当サイトが個別のページを持つ九州の藩は、支藩や途中で廃藩になったものを含めて四十一あります。いちばん大きいのが薩摩藩の七十七万石、次が熊本藩の五十四万石、福岡藩の四十三万三千石、佐賀藩の三十五万七千石と続きます。
下の表は、その四十一を石高の大きい順に並べたものです。藩の名前をたどれば、その藩の個別ページへ進めます。
九州の藩一覧(石高順・四十一藩)
| 藩 | 藩主家・石高 | 最後の藩主 | 幕末のうごき |
|---|---|---|---|
| 薩摩藩(鹿児島藩) | 島津家77万石 | 島津忠義 | 鳥羽伏見の戦いから五稜郭まで戦い抜き維新を実現させた薩摩藩 |
| 熊本藩(肥後藩) | 細川家54万石 | 細川護久 | 藩論が割れたが最後は新政府軍に加わり横井小楠を輩出した熊本藩 |
| 福岡藩 | 黒田家43万3千石 | 黒田長知 | 幕末時は親長州藩の立場で早くから新政府側についた福岡藩 |
| 佐賀藩 | 鍋島家35万7千石 | 鍋島直正(閑叟) | 幕末当時最新鋭の洋式軍を保持し上野戦争や函館五稜郭の戦いに参戦した佐賀藩(肥前藩) |
| 久留米藩 | 有馬家21万石 | 有馬頼咸 | 禁門の変で長州藩兵とともに戦った真木和泉を輩出した久留米藩 |
| 小倉藩 | 小笠原家15万石 | 小笠原忠忱 | 幕長戦争(四境戦争)では小倉口を担当した高杉晋作に惨敗して小倉城を自焼 藩庁を移転した小倉藩 |
| 柳河藩 | 立花家10万9千石 | 立花鑑寛 | 戊辰戦争では会津若松まで参戦した柳川藩 |
| 中津藩 | 奥平家10万石 | 奥平昌邁 | 福沢諭吉や西南戦争で西郷軍に加わった増田宋太郎を排出した中津藩 |
| 琉球藩 | 尚氏8万9千石 | 尚泰 | 明治政府より琉球藩王に任命されるも最後は東京へ連行された尚泰 |
| 小城藩(佐賀藩支藩) | 鍋島家7万3千石 | 鍋島直虎 | 新政府軍に与して秋田戦争まで参戦した小城藩 |
| 延岡藩 | 内藤家7万石 | 内藤政挙 | 鳥羽・伏見の戦いでは旧幕府軍に付いたため朝敵とされた延岡藩 |
| 岡藩 | 中川家7万石 | 中川久昭 | 駿府への派兵の遅れで謹慎を命じられた岡藩 |
| 島原藩 | 松平家6万5千石 | 松平忠和 | 島原の乱を経て幕末には新政府軍に属し秋田や盛岡まで参戦した島原藩 |
| 平戸藩 | 松浦家6万1700石 | 松浦詮 | 鳥羽・伏見の戦い直後に新政府軍に加わった平戸藩 |
| 唐津藩 | 小笠原家6万石 | 小笠原長国 | 世子の小笠原長行が老中を務め箱館まで旧幕府軍とともにあった唐津藩 |
| 蓮池藩(佐賀藩支藩) | 鍋島家5万2千石 | 鍋島直紀 | 戊辰戦争では新政府軍に属して秋田戦争に参戦した蓮池藩 |
| 飫肥藩 | 伊東家5万1千石 | 伊東祐相 | 新政府軍に与して二条城や甲府城の守備を務めた飫肥藩 |
| 臼杵藩 | 稲葉家5万石 | 稲葉久通 | 豊後国中もっとも遅い上洛だったがいち早く版籍奉還を行った臼杵藩 |
| 秋月藩(福岡藩支藩) | 黒田家5万石 | 黒田長徳 | 宗家福岡藩とともに新政府軍に加わった秋月藩 |
| 東蓮寺藩(福岡藩支藩) | 黒田家5万石 | 黒田長清 | 二度立藩し二度廃藩となった直方の藩 |
| 高瀬藩(熊本藩支藩) | 細川家3万5千石 | 細川利永 | 幕府に従順だったが無事に幕末を乗り切った高瀬藩 |
| 杵築藩 | 松平家3万2千石 | 松平親貴 | 親子で藩論が割れたが新政府軍に従い会津戦争にも加わった杵築藩 |
| 高田藩 | 松平家3万2千石 | 松平英親 | 杵築藩へ移封のため廃藩 |
| 宇土藩(熊本藩支藩) | 細川家3万石 | 細川行真 | 高瀬藩と共に本藩に従い新政府軍として従軍した宇土藩 |
| 日出藩 | 木下家3万石 | 木下俊愿 | 佐幕と勤皇で藩論が割れるが最終的には新政府軍に与した日出藩 |
| 高鍋藩 | 秋月家2万7千石 | 秋月種殷 | 洋式兵制と砲台を整え、上杉鷹山を生んだ高鍋藩 |
| 佐土原藩(薩摩藩支藩) | 島津家2万7千石 | 島津忠寛 | 薩摩藩と共に上野戦争や会津戦争に参戦した佐土原藩 |
| 大村藩 | 大村家2万7千石 | 大村純熈 | 鳥羽・伏見の戦い直前に大津を抑え幕府軍の援軍を防いだ大村藩 |
| 府内藩 | 松平家2万2200石 | 松平近説 | 幕府要職にあったため新政府から謹慎を命じられた豊後府内藩 |
