ロッシュとは何をした人物か—幕府を支えたフランス公使。横須賀製鉄所と軍事顧問団、小栗忠順との二人三脚、パークスとの対立

横浜のフランス公使館で造船所の図面を囲むロッシュと幕臣たち(イメージ)

この記事は、2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

「幕末のもしも」について
史実をふまえたうえで、「もしあのとき別の道を選んでいたら」を管理人なりに考えるシリーズです。前半は史料にもとづく史実、後半の「もしも」の部分は管理人の考え(推測)です。
フランス公使レオン・ロッシュの肖像写真
フランス公使レオン・ロッシュ(1865年ごろ)。幕府にもっとも深く食いこんだ外国の外交官だった(出典:Wikimedia Commons、パブリックドメイン)

レオン・ロッシュは、幕末に日本へ来たフランスの公使です。イギリスが薩摩・長州に近づいていったのに対し、ロッシュは最後まで幕府を支えました。横須賀製鉄所、フランス式の陸軍、フランス語の学校—幕府の最後の改革の多くには、ロッシュの名前が出てきます。

その相手役が、勘定奉行の小栗忠順でした。大河ドラマ『逆賊の幕臣』でも、小栗とロッシュの二人三脚は大きな見どころになるはずです。

目次

ロッシュは何をした人?—先に答え

項目内容
身分駐日フランス公使(在任:1864〜1868年)
生没年1809年〜1901年。フランス・グルノーブル生まれ
日本でしたこと幕府を支持し、横須賀製鉄所の建設、フランス軍事顧問団の招へい、横浜仏語伝習所の開設、幕府への借款の話を進めた
組んだ相手勘定奉行・小栗忠順、栗本鋤雲、そして将軍・徳川慶喜
ライバルイギリス公使ハリー・パークス。こちらは薩摩・長州に近づいた
結末鳥羽伏見のあと慶喜に抗戦をすすめたが受け入れられず、1868年に日本を去った

日本に来る前—アフリカで30年

ロッシュは1809年、フランス南東部のグルノーブルで生まれました。20代で父のいるアルジェリアに渡り、アラビア語をすばやく身につけて、フランス軍の通訳になります。フランスに抵抗した現地の指導者アブデルカーデルとの交渉にもあたりました。

その後は外務省に入り、モロッコの公使館、チュニスの総領事と、北アフリカで30年あまりを過ごします。相手の懐に深く入りこんで交渉するやり方は、ここで身につけたものでした。

なぜフランスは幕府に近づいたのか

ロッシュは元治元年(1864年)、初代公使ベルクールの後を継いで日本に着任しました。フランスが幕府に肩入れした理由は、善意だけではありません。

  • 生糸—当時フランスでは蚕の伝染病が広がり、製糸業が大打撃を受けていた。日本の生糸と、病気に強い蚕の卵がどうしても欲しかった
  • イギリスへの対抗—日本との貿易でイギリスに大きく後れをとっていた
  • 相手は政府—ロッシュは、日本を代表する正式な政府は幕府だと考えた

一方の幕府も、軍艦を造り、直せる造船所をどうしても欲しがっていました。両者の思惑が一致したところに、小栗忠順がいたのです。

横浜のフランス公使館(1870年ごろ)
横浜のフランス公使館(1870年ごろ)。ロッシュはここを拠点に幕府と交渉した(出典:Wikimedia Commons、パブリックドメイン)

小栗とロッシュの仕事

横浜のフランス公使館で造船所の図面を囲むロッシュと幕臣たち(イメージ)
横浜のフランス公使館で、造船所の図面を囲むロッシュと幕臣たち(イメージ)
年したこといま
1865年横須賀製鉄所の建設を約束。技師ヴェルニーらを招くドックは米海軍横須賀基地の中で今も使われている
1865年横浜仏語伝習所を開く。通訳のメルメ・カションらが教えた卒業生が陸軍や造船所で活躍
1866〜67年幕府への大きな借款(600万ドルといわれる)を交渉成立しないまま幕府が倒れた
1867年フランス軍事顧問団が来日し、幕府の陸軍を訓練伝習隊として戊辰戦争を戦う
1867年慶喜に、老中の担当分けなど政治の改革を助言慶応の改革
ヴェルニーの胸像(ヴェルニー公園)
ヴェルニー公園のヴェルニーの胸像。ロッシュが招いた技師で、横須賀に造船所を残した(撮影:幕末歴史ガイド)

