2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)は、幕末の幕臣・小栗忠順が主人公です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
幕末・明治の暗殺事件 特集:桜田門外の変から伊藤博文暗殺まで、19の事件を年表とともにまとめています。▶ 暗殺事件の特集を見る
文久2年(1862)1月15日の朝、江戸城の坂下門の外で、老中の安藤信正が浪士たちに襲われました。「坂下門外の変」です。桜田門外の変からわずか2年。今度は、井伊直弼のあとを継いで幕府を動かしていた老中が狙われました。
安藤は命こそ助かったものの、この事件をきっかけに老中を退くことになります。ここでは、なぜ安藤が狙われたのか、何が起きたのか、そしてなぜ「助かったのに失脚した」のかをたどります。
先に答え—坂下門外の変とは
| いつ | 文久2年(1862)1月15日の朝。上元の節句の登城日でした |
|---|---|
| どこで | 江戸城・坂下門の外(いまの皇居、宮内庁へ通じる門) |
| 誰が | 水戸浪士を中心に、宇都宮の志士らが加わった6人。計画の中心は儒学者の大橋訥庵とされます |
| 誰を | 老中・安藤信正(陸奥磐城平藩主)。「のぶまさ」と読みます |
| なぜ | 皇女・和宮を将軍家茂に嫁がせる「和宮降嫁」を進めたこと、外国との交渉への反発 |
| 結果 | 襲撃者6人はその場で討ち取られ、安藤は背中などに傷を負いました。同じ年の4月に老中を退きます |
井伊のあとを継いだ「公武合体」
桜田門外の変で井伊直弼を失った幕府は、力で反対派を押さえこむやり方を改め、朝廷と手を結んで政治を安定させようとしました。これが「公武合体」です。その中心にいたのが、老中の安藤信正と久世広周でした。
公武合体のしるしとして進められたのが、孝明天皇の妹・和宮を、14代将軍・徳川家茂の妻に迎えることでした。和宮にはすでに婚約者がいて、本人も江戸へ下ることを強く嫌がったといわれます。それでも幕府は、条約の破棄や攘夷の実行を約束するかたちで朝廷を説得し、文久元年(1861)に和宮は江戸へ向かいました。
尊王攘夷派の志士たちには、これが「幕府が天皇の妹を人質にとった」ように映りました。和宮を江戸へ迎えた中心人物として、安藤への憎しみが集まっていきます。
坂下門の外で何が起きたのか

1月15日の朝、安藤の行列が坂下門に近づいたところへ、浪士の一人が直訴を装って近づき、駕籠に向けて銃を撃ったのを合図に、残りが斬りかかりました。安藤の行列は、桜田門外の変の教訓から護衛を増やしていたとされ、供の侍たちはすぐに応戦します。
襲撃した6人は、その場で全員が討ち取られました。安藤は駕籠から逃れて城内に入りましたが、背中などに傷を負いました。遅れて現場に着けなかった水戸浪士の川辺左次右衛門は、長州藩邸に襲撃の趣意書を届けたあと自刃しています。計画の中心とされた大橋訥庵は、事件の前にすでに捕らえられていて、のちに病死しました。
助かったのに、なぜ失脚したのか
安藤は命をとりとめ、傷が癒えると再び登城しました。それでも、この事件は安藤の立場を大きく揺るがします。
一つには、浪士たちの趣意書が安藤を厳しく非難していて、それが世間に広まったことがあります。もう一つは、背中に傷を受けたことです。武士にとって背中の傷は「敵に背を向けた」しるしとして恥とされ、安藤が城内へ逃げこんだことを批判する声もあったと伝えられます。
安藤は同じ年の4月に老中を退き、のちに隠居と領地の削減も命じられました。公武合体を進めた中心人物が去ったことで、幕府はさらに朝廷や雄藩の意向に左右されるようになっていきます。
安藤信正のその後
安藤家の磐城平藩(いまの福島県いわき市)は、戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わり、新政府軍と戦いました。隠居の身だった信正も藩の戦いにかかわり、平城は落城します。信正は明治4年(1871)に亡くなりました(磐城平藩/【現地取材】いわきの三藩を歩く)。
大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公・小栗忠順は、このころ外国奉行として、ロシア軍艦が対馬に居すわった事件の交渉にあたっていました。安藤ら老中のもとで、幕府の外交の難しさを身をもって知った時期です。
坂下門外の変ゆかりの地
- 坂下門(千代田区千代田):皇居の門。宮内庁の通用門として使われています。
- 磐城平城跡(いわき市):安藤家の居城。
▶ この事件を起こした側の人物
- 平山兵介とは何をした人物か—坂下門外の変で老中・安藤信正を襲った水戸の浪士
- 河本杜太郎・河野顕三とは何をした人物か—駕籠を撃って口火を切った越後の河本と、下野の河野
- 大橋訥庵とは何をした人物か—計画の中心となった江戸の儒者。決行3日前に捕らえられた
幕末・明治の暗殺事件を読む
- 桜田門外の変(1860)—大老・井伊直弼
- 坂下門外の変(1862)—老中・安藤信正(この記事)
- 吉田東洋暗殺(1862)—土佐藩の参政
- 本間精一郎暗殺(1862)—木屋町の天誅
- 目明し文吉の殺害(1862)—三条河原
- 清河八郎暗殺(1863)—麻布一ノ橋
- 姉小路公知暗殺・朔平門外の変(1863)
- 芹沢鴨暗殺(1863)—壬生・八木邸
- 平岡円四郎暗殺(1864)—一橋慶喜の側近
- 佐久間象山暗殺(1864)—三条木屋町
- 原市之進暗殺(1867)—将軍慶喜の側近
- 赤松小三郎暗殺(1867)—東洞院通
- 坂本龍馬暗殺・近江屋事件(1867)
- 油小路事件(1867)—伊東甲子太郎
- 横井小楠暗殺(1869)—寺町丸太町
- 大村益次郎暗殺(1869)—兵部大輔の死
- 大久保利通暗殺・紀尾井坂の変(1878)
- 森有礼暗殺(1889)—憲法発布の朝
- 伊藤博文暗殺(1909)—ハルビン駅
✎ 筆者のひとこと
老中は命こそ助かったものの、背中に傷を負ったことを責められて失脚しました。命より体面が問われる、武士の世の厳しさを感じる事件です。
ただ、個人的には体面よりも生きのびることのほうが大事だと思うのですが。


