大沢たかおさんが演じる勝海舟とは何をした人物か—四十一石の貧乏旗本から咸臨丸、江戸無血開城へ。小栗忠順と正反対の道を選んだ幕臣

大田区立勝海舟記念館の正面玄関と館名板。昨和3年に建った旧清明文庫の建物

2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、大沢たかおさんが勝海舟を演じます(2025年10月23日発表)。

勝海舟(かつ かいしゅう)は、幕末の幕臣です。家は四十一石の小さな旗本で、父は役のない小普請でした。そこから蘭学で身を立て、咸臨丸で太平洋を渡り、最後は幕府を代表して西郷隆盛と向き合い、江戸の町を戦火から守りました。

2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、主人公・小栗忠順のライバルであり同志として描かれます。同じ幕府に仕えながら、二人は最後に正反対の道を選びました。この記事では、勝海舟がどんな人で何をしたのかを、小栗との関わりを中心にまとめます。

目次

勝海舟とは?—先に答え

読み方かつ かいしゅう。通称は麟太郎、名は義邦(明治に安芳)。海舟は号
生まれ文政六年一月三十日(1823年3月12日)、江戸・本所亀沢町。父・勝小吉の実家、男谷家の屋敷
家旗本・勝家。家禄は四十一石余り。父は無役の小普請
何をした人蘭学と海軍の専門家。咸臨丸で太平洋を渡り、軍艦奉行として神戸海軍操練所を開き、陸軍総裁として西郷隆盛と談判して江戸無血開城をまとめました
主な役職長崎海軍伝習所の伝習生 → 軍艦操練所教授方頭取 → 軍艦奉行並 → 軍艦奉行 → 海軍奉行並 → 陸軍総裁。明治には参議兼海軍卿、枢密顧問官、伯爵
最期明治三十二年(1899年)一月十九日、東京・赤坂氷川の自宅で没。数えで七十七歳。墓は洗足池(大田区)のほとり
小栗忠順との関係四歳年上。同じ剣の師に学び、同じ年に太平洋を渡り、役職を入れ替わりながら幕府を支えました。最後は徹底抗戦の小栗に対し、勝は恭順を選びます(小栗忠順と勝海舟)
大河ドラマ『逆賊の幕臣』で大沢たかおさんが演じます。妻のたみは瀧内公美さん(勝民子(たみ)とは)

四十一石の家に生まれて

勝海舟の父・勝小吉は、もとは男谷家という旗本の三男で、勝家に養子に入った人です。勝家の家禄は四十一石余り。小吉は生涯、役に就くことがなく、喧嘩と道楽で知られた人でした。その暮らしぶりは、小吉が自分で書いた『夢酔独言』に残っています。

麟太郎(のちの海舟)は、剣術を島田虎之助に学び、直心影流の免許皆伝を受けました。同じ島田の門には、のちに小栗忠順も通っています(小栗忠順の役職一覧と修業時代)。

剣の次に打ち込んだのが蘭学です。師は永井青崖。貧しくて辞書が買えなかったため、蘭和辞書『ヅーフ・ハルマ』を一年がかりで二部書き写し、一部を売って費用に充てたという話が伝わっています。やがて赤坂田町で自分の蘭学塾を開きました。

黒船と、長崎海軍伝習所

嘉永六年(1853年)、ペリーが来航すると、老中・阿部正弘は大名から旗本まで広く意見を求めました(阿部正弘とは)。勝が出した海防の意見書は大久保忠寛(一翁)の目に留まり、勝は蘭書の翻訳の御用を命じられます。家柄ではなく、学問で幕府に取り立てられたのです。

安政二年(1855年)、勝は長崎の海軍伝習所に入り、オランダ人教官から航海術や砲術を学びました。在籍は足かけ五年。ここで、のちに日本の海軍を担う人々とつながりができます。

咸臨丸で太平洋を渡る

万延元年(1860年)、日米修好通商条約の批准書を交換するため、幕府は使節をアメリカへ送りました。使節の一行はアメリカの軍艦ポーハタン号に乗り、その護衛として日本の船・咸臨丸が太平洋を渡ります。

勝は咸臨丸に、軍艦操練所の教授方頭取として乗り組みました。船はひどい嵐に遭い、勝自身も船酔いで寝込んだと伝わります。それでも咸臨丸はサンフランシスコに着き、五月に日本へ帰りました。

