新選組隊士の剣術流派—天然理心流・神道無念流・北辰一刀流、誰が何を学んだのか

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新選組には、さまざまな流派の剣客が集まっていました。近藤勇の天然理心流を中心に、芹沢鴨や永倉新八の神道無念流、山南敬助や藤堂平助の北辰一刀流、さらに槍術・柔術・馬術・弓術の使い手まで。この記事では、隊士たちがどの流派を学んだのかを、流派ごとにまとめます。

目次

流派ごとの主な隊士(一覧)

流派主な隊士
天然理心流(剣術)近藤勇・土方歳三・沖田総司・井上源三郎・中島登・松本捨助
神道無念流(剣術)芹沢鴨・永倉新八・平山五郎・平間重助・野口健司
北辰一刀流(剣術)伊東甲子太郎・山南敬助・藤堂平助
一刀流系・無外流など(剣術)斎藤一(諸説)・安藤早太郎(無外流)
心形刀流(剣術)島田魁(坪内主馬の道場で修行)
種田流(槍術)谷三十郎・谷万太郎・原田左之助
天神真楊流・北辰心要流(柔術)松原忠司
大坪流(馬術)安富才輔
日置流(弓術)安藤早太郎

天然理心流—試衛館の流派

新選組の中心になったのは、近藤勇が四代目を継いだ天然理心流です。江戸・市谷の道場「試衛館」には、多摩の農村から多くの門人が通っていました。剣術だけでなく柔術なども合わせて学ぶ、実戦的な流派とされます。

土方歳三が正式に入門したのは安政六年(1859)三月。沖田総司は十歳前後から試衛館に入り、近藤は沖田に五代目を継がせるつもりだったともいわれます。井上源三郎は近藤よりも早く入門した古参でした。中島登や松本捨助のように、多摩で天然理心流を学んでから入隊した隊士も少なくありません。

神道無念流—水戸派と永倉新八

神道無念流は、力強い打ち込みで知られた流派です。芹沢鴨の率いた水戸派の隊士には、この流派を学んだ者が多くいました。平山五郎ははじめ鏡新明智流を学び、のちに神道無念流に移っています。野口健司は江戸の百合元昇三の道場で目録を得ました。

永倉新八は八歳で神道無念流の撃剣館に入門し、免許皆伝を得た剣客です。流派は違いましたが、試衛館に出入りして近藤たちと親しくなり、新選組の二番隊組長となりました。

北辰一刀流—千葉周作の流れ

江戸の玄武館を開いた千葉周作の北辰一刀流は、幕末に最も人気のあった流派の一つです。伊東甲子太郎は深川の北辰一刀流・伊東道場に入り、道場主に見込まれて婿養子となり、道場を継ぎました。藤堂平助は玄武館に出入りして十代で目録を得たのち、伊東の道場にも通っています。山南敬助も北辰一刀流を学んだとされてきました。

のちに伊東と藤堂が御陵衛士として新選組を離れたのは、同じ流派の縁もあったのかもしれません。

流派がはっきりしない隊士

三番隊組長の斎藤一は、剣の腕では隊でも指折りとされながら、流派については一刀流・無外流・溝口派一刀流・小野派一刀流と説が分かれ、どれも決め手がありません。

沖田総司については、麻布・専称寺の沖田家累代の墓碑に「北辰一刀流免許皆傳」と刻まれています。ただし免状の実物は見つかっておらず、後世に書き加えられたのではないかという見方があります。一方で、子孫に免状の伝承があったとする話も伝わり、決着はついていません。

槍・柔術・馬術・弓術

  • 槍術:谷三十郎・谷万太郎の兄弟は種田流の槍の使い手で、大坂に道場を開いていました。原田左之助はこの谷兄弟の道場で種田流の免許を得ています。
  • 柔術:四番隊組長の松原忠司は天神真楊流を学び、自ら北辰心要流を開いた柔術の名手で、「今弁慶」と呼ばれました。
  • 馬術:安富才輔は大坪流の馬術の使い手で、馬術師範を務めました。
  • 弓術:安藤早太郎は日置流の弓の名手で、入隊前に東大寺で一昼夜に八千本を超える矢を射通した記録を残しています。

