【現地取材】東善寺の参拝ガイド|小栗上野介の本墓と遺品館の捨て駕籠、ご住職の話、拝観料と駐車場

2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

文・写真:佐藤秀信(すべて現地で撮影)

2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集 に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

小栗上野介の墓へ向かう石段の途中で、一匹の蛇に出会いました。少し小さめで、銀色とも灰色ともつかない色をしています。お互いに相手を気にして、しばらくどちらも動きませんでした。私が脇によけて段を登るそぶりを見せると、蛇はするすると石段を下りて去っていきました。

蛇は縁起のよい生き物だと聞いたことがあります。小栗公の墓へ向かう道で出会ったのは、何かのご縁だと思いました。参拝を済ませて石段を下りる途中、すれ違ったご夫婦にその話をすると、奥さんは「いやだぁ、怖い」と顔をしかめていましたが。

群馬県高崎市倉渕町権田の東善寺は、小栗上野介忠順(ただまさ)が人生の最後の日々を過ごした寺です。この記事では、東善寺の遺品館に残る「捨て駕籠」、首を取り戻して葬った「本墓」、ともに斬られた家臣たちの墓、そしてご住職が熱く語った小栗の姿を、現地の案内板の内容を交えて紹介します。雨の日に東善寺を訪ねた前回の記録は東善寺と小栗上野介の墓—首を取り返した村、雨の権田を歩くにまとめています。

「小栗上野介の寺」の標柱
「小栗上野介の寺」の標柱
目次

東善寺とは|小栗が「本当の家」を待った仮の住まい

寺の入口には「小栗上野介の寺 東善寺」と書かれた標柱が立っています。高崎市教育委員会の案内板によると、権田村は小栗家2500石の知行地の一つで、石高は約370石でした。

勘定奉行などを罷免された小栗は、家族や家臣とともに権田村に移り、この東善寺を仮の宿所としました。寺の裏山・観音山の上では、新しい屋敷の建設が進んでいました。東善寺は、本当の家が建つまでの仮の住まいだったのです。しかしその屋敷が完成する前に、小栗は新政府軍に捕らえられ、斬首されてしまいます。(小栗家の領地・権田村とは)

拝観の案内

項目料金
拝観料(大人)200円
拝観料(中高生)100円
お線香(一束)200円
御朱印300円

お線香の代金は寺域整備の基金として役立てられます。墓参だけなら自由にできます。私たちは夫婦2人で拝観し、お線香と御朱印もいただいて、合計900円でした。

  • 駐車場は10台ほど。午前10時ごろはまだ空いていましたが、お昼ごろには満車で、車があふれていました。大河ドラマを控えて訪れる人が増えているようです
  • お線香に火をつけるライターは貸してもらえます。持ち帰る人が多いそうなので、使ったら必ず返しましょう
  • お線香は供養塔と銅像の前に供えます。山の上の小栗の墓には、危ないので置かないでください
  • 本堂内の資料は撮影禁止です。遺品館の展示は撮影できました

遺品館|「小栗の遺品はあまり残っていない」

境内の遺品館は、古い土蔵のような建物です。中には小栗ゆかりの書や写真、遣米使節の資料が所狭しと並んでいます。

東善寺でいちばん胸が苦しくなったのは、展示品そのものよりも、館内に掲げられた一枚の説明文でした。そこには、小栗の遺品はあまり残っていない、と書かれていました。理由はこうです。西軍(のちの明治新政府軍)は小栗父子と家臣を殺したあと、たくさんの家財道具を高崎へ運んで入札で売り払い、軍資金として持ち去った。説明文は、明治政府が始めた学校教育で小栗の業績を教えない理由はここにある、とまで記しています。