横須賀製鉄所の建設では、栗本鋤雲がロッシュとの窓口になり、小栗が資金を工面しました。製鉄所の代金は、日本の生糸の輸出で払う計画だったといわれます。

3トン門形スチームハンマー(国指定重要文化財)
横須賀製鉄所のために輸入された3トン門形スチームハンマー(国指定重要文化財、ヴェルニー記念館)(撮影:幕末歴史ガイド)

▶ 横須賀製鉄所とは/栗本鋤雲とは何をした人物か/幕府とフランスの借款交渉とは

1867年に来日したフランス軍事顧問団の士官たち
1867年に来日したフランス軍事顧問団の士官たち(出典:Wikimedia Commons、パブリックドメイン)

慶喜の相談役—大坂城での会見

慶応3年(1867年)、ロッシュは大坂城でたびたび将軍・徳川慶喜と会い、幕府の政治の立て直しについて助言しました。老中に陸軍・海軍・外国・会計などの担当を持たせる仕組みは、フランスの内閣にならったものとされます。

ロッシュの頭にあったのは、将軍を中心にした強い中央政府でした。同じころ、パークスは薩摩・長州の側に立ち、天皇を中心にした新しい政府の誕生を見こしていました。

イギリス公使ハリー・パークスの肖像
イギリス公使ハリー・パークス。薩摩・長州に近づき、ロッシュと張り合った(出典:Wikimedia Commons、パブリックドメイン)
ロッシュ(フランス)パークス(イギリス)
支えた相手幕府・徳川慶喜薩摩・長州
考え将軍中心の強い中央政府天皇中心の新しい政府
手段造船所・軍事顧問団・借款情報と人脈。通訳アーネスト・サトウらの働き
結果幕府が倒れ、帰国明治政府と深い関係を築く

鳥羽伏見のあと—抗戦をすすめ、日本を去る

慶応4年(1868年)正月、鳥羽伏見の戦いに敗れて江戸へ戻った慶喜に、ロッシュは会見を求め、まだ戦えると抗戦をすすめたと伝わります。フランスの援助を申し出たともいわれますが、慶喜は受け入れませんでした。同じころ、江戸城では小栗忠順も抗戦を説き、罷免されています。

本国フランスでも、幕府に肩入れしすぎたロッシュのやり方は見直されていました。ロッシュは公使を退き、1868年6月に日本を去ります。その後は政治の表舞台に戻ることなく、1901年に亡くなりました。

ロッシュが日本に残した横須賀の造船所は明治政府に引きつがれ、日本の近代化を支えることになります。幕府を支えたフランスの仕事は、皮肉にも幕府を倒した側の役に立ったのです。

▶ 小栗忠順の罷免とは

ロッシュのゆかりの地

  • ヴェルニー公園・ヴェルニー記念館(神奈川県横須賀市)—横須賀製鉄所の歴史を伝える
  • 横浜・山手—フランス公使館が置かれた。仏語伝習所も近くにあった

参考資料

  • 横須賀市・国立国会図書館の資料(詳しくは借款交渉の記事を参照)
  • 写真:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)、当サイト撮影

小栗忠順のゆかりの地をめぐる

小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。

倉渕(高崎市)の東善寺や最期の地は駅から離れているので、高崎駅前でレンタカーを借りると回りやすくなります。各社の料金はじゃらんレンタカーで比べられます(PR)。

泊まりがけで回るなら、宿は高崎駅の周辺か、倉渕から車で40〜50分ほどの伊香保温泉が便利です。横須賀は横須賀中央駅のまわりに宿が集まっています。空き室はじゃらんnet(高崎駅周辺・伊香保温泉・横須賀中央)で探せます(PR)。

小栗忠順をもっと知る本

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『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集

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