗忠順のゆかりの地をめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。
- 【現地取材】小栗上野介ゆかりの地を1日でめぐる|築地・雑司ヶ谷・大宮・倉渕の回り方とモデルコース、ゆかりの地一覧(回る順番と移動時間、エリア別の一覧)
- 【現地取材】小栗上野介の生まれた場所はどこ?生誕地・神田駿河台の小栗家屋敷跡と横須賀のゆかりの地(ヴェルニー公園の胸像と、烏川の河原から運ばれた記念石。神田駿河台の生誕地)
- 小栗上野介ゆかりの地 ― 東京・横須賀・埼玉・群馬をたどる(まとめ)
- 倉渕・東善寺をめぐるモデルコース(都内発・車で1泊2日。墓所の東善寺、最期の地、普門院の首塚)
- 横須賀の日帰りコース(都内発。軍港めぐりで、小栗が始めた造船所を海から見られます)
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小栗忠順をもっと知る本
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2027年NHK大河ドラマ
『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集
放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。
▶ 大河『逆賊の幕臣』の登場人物を知る
- 宅麻伸さんが演じる徳川家慶とは何をした人物か—「そうせい様」と呼ばれた十二代、天保の改革と阿部正弘の抜擢、黒船十九日後の死
- ふかわりょうさんが演じる徳川家定とは何をした人物か—黒船の直後に将軍となった「お飾り」の十三代、ほんとうに暗愚だったのか
- 神尾楓珠さんが演じる徳川家茂とは何をした人物か—十三歳で将軍、和宮と結ばれ、二十一歳で大坂城に没した十四代
- 岩田剛典さんが演じる阿部正弘とは何をした人物か—二十七歳で老中首座、黒船に「みんなの意見」を聞いた宰相
- 北村一輝さんが演じる鳥居耀蔵とは何をした人物か—天保の改革の「妖怪」、蘭学者を陥れ、二十三年の幽閉を生き延びた南町奉行
- 柄本明さんが演じる徳川斉昭とは何をした人物か—攘夷の旗頭「烈公」、慶喜を将軍にしようと井伊直弼と争った水戸藩主
- 岡部たかしさんが演じる井伊直弼とは何をした人物か—埋木舎の部屋住みから大老へ、小栗忠順を世に出し桜田門外に散った人
- 中村雅俊さんが演じる安積艮斎とは何をした人物か—小栗家の屋敷で塾を開き、二千人を育てた儒学者
- 宮野真守さんが演じる滝川具挙とは何をした人物か—小栗家の隣人、鳥羽街道で「通せ」と押し問答した大目付
- 高橋光臣さんが演じる駒井朝温とは何をした人物か—小栗の三歳上の幼なじみ、次男を小栗家の養子に出した大目付
- 芝大輔さんが演じる朝比奈昌広とは何をした人物か—小栗と同い年、将軍家定のそばに仕え、長崎奉行・勘定奉行を務めた旗本
- 甲本雅裕さんが演じる佐藤藤七とは何をした人物か—世界一周した上州権田村の名主、五十四歳の遣米使節従者
- 草川拓弥さんが演じる荒川祐蔵とは何をした人物か—遣米使節の従者から、小栗とともに斬られた家臣へ
- ANIさんが演じる武笠祐左衛門とは何をした人物か—小栗家の用人、主の首を大宮へ運んだと伝わる小姓・銀之助の父
- 瀧内公美さんが演じる勝民子(たみ)とは何をした人物か—貧乏旗本の勝海舟を支え、「勝のそばには埋めないで」と遺した妻
- 青木崇高さんが演じる栗本鋤雲とは—箱館の医者からフランス通の幕臣へ、小栗忠順を書き残した人
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