小栗上野介と親しかったのは誰か—新政府に仕えた部下・福地源一郎と田辺太一、渋沢栄一との会話、いとこの夫・大隈重信。将来を語り合った栗本鋤雲

ヴェルニー記念館の外観

2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

小栗上野介忠順は、慶応四年(1868年)に新政府軍に斬られました。けれども、明治の新政府には、生前の小栗を知る人が少なからず仕えていました。小栗の部下だった人、同じ船でアメリカへ渡った人、小栗の家と縁続きになった人。

そのなかに、小栗と日本の行く末を語り合えるような相手はいたのでしょうか。適塾や長崎の海軍伝習所で知り合った仲間が、各藩の代表になった例はあったのでしょうか。記録で確かめられる人と、伝わっているだけの人を分けて紹介します。

大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、松坂桃李さんが主人公の小栗忠順を演じます(主演、2025年3月3日発表)。

目次

小栗と親しく、のちに新政府側に立った人はいたのか?—先に答え

生前に関わりがあり、新政府に仕えた人福地源一郎・田辺太一・杉浦譲(いずれも外国方で働いた旧幕臣)、渋沢栄一(パリ行きの前に会話が伝わる)、佐野鼎(加賀藩士、遣米使節の随員)
縁続きになった人大隈重信。妻の綾子が小栗のいとこです。ただし結婚は小栗の死後で、二人が会った記録はありません
将来を語り合った相手記録に残るのは栗本鋤雲。ただし栗本は新政府に仕えませんでした
薩長土肥の藩士生前に親しく交わった記録は見つかりません
適塾・長崎伝習所小栗はどちらでも学んでいません。学んだのは江戸の安積艮斎の塾とされます

まず、小栗はどこで人と出会ったのか

幕末の志士たちの人脈は、適塾や長崎の海軍伝習所、江戸の剣術道場などで育まれたものが少なくありません。大坂の適塾からは大村益次郎や福沢諭吉、大鳥圭介らが出ていますし、長崎の伝習所では勝海舟が諸藩の若者と机を並べました。

けれども、小栗はそのどちらでも学んでいません。小栗が若いころに学んだのは、江戸の儒学者・安積艮斎の塾とされます。小栗は二千五百石の旗本の家に生まれ、若くして幕府の役職に就いた人でした。

そのため小栗の人脈は、おもに次の三つに広がっていました。

  • 江戸城のなかの幕府の役人たち
  • 外国奉行・勘定奉行として率いた部下たち
  • フランス公使ロッシュや技師ヴェルニーなどの外国人

勝海舟が坂本龍馬や西郷隆盛と深く交わったのとは対照的に、小栗には諸藩の志士との付き合いがほとんど見えません。これが、小栗の強みでもあり、最後に孤立した理由の一つでもあったように思えます。勝との違いは小栗忠順と勝海舟で取り上げています。

福地源一郎—小栗を書き残した部下

福地源一郎(桜痴)は、幕府の外国方で通訳や役人として働いた人です。慶応三年(1867年)十月の大政奉還のころ、小栗に意見書を出したと伝えられます(伝記の研究書に載る話で、国立国会図書館の「近代日本人の肖像」など公的な解説では確かめられません)。その意見は筋が通っていると認められたものの、将軍慶喜の意向がはっきりしないなどの理由で採られませんでした。

明治になると、福地は渋沢栄一の紹介で大蔵省に入り、岩倉使節団にも加わります。のちには新聞人として知られました。

その福地が明治三十三年(1900年)に書いた『幕末政治家』では、小栗を水野忠徳・岩瀬忠震と並べて「幕末の三傑」と呼び、幕府があと数年もちこたえられたのは小栗の力が大きかった、という趣旨を書いたとされます。

上司と部下という関係でしたが、意見書を出したと伝わる間柄だったこと、そして後年まで小栗を高く評価し続けたことから、福地は小栗の考えをよく知る一人だったと言えるでしょう。

田辺太一—横須賀の造船所を「東洋無比」とたたえた

田辺太一も外国方で働いた旧幕臣で、文久三年(1863年)の遣欧使節に加わっています。小栗と同じ外国方にいた時期がありますが、二人の個人的なやりとりを示す記録は見つかっていません。

明治には外務省に入り、岩倉使節団の一等書記官を務めました。田辺は明治三十一年(1898年)の『幕末外交談』で、横須賀に東洋に比べるもののない造船所ができたのは小栗の働きによるものだとし、その胆力と手腕は幕末三傑の名に恥じない、という趣旨を書いたとされます。

▶ 「主人公・小栗忠順の生涯」の記事

杉浦譲—郵便をつくった外国方の後輩

杉浦譲も外国奉行のもとで働き、二度フランスへ渡りました。明治には前島密とともに郵便の仕組みをつくり、富岡製糸場の設立にも関わっています。

小栗との個人的な関わりを示す記録は見つかっていませんが、小栗が進めたフランスとの交流の現場にいた人が、明治の近代化を担ったことはたしかです。

渋沢栄一—「討幕を企てた男ではないか」

渋沢栄一は一橋家に仕え、慶喜が将軍になると幕臣となった人です。慶応三年に慶喜の弟・徳川昭武に付いてパリへ渡りました。その出発の前に、渋沢は小栗に会っています。

渋沢の秘書だった白石喜太郎の記録によれば、渋沢が「いちばん気がかりなのはお金のことです」と相談すると、小栗は「五年も先のことを心配する柄でもあるまい。そもそも君は討幕を企てたほどの男ではないか」と冗談めかして返し、渋沢はしどろもどろになったといいます。渋沢が若いころ、倒幕の計画に加わろうとしていたことを、小栗は知っていたのです。