| 人吉藩 | 相良家2万2千石 | 相良頼基 | 軍制改革を行い薩摩藩と共に会津攻撃に加わった人吉藩 |
| 富岡藩(天草藩) | 戸田家2万1千石 | 戸田忠昌 | 島原の乱で荒廃したあと天領となった富岡藩 |
| 佐伯藩 | 毛利家2万石 | 毛利高謙 | 早くから藩主が勤王派で鳥羽伏見の戦い後に恭順した佐伯藩 |
| 鹿島藩(佐賀藩支藩) | 鍋島家2万石 | 鍋島直彬 | 本藩の佐賀藩と行動をともにし新政府軍に従った鹿島藩 |
| 対馬府中藩(厳原藩) | 宗家2万石 | 宗義達 | 藩内では佐幕・尊皇で混乱を極めたが戊辰戦争では大坂まで兵を進めた対馬藩 |
| 福江藩(五島藩) | 五島家1万5千石 | 五島盛徳 | 上洛要請により上京し新政府軍に従った五島藩 |
| 森藩 | 久留島家1万2500石 | 久留島通靖 | 来島水軍の末裔で大政奉還後いち早く新政府軍に与した森藩 |
| 松崎藩(久留米藩支藩) | 有馬家1万石 | 有馬豊祐 | 親族の窪田藩主土方雄隆継嗣問題に巻き込まれて廃藩 |
| 千束藩(小倉藩支藩) | 小笠原家1万石 | 小笠原貞正 | 小倉藩宗家とともに長州藩と戦うも惨敗し熊本藩領まで逃れた千束藩 |
| 平戸新田藩(平戸藩支藩) | 松浦家1万石 | 松浦脩 | 新政府の要請により上洛し恭順 |
| 立石藩 | 木下家5千石 | 木下俊清 | 幕末時は本藩日出藩と共に行動をした立石藩 |
| 富江藩(五島藩支藩) | 五島家3千石 | 五島盛明 | 幕末期に本藩である福江藩に併呑されかけたが農民一揆が勃発した富江藩 |
石高で見ると、九州はこう並びます
十万石を超えるのは八つだけです。薩摩(七十七万石)、熊本(五十四万石)、福岡(四十三万三千石)、佐賀(三十五万七千石)、久留米(二十一万石)、小倉(十五万石)、柳河(十万九千石)、中津(十万石)。
残りはほとんどが数万石の小さな藩で、一万石台や、一万石に満たない藩もあります。富江藩は三千石、立石藩は五千石です。
九州の特徴は、大藩と小藩の差が極端に大きいことでしょう。薩摩一藩で、九州の小さな藩を何十も足した石高を超えてしまいます。幕末に薩摩と佐賀が突出して動けたのは、この差が背景にあります。
戊辰戦争で、九州の藩はどう動いたか
結論から言えば、九州の藩はほとんどが新政府側につきました。
薩摩藩は鳥羽伏見から五稜郭まで戦い抜きます。佐賀藩は最新鋭の洋式軍を持ち、上野戦争にも箱館にも出ました。福岡藩は早くから新政府側で、熊本藩は藩論が割れたものの最後は新政府軍に加わっています。
佐賀の支藩である小城藩・蓮池藩・鹿島藩は本藩と足並みをそろえ、小城藩と蓮池藩は秋田戦争まで出向きました。島原藩も秋田や盛岡まで参戦しています。柳河藩と杵築藩は会津若松まで行きました。
いっぽうで、立場を悪くした藩もあります。延岡藩は鳥羽・伏見で旧幕府軍についたため朝敵とされました。府内藩は藩主が幕府の要職にあったため新政府から謹慎を命じられ、岡藩は駿府への派兵が遅れて同じく謹慎になっています。
小倉藩は戊辰戦争より前につまずきました。幕長戦争(四境戦争)で小倉口を受け持ち、高杉晋作に惨敗して小倉城を自分で焼き、藩庁を移しています。支藩の千束藩は熊本藩領まで逃れました。
唐津藩は、世子の小笠原長行が老中を務めていた関係で、旧幕府軍とともに箱館まで行き着きました。対馬府中藩は藩内が佐幕と尊皇で割れて混乱しています。
この一覧の数え方について
- 支藩も一つとして数えています。佐土原藩(薩摩藩支藩)、小城藩・蓮池藩・鹿島藩(佐賀藩支藩)、宇土藩・高瀬藩(熊本藩支藩)、秋月藩・東蓮寺藩(福岡藩支藩)、千束藩(小倉藩支藩)、平戸新田藩(平戸藩支藩)、富江藩(五島藩支藩)、松崎藩(久留米藩支藩)がそれにあたります。
- 幕末より前に廃藩になった藩も含めています。高田藩は杵築藩へ移封、松崎藩は継嗣問題に巻き込まれて廃藩、東蓮寺藩は二度立って二度廃藩、富岡藩(天草藩)は天領になりました。幕末時点では藩として存在していません。
- 琉球藩は性格が違います。明治になってから琉球王国を藩として位置づけたもので、江戸時代の藩と同列には扱えません。表には入れてありますが、別枠として見てください。
- 石高は当サイトの各藩ページに記した数字です。幕末の表高・内高・最終的な高は資料によって違いがあります。
参考にした資料
- 当サイトの各藩ページ(典拠は各ページの参考資料に記載)