このとき、ポーハタン号に乗っていた使節の目付が小栗忠順です。小栗はそのままワシントンへ向かい、大西洋を回って世界を一周して帰国しました(万延元年遣米使節とは)。勝と小栗は、同じ年に、別々の船でアメリカを見たことになります。

軍艦奉行と神戸海軍操練所

帰国後、勝は文久二年(1862年)に軍艦奉行並に進みました。このころ勝の門に入ったのが、土佐を脱藩した坂本龍馬です。

勝は、幕府だけの海軍ではなく、諸藩から人を集めた「日本の海軍」をつくるべきだと考えました。将軍・徳川家茂の許しを得て、神戸に海軍操練所を開きます(徳川家茂とは)。元治元年(1864年)には軍艦奉行に昇りました。

ところが、操練所に長州寄りの浪士が出入りしていたことなどが問題になり、勝は元治元年十一月十日に軍艦奉行を罷免されます。その一か月あまり後、十二月十八日に軍艦奉行に就いたのが小栗忠順でした。二人の役職の入れ替わりは、このあとにもう一度起こります(小栗忠順と勝海舟を比べる)。

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江戸無血開城

慶応四年(1868年)一月、鳥羽・伏見の戦いに敗れた徳川慶喜が江戸に戻ります。徹底抗戦を説いた小栗忠順は正月十五日に罷免され、入れ替わるように勝が海軍奉行並、続いて陸軍総裁に任じられました(小栗忠順の罷免とは)。

恭順に決めた慶喜のもとで、勝は新政府軍との交渉役になります。三月十三日と十四日、江戸に迫った新政府軍の参謀・西郷隆盛と芝の薩摩藩邸で会談し、江戸城を明け渡す代わりに総攻撃を取りやめることで話をまとめました。四月十一日、江戸城は戦わずに明け渡されます。

同じころ、小栗は知行地の上州権田村に移っていました。閏四月六日、小栗は取り調べもないまま斬られます(小栗上野介はなぜ殺されたのか)。江戸を救った勝と、山あいの河原で斬られた小栗。二人の道は、ここではっきり分かれました。

明治の勝海舟

明治に入ると、勝は新政府に出仕し、明治五年に海軍大輔、明治六年には参議兼海軍卿となりました。のちに元老院議官、枢密顧問官を務め、伯爵に叙されています。

その一方で、勝は徳川家の後始末にも生涯関わりました。駿府に移った徳川家の暮らしを支え、慶喜の名誉回復にも力を尽くしています。晩年に語った談話は『氷川清話』にまとめられ、幕末の人物評としていまも読まれています。

明治三十二年一月十九日、勝は赤坂氷川の自宅で亡くなりました。墓は、勝が別荘を構えた洗足池のほとりにあります。

小栗忠順と勝海舟—同じ時代の、正反対の二人

勝と小栗は、共通点の多い二人です。年は勝が四つ上。同じ島田虎之助の門に学び、同じ万延元年に太平洋を渡り、どちらも幕府の海軍と財政に深く関わりました。

ただ、出発点は大きく違います。小栗は二千五百石の上級旗本の跡取りで、番方から目付、奉行へと旗本の本道を上りました。勝は四十一石の家から、蘭学と海軍の専門家として取り立てられました(小栗忠順の石高は二千七百石)。

そして最後に、小栗は戦うことを、勝は戦わずに明け渡すことを選びます。どちらが正しかったのかは、いまも意見が分かれます。勝は後年、『氷川清話』で小栗の器量の大きさを認める言葉を残しています(晩年の回想なので、扱いには注意が要ります)。二人の関係は小栗忠順と勝海舟—なぜ正反対の道を選んだのかで詳しく書いています。

大河『逆賊の幕臣』で大沢たかおさんが演じる勝海舟—役どころと史実の見せ場

役どころ(NHKの発表):無役の貧乏旗本から蘭学で身を立て、咸臨丸で太平洋を渡る。小栗のライバルであり同志。制作統括は「時に同志となり、時に対立しながらも、誰よりも理解し合っている」と説明

史実から見た見せ場:咸臨丸での太平洋横断、軍艦奉行の罷免と小栗の後任就任、江戸無血開城と、史実でも小栗と勝の道は何度も交差します。ドラマでは「時に同志、時に対立」と説明されています。晩年の勝が『氷川清話』で小栗をどう語ったかにも注目です。

大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、大沢たかおさんが勝海舟を演じます。発表は2025年10月で、主演の松坂桃李さんに続く二人目の配役でした。

役どころは、無役の貧乏旗本から蘭学で身を立て、咸臨丸で太平洋を渡る人物として紹介されています。制作統括は、小栗と勝を「時に同志となり、時に対立しながらも、誰よりも理解し合っている」関係と説明しています。妻のたみは瀧内公美さんが演じます(勝民子(たみ)とは)。

大河のキャストと関連記事は大河『逆賊の幕臣』特集にまとめています。

勝海舟の家族・先祖・子孫と最期—人物データ

家族父・勝小吉(男谷家から勝家に入った婿養子)、母・信。妻・民(たみ、民子)。子は長女・夢、孝子、長男・小鹿(1852〜1892年、アメリカの海軍兵学校で学ぶ)、梅太郎(母は梶玖磨)ほか。妾の子も含めて九人の子がいたとされ、民子が分け隔てなく育てたと伝わります(勝民子とは)
先祖・家勝家は江戸初期からの御家人の家で、家禄は四十一石余り。曽祖父は越後出身の盲人で、江戸で金貸しとして財をなした米山検校(男谷検校)とされます。明治に伯爵
子孫長男・小鹿に男子がなく、小鹿の娘・伊代子の婿に徳川慶喜の十男・精を迎えて伯爵家を継がせました
最期明治三十二年(1899年)一月十九日、東京・赤坂氷川の自宅で脳溢血のため死去。数え七十七歳(満七十五歳)。最期の言葉は「コレデオシマイ」と伝わります
墓所洗足池公園(東京都大田区南千束)の勝海舟夫妻の墓(区指定文化財)

勝海舟の逸話

  • 九歳のとき野良犬にかまれ、七十日ほど生死の境をさまよったと本人が語った話
  • 咸臨丸の航海では、ひどい船酔いでほとんど船室から出られなかったと伝わります
  • 福沢諭吉に『瘠我慢の説』で批判されると、「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」と返したことが知られています

勝海舟のゆかりの地めぐり

  • 大田区立勝海舟記念館(東京都大田区南千束2-3-1、旧清明文庫)
  • 洗足池公園の勝海舟夫妻の墓(大田区)
  • 生誕地(東京都墨田区両国4丁目)と墨田区役所前の銅像
  • 西郷・勝会見の地の碑(東京都港区芝)

大沢たかおさんの歴史ドラマ・映画への出演

  • 大河ドラマ『花の乱』(1994年)足利義材
  • 大河ドラマ『花燃ゆ』(2015年)楫取素彦
  • ドラマ『JIN—仁—』(2009年・2011年)南方仁
  • 映画『桜田門外ノ変』(2010年)関鉄之介
  • ドラマ『火怨・北の英雄 アテルイ伝』(2013年)阿弖流為
  • 映画『キングダム』シリーズ(2019年〜)王騎

※出演歴は公開されている出演作の一覧などをもとに、主なものを挙げています。

小栗忠順のゆかりの地をめぐる

小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。

倉渕(高崎市)の東善寺や最期の地は駅から離れているので、高崎駅前でレンタカーを借りると回りやすくなります。各社の料金はじゃらんレンタカーで比べられます(PR)。

泊まりがけで回るなら、宿は高崎駅の周辺か、倉渕から車で40〜50分ほどの伊香保温泉が便利です。横須賀は横須賀中央駅のまわりに宿が集まっています。空き室はじゃらんnet(高崎駅周辺・伊香保温泉・横須賀中央)で探せます(PR)。

小栗忠順をもっと知る本

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2027年NHK大河ドラマ

『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集

放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。

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参考資料

勝海舟『氷川清話』(江藤淳・松浦玲編、講談社学術文庫)、勝小吉『夢酔独言』、松浦玲『勝海舟』(筑摩書房)、国立国会図書館「近代日本人の肖像」、NHKドラマ・ガイド等の大河ドラマ『逆賊の幕臣』出演者発表(2025年10月23日)。生没年・役職の日付は諸資料の記載によります。

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