朱塗りの屋根に「守礼之邦(しゅれいのくに)」の額を掲げた守礼門。沖縄・那覇の高台にそびえる首里城は、四百五十年にわたって栄えた琉球王国の王城である。日本本土の城とはまったく異なる、中国と日本の文化が溶け合った独特の姿。そしてこの城は、幕末という時代に、日本本土とほとんど同時に——いや、一足早く——西洋の「開国」の波を受け止めた最前線でもあった。首里城から眺める幕末は、教科書のそれとは少し違う景色をしている。
琉球王国と首里城
首里城は、十五世紀に三つの勢力(三山)を統一した尚氏の琉球王国の王城として築かれた。中国(明・清)に朝貢して冊封を受け、東アジアと東南アジアを結ぶ中継貿易で富み栄えた海洋国家である。城壁は本土のような直線ではなく、琉球石灰岩を用いた優美な曲線を描き、正殿は極彩色の朱に彩られる。日本でありながら日本ではない、独立した王国の記憶が、この石垣の一つひとつに刻まれている。

薩摩の琉球支配 ― 「日清両属」という綱渡り
その琉球王国の運命を大きく変えたのが、慶長十四年(一六〇九)の薩摩・島津氏による侵攻だった。以後、琉球は薩摩の支配下に組み込まれながら、表向きは中国への朝貢も続けるという、「日清両属」の綱渡りを強いられる。薩摩は琉球に検地と刀狩を行い、年貢と貿易を厳しく管理した。王国は存続を許されたが、その内実は薩摩の強い統制下にあった。幕末に至るまで、この二重支配の構造は続いていく。
幕末薩摩の富を生んだ、琉球という窓
ここが、幕末を語るうえで見逃せないところである。江戸時代後期、薩摩藩は巨額の借金にあえいでいたが、家老・調所広郷の改革によって財政を立て直した。その柱の一つが、琉球を窓口とした清との貿易だった。琉球経由でもたらされる唐物(中国産の品)や、奄美・琉球で採れる黒糖の専売が、薩摩に莫大な富をもたらしたのである。この財力があったからこそ、薩摩は洋式の軍備を整え、幕末の政局を動かす雄藩へと成長し、やがて倒幕の主役となった。首里城のはるか彼方で起きた明治維新は、実はこの琉球の富に支えられていた——そう考えると、この城の見え方が変わってくる。
ペリーは浦賀より先に、首里城へ来ていた
そして開国前夜。多くの人は「黒船来航といえば浦賀」と思い浮かべるが、実はペリー艦隊は、江戸湾へ向かうより先に琉球に来ていた。嘉永六年(一八五三)、ペリーはまず那覇に来航し、補給と交渉の拠点とする。そして武装した部下を率いて首里城へと乗り込み、王府に強引に面会を求めたのである。琉球側は歓待を装いつつ、正殿への立ち入りは避けさせるなど、したたかに応対したと伝わる。ペリーはこの琉球での経験を足がかりに、浦賀へと向かった。日本の開国の物語は、この首里城の御庭(うなー)から始まっていたともいえる。

琉球の”開国” ― 三つの条約とベッテルハイム
琉球が受けた西洋の圧力は、ペリーだけではなかった。ペリーに先立つ一八四四年にはフランス艦が那覇に来て通商と布教を要求し、一八四六年からはイギリス人宣教師ベッテルハイムが那覇の寺に住み着いて布教と医療を行っていた。そして嘉永七年(一八五四)、日米和親条約が結ばれたのと同じ年、ペリーは再び琉球に立ち寄り、「琉米修好条約」を締結する。琉球はさらにフランス・オランダとも条約を結んだ。日本本土と歩調を合わせるように、この小さな王国もまた、独自に西洋へと国を開いていったのである。

そして琉球処分へ ― 王国の終わり
幕末を生き延びた琉球王国だったが、明治維新はその存在を許さなかった。新政府は明治五年(一八七二)に琉球を「琉球藩」とし、さらに明治十二年(一八七九)、軍隊と警官を送って首里城を接収、王国を廃して「沖縄県」を置いた。世にいう「琉球処分」である。最後の国王・尚泰は東京へ移され、四百五十年続いた琉球王国は、ここに幕を閉じた。幕末の激動が生んだ新しい日本は、その版図に琉球をも組み込んでいったのだ。首里城は、王国の栄華と、その終焉の、両方を見届けた城だった。
焼けても甦る城 ― 再建中の首里城を歩いて
訪れて驚くのは、城のあちこちで再建の工事が続いていることだ。首里城は先の大戦で灰燼に帰したのち復元されたが、二〇一九年、正殿がふたたび火災で焼失してしまった。いま城内にはクレーンがそびえ、素屋根に覆われた正殿の再建が急ピッチで進んでいる。悲しくもあるが、焼けるたびに人々の手で甦ってきたこの城の姿は、琉球・沖縄の人々の不屈の思いそのもののように見えた。守礼門をくぐり、瑞泉門への石段を上り、門を守るシーサーに見送られながら、私はこの城が背負ってきた長い歴史に思いをはせた。幕末の日本を、南の海の王国から眺め直す——首里城は、そんな稀有な視点を与えてくれる場所だった。


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首里城公園へのアクセス・地図
沖縄都市モノレール(ゆいレール)「首里」駅から徒歩約15分。守礼門・園比屋武御嶽石門・瑞泉門などは見学でき、正殿は再建工事の様子も含めて公開されています。