命を奪っただけでなく、暮らしの品まで売り払われてしまった。ここに並んでいるのは、その中を生き延びたわずかな品々なのだと思うと、一つひとつが重く見えてきました。

小栗上野介が最期に乗った「捨て駕籠」

展示の中でとくに心に残ったのが、「小栗上野介が最期に乗ったお駕籠」です。説明によると、慶応4年閏4月6日の朝、小栗はこの駕籠で水沼河原へ運ばれ、罪なくして斬首されました。俗に「捨て駕籠」と呼ばれるそうです。終焉の地については水沼河原の現地取材記事で紹介しています。

戸を開け閉めしてみました。きっと小栗も、同じ場所に手を触れたはずです。そう思うと、胸に迫るものがありました。

小栗上野介が最期に乗ったお駕籠
小栗上野介が最期に乗ったお駕籠
お駕籠の説明
お駕籠の説明

アメリカから持ち帰ったネジと拳銃

遣米使節としてアメリカに渡った小栗が持ち帰ったネジも、しっかり見てきました。レプリカではなく本物だと思います。工業国アメリカの力を、小さな一本のネジに見た小栗。それが横須賀製鉄所の建設へとつながっていきます。お宝鑑定団に出したら、どのくらいの値がつくのでしょうか。(万延元年遣米使節とは)

小栗ゆかりの拳銃も展示されています。少しさびていましたが、見るからに重そうでした。小栗は背の高い人ではなかったので、なおさら重く感じたのではないかと想像しました。

資料室の一角では、小栗を特集したテレビ番組の映像がDVDで流されていました。司会は片岡愛之助さん、ゲストは東善寺のご住職です。本堂に併設された資料室には、小栗が建設を発案した築地ホテル館の模型もあり、旅の最初に築地でその跡地を見てきたばかりだった私は思わず目を見張りました(本堂内は撮影禁止のため写真はありません)。

遺品館の入口
遺品館の入口

新しい小栗上野介記念館

いまの遺品館は手狭なため、寄付を募って新しい「小栗上野介記念館」の建設が進められています。境内には建設募金を呼びかける幟も立っていました。報道によると、記念館では駕籠や拳銃のケース、アメリカから持ち帰ったねじくぎなど、東善寺に伝わる約400点の資料が公開される予定だそうです。

小栗上野介の銅像と供養塔|山の下で手を合わせる

本墓へ向かう前に、山の下の境内で小栗上野介の銅像と供養塔に手を合わせました。お寺で求めたお線香を供えられるのは、この銅像と供養塔の前です。

供養塔は、小栗本人の姿をかたどった像になっています。像の小栗は、端正なお顔をしていました。勘定奉行や軍艦奉行として幕府の財政と海軍を支え、横須賀に製鉄所を築いた人物の顔です。その顔を見上げながら、きっと無念だっただろう、と思わずにはいられませんでした。あれだけの能力を持ちながら、それを新しい時代の世の中に役立てることなく、取り調べもないまま斬られてしまったのですから。その気持ちを思い浮かべながら、静かに手を合わせました。(小栗忠順は何をした人?功績10個/小栗上野介が生きていたら)

小栗上野介忠順の墓|首を取り戻して葬った「本墓」

小栗公の墓は、寺の裏手の石段を登った先に、ひっそりとありました。冒頭の蛇に出会ったのは、この石段の途中です。

墓は、大きすぎず、小さすぎず。最近の樹木葬で見かけるような、円形の石の墓です。いわゆる立派な墓石ではありません。小栗は長く「逆賊」という不名誉なレッテルを貼られていました。だから、立派な墓を建てることはできなかったのかもしれません。(『逆賊の幕臣』の意味とは)

墓所の案内板(群馬県指定史跡)によると、小栗は家臣3名とともに水沼河原で斬首されました。遺体(胴体)は村役人の池田長左衛門らによってこの場所に埋葬されます。一方、首は養子・又一の首とともに館林へ送られ、東山道鎮撫総督・岩倉具定の首実検を受けたあと、法輪寺の境内に葬られました。