流派から新選組を読み解く

江戸の三大道場と、多摩の「芋道場」

幕末の江戸には、「三大道場」と呼ばれる名門がありました。北辰一刀流の千葉周作の玄武館、神道無念流の斎藤弥九郎の練兵館、鏡新明智流の桃井春蔵の士学館です。各藩の藩士や名のある剣客が集まり、ここで学んだことはそれだけで一つの肩書きになりました。

それに比べると、近藤勇の試衛館は、市谷の小さな町道場でした。門人の多くは多摩の農民で、ほかの道場の者からは「芋道場」とからかわれたとも伝わります。ところが、その小さな道場の人々が新選組の中心になり、名門の流派を学んだ剣客たちを率いることになりました。

道場流派かかわりのある隊士・人物
玄武館(千葉周作)北辰一刀流山南敬助・藤堂平助の流れ、根岸友山(千葉周作に学ぶ)
練兵館(斎藤弥九郎)神道無念流同じ神道無念流の芹沢鴨・永倉新八らと同じ流れ(永倉は撃剣館で修行)
士学館(桃井春蔵)鏡新明智流平山五郎がはじめに学ぶ
試衛館(近藤周助・近藤勇)天然理心流近藤勇・土方歳三・沖田総司・井上源三郎ら

流派と派閥は一致しなかった

流派ごとに隊士を並べてみると、新選組の中の派閥とは必ずしも重ならないことが分かります。神道無念流の永倉新八は、同じ流派の芹沢鴨ではなく、天然理心流の近藤の側にいました。北辰一刀流の山南敬助と藤堂平助も試衛館の仲間でしたが、山南は隊を抜けようとして切腹し、藤堂は同じ流派の伊東甲子太郎とともに御陵衛士へ移り、油小路で倒れています。

剣の流派は、入り口としての縁にはなっても、最後まで人を結びつける絆にはならなかったのです。むしろ、どの道場で誰と一緒に過ごしたかという「同じ釜の飯」の縁のほうが、新選組の中では強く働いていたように見えます。

一覧に加えたい隊士たち

上の一覧のほかにも、隊士ページで流派が分かっている人がいます。

流派隊士
天然理心流大石鍬次郎(日野の佐藤彦五郎の道場)、横倉甚五郎(八王子)
北辰一刀流中村五郎(伝)、根岸友山、加納鷲雄(千葉道場から伊東の門へ)
田宮流佐伯又三郎

刀の流派が意味を失った日

慶応四年正月の鳥羽伏見の戦いで、新選組は新政府軍の銃と大砲の前に多くの隊士を失いました。のちに土方歳三が、これからの戦は刀や槍ではだめだという意味のことを語ったと伝えられるのは、この戦いの後です。どの流派を学んだかが隊士の値打ちを決めた京都の日々は、文久三年の入京から数えて五年ほどで終わりました。それでも、隊士たちの流派をたどることは、彼らがどこで誰と出会い、どんな縁で新選組に集まったのかを知る、いちばんの近道です。

訪ねるなら

  • 日野・多摩(東京都):天然理心流ゆかりの地。井上源三郎資料館や佐藤彦五郎新選組資料館などがあります。
  • 試衛館跡(東京都新宿区市谷):近藤勇の道場があったとされる場所。

近藤勇・土方歳三・井上源三郎のふるさと(調布の近藤勇生家跡、日野宿本陣、井上源三郎資料館、石田寺、高幡不動)は、【現地取材】新選組のふるさとを歩くで写真とともに紹介しています。

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この記事は、サイト内の各隊士ページの記述をもとにまとめたものです。流派や入門の時期には諸説があります。

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