この会話を「小栗が渋沢を激励した」と紹介する文章もありますが、記録に残っているのは訓示というより、この冗談まじりのやりとりです。渋沢はのちに大蔵省に入り、日本の経済の土台を築きました。

佐野鼎—同じ船でアメリカへ渡った加賀藩士

万延元年(1860年)、小栗は遣米使節の目付として、ポーハタン号でアメリカへ渡りました。この使節には、加賀藩士の佐野鼎も随員として加わっていました。

佐野は手紙のなかで、船の上で小栗から声をかけられるようになったと書いているそうです。佐野は明治になって兵部省に入り、明治四年(1871年)には共立学校(いまの開成中学校・高等学校)を開きました。

諸藩の人で小栗との交わりが記録に残る、数少ない例です。遣米使節については万延元年遣米使節とはで紹介しています。

大隈重信—いとこの夫だが、会った記録はない

大隈重信の妻・綾子は、旗本・三枝家の娘で、母が小栗の父・忠高の妹でした。つまり綾子は小栗のいとこです。綾子は幼いころ両親を亡くし、駿河台の小栗家に身を寄せて育ちました。

ただし、綾子が大隈と結婚したのは明治二年(1869年)、小栗の死の翌年です。大隈は幕末のあいだ佐賀や長崎にいて、小栗と会ったことを示す記録は見つかっていません。

それでも、大隈家は小栗の遺児・国子を引き取って育てました。大隈が「明治政府の近代化は小栗の模倣にすぎない」と語ったという話も広く知られていますが、大隈自身の著作では出どころを確かめられず、「そう伝わる」言葉として受け止めるのが安全です。

勝海舟—同じ時代を生きた、対立する幕臣

勝海舟は明治になって新政府に出仕し、海軍卿を務めました。小栗と勝は、万延元年には別々の船(小栗はポーハタン号、勝は咸臨丸)でアメリカへ渡っています。慶応四年の江戸城では、勝が恭順を、小栗が抗戦を説きました。

二人は親しい間柄というより、互いを意識しあう存在でした。勝の人物像は大沢たかおさんが演じる勝海舟とは何をした人物かで紹介しています。

日本の行く末を語り合った相手—栗本鋤雲

小栗と将来を語り合ったことが記録に残る人として、まず挙がるのが栗本鋤雲です。栗本は安積艮斎の塾で小栗と知り合ったとされ、のちに小栗とともにフランスとの交流を進め、横須賀製鉄所の建設に力を尽くしました。

栗本が書き残したものには、小栗の有名な言葉が伝わっています。幕府の命運に限りがあっても、造船所ができれば、たとえ「土蔵付きの売家」になっても名誉は残る、という趣旨の言葉です。幕府が倒れたあとの日本にも役立つものを残そうとした小栗の考えが、よく表れています。

ただ、栗本は明治の新政府には仕えず、新聞人として生きました。小栗と最も深く将来を語り合った人は、新政府の外に身を置いたのです。

三井の三野村利左衛門—商人の友

三井の大番頭として知られる三野村利左衛門も、小栗の旧知でした。小栗にアメリカへ逃れることを勧め、処刑のあとは家族をかくまったと伝わります。三野村は役人ではありませんが、明治の三井を支え、新しい時代の経済の担い手になりました。

薩摩・長州・土佐・佐賀の人とは

五代友厚や寺島宗則、森有礼といった薩摩の開明派、佐賀の鍋島閑叟や佐野常民など、造船や外交で小栗と重なる仕事をした人々はいます。けれども、小栗と直接交わった記録は、調べた範囲では見つかりませんでした。

小栗が生きていれば、こうした人々と手を組む道もあったのではないか。その想像は小栗上野介が生きていたらで取り上げています。

まとめ

  • 生前の小栗と関わり、明治の新政府に仕えたのは、福地源一郎・田辺太一・杉浦譲ら外国方の旧幕臣と、渋沢栄一、加賀藩士の佐野鼎など。
  • 大隈重信は妻を通じて縁続きになったが、生前に会った記録はない。
  • 将来を語り合った相手として記録に残る栗本鋤雲は、新政府に仕えなかった。
  • 小栗は適塾にも長崎の伝習所にも学んでおらず、薩長土肥の藩士と親しく交わった記録も見つからない。

処刑のあと、こうした人々が声を上げたのかどうかは、小栗上野介の処刑に抗議した人はいたのかで取り上げています。

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小栗忠順のゆかりの地をめぐる

小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。

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2027年NHK大河ドラマ

『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集

放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。

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参考資料

ウィキペディア「福地源一郎」「田辺太一」「杉浦譲」「大隈綾子」「小栗忠順」「佐野鼎」、国立公文書館のデジタル展示(福地源一郎・栗本鋤雲)、国立国会図書館「日記の世界」(杉浦譲)、柳原三佳氏の遣米使節に関する記事、コトバンク「栗本鋤雲」。福地・田辺の小栗評、渋沢との会話(白石喜太郎の記録)、栗本が伝える小栗の言葉は、原典を確かめられていない二次資料からの紹介です。

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