磐城平藩/安藤家4万石:安藤信正 坂下門外の変で浪士に襲撃された安藤信正の磐城平藩

目次

磐城平藩の歩み

歴代藩主の中で最も有名な人物は、第5代藩主「安藤信正」です。桜田門外の変の後、老中として幕政を主導したが、文久二年(1862年)の「坂下門外の変」で失脚、強制隠居処分に処されて所領も四万石に削減されました。

磐城平藩/安藤家4万石:安藤信正【幕末維新写真館】

慶応四年(1868年)の「戊辰戦争」では、安藤信正は佐幕派としての地位を貫き、磐城平藩は「奥羽越列藩同盟」に加入して、新政府軍と敵対しました。しかし、藩庁である磐城平城での攻防戦で敗北し、磐城平城は焼失して藩士は敗走しました。

藩主は西国にいて、城には隠居がいました

戊辰戦争の磐城平城を守ったのは、藩主ではありません

坂下門外の変で失脚した安藤信正は、戊辰戦争のとき隠居の身でした。文久二年四月に老中を罷免され(いわき市公式は四月十四日、四月十一日とする資料もあります)、同年八月十六日に隠居・謹慎を命じられています。

では戊辰戦争のときの藩主は誰かというと、信正の養孫の安藤信勇(のぶたけ)です。そしていわき市の資料は、そのとき信勇は「西国にいて」、隠居の信正が磐城平にいたと書いています。慶応四年三月五日に「隠居の身となった信正」が江戸を出発し、城では城主の安藤鶴翁(信正)が「櫓に登り…旗指物を立て並べ」た—市の連載にはそういう場面が残っています。

藩主は遠くにいて、失脚した元老中が故郷の城に立っていた。「信正が自ら指揮を執った」と言い切れる公式の記述はありませんが、少なくとも在城して関わったことは市の資料から分かります。

六月十六日から七月十三日まで

いわき市の公式連載「いわきの戊辰戦争」が、経過を日付で追っています。

慶応四年六月十六日の午前十時ごろ、新政府軍の軍艦三艘が平潟沖に姿を見せました。このとき平潟にいた仙台藩兵はおよそ五十人。そこから第一次の磐城平の戦いが六月二十九日、第二次が七月一日、第三次(落城)が七月十三日です。

落城は、攻め落とされたというより同盟軍が「磐城平城に火を放ち、城を出た」ものでした。市の資料によれば夜十二時ごろに火をつけ、「本丸などがすべて焼けた」。一か月足らずで城がなくなっています。降伏状の提出は九月二十四日です。

なお同じ市の別の連載に「五月二十八日、平潟に上陸」という記述がありますが、これは輪王寺宮の上陸で、新政府軍ではありません。平潟は同じ年に二度、違う人を迎えています。→ 盛岡藩(南部藩)

陸中へ移れと言われ、取り消され、七万両と言われ、免除されました

戦後の処分が、この藩はとくに目まぐるしいのです。いわき市の資料にある「磐城平藩の処分」の表を、そのまま並べます。

明治元年七月に藩主の謹慎。明治元年十二月に陸中国へ転封(三万四千三百五十三石)。明治二年七月に転封の取り止め。明治二年八月に磐城平への復帰と「七万両献金を命ず」。明治二年九月に「献金を免じて石高を三万石へ」。

わずか九か月のあいだに、転封・撤回・献金命令・献金免除が続いたわけです。隣の盛岡藩が白石転封を命じられ、七十万両の献金を条件に盛岡復帰を認められたのと、同じ時期の同じ種類の処分でした。桁は十倍違います。

石高についても書き添えておきます。当ページは「四万石」を掲げていますが、辞典類(ブリタニカ・百科事典マイペディア)は坂下門外の変後の減封で「三万石」とし、四万石とするのは文久元年の一万石加増を挟んだ計算をする資料です。そして戦後処分で最終的に三万石。数字は時点によって動いています。

石炭を探しに歩いたのは、黒船を見たからでした

磐城の幕末で、見落とされがちなのが石炭です。

辞典類(日本歴史地名大系・日本大百科全書・ブリタニカ・世界大百科事典)は、安政二年(1855年)に片寄平蔵が弥勒沢で石炭の露頭を発見したとしています(いわき市の観光サイトは安政三年)。そして福島県の教育情報データベース「うつくしま電子事典」は、その動機をこう書いています—1853年に来航した米国の蒸気船の燃料が石炭だと知った平蔵が「石炭を探し求めて歩きました」。販路は江戸で、横浜にも出店しました。

ペリー来航で石炭の需要が生まれ、それを見て山を歩いた人がいた。のちの常磐炭田の出発点です。ただしこの因果を書いているのは教育サイトで、辞典は因果に触れていません。本格的な開発は明治十六年から十七年以降で、明治の話になります。

いっぽうじゃんがら念仏踊りは、祐天が貞享・元禄年間(1684〜1704年)に授けたのが始まりとする説があり、江戸前期の起源で幕末とは関係ありません。

城跡は細切れの個人所有になり、いま公園に戻されています

磐城平城はJRいわき駅の北口に隣接しています。国の史跡ではなく、市指定史跡になっているのは塗師櫓石垣です。

いわき市の資料によれば、城跡は明治六年の廃城令のあと払い下げられて「細切れの個人所有」になり、明治三十年二月の常磐線開通で内堀が消えました。残る遺構は中門櫓の石垣、本丸北出入口の塗師櫓石垣、桝形内の石垣などです。丹後沢はもと内堀の一部で、十七世紀末に沼になり、名前は古老「丹後」が人柱になったという伝説に由来します。大正十五年三月に払い下げを受けて小公園になり、平成九年三月に「丹後沢公園」として整備されました。

