眞栄田郷敦さんが演じる孝明天皇とは何をした人物か—条約に判を押さなかった帝、和宮降嫁と攘夷、数え三十六歳の急死

京都御所の紫宸殿と、前庭の白砂に二列に控える束帯姿の公家たち(イメージイラスト)

2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、眞栄田郷敦さんが孝明天皇を演じます(2026年9月15日発表)。

孝明天皇(こうめいてんのう)は、幕末の天皇です。ペリーが来航したとき二十三歳。そこから亡くなるまでの十三年あまり、開国をめぐって揺れる幕府に対し、朝廷の意思をはっきり示し続けました。

それまで二百数十年、外交は幕府が決めるもので、朝廷に相談されることはありませんでした。その流れを変えたのがこの天皇の時代です。この記事では、孝明天皇が何をしたのかを、主人公・小栗忠順との関わりも交えてまとめます。朝廷側の配役の全体は大河『逆賊の幕臣』朝廷側のキャストで紹介しています。

目次

孝明天皇とは?—先に答え

読み方こうめいてんのう。諱は統仁(おさひと)、幼名は煕宮(ひろのみや)
生没天保二年六月十四日(1831年7月22日)〜慶応二年十二月二十五日(1867年1月30日)。数え三十六歳(満三十五歳)
父母父は仁孝天皇、母は新待賢門院(藤原雅子)
即位弘化三年(1846年)、父の急死を受けて十六歳で践祚
何をした人日米修好通商条約の勅許を拒み、攘夷を求め続けた天皇。妹の和宮を将軍・徳川家茂に嫁がせ、公武合体を進めました。慶応元年(1865年)には条約を勅許しています
跡継ぎ皇子・睦仁親王(のちの明治天皇。明治天皇とは)
小栗忠順との関わり天皇が勅許しなかった条約の批准書を、小栗たち遣米使節がアメリカで交換しました
大河ドラマ『逆賊の幕臣』で眞栄田郷敦さんが演じます

幕府が朝廷に相談した時代

孝明天皇は弘化三年(1846年)、父・仁孝天皇の急死を受けて践祚しました。十六歳のときです。このとき関白として若い天皇を支えたのが、三十年以上その座にあった鷹司政通でした。

嘉永六年(1853年)、ペリーが浦賀に来航します。幕府は翌年、日米和親条約を結びました。そして安政五年(1858年)、より踏み込んだ日米修好通商条約を結ぶにあたって、老中・堀田正睦が京都に上り、朝廷の許し(勅許)を求めます。外交について幕府が朝廷にお伺いを立てるのは、江戸時代を通じて異例のことでした。

条約の勅許を拒む

孝明天皇は、この勅許を拒みました。外国と通商を始めることは「後々までの恥」になる、というのが天皇の考えでした。長く関白を務めた鷹司政通は当初、勅許を認めるべきだとしていましたが、天皇は聞き入れていません。公家たちが大勢で御所に押しかけて反対を訴えた「廷臣八十八卿列参」も起こります。

勅許を得られないまま、大老・井伊直弼は条約に調印しました(井伊直弼とは)。怒った天皇の意向を受けて、水戸藩などに「戊午の密勅」が下され、これがきっかけで幕府は反対派を厳しく処罰します。安政の大獄です。

小栗たちが運んだ批准書

この条約の批准書を交換するため、万延元年(1860年)に幕府がアメリカへ送ったのが遣米使節です。目付として加わっていたのが、のちの大河の主人公・小栗忠順でした(万延元年遣米使節とは)。

つまり小栗は、天皇が最後まで認めなかった条約を、幕府の代表としてワシントンで仕上げたことになります。京都の朝廷と江戸の幕府のずれは、この時点ですでに大きなものでした。

和宮を江戸へ

桜田門外の変で井伊直弼が倒れると、幕府は朝廷との結びつきを強める「公武合体」に動きます。その象徴が、孝明天皇の妹・和宮を十四代将軍・徳川家茂に嫁がせる縁組でした(徳川家茂とは)。

天皇は初め、この縁組を断りました。和宮にはすでに婚約者がいたからです。最終的に承知したのは、幕府が「七、八年から十年のうちに攘夷を実行する」と約束したからでした。このとき天皇に縁組を勧める意見を出した公家の一人が岩倉具視です。和宮は文久二年(1862年)、江戸城で家茂と婚礼を挙げました。

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攘夷を求めながら、過激派を退ける

文久三年(1863年)、家茂が上洛すると、天皇は賀茂社と石清水八幡宮に行幸して攘夷を祈りました。ただし天皇は後に、急進的な公家たちに無理に担ぎ出されたと漏らしています。

同じ年の八月十八日、天皇の意向を受けた会津藩と薩摩藩が、長州藩と急進派の公家を京都から追い出しました(八月十八日の政変)。孝明天皇は攘夷を望みながらも、幕府を倒そうとする動きには加わらず、公武合体による秩序を重んじた天皇でした。