のちに中島三左衛門らがその首を奪い返し、一周忌の夜にこの地へ埋葬します。こうして首と胴がそろったここが、小栗公の「本墓」です。墓の右には、ともに斬られた家臣3名の墓が並んでいます。(小栗上野介の首はどこへ運ばれたのか/中島三左衛門とは)

小栗の墓はほかに大宮の普門院や雑司ヶ谷霊園にもあります(小栗上野介の墓はどこ?)。それでも、実際のお骨が納まっているお墓だと思うと、手を合わせる気持ちも自然と改まります。お寺で求めたお線香は、山の下の供養塔と銅像の前に供え、墓前ではしっかりと手を合わせてきました。

小栗公の墓
小栗公の墓

家臣の墓|ともに斬られ、会津で散った人々

小栗公の墓へ向かう途中には、家臣たちの墓が、赤穂浪士の眠る泉岳寺のようにずらりと並んでいます。以前にテレビ番組で見て、小栗を含めて3人くらいだと思っていたので、その数に驚きました。二枚の案内板には、一人ひとりの最期が記されています。

  • 荒川(江幡)祐蔵:江戸からの家臣。上野介に従って渡米し、権田へ移ったのち、上野介とともに斬首。36歳(荒川祐蔵とは)
  • 大井磯十郎:権田出身の小栗家歩兵。上野介とともに斬首
  • 渡辺太三郎(源吉享):江戸からの家臣。上野介とともに斬首
  • 塚本真彦(源勉):江戸からの家臣。上野介の随員として渡米。高崎城内で又一とともに斬首され、下斎田に葬られる(塚本真彦とは)
  • 沓掛藤五郎、多田金之助:江戸からの家臣。又一とともに斬首され、下斎田に葬られる
  • 塚本ミツ(真彦の母)と塚本チカ(真彦の長女):難を逃れて七日市へ向かう途中、地蔵峠付近の山中で自害(真彦の幼い娘二人を悼む姉妹観音もあります)
  • 塚越冨五郎、佐藤銀十郎:権田出身。小栗夫人を護衛して会津へ向かい、会津の地で戦死

小栗本人だけでなく、家臣とその家族、そして領地の若者たちまでが命を落としていました。小栗夫人を守って会津まで落ちのび、そこで散った二人の名前には、とくに胸を打たれました。(小栗忠順の妻・道子とは)

境内の胸像|小栗の盟友・栗本鋤雲

境内には胸像も立っています。案内板によると、その一体は栗本鋤雲(瀬兵衛、安芸守)の像です。鋤雲は横須賀製鉄所建設の功労者で、函館の開拓や病院の開設、蝦夷・樺太・千島の巡視にも功績を残しました。滞欧中にアルプスに登った最初の日本人ともいわれ、小栗とともに幕末の日本の近代化に尽くしています。明治以後は報知新聞の主筆として活躍しました。

この胸像は、鋤雲の門人だった犬養毅が作らせた石膏像を原形としているそうです。横須賀製鉄所をともに築いた盟友の像が、小栗の寺に建っています。

ご住職が語る小栗|咸臨丸ではなくポーハタン号を

東善寺で最も思い出深かったのは、ご住職とのお話です。東善寺は小栗の本当の家が建つまでの仮の住まいだったこともあってか、ご住職の小栗への思いは並々ではありません。私も思わず引き込まれてしまいました。

お話をうかがったのは、本堂横の資料室の入り口と、咸臨丸とポーハタン号の世界一周航路を描いた地図の前です。ご住職ははっきりものを言う方で、ご自身が調べてきたことを一生懸命に伝えようとされていました。

咸臨丸の陰に隠れた世界一周

ご住職の説はこうです。咸臨丸といえば勝海舟が英雄のように語られますが、咸臨丸は使節団を乗せたアメリカ軍艦ポーハタン号の随伴艦で、日本人による航海の練習という面が強かった。しかも勝は体調を崩して、ほとんど寝ていただけだったと。