そして市は公園区域の公有地化を進め、平成二十九年八月に整備構想図を公表、基本計画を2019年十月に策定しました。施設名は「磐城平城しろあと公園」。整備中に想定外の石垣が見つかって工事が遅れたことが地元紙で報じられています。百五十年かけて細切れになった城跡を、市が買い戻しているところです。

藩校は施政堂で、宝暦六年(1756年)に安藤信成が創設し、明治二年に「佑賢堂」と改めました。

県の変遷は、福島県歴史資料館の資料で日付まで分かります。明治四年七月の廃藩置県で磐城平県、明治四年十一月二日に六県と四分県が統合されて平県、十一月二十八日に磐前(いわさき)県へ改称、そして明治九年八月二十一日に福島・若松・磐前の三県が合併して福島県になりました。信正は明治四年十月八日に五十三歳で亡くなっており、華族令より前なので叙爵はしていません。→ 佐倉藩

磐城平の現地を歩いた記録

この地の戊辰戦争の流れは、磐城の戦いとは?平潟に上陸した新政府軍が磐城平城を落とした戊辰戦争の一戦を図解でわかりやすくで、進軍図とあわせて解説しています。

磐城平藩の城跡は、当サイトの運営者が実際に訪ねて撮影しています。記事は次の一本です。

残っている石垣や堀、現地の解説板に何が書かれているかは、文献だけでは分かりません。写真はすべて現地で撮影したものです。藩の歴史を読んだあとに、その藩が拠った場所を見てみてください。

場所・アクセス・地図

〒970-8026 福島県いわき市平旧城跡28番地

磐城平藩の成り立ち ― 岩城氏から鳥居忠政へ

磐城平藩(いわきたいらはん)は、陸奥国磐城の中心に置かれた大藩です。この地は平安末期以来、名族・岩城氏が長く支配していたが、関ヶ原の戦いで西軍に与したために領地を没収されました。代わって入ったのが、譜代の重臣・鳥居忠政です。忠政は新たに磐城平城を築いて城下町を整え、「岩城」の字を忌んで「磐城平」と改めたと伝わります。ここに、近世の磐城平藩が始まりました。

歴代の大名家 ― 鳥居・内藤・井上・安藤

鳥居家は十万石を領したが、元和八年(1622)に出羽山形へ転じ、代わって内藤政長が七万石で入封しました。内藤家はおよそ百二十年にわたって磐城平を治めたが、延享四年(1747)、領内の百姓一揆の責めもあって日向延岡へ転封となります。続く井上家は十年余りで去り、宝暦八年(1758)ごろから安藤家が入って、幕末までこの地を治めました。大藩の主が幾度も入れ替わったのは、奥州の要となる磐城平の重みゆえでした。

江戸期のできごと ― 「寛永寅の縄」と用水

内藤家の治世には、藩の礎を築く事業が相次ぎました。二代・内藤忠興は約十年をかけて領内の総検地を行い、二万石もの増収をもたらしました。とりわけ寛永十五年(1638)の寅の年に集中して実施されたため、これは「寛永寅の縄」と呼ばれます。忠興はまた小川江・愛谷江といった用水路を整え、新田開発を進めて、藩の農業基盤を大きく固めました。安藤家の代には藩校「施政堂」も設けられています。

安藤信正と幕政 ― 和宮降嫁と坂下門外の変

幕末の磐城平藩を率いたのが、老中・安藤信正です。桜田門外の変で大老・井伊直弼が斃れたのち、信正は幕政の中枢に立ち、朝廷と幕府を結ぶ公武合体を推し進めました。皇女・和宮を将軍家茂の正室に迎える降嫁の実現は、その最大の仕事でした。しかしこの政策は尊皇攘夷派の激しい反発を招き、文久二年(1862)、信正は江戸城の坂下門外で水戸浪士らに襲撃され、負傷する(坂下門外の変)。背中に傷を負ったことが武士にあるまじきと非難されたとも伝えられますが、辞典や市の資料が書いているのは「負傷」までです。信正は失脚し、所領も削られました。

幕末の磐城平藩 ― 落城、焼失

戊辰戦争が起こると、安藤信正は佐幕の立場を貫き、磐城平藩は奥羽越列藩同盟に加わって新政府軍と戦いました。しかし、磐城平城をめぐる攻防の末に藩は敗れ、堅城とうたわれた磐城平城は焼失、藩士たちは敗走しました。老中として時代の舵を取ろうとした信正の藩は、その終幕もまた、幕末の激動をまともに浴びるものでした。

磐城平城・湯長谷陣屋・泉陣屋の跡を実際に歩いた記録は【現地取材】いわきの三藩を歩く—磐城平城・湯長谷陣屋・泉陣屋に残る戊辰戦争の跡で紹介しています。

東北・北海道の藩一覧(幕末) ›

  • URLをコピーしました!
目次