当サイトが個別のページを持つ四国の藩は、支藩や途中で廃藩になったものを含めて一十八あります。いちばん大きいのが阿波徳島藩の二十五万七千石です。
下の表は、その一十八を石高の大きい順に並べたものです。藩の名前をたどれば、その藩の個別ページへ進めます。
目次
四国の藩一覧(石高順・一十八藩)
| 藩 | 藩主家・石高 | 最後の藩主 | 幕末のうごき |
|---|---|---|---|
| 阿波徳島藩 | 蜂須賀家25万7千石 | 蜂須賀茂韶 | 佐幕派と尊皇派で藩論が割れて新政府軍への協力が縮小された徳島藩 |
| 土佐藩(高知藩) | 山内家20万2600石 | 山内豊信(容堂) | 鳥羽・伏見の戦いから会津戦争など戊辰戦争を戦い抜いた土佐藩 |
| 伊予松山藩 | 松平家15万石 | 松平定昭 | 鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍についたため朝敵となり追討軍を送られた松山藩 |
| 高松藩 | 松平家12万石 | 松平頼聰 | 幕末の動乱では鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍として戦い朝敵にされた高松藩 |
| 宇和島藩 | 伊達家10万石 | 伊達宗城 | 蒸気船を建造するなど西洋技術をいち早く取り入れたが戊辰戦争では新政府寄りの中立を保った宇和島藩 |
| 大洲藩 | 加藤家6万石 | 加藤泰秋 | 早くから勤王の藩として鳥羽伏見の戦いにも参戦した大洲藩 |
| 丸亀藩 | 京極家5万1千石 | 京極朗徹 | 鳥羽伏見の戦いでは隣藩の高松藩追討軍に加わった丸亀藩 |
| 阿波富田藩(徳島藩支藩) | 蜂須賀家5万石 | 蜂須賀正員 | 本藩の養子となったため廃藩 |
| 今治藩 | 松平家3万5千石 | 松平定法 | 早くから新政府軍に従い江戸や会津征伐まで参戦した今治藩 |
| 伊予吉田藩(宇和島藩支藩) | 伊達家3万石 | 伊達宗敬 | 幕末時は本家宗城と不仲だったため佐幕派だった吉田藩 |
| 西条藩(紀州藩支藩) | 松平家3万石 | 松平頼英 | 御親藩支藩にも関わらず早くから新政府軍に属し戊辰戦争に参戦した西条藩 |
| 中村藩(土佐藩支藩) | 山内家3万石 | 山内豊明 | 病気による若年寄辞職で将軍徳川綱吉の怒りを買い廃藩 |
| 川之江藩 | 一柳家2万8千石 | 一柳直家 | 病死のため末期養子を届けるも所領を没収された川之江藩 |
| 土佐新田藩(土佐藩支藩) | 山内家1万3千石 | 山内豊誠 | 本藩とともに戊辰戦争を戦ったため恩賞を下賜された土佐新田藩 |
| 小松藩 | 一柳家1万石 | 一柳頼明 | 戊辰戦争では新政府軍に加わり北越戦争を戦った小松藩 |
| 松山新田藩(伊予松山藩支藩) | 松平家1万石 | 松平定静 | 宗家伊予松山藩を継いだため廃藩 |
| 新谷藩(大洲藩支藩) | 加藤家1万石 | 加藤泰令 | 農民鉄砲隊「郷組」を組織し戊辰戦争では新政府軍として出陣した新谷藩 |
| 多度津藩(丸亀藩支藩) | 京極家1万石 | 京極高典 | 本藩丸亀藩と共に新政府軍として高松藩へ進軍した多度津藩 |
石高で見ると
十万石を超えるのは五藩です。阿波徳島藩(二十五万七千石)、土佐藩(二十万二千六百石)、伊予松山藩(一十五万石)、高松藩(一十二万石)、宇和島藩(一十万石)。
いちばん小さいのは多度津藩の一万石です。四国の藩は、数万石の小さな藩が大半を占めます。
この一覧の数え方について
- 支藩も一つとして数えています。この地方では八藩がそれにあたります。
- 幕末より前に廃藩・移封になった藩も含めています。表の「幕末のうごき」に「移封のため廃藩」などと書いてあるものは、幕末の時点では藩として存在していません。
- 石高は当サイトの各藩ページに記した数字です。表高・内高・最終的な高は資料によって違いがあります。
参考にした資料
- 当サイトの各藩ページ(典拠は各ページの参考資料に記載)


