芹沢鴨【新選組隊士 局長 幕末】

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芹沢 鴨
職名 局長
出身 水戸
終焉場所 京都八木邸
終焉方法 暗殺
水戸時代に水戸天狗党に連なる天狗党の生き残り。文久三年に新見錦、平山五郎らと共に浪士組に参加し上洛しました。その後近藤勇らと新選組を結成し局長となります。しかしたびたびの暴挙にたまりかねて近藤、土方らに八木邸にて惨殺されました。
壬生の八木邸の門前(京都市中京区)
壬生の八木邸の門前(京都市中京区)。新選組が最初に屯所を置いた家です(現地取材の記事・筆者撮影)
目次

初期新選組を率いた水戸の豪傑

芹沢鴨は、水戸の出身で神道無念流を修めた剣客であり、尊皇攘夷運動に連なる経歴を持つ豪快な人物でした。壬生浪士組(のちの新選組)の草創期には、近藤勇と並ぶ局長格として隊を率い、その武威で存在感を放ちました。

粛清された初代局長格

しかし芹沢は、大坂の商家への強談や乱暴狼藉など素行に問題が多く、隊や周囲の信用を損ねていきます。会津藩お預かりの新選組にとってその振る舞いは看過できないものとなり、1863年(文久三年)、近藤・土方らによって壬生の八木邸で暗殺されました。芹沢の排除によって、新選組は近藤・土方を中心とする統制のとれた組織へと生まれ変わっていきます。

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暗殺された日が、公の資料でも割れています

芹沢鴨が壬生の八木邸で討たれたのは文久三年九月ですが、日については二つあります。壬生寺の案内や辞典の多くは九月十八日とし、これは墓碑に基づく古くからの通説です。いっぽう近年は九月十六日とする見方が強まっており、ブリタニカの事典も十六日を採ります。根拠は、暗殺の晩を各史料がそろって大雨と描いていることと、風説書の記述です。公の資料どうしで食い違っていますので、両方を書き留めておきます。

誰が斬ったのか

実行にあたった顔ぶれも、史料ごとに違います。西村兼文の『新撰組始末記』は、芹沢とお梅を沖田総司と土方歳三が、平山五郎を山南敬助と原田左之助が討ったとします。永倉新八の『浪士文久報国記事』は土方・沖田に御倉伊勢武らを加えます。八木家の八木為三郎は「沖田総司と原田左之助のいたことは確かに見た、ほかの人はわからない」と語りました。すべてに共通して名が挙がるのは沖田総司です。近藤勇については、現場にいたとする同時代の史料が乏しく、壬生寺の案内にある「近藤勇、土方歳三らによって」というのは、手を下した人というより事を進めた人という意味に読むのが自然です。

天狗党とは、時期が合いません

芹沢鴨を天狗党の出身とする説明をよく見かけますが、天狗党が筑波山で兵を挙げたのは元治元年三月二十七日で、芹沢はその前の年の九月に死んでいます。乱に加わることはできません。芹沢が関わったのは、天狗党の母体となった水戸の尊攘激派、なかでも万延元年ごろに加わった玉造勢という集団です。行方郡玉造村の文武館を拠点に、横浜で攘夷を決行する資金を豪商から集めた人びとで、のちの天狗党へつながる系譜にあたります。芹沢は文久元年三月二十八日に捕えられて赤沼の獄に入れられ、文久二年九月に斬罪の処分を受けながら、文久三年の正月に赦されて出ています。

本名も二通りあります

本名は下村嗣次(嗣司・継次とも)とするものと、木村継次とするものに分かれます。近藤勇自身が書簡に「水府脱藩士下村嗣司事改芹沢鴨と申仁」と書いており、同じ時代の史料としては下村のほうが強いのですが、辞典の類は木村で揃っています。生まれた年も、天保三年説、文政七年説、文政九年説と分かれ、辞典は生年不詳としています。出身は常陸国行方郡芹沢村、いまの茨城県行方市芹沢で、市の資料も芹澤氏の旧宅を伝えています。

芹沢鴨と関わりの深い人たち

  • 新見錦—ともに壬生浪士組を率いた同志。芹沢の暗殺の直前に切腹しました。
  • 近藤勇・土方歳三—並び立つ局長と副長。暗殺を指揮したとされる側です。
  • 沖田総司・山南敬助・原田左之助—暗殺に加わったとされる人たち。
  • 永倉新八—同じ神道無念流で親しかった人。その記録が暗殺の様子を伝えます。

芹沢鴨のゆかりの地

  • 壬生・八木邸(京都市)—暗殺された現場。刀傷の残る鴨居が見られます。
  • 壬生寺(京都市中京区)—平山五郎とともに眠る墓があります。
  • 水戸藩—出身の水戸藩領。芹沢村(いまの茨城県行方市)が生まれ故郷とされます。

芹沢が筆頭局長だった文久三年八月には、副長助勤の佐伯又三郎が嶋原で斬られています。芹沢一派との関わりを伝える説もあります。

文久三年に芹沢鴨の一派と、長州の間者とされた隊士たちがどう消えていったかは、芹沢鴨と水戸派の最期—文久三年、壬生浪士組から消えた人々に年表でまとめています。

新選組の隊士たちの墓所は、新選組の墓所めぐりに地域ごとにまとめています。

新選組の隊士たちが学んだ流派は、新選組隊士の剣術流派—天然理心流・神道無念流・北辰一刀流、誰が何を学んだのかにまとめています。

新選組をもっと知る本

小説で新選組に入った人も、史実から入りたい人も読みやすい本です。『新撰組顛末記』は二番隊組長・永倉新八が晩年に語った回顧録、『新選組始末記』は昭和の初めに関係者の聞き書きをまとめた本で、どちらも後の小説やドラマのもとになりました。

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芹沢鴨とともにいた人びとのその後

芹沢派の最期

芹沢鴨のまわりには、水戸の出身者を中心とした一派がいました。彼らは文久三年のうちに、ほとんどが隊から消えています。

  • 新見錦:局長の一人。文久三年九月、芹沢の暗殺に先立って切腹させられたとされる
  • 平山五郎:芹沢とともに八木家で寝ているところを襲われ、同じ夜に斬られる
  • 平間重助:芹沢暗殺の夜を生き延び、そのまま隊を去る
  • 野口健司:文久三年十二月、切腹

芹沢派が除かれたことで、新選組は近藤勇と土方歳三を中心とする体制に変わりました。芹沢がいた壬生浪士組の時代は、わずか半年あまりで終わったことになります。

参考資料:Wikipedia日本語版「芹沢鴨」「新選組」、新人物往来社編『新選組大人名事典』、永倉新八『新撰組顛末記』ほか。隊士の生没年・出身・役職は、名簿や資料によって異なることがあります。

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