一方の小栗は、遣米使節の目付として正使・新見正興、副使・村垣範正とともにポーハタン号でサンフランシスコへ渡りました。そこからパナマ地峡を汽車で越え、別の船でワシントンへ。帰りは大西洋から喜望峰を回り、東南アジアを経て帰国しています。つまり世界一周です。(新見正興・村垣範正とは)

本来はこちらを大々的に取り上げて歴史に残すべきだった。しかし新政府は、自分たちが斬った小栗を英雄扱いできないので、勝にスポットを当てたのではないか。ご住職はそう説いていました。私も確かにそうだなと思いました。まあ、勝も頑張ったのですが。(小栗忠順と勝海舟)

これはご住職一人の考えではありません。東善寺のみなさんが口をそろえて「咸臨丸ではなく、ポーハタン号にスポットを当てましょう。その史実をよく調べて読んでみてください」とおっしゃっていたのが印象的でした。

東郷平八郎の書と大隈家

ご住職がとくに力を込めて話していたのが、東郷平八郎のエピソードです。日本海海戦で勝てたのは、横須賀に製鉄所を築いた小栗さんのおかげだ。東郷はそう考えて小栗の孫を招き、感謝の書をしたためたといいます。その書は小栗家のご子孫が大切に持っていたもので、のちに東善寺へ寄贈されたそうです。また、大隈重信の家も、遺された小栗家の人々にたいへんよくしてくれたそうです。(小栗上野介が生きていたら)

土佐の軍監の功名心について

私からも、自分の考えをぶつけてみました。小栗を斬った東山道軍は、板垣退助ら土佐の勢力が主力でした。薩長に後れを取っていた土佐の若い軍監が、手柄を焦って無理をしたのではないか。そう話すと、ご住職は「うん、そういう側面もあったかもしれない」とうなずいてくださいました。なお、処刑を指揮した軍監は土佐出身の豊永貫一郎と丹波園部出身の原保太郎の二人で、誰が最終的に決めたのかを示す命令書は見つかっていません。(小栗上野介の処刑は誰が決めたのか)

最後に、ご住職と記念撮影をさせていただきました。お昼どきで休憩中のところを無理にお願いしたのですが、快く応じてくださいました。本当に感謝しています。

ご住職と
ご住職と

まとめ|東善寺は小栗の思いが今も生きる寺

石段で出会った蛇、小栗が最期に乗った捨て駕籠、首を取り戻して葬った本墓、そして「遺品はあまり残っていない」という一枚の説明文。東善寺には、小栗上野介の最期と、その後の名誉回復への長い道のりが凝縮されています。

小栗の遺品を大切に守り、その偉業を後世に残したい。ご住職とお話しして、その強い気持ちをひしひしと感じました。新しい記念館が完成したら、ぜひまた訪ねたいと思います。

小栗上野介ゆかりの地全体の旅の記録は、小栗上野介ゆかりの地を歩く|雑司ヶ谷・普門院から倉渕・高崎まで現地取材にまとめています。

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小栗忠順のゆかりの地をめぐる

小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。

倉渕(高崎市)の東善寺や最期の地は駅から離れているので、高崎駅前でレンタカーを借りると回りやすくなります。各社の料金はじゃらんレンタカーで比べられます(PR)。

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小栗忠順をもっと知る本

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2027年NHK大河ドラマ

『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集

放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。

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この記事の情報源

東善寺の境内・遺品館に掲げられた案内板と説明文(高崎市教育委員会、群馬県、東善寺)の記載をもとにまとめました。新しい記念館については秋田魁新報の記事、小栗の生涯については高崎市の広報資料(小栗上野介特集)を参照しました。ご住職から伺ったお話は、その旨を明記しています。

これから東善寺を訪ねる方へ
拝観の受付の場所、境内の回り方、本墓までの石段、駐車場(10台ほど)やトイレ、お線香とライターの決まりなど、訪問の実用情報は姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」の【現地レポート】東善寺|小栗上野介の墓と遺品館の回り方、拝観料・駐車場・本墓への道にまとめています。

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