幕末・明治の暗殺事件 特集:桜田門外の変から伊藤博文暗殺まで、19の事件を年表とともにまとめています。▶ 暗殺事件の特集を見る
幕末の京都では、「天誅」と称する暗殺が次々に起こりました。その中で、特に名の知られた4人の刺客を「幕末四大人斬り」と呼びます。肥後の河上彦斎、薩摩の田中新兵衛、土佐の岡田以蔵、そして薩摩の中村半次郎(のちの桐野利秋)です。
ただし「四大人斬り」は当時の呼び名ではなく、のちの小説やドラマを通じて広まった呼び方です。4人の藩と身分、記録で確かめられる事件、最期を並べて比べると、それぞれの人生はまったく違う道をたどっていました。

4人を一覧で比べる
| 人物 | 中村半次郎 (桐野利秋) |
河上彦斎 | 田中新兵衛 | 岡田以蔵 |
|---|---|---|---|---|
| 藩 | 薩摩藩 | 肥後熊本藩 | 薩摩藩 | 土佐藩 |
| 身分 | 城下士(貧しい家) | 茶坊主から藩士に | 町人から士分の株を得る | 郷士 |
| 確かな事件 | 赤松小三郎(1867) | 佐久間象山(1864) | 島田左近(1862)ほか。姉小路公知暗殺の嫌疑 | 本間精一郎・目明し文吉(1862)ほか |
| 最期 | 西南戦争・城山で戦死 | 明治政府に斬首 | 奉行所で取り調べ中に自刃 | 土佐で斬首・獄門 |
| 享年 | 40 | 38 | 不明(生年に諸説) | 28 |
| 明治まで生きた? | 生きた(陸軍少将) | 生きた(のち処刑) | ×(文久3年) | ×(慶応元年) |
4人に共通するのは、いずれも藩の中で決して高い身分ではなかったことです。剣の腕を見込まれ、尊王攘夷の運動の中で頭角をあらわしました(土佐藩の有名人を身分で分けると)。
田中新兵衛—「天誅」の始まりをつくった町人出の志士
文久2年(1862)7月、九条家の家臣・島田左近を斬って首をさらしたことが、京都の「天誅」の始まりとされます。もとは町人の出で、士分の株を得て武士になりました。翌年、公家の姉小路公知が暗殺された事件で疑われ、取り調べの最中に自刃します。4人の中でいちばん早く世を去りました(田中新兵衛とは何をした人物か)。
岡田以蔵—武市半平太の剣として動いた土佐の郷士
土佐勤王党の武市半平太の門人で、京都での天誅に次々と加わりました。本間精一郎、目明し文吉らの殺害に関わったとされます。勝海舟の護衛を務め、刺客から勝を守ったという逸話も残っています。のちに捕らえられて土佐に送られ、慶応元年(1865)に斬首されました(岡田以蔵とは何をした人物か)。
河上彦斎—佐久間象山を斬った肥後の志士
元治元年(1864)、京都の三条木屋町で、開国論の第一人者・佐久間象山を斬りました。記録で確かめられる斬殺はこの一件です。明治になっても攘夷の考えを捨てず、明治4年(1871)に明治政府によって斬首されました(河上彦斎とは何をした人物か、佐久間象山暗殺とは)。
中村半次郎—陸軍少将になった「人斬り」
4人の中でただ一人、明治の政府で高い地位についたのが中村半次郎です。慶応3年(1867)、京都の東洞院通で上田藩の兵学者・赤松小三郎を斬りました。西郷隆盛の腹心として出世し、桐野利秋の名で陸軍少将になりますが、西南戦争で西郷とともに城山に散りました(中村半次郎(桐野利秋)とは何をした人物か、赤松小三郎暗殺とは)。
なぜ彼らは刀を抜いたのか
4人が活動したのは、主に文久2年(1862)から慶応3年(1867)の京都です。安政7年(1860)の桜田門外の変で、幕府の最高権力者である大老・井伊直弼が討たれたことは、「刀で政治を変えられる」という空気を一気に広げました(桜田門外の変とは)。
京都では、開国に協力したと見られた公家の家臣や役人、仲間を裏切ったと疑われた者が「天誅」の名で次々に斬られていきます。身分の低い志士たちにとって、剣の腕は自分の存在を示す数少ない手段でもありました。一方で、彼らを使った上の立場の人たちは表に出ず、実行した者だけが罪を負わされていった面もあります。
「人斬り」の実像—確かな事件は意外に少ない
「人斬り」という言葉からは、何十人も斬ったような印象を受けます。けれども、記録で確かめられる事件は、河上彦斎・中村半次郎ではそれぞれ一件ずつです。岡田以蔵・田中新兵衛も、名前が挙がる事件の中には関わりが確かでないものが含まれています。
「四大人斬り」の像の多くは、池波正太郎『人斬り半次郎』や司馬遼太郎『人斬り以蔵』などの小説、映画やドラマによって形づくられてきました。史実の4人を知ると、物語の「人斬り」とはまた違う、時代に翻弄された若者たちの姿が見えてきます。
4人のゆかりの地
- 中村半次郎:南洲墓地(鹿児島市)、赤松小三郎遭難の地(京都・東洞院通)
- 河上彦斎:池上本門寺(東京都大田区)、佐久間象山・大村益次郎遭難之碑(京都・木屋町)
- 田中新兵衛:姉小路公知が襲われた猿ヶ辻(京都御苑)
- 岡田以蔵:岡田家墓地(高知市薊野北町)
幕末・明治の暗殺事件を読む
- 桜田門外の変(1860)—大老・井伊直弼
- 坂下門外の変(1862)—老中・安藤信正
- 吉田東洋暗殺(1862)—土佐藩の参政
- 本間精一郎暗殺(1862)—木屋町の天誅
- 目明し文吉の殺害(1862)—三条河原
- 清河八郎暗殺(1863)—麻布一ノ橋
- 姉小路公知暗殺・朔平門外の変(1863)
- 芹沢鴨暗殺(1863)—壬生・八木邸
- 平岡円四郎暗殺(1864)—一橋慶喜の側近
- 佐久間象山暗殺(1864)—三条木屋町
- 原市之進暗殺(1867)—将軍慶喜の側近
- 赤松小三郎暗殺(1867)—東洞院通
- 坂本龍馬暗殺・近江屋事件(1867)
- 油小路事件(1867)—伊東甲子太郎
- 横井小楠暗殺(1869)—寺町丸太町
- 大村益次郎暗殺(1869)—兵部大輔の死
- 大久保利通暗殺・紀尾井坂の変(1878)
- 森有礼暗殺(1889)—憲法発布の朝
- 伊藤博文暗殺(1909)—ハルビン駅
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✎ 筆者のひとこと
4人を並べてみると、明治まで生き延びたのは2人だけで、その2人も最後は処刑と戦死でした。刀で時代を動かそうとした若者たちが、時代に使い捨てられていったことがよくわかります。
必要なときだけ利用され、要らなくなればすぐに切り捨てられる。それでも、したことの善し悪しは別として、4人の名は今も残りました。
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参考資料
- コトバンク「桐野利秋」
- コトバンク「赤松小三郎」
- 池波正太郎『人斬り半次郎』(新潮文庫)

