中島三左衛門とは何をした人物か—小栗上野介の妻子を会津へ逃がし、館林から主の首を取り返した権田村の村役人

会津の山あいの避難先で、生まれたばかりの赤子を抱く武家の妻のイラスト

2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

中島三左衛門は、小栗上野介忠順が最後を過ごした上州権田村の人です。小栗が斬られたあと、身重の妻・道子と母・くに、養女の鉞子を守って会津まで逃がし、翌年には館林に埋められていた小栗の首を掘り出して取り返しました。

武士ではない村の人が、主人の家族と首を命がけで守った。大河ドラマ『逆賊の幕臣』の物語の終わりに欠かせない人物を、記録と伝承を分けて紹介します。

目次

中島三左衛門とは—先に答え

身分権田村の村役人。東善寺は「百姓代」とも書き、小栗家の家臣とする資料もあります
会津への逃避行慶応四年閏四月六日夕方に権田を発ち、二十八日に会津若松へ。約二十二日の山越えで一行を率いました
会津で六月十日、道子は避難先で女の子を産み、国子と名づけました。護衛の若者二人は会津で戦死しています
首の奪還明治二年(1869年)春、館林の法輪寺に埋められていた小栗の首を掘り出し、東善寺の裏山の墓に葬りました
のちの名前橋藩の重役に「武士も及ばぬ行い」とたたえられ、誉田三左衛門と名乗ったと伝わります

権田村の村役人

中島三左衛門の身分は、資料によって書き方が違います。東善寺は「権田村百姓代」「村役人」とし、館林市も「権田村の村役人」と紹介しています。一方で、小栗家の家臣とする説明もあります。

百姓代は、名主・組頭とともに村を動かした村役人の一つで、村の百姓を代表して名主の仕事を見張る役でした。生まれた年や亡くなった年は、確かめられていません。

権田村と小栗家の関係は小栗家の領地・権田村とはで紹介しています。

閏四月三日の頼み

慶応四年(1868年)閏四月、新政府軍が小栗を捕らえに来ることが確実になります。東善寺の紹介する記録によれば、閏四月三日、三左衛門は道子、母のくに、養女の鉞子を会津へ逃がすよう頼まれました。道子はこのとき身ごもっていました。

会津藩は、まだ新政府軍と戦う構えを崩していませんでした。小栗家の女性たちを預けられる先は、そこしかなかったのです。

約二十二日の山越え

一行が権田を出たのは閏四月六日の夕方、小栗が水沼河原で斬られたその日でした。東善寺の記録から、道のりをたどってみます。

  • 閏四月六日夕方:権田を出発
  • 七日:坂上村上関
  • 八日:六合村広池
  • 十二日:和光原。野反池を経て、十三日に渋沢のお助け小屋
  • 十五日:秋山郷の和山温泉
  • 十六日:反里口
  • 二十日:十日町の中条村
  • 二十六日夜:新潟を経て酒屋陣屋
  • 二十八日:朝に津川、夕方に会津若松の紙問屋「湊屋」。その夜、会津藩家老・横山主税の家に迎えられる

上州から信州の秋山郷を抜け、越後を回って会津へ入る、山深い道です。護衛には、三左衛門の娘のさい、中沢兼五郎、塚越房吉、渡辺筆吉、大井伝兵衛、佐藤銀十郎、塚越冨五郎らがいました。身重の女性と六十代の母を連れての旅でした。

逃避行のくわしいようすは小栗忠順の妻はどう会津へ落ちのびたのかで紹介しています。

▶ 「主人公・小栗忠順の生涯」の記事

会津で生まれた国子、戦死した若者

六月十日、道子は会津の避難先で女の子を産み、国子と名づけました。小栗のただ一人の遺児です。国子はのちに大隈重信の家で育てられ、小栗家の血をいまに伝えています(小栗忠順の子孫はいるのか)。

しかし会津での日々は、戦の中にありました。護衛として同行した村の若者のうち、佐藤銀十郎は九月十一日に熊倉の戦いで戦死しました。二十一歳でした。塚越富五郎も、八月末から九月はじめにかけて、いまの喜多方市高郷町の一竿で戦死しています(日付は資料によって異なります)。

明治二年(1869年)の春、一行は会津を発ち、東京を経て静岡まで道子たちを送り届けました。三左衛門たちが権田村へ帰り着いたときは、乞食同然の姿だったといいます。

館林に埋められた首

斬られた小栗の首は、権田村には残りませんでした。

東善寺の調べによれば、高崎藩が小栗父子の首を、館林に移っていた東山道総督府へ届けています。閏四月十日、館林城で総督の岩倉具定が首実検を行い、首は館林藩秋元家の位牌寺である泰安寺に下げ渡されました。泰安寺には墓地がなかったため、首は法輪寺の墓地に埋められたといいます。

首の行方は小栗上野介の首はどこへ運ばれたのかで詳しく追っています。

首を掘り出し、村へ帰す

会津から戻った三左衛門は、主人の首を取り返そうと動きます。館林市の説明によれば、三左衛門は小栗家の旧知行所である高橋村の名主・人見惣兵衛を訪ね、一度は失敗したものの、近くの村の渡辺忠七に計画を打ち明け、ついに法輪寺から首を掘り出すことに成功しました。館林市はこれを、一周忌にあたる明治二年四月六日の夜のこととしています(東善寺は「明治二年春」とだけ記しています)。

取り返した首は、東善寺の裏山にある、胴体を埋めた墓に葬られました。この秘密は、関わった家で親から子、子から孫へとひそかに伝えられたといいます。東善寺の住職がその話を初めて聞いたのは、昭和三十年代の後半のことでした。

首を運んだときのようすなど、細かな話には口伝えによるものが多く、どこまでが事実かを確かめるのは難しいところです。それでも、村の人々が危険を冒して主人の首を取り返したことは、館林市と東善寺の双方が伝えています。

「武士も及ばぬ行い」

東善寺によれば、三左衛門の働きを知った前橋藩の重役は「武士も及ばぬ行い」とたたえ、三左衛門は「誉田(ごんだ、いまは、ほんだ)三左衛門」と名乗るようになりました。「誉田」は、ふるさとの権田と同じ音です。

東善寺の境内には、会津への護衛と首の奪還に関わった人々の名を刻んだ「仁義併存碑」が立っています。三左衛門の墓や子孫については、確かめられる資料が見つかっていません。

大河ドラマ『逆賊の幕臣』では

2026年10月7日時点で、中島三左衛門の配役は発表されていません。妻・道子は上白石萌音さん、母・くには鈴木京香さんが演じます。家族の逃避行が描かれるなら、三左衛門は欠かせない人物です。発表があればこの記事に追記します。

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参考資料

東善寺(小栗上野介顕彰会)「会津への逃避行」「小栗上野介の首級」「権田村での64日間」、館林市「小栗上野介忠順と館林」、戊辰殉難追悼録。身分の書き方、首を取り返した日付、同行者、人見惣兵衛・渡辺忠七の村名は資料により異なります。首を運んだようすの細部は口伝によります。

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