慶応元年(1865年)、諸外国の艦隊が兵庫沖に現れて勅許を迫ると、天皇はついに条約を勅許しました。安政五年から七年が過ぎていました。

突然の死と、死因をめぐる説

慶応二年十二月二十五日(1867年1月30日)、孝明天皇は亡くなりました。数えで三十六歳。疱瘡(天然痘)にかかり、いったん回復に向かったのちの急変でした。

この死については毒殺説が古くから語られています。一方で、疱瘡による病死とする研究者も多く、決着はついていません。宮内庁は死因について何も示していません。この記事では、確かなこととして「疱瘡を患い、急に亡くなった」とだけ書いておきます。

天皇の死から一年もたたないうちに、大政奉還、王政復古と時代は一気に動きます。幕府を支えようとした天皇がいなくなったことが、幕府にとって大きな痛手だったという見方は根強くあります。

小栗忠順と孝明天皇の時代

小栗忠順が目付、外国奉行、勘定奉行として働いたのは、ちょうど孝明天皇の在位の後半にあたります。天皇が攘夷を求め続けるなかで、小栗は横須賀に製鉄所をつくり、フランスと手を結んで幕府の近代化を進めました(横須賀製鉄所とは)。

朝廷が「外国を打ち払え」と言い、幕府の現場では外国の技術を取り入れる。小栗の仕事は、この大きなねじれのなかで進められたものでした。

大河『逆賊の幕臣』で眞栄田郷敦さんが演じる孝明天皇—役どころと史実の見せ場

役どころ(NHKの発表):ペリー来航を経て幕政に介入し、攘夷を強く求める「モノ言う帝」

史実から見た見せ場:孝明天皇は日米修好通商条約の勅許を拒み、攘夷を求め続けました。その条約の批准書を交換するためにアメリカへ渡ったのが小栗です。妹・和宮の降嫁、八月十八日の政変、数え三十六歳での急死と、幕府の運命を大きく左右した天皇です。

大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、眞栄田郷敦さんが孝明天皇を演じます。2026年9月15日に発表された朝廷側の四人の一人です。役どころは、ペリー来航を経て幕政に介入し、攘夷を強く求める「モノ言う帝」と紹介されています。

朝廷側のほかの三人は、明治天皇(奥野壮さん)、岩倉具視(山中崇さん)、鷹司政通(長塚京三さん)です。大河のキャストと関連記事は大河『逆賊の幕臣』特集にまとめています。

孝明天皇の家族・先祖・子孫と最期—人物データ

家族父は仁孝天皇、母は新待賢門院。女御は九条夙子(英照皇太后)。子は二男四女ともいわれますが、成人したのは睦仁親王(明治天皇)だけでした。妹に、将軍家茂に嫁いだ和宮がいます
先祖・家第百二十一代の天皇
子孫明治天皇を通じて、いまの皇室につながっています
最期慶応二年十二月二十五日(1867年1月30日)、京都御所で崩御。数え三十六歳。疱瘡(天然痘)とされますが、毒殺説も唱えられ、研究者の間でも意見が分かれています
墓所後月輪東山陵(京都市東山区今熊野、泉涌寺の境内)。宮内庁が管理し、参拝できます

孝明天皇の逸話

  • 攘夷を行うことを条件に、妹・和宮の将軍家茂への降嫁を認めました
  • 和歌にすぐれ、多くの御製が伝わっています

孝明天皇のゆかりの地めぐり

  • 後月輪東山陵と泉涌寺(京都市東山区)
  • 京都御所(京都市上京区)

眞栄田郷敦さんの歴史ドラマ・映画への出演

  • 大河ドラマ『どうする家康』(2023年)武田勝頼
  • 映画『ゴールデンカムイ』(2024年)尾形百之助(明治末期が舞台)

※出演歴は公開されている出演作の一覧などをもとに、主なものを挙げています。

小栗忠順のゆかりの地をめぐる

小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。

倉渕(高崎市)の東善寺や最期の地は駅から離れているので、高崎駅前でレンタカーを借りると回りやすくなります。各社の料金はじゃらんレンタカーで比べられます(PR)。

泊まりがけで回るなら、宿は高崎駅の周辺か、倉渕から車で40〜50分ほどの伊香保温泉が便利です。横須賀は横須賀中央駅のまわりに宿が集まっています。空き室はじゃらんnet(高崎駅周辺・伊香保温泉・横須賀中央)で探せます(PR)。

小栗忠順をもっと知る本

記事の内容をもっと知りたい方に、小栗忠順を扱った本を紹介します。

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2027年NHK大河ドラマ

『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集

放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。

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参考資料

宮内庁「孝明天皇 後月輪東山陵」、『孝明天皇紀』、藤田覚『幕末の天皇』(講談社学術文庫)、家近良樹『孝明天皇と「一会桑」』(文春新書)、NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』出演者発表(2026年9月15日)。死因については諸説あり、本記事では断定していません。

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