藩の歩み
練兵館(れんぺいかん)は、江戸の三大道場の一つに数えられた剣術道場です。
創始者は「斎藤弥九郎」で「神道無念流」という有名な流儀でした。

ちなみに、江戸の三大道場と言えば、「技の千葉」「位の桃井」「力の斎藤」と称され、それぞれ詳細は以下の通りです。
◎練兵館
神道無念流 斎藤弥九郎
◎玄武館
北辰一刀流 千葉周作
◎士学館
鏡新明智流 桃井春蔵
もともとは九段坂下に設立されたが、のちに九段坂上(現在の靖国神社内)に転居しました。
主に、長州藩の子弟が多く、桂小五郎、高杉晋作、井上聞多、伊藤博文、品川弥二郎や、大村藩の渡辺昇などが有名です。

明治維新後はこの場所に靖国神社が創建され、また、時代の波とともに剣術道場は次第に廃れていきました。
「斎藤弥九郎」は長州藩から扶持をもらっていたことでも知られています。
嘉永五年の冬に萩を発った桂小五郎が入門した道場
山口県の文化財解説によりますと、木戸孝允、すなわち桂小五郎は天保四年に萩の呉服町で生まれ、江戸へ出る嘉永五年十一月までこの生家で暮らしました。その旧宅は昭和七年三月二十五日に国の史跡に指定されています。萩を発った小五郎が身を寄せた先が、九段坂上の練兵館でした。靖國神社も境内の案内で、社が建てられる前のこの地に剣術の道場練兵館があり、木戸孝允ら幕末の志士たちが稽古に励んだと記しています。ペリー来航の前年に江戸へ入った一人の長州藩士が、やがて維新の中心へと進んでいく出発点が、この坂の上にありました。
剣客と海防掛をつないだ斎藤弥九郎の立ち位置
練兵館を開いた斎藤弥九郎には、道場主とは別の顔がありました。伊豆韮山の代官である江川英龍のもとで働いた実務家としての顔です。江川英龍は嘉永六年のペリー来航を受けて幕府の海防掛に任じられ、品川から深川にかけての台場十二基の設計に着手し、そのうち六基が嘉永七年十二月に完成しました。弥九郎はその英龍と行動をともにし、刀売りに身をやつして甲州の内情を探る旅に同行したとも伝えられます。竹刀を執る場と海防の絵図を引く場とが一人の人物のなかでつながっていたところに、幕末という時代の空気がよく表れています。
靖國神社の境内に掲げられた神道無念流道場跡
練兵館の建物そのものは今に残っておりません。現在は靖國神社の内苑案内に神道無念流道場跡という項目が設けられ、道場がこの地にあったことを訪れる人に伝えています。九段坂を上りきった一帯は、幕末には長州藩や大村藩の子弟が竹刀の音を響かせた場所であり、明治以降は招魂の社の境内へと姿を変えました。稽古場の遺構は失われましたが、坂の勾配そのものは当時と変わりませんので、九段下の駅から坂を上れば、江戸の剣士たちが通った道のりをそのまま歩くことができます。
「位は桃井、技は千葉、力は斎藤」
江戸の三大道場 幕末の江戸で名を知られた三つの剣術道場は、「江戸三大道場」と呼ばれました。鏡新明智流の桃井春蔵の士学館、北辰一刀流の千葉周作の玄武館、そして神道無念流の斎藤弥九郎の練兵館です。それぞれの気風は「位は桃井、技は千葉、力は斎藤」と言い表されました。
道場の門人たち 練兵館には長州の桂小五郎(木戸孝允)や高杉晋作らが学び、長州藩とのつながりが深い道場でした。千葉道場の流れからは坂本龍馬、士学館からは土佐の武市半平太が出ています。幕末の志士たちの多くが、江戸の道場で剣を学び、そこで出会った仲間とともに時代を動かしていったのです。
塾頭をつとめた二人が、幕末の両側に立った
練兵館で面白いのは、ここで塾頭まで進んだ人物が、幕末に正反対の側へ分かれていったことです。
一人は桂小五郎、のちの木戸孝允です。長州の若者が江戸の道場で塾頭を張ったという経歴は、よく知られています。
もう一人は原保太郎です。丹波園部の小藩の三男で、文久三年に練兵館へ入門し、やはり塾頭まで進みました。この経歴は大正七年に出た斎藤弥九郎の伝記のなかに、原本人の談として収められています。
原はそのあと岩倉具視の食客になり、慶応四年には二十二歳で上野国巡察使兼軍監として上州へ向かいます。そこで小栗上野介を斬ったのが、この人です。のちに山口県知事、福島県知事、北海道庁長官を務め、昭和十一年まで生きました。くわしくは原保太郎とは何をした人物かにまとめています。
剣の道場が、人の縁を作っていた
幕末の江戸三大道場は、剣を教える場所であると同時に、藩を越えて人がつながる場所でした。小藩の三男が江戸へ出て腕を認められれば、国元の身分とは別の道がひらける。原が岩倉具視に近づけたのも、練兵館での実績が足がかりになったと見るのが自然です。
神道無念流の道場からは、長州の志士も、小栗を斬る軍監も出ている。同じ床で稽古した者たちが、十年のうちに敵味方に分かれました。
参考資料
原保太郎の練兵館入門と塾頭就任は、大正七年刊の斎藤弥九郎の伝記に収められた本人談によります。その後の経歴は国立国会図書館憲政資料室「原保太郎関係文書(寄託)」。桂小五郎が塾頭をつとめたことは広く知られている事柄として記しています。原が岩倉具視に近づいた経緯に練兵館の実績がどう働いたかは、資料で確かめたものではなく本記事の見立てです。
場所・アクセス・地図
〒102-0073 東京都千代田区九段北3丁目1


