2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)は、幕末の幕臣・小栗忠順が主人公です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)は、剣術と禅に打ち込んだ幕臣です。慶応四年(1868年)三月、新政府軍が江戸に迫る中、勝海舟の使者として駿府にいた西郷隆盛のもとへ乗り込み、徳川家の処分の条件を直接引き出しました。この談判が、勝と西郷の会談、そして江戸無血開城への道を開きます。
勝海舟・高橋泥舟とともに「幕末三舟」と呼ばれます。大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公・小栗忠順が抗戦を説いて罷免された後、江戸を戦火から救う役回りを担った一人です。
山岡鉄舟の大河『逆賊の幕臣』での配役は、2026年10月24日の時点ではまだ発表されていません。発表があり次第、この記事に追記します。
山岡鉄舟とは?—先に答え
| 読み方 | やまおか てっしゅう(通称は鉄太郎。名は高歩) |
|---|---|
| 生没 | 天保七年(1836年)六月十日〜明治二十一年(1888年)七月十九日 |
| 生まれ | 江戸。旗本・小野高福の子。槍の名人・山岡静山の妹・英子と結婚して山岡家を継ぎました |
| 何をした人 | 浪士組の取締役を務め、慶応四年三月に駿府で西郷隆盛と談判して、江戸無血開城の道を開きました。明治には明治天皇の侍従を務めました |
| 小栗との接点 | 抗戦を説いた小栗が罷免されたのち、恭順の側で江戸を戦火から救う交渉を担いました。同じ幕臣の、正反対の道です |
| 最期 | 明治二十一年、胃の病のため、坐禅を組んだ姿のまま亡くなったと伝わります |
剣と禅—若き日の鉄太郎
鉄舟は江戸で旗本・小野高福の子として生まれ、父が飛騨高山の郡代を務めたため、少年時代を高山で過ごしました。剣術に打ち込み、北辰一刀流などを学んだのち、のちに一刀正伝無刀流を開いています。
父の死後、江戸に戻った鉄舟は、槍の名手・山岡静山に入門します。静山が若くして亡くなると、その妹・英子と結婚して山岡家を継ぎました。大柄で、貧しくとも節を曲げない人柄から、「鬼鉄」「ボロ鉄」とあだ名されたといいます。
浪士組の取締役—清河八郎との縁
鉄舟は、出羽の郷士・清河八郎らとともに尊王攘夷の志を語り合う仲間でした。文久三年(1863年)、清河の献策で、将軍・徳川家茂の上洛を警護する浪士組が結成されると、鉄舟は幕府側の取締役として浪士たちを率いて京都へ上ります。
京都に着くと、清河は浪士組を尊王攘夷の先兵にしようと動き、幕府は浪士組を江戸に呼び戻しました。このとき京都に残った近藤勇・土方歳三・芹沢鴨らが、のちの新選組になります。清河は江戸に戻ったのち暗殺され、鉄舟も一時謹慎を命じられました。この経緯は清河八郎暗殺とはで詳しく扱っています。
駿府の談判—江戸無血開城への道
慶応四年(1868年)正月、鳥羽伏見の戦いに敗れた徳川慶喜は江戸に戻り、恭順の道を選びます。勘定奉行の小栗忠順らは抗戦を主張しましたが、慶喜は小栗を罷免し、上野の寛永寺で謹慎しました。
新政府の東征軍は東海道を進み、駿府(静岡)まで来ていました。慶喜の恭順の意志を伝える使者として、陸軍総裁の勝海舟が選んだのが鉄舟です。三月、鉄舟は薩摩藩士・益満休之助を伴い、官軍の陣中を「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」と名乗って通り抜けたと伝わります。
駿府で西郷隆盛と向き合った鉄舟は、慶喜を備前藩に預けるという条件だけは、主君を差し出すことはできないと拒み、西郷にこれを引っ込めさせました。西郷はのちに鉄舟を「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る」と評したといわれます。
この談判で条件の骨格が固まり、三月十三日・十四日の勝と西郷の会談で、江戸城総攻撃は中止されました。江戸無血開城の全体は江戸城無血開城とはで、鉄舟と西郷の会見の地は山岡鉄太郎:勝海舟の使いにて西郷隆盛と会談 幕末の三舟の一人山岡鉄太郎(鉄舟)【史跡 日本の歴史】で紹介しています。
江戸が戦火を免れたその翌月、小栗は上州権田村で斬られます。主戦論を唱えて退けられた小栗と、恭順の使者として江戸を救った鉄舟は、同じ幕臣でありながら正反対の役割を担ったことになります。
明治の鉄舟—侍従、そして全生庵
明治維新後、鉄舟は静岡藩の役人や県の知事などを務めたのち、明治五年(1872年)から明治天皇の侍従となりました。若い天皇の相撲の相手をした話など、天皇との逸話が多く残っています。
明治十六年(1883年)には、国のために命を落とした人々を弔うため、東京・谷中に全生庵を建てました。明治二十一年(1888年)七月、胃の病のため、坐禅を組んだ姿のまま亡くなったと伝わります。墓は全生庵にあります。
大河『逆賊の幕臣』と山岡鉄舟
江戸無血開城は、勝海舟(大沢たかおさん)の最大の見せ場の一つです。その使者として駿府に向かった鉄舟が登場する可能性は高いと考えられます。ただし、これは推測です。2026年10月24日の時点で配役は発表されていません。
山岡鉄舟のゆかりの地
- 全生庵と鉄舟の墓(東京都台東区谷中)
- 西郷・山岡会見の地(静岡市葵区)
- 高山陣屋(岐阜県高山市)。少年時代を過ごした土地です
小栗忠順のゆかりの地をめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。
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- 横須賀の日帰りコース(都内発。軍港めぐりで、小栗が始めた造船所を海から見られます)
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小栗忠順をもっと知る本
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参考資料
山岡鉄舟口述・勝部真長編『剣禅話』、大森曹玄『山岡鉄舟』、全生庵の案内、静岡市「西郷・山岡会見の地」案内、コトバンク「山岡鉄舟